なんとまぁ、随分御無沙汰してしまいました。平身低頭でございます。m(__)m
もうすっかり話題が風化してしまったかもしれませんが、一応続きを…。
>Kayさん
>項羽論
え〜っと、私の言葉足らずで誤解させてしまったようです。
私が揚げ足をとったのは、天下人としての項羽の資質のことでして、Kayさんの論には基本的に賛成です。
彼は戦場で人を意のままに動かす能力が飛び抜けていたのでしょう。でも、人の働きを有効に活用してあげることは出来なかったと。
個人的な欲が少ないという点を除けば、殷の紂王や隋の煬帝と同じような陥穽に嵌っているような気がします。
>【真相究明派】
>私は心理系なので、私が知りたいと考えるのは、「その人物はどんな人物であったか」です。
流石、独特の視点ですね。Kayさんの論説はいつも視点が斬新で興味深いです。
心理学の本は読んだことありませんが、興味はあるので、そういう視点が面白いと感じます。
>私がこの観点が必要と感じたのはシミュレーションゲーマーだったからです。
私もシミュレーションゲーマーですが、光栄のパソコンゲームばかりでした。
Kayさんがプレイしていたのは、ボードでダイスを振るタイプのものですか?
お話を聞いているとオリジナルゲームのようですが、興味深々です。
ファンタジーものでならTRPGでよくダイス振ってましたから。(^^)
そういえば、三国志のカードゲームならやった事ありますね。
武将の強さが「2D+2」(6面ダイス2回+2の値)みたいにサイコロで表現されているヤツ。
>コロ助さん
>ちなみに墓誌とは、墓室の中に埋める被葬者の履歴を刻んだ石の事です。
>(cf)墓碑=墓前に立てられた被葬者の履歴を刻んだ碑。
ほー、そうだったのですか。全然知りませんでした。
それにしても魏徴の墓碑って残ってたのですね。私も永一さんと同じく、李世民に全部壊されたと思ってました。
一度読んでみたいものです。
ところで、コロ助さんは李勣以外に贔屓の人物はいないのですか?
ぜひ一度、列挙して頂きたい所です。
>永一さん
>いやいや、陳舜臣さんのは『中国の歴史(四)』と『小説十八史略(五)』
>で書いてる内容に多少差はありますが、李密が謀反を決意したほうが先
>です。
確認しました。ううっ、汗顔の至り。(>_<)
>『中国歴史大辞典』(上海辞書出版社)、2冊組で19530円也です。
>うーん、中国史趣味も堂に入ってきたなあ。
御安心あれ、北の大地には読めもせんのに書虫で『明史』を発注したアホタレがここにおりまする。
来年は、徐達が中国史でも屈指の名将であるのだ! という私の妄想が真実か否か、見極めようと思っとります。
>今月の『しにか』で「改革者で見る中国史」というシブそうな特集〜
私は立ち読みしました。なんで張居正がいないんじゃ〜と心の中で文句言ってました。(^^ゞ
ところで、隋唐偏はもう少し続けますか? それともそろそろ五代宋偏に行きます?
黄巣とかがまだ話題に上ってないなぁ…。
あと、永一さんは仕事柄、正月は忙しいのでしょうか?
帰省している方もいらっしゃるでしょうし、年が明けて暫くしてから再開したほうがいいでしょうかねぇ。
出てくるのが何日ぶりだか〜な?だめだめっ管理人です。
相変わらず酒びたり(いや公式見解によると仕事の繁忙)のため、
積ん読の消化もままならず……。カキコする元気も乏しく…。
ええと、今日はうちの書棚に現在最高額の本が加わりました。
『中国歴史大辞典』(上海辞書出版社)、2冊組で19530円也です。
うーん、中国史趣味も堂に入ってきたなあ。
カネない〜(泣)とか言いつつ、我ながらよくやるわ〜な。
でも今は金欠より、辞典の内容の濃さに涙してますが。しあわせだ…。
>Kayさま
>この二つはまったく別物だからです。臣下を有効に使うとは、臣下の言葉を聞き入れ
>ること、すなわち、「臣下に従う能力」です。それに対して撫馭の才能は、自分の言
>葉に「臣下を従わせる能力」です。
うーん、ボトムアップとトップダウンの差ですか?
取りあえず勝手に自分語に翻訳してます。勘違いしてたらごめんなさい。
項羽がトップダウン型の将(&君主)であるということなら、賛成です。
というか異論のほうが少ないでしょうね。
そしてそのトップダウン型の将として優れた才能を持っていたということも。
逆にボトムアップ型の君主の度量を持っていなかったために、滅びたんでし
ょうね。
ということは、Kayさんは妥当なことを妥当な言いかたで言ってるのかな?
いや、それならいいんです。(^_^;)〜自己完結〜
>そのゲームは、歴史は必然であるという観点で作られており、春秋時代から宋の建国
>までのヒストリカルリプレイが可能にしてあります。
うーん、そいつは面白そうです。
別に悪気はない(つもりな)のですが、なにやら大笑いしてしまいました。(^^)
まあ、歴史事実に沿った特殊なイベントを多数用意すれば、現行のSLGでも
歴史に沿ったリプレイができると思います。
ただ僕が言いたかったのは、マップと人物の登場設定と最初に与えられた任意
の変数による再計算では、歴史的展開の再現は不可能だということです。
でもシステムとシナリオさえよければ、現行のSLGでも疑似リアリティーを
作り出すことはできます。だから僕は『天下統一II+』系統とか好きなんです
けどね。残念ながら中国ものじゃなくて日本戦国ものですが。
>私の評価は、曹操より一段劣るという評価です。
それについては同感です。
というか、僕のばあい、曹操に対する評価が人と比べて高すぎるので、あまり参
考にならないかも。(>_<)
今月の『しにか』で「改革者で見る中国史」というシブそうな特集をやっていた
ので、思わず買ってしまったのですが、読みながら「曹操の悪口言うなあ〜」と
か叫んでいたとか、いないとか。え゛っ、悪口なんて書いてない?p(^^;)
> 主要な臣下の統御に失敗している項羽に、兵士の撫馭がどれほどできた
> のか疑問が残る…
この二つはまったく別物だからです。臣下を有効に使うとは、臣下の言葉を聞き入れること、すなわち、「臣下に従う能力」です。それに対して撫馭の才能は、自分の言葉に「臣下を従わせる能力」です。
たとえば、関羽も兵士を愛し撫馭の才がありましたが、臣下の統率ができませんでした。自負心の高すぎる人物にありがちな欠点です。
臣下を従わせるには熱意ある強い感情が必要ですが、臣下に従うには自ら感情を抑えて平静を保つ自制心が必要となります。
> 現行のSLGで‥‥‥ヒストリカルリプレイは不可能です。
私はマップやルールを自作して、月一回のゲームクラブでみんなで遊んでおりました。7〜11年前のこと。そのゲームは、歴史は必然であるという観点で作られており、春秋時代から宋の建国までのヒストリカルリプレイが可能にしてあります。
サイコロを振るボードゲームなので、偶然性もかなり大きくとってあります。ゲーム中に、「ああっ、張飛が雑兵に足ひっかけられてコけたぞ!」という叫びがあがったことも。(笑)
現行のSLGは、戦略や兵法についての知識に問題があると思われます。
> 士気・民心・忠誠心については、現行のゲームの再計算では完全な再現はできません。
曹操や司馬懿、呂布やあるいは劉備の忠誠心を同じように扱うとまず計算困難でしょう。このあたり私は心理学の徒なので、ちゃんと方法があるのです。 計画的謀反と衝動的謀反、目上への忠誠心と目下への愛情、これらを正確に区別することが重要となります。
> 僕はいまも誤解しています。(笑)
でも、確かに賢いのかもしれず、それは劉備と同じなわけです。私の評価は、曹操より一段劣るという評価です。ただ、本人がさらにそれ以上に賢いと思っていたのは間違いないでしょう。
> (李世民の病気と医術)
これ、私はあまり詳しくはありませんが、
『東アジアの法と社会/布目潮風博士古希記念論集/汲古書院1990』
に該当する論文があります。図書館に返してしまったので引用できず申し訳ありません。
李世民が、命にかかわる持病持ちであったこと、鍼と薬物に詳しかったこと、家臣を鍼や薬でしばしば治療したこと、李世民は中毒死といわれるがおそらくそれは事実ではないこと、などが述べられています。
↓で肝腎なことを書き忘れましたが、李密が黎陽に到達して、
李淵・竇建徳・王世充の華北勢力バランスにうまく乗ることができたなら
東遷の成功可能性はいくばくかあったでしょうねえ。
隋唐の話をしているからというわけでもないんですが、
長らく積ん読にしていた礪波護『唐の行政機構と官僚』を読みました。
うぉおお…、文庫には珍しい論文調。む、難しい。
というわけで途中から飛ばし読み。
律令制が発足当初から崩壊に向かっていたとか、
門下省が貴族勢力の牙城で封駁の権限をもっていたとか、
面白いところもあり。
>Kayさま
>李密がもし現地に到達できたとしても、
徐世勣のいた黎陽って、洛陽より東に位置していたんですね。
この話題がはじまって地図で確認してみるまで気づきませんでした。
どうりで話のレベルについていってないわけだ、自分。(爆)
>項羽は、戦術というより統率力、撫馭の才能が高い。
むむむ、なるほど。
下のほうで、Kayさんとすれ違ったとき、僕は「名戦術家」などと血迷
ったことを口走っていますが、戦略家に対する戦術家のつもりだったと
言い訳しておきます。(^^;)
主要な臣下の統御に失敗している項羽に、兵士の撫馭がどれほどできた
のか疑問が残る…のはかっしいさんと同意見ですけど。
>かっしいさま
>陳氏は、最初から唐朝首脳部の陰謀だったのではないかと言っていますが、
いやいや、陳舜臣さんのは『中国の歴史(四)』と『小説十八史略(五)』
で書いてる内容に多少差はありますが、李密が謀反を決意したほうが先
です。陳説の唐朝の「陰謀」は、謀反気配を察知して出した入朝命令に
付随したもので、ことのはじめから李密を謀反に追いこんで屠ろうとし
たものではないです。
たとえ李密の謀反がかれらしくない誤り(判断ミス)であったにしろ、
僕はかれの主体的な判断の結果だと思っていたのですが…。
コロ助さんは、李密が謀反を決意したのは、入朝命令が先にあって
「進退窮まって、破れかぶれの末の謀反」なのだとおっしゃる。
はてさて。
>李世勣はともかく、魏徴を謀主というのはいかがなものでしょうかねぇ。
同感です。魏徴は直諫の士であって、策謀の士ではないですね。
楚の伍奢・漢の周昌のともがらでありましょう。
>liuhaoranさま
I see.
I think that it is difficult for you to learn Japanese.
In Japanese, the postpositional particle(助詞) is especially hard.
I say "加油" for you.
In the web, the different charactor codes are used between Chinese and Japanese.
"GB2312" or "Big5" are used in Chinese.
"S-JIS" or "EUC" are used in Japanese.
These things are very incovinient.
I'm sure of our interchange though the wall is heavy.
>コロ助さま
>「魏徴の墓誌なんて出てこないかなぁ。」と妄想していますが。
墓碑の上半分って残ってるんですね。
太宗が全てぶち壊してないのかと思ってました。
自分の評価に対してはエキセントリックなところもある李世民君のこと、
墓誌なんかも…
>隋末唐初と後漢末では根本的に違う社会なのですから
いやこれは話が違うような。Kayさんは別に社会史学の話をしているわけ
ではなく、劉備の許都脱出と比較して李密の謀反の成算を論じ(さらに
劉備と李密が似た人物だと論じ)ているわけですから。
もし社会情勢によって群雄の再起は難しいというなら、どうして難しいの
かを述べていただかないと…。
>司馬光はかなり詳細に史料批判・考証をしており、
『通鑑考異』という本が、そういう過程をメモった本だという話ですね。
『通鑑』が読めていない(漢文が読めない)ワタクシには、なかなかそこ
まで到達できそうもありませんが。
>再びKayさま
>主要な人物を史書の記録のままに評価すると、シミュレーションしたときにヒストリカル
>リプレイができないほどゲームバランスが崩壊したためでした。
言いたいことは分かります。が、余計なことを言わずにおれない…。(-_-;)
最近SLGから遠ざかっていますが、多少歴史系SLGをやりこんでた人
間から言わせていただくと、現行のSLGでどんなにすぐれたシナリオを
作って0人プレイをやっても、ヒストリカルリプレイは不可能です。まあ
実際偶然の要素を入れないとゲームとして面白くないというのもあります
し。
ただ偶然性を排除しても、とくに士気・民心・忠誠心については、現行の
ゲームの再計算では完全な再現はできません。
人物の能力値についてはすこぶる同感。三国志なら演義ベースで劉備サイ
ド、正史ベースで曹操サイドが強くなりすぎます。日本戦国なら織田や武
田が強くなりすぎるとか。巧みなシナリオ作者は、ローカル武将にも付加
価値をつけて調整します。
>本人が「俺は賢いぜ!」と誤解していたのが、運の尽き。(笑)
僕はいまも誤解しています。(笑)
> この視点に拘ると問題の本質を見失うように思います。
どうもこのあたり、コロ助さんと私が違うように思えるのは、何が知りたいがが異なる、すなわち何を問題の本質としているかが異なるためではないでしょうか?
コロ助さんは隋唐専門家とのこと、すなわち歴史系ですよね。とすれば、「そのときどんな出来事が起こったのか」が知りたいのではないですか? 【真相究明派】
私は心理系なので、私が知りたいと考えるのは、「その人物はどんな人物であったか」です。【人物像解明派】
求める対象が違うので、重要視すべきデータがそれぞれに異なるのではないかと思うのですが‥‥‥
私の意見は、「その人物はどんな人物であったか」を知る意味では李密と劉備の行動の類似は本質的なことなので、細部にこだわると当時の社会情勢による記述変形に騙されると考えております。人物評ぐらい社会情勢に基づいて発言されるものはありませんから。
もちろん、「そのときどんな出来事が起こったのか」を知るのにはたいして重要ではないと思います。
と、ここまで勘違いでしたら申し訳ありません。
私がこの観点が必要と感じたのはシミュレーションゲーマーだったからです。主要な人物を史書の記録のままに評価すると、シミュレーションしたときにヒストリカルリプレイができないほどゲームバランスが崩壊したためでした。
また行動主義心理学では、明らかに行動として表現されたデータと、他者の主観を経由したデータは区別しますので、それを歴史人物に適用した考えでもあります。
> 唐朝に都合が悪い事は大っぴらには書けんでしょう
うまく伝わらなかったような気がしますので確認しますと、私のいいたかったことは、「これは当時の李密評を代表するものとはとてもいえない」ということで、本の内容が虚偽だとか、ああいう発言はなかったということではないです。発言者の立場があまりに中立的でなく客観的評論の不可能な立場の方ですので、李密評としては使えないということです。
>>『資治通鑑』は面白いエピソードなら何でもかんでも引用しています。
> これは誤解です。
そうですか? それにしては内容が少々面白すぎるようですが‥‥‥。ちなみに、高島俊男氏も同意見です。まあ、この人のいうことはあてになりませんけども。(笑)
> これは事実誤認です。
確認しました。やっぱり王世充が厭だっただけのようですね。
> 李密の軍隊は、旧隋朝の軍や瓦崗軍を含む羣盜の寄せ集め、いわば烏合の衆であったと思います。
まったく同感です。
>> 李密は部下に寛容に過ぎて、みな放縦な軍隊だったので、
> できれば、この事実がどのような史料に基づいているか教えて下さい。
これはちょうど上の記述がそのまま相当しています。「みな」は大袈裟ですから訂正。やはり、李密軍は群盗の寄せ集めなんですよね。李密直属の部隊はなかなか規律は高かったようですが‥‥‥
> 又李密が李世民を見て、「真の英主なり!」と嘆じたエピソードは、李世民サイドの史料であるような感じが…。
これ、陳氏十八史略を読んだときは確かにそう思いましたけど、原文をよく読むと直接に李世民個人を褒めたわけではない。軍隊を見て、こういう軍隊でないと乱世は平定できないと感嘆したわけです。李世民の軍の規律の高さについては、記述が頻出しますので問題ないとおもいます。
小細工があるとしたら、頭の「真の英主なり!」が余分に追加された部分なのかも。
ところで、李密評としてはこんなのもあります。
徐文遠という李密が師として敬った人が、李密の敗北とともに王世充に仕えました。ある人が質問します。
「君は李密と会うときは尊大なのに、王公(王世充)には拝礼して敬するのはどうしてだね?」
「魏公(李密)は君子であり、賢士をよく容れる人である。王公は小人である。知人ですら簡単に殺してしまう。拝礼せずにおれようか」
李密伝のエピソードを一つ一つチェックしていくと、信義や度量を示すエピソードばかり。降伏させた敵や仲間がどんな暴言を吐いても決して殺さないし、去りたいという人がいたら自由にさせて拘束もしません。常に死を恐れずに陣頭指揮し、決して机上の謀略家ではありませんでした。
情に厚い人で、軍師の柴孝和が亡くなったときの悲しみも激しいものでした。ここまで一貫していれば本物だと思います。ただ、本人が「俺は賢いぜ!」と誤解していたのが、運の尽き。(笑)
> (李密の天下取り失敗原因)
これもちろん性格面を述べただけで、内容はコロ助さんと同じです。戦略眼の欠如が誤った選択を生み、厳格さの欠如が部下を使いこなすことを失敗させたと。念のため。
>永一さん
>隋唐専門家のご来駕かたじけないです
汗顔の至りです。私などまだ修行中の身。知らない事の方が
たくさんあります。やはり中国史は奥が深い。
>李密墓誌
ちなみに墓誌とは、墓室の中に埋める被葬者の履歴を刻んだ石の事です。
(cf)墓碑=墓前に立てられた被葬者の履歴を刻んだ碑。
李密墓誌については、実際に1970年代に出土した墓誌と『全唐文』(唐代の有名な文人の文章を収集したもの。)等により後世に伝わったものがあります。魏徴は、李密墓誌の脱稿後、自己の文集に収めた際に加筆したらしく、文献史料に残っている墓誌は加筆後のものです。ただ両墓誌の内容はさほど変化はありません。墓誌によって正史に記載されなかった、或いは曲筆された史実を追う事ができるのですが、史書に曲筆があるように、墓誌には「諛墓」といって墓主の都合の悪い事は基本的に書かないので史料批判が、かなりむずかしいのです。私的には「魏徴の墓誌なんて出てこないかなぁ。」と妄想していますが。碑は上部しか残ってないし…。
>かっしぃさん
>魏徴
そう言われて見れば、そういう気がしますね。李世民だからこそ使いこなせるのかな。
魏徴もあまり李密と反りがあわなかったみたいだし。
唐の話だけでなく六朝の話もしたかったのですが。忙しくて、掲示板を眺めるばかりでした。
>Kayさん
Kayさん、妄言などと仰らずに(^^)
忌憚なきご意見、面白く拝読させていただきました。
もしかして、史学専攻あるいは中文専攻だったりします?
また、李密の謀反事件については、私も考察途上で、正史・野史・石刻資料も含め収集している途上で考えがまとめきれていないので、今回はKayさんの説に疑問点などを。
レポート提出は一月なんだよなぁ…。(-‐)
私もキチンと調べて書いているわけではなく、事実の誤認や史料の読み不足が多々ありますので、ご容赦を。m( )m
>歴史を読むときは、「事実として起きた出来事の骨格」と「細部と解釈の部分」は、違う
>重みのものと捉えて、それぞれに分析するべきと考えています。
> この二つの事件における事実としての出来事部分はほぼ同じ。
これについての私の考えは少し違います。たしかに、「劉備の許都脱出」と「李密の謀反」は、一見似ているのかもしれません。ただそれはあくまで表層的な事で、隋末唐初と後漢末では根本的に違う社会なのですから、この視点に拘ると問題の本質を見失うように思います。
>賈閏甫『蒲山公傳』(『李密傳』)
たしかに、賈閏甫が唐朝に仕えた以上、彼が唐朝に都合が悪い事は大っぴらには書けんでしょう。Kayさんが言われた事は、私も考えました。ただ、御指摘の『通鑑』の賈閏甫の台詞は、『蒲山公傳』によっていたかは微妙です。李密が高祖の御前で旧領の安撫を願い出た記述は、『通鑑考異』で『蒲山公傳』に拠ると明言していますが…。この本が完本で残っていれば。
>『資治通鑑』は面白いエピソードなら何でもかんでも引用しています。
これは誤解です。司馬光はかなり詳細に史料批判・考証をしており、面白いというコンセプトで書物を引用しているわけではありません。時によっては、『太宗実録』の曲筆を指摘する場合もあります。司馬光が賈閏甫のあの台詞を本文に記述したのは、客観的に見て事実に近いと判断したからでしょう。
>秦叔宝は王世充のもとを去って唐へおもむくのも、
>関羽の脱出行に似ています。これも李密が唐にいることを
>知ったためとも解釈可能です。
これは事実誤認です。秦叔宝らが唐へ降ったのは、李密の死後翌年です。私は李密とその部将との関係が、強い紐帯があったと思えません。『通鑑』の李密関係の部分をななめ読みした感想でしかありませんが、李密の軍隊は、旧隋朝の軍や瓦崗軍を含む羣盜の寄せ集め、いわば烏合の衆であったと思います。しかもそれぞれ派閥を形成しており、李密はその調整に心を砕いています。
>李密は部下に寛容に過ぎて、みな放縦な軍隊だったので、
できれば、この事実がどのような史料に基づいているか教えて下さい。
又李密が李世民を見て、「真の英主なり!」と嘆じたエピソードは、李世民
サイドの史料であるような感じが…。
あと、以前仰っていた李世民の持病についてもどの史料に拠っているか教えて頂ければ
幸いなのですが。ちょっち気になるなぁ。
う〜む揚げ足ぽくって、申しわけないです。しかも又安史の乱がぁ…。
NAGAICHI Naoto さま:
Thank you!You asked me whether I could read or write in Japanese ,I'am sorry ,though I study Japanese by myself ,I am not good at it right now .But in many Japanese website there are so many Chinese charactors that I can understand in some parts.I can only type in English because the codes we used are different from Japan,I have tried type in Japanese ,but they did'nt display in the right way,so I type in English that maybe both of us can see them all right .
I found maybe NAGAICHI Naoto さま is familiar with some Chinese ancient persons such as 李密,項羽,劉備,etc.My first name is 劉,so maybe I am a desendant of 劉備(^.^).I also know some history (China and Japan ),can we have some thing to disguss ?
>コロ助さん
お久しぶりです!
実はこの人物評を企画を持ち出したときからずーっとお待ちしておりました。
なかなかお出でにならないのは忙しいからだろうなぁと思ってはおりましたが、
唐の話なら必ず参加するハズ! と信じておりました。(^.^)
>これに補足説明させて頂きますと〜
早速のフォロー、ありがとうございます。成る程、そういう経緯でしたか。
それにしても李勣・李靖の名将振りはここにも現れてますな。
>李密
うー、だんだん参加できないレベルになってきましたな。何しろ皆さんが読んでらっしゃる資料が読めないのですから。
でも、そもそもこの人物評の企画を提案した動機は、出来るだけ面白いネタを振って博学な方から知識を分けて頂こうという腹黒い打算があったので、私は嬉しい限りです。
さて、
>李密が謀反を決意したのは、「単身入朝」せよと言う勅命が届き、〜
このあたりの事情について、陳氏は、最初から唐朝首脳部の陰謀だったのではないかと言っていますが、大いにあり得る気がします。
あるいは試したのかも知れません。本当に「単身入朝」するようなら今後も臣下として使えるが、野心を持つ人物ならば、必ず疑心暗鬼になって謀反するだろうと。
>李世勣を将臣とし魏徴を謀主とすれば、〜
李世勣はともかく、魏徴を謀主というのはいかがなものでしょうかねぇ。私のイメージでは、魏徴は確かに有能で忠臣ですが、直言に過ぎるところがあり、主君を導くという柔軟さは望めないような気がします。魏徴の価値は、李世民によって高められた部分が大きいように思います。なんだか重箱の隅をつついたようですが、なんとなく。
>歴史を読むときは、「事実として起きた出来事の骨格」と「細部と解釈の部分」は、違う重み〜
これはすこぶる共感します。まず「事実」のみを取り出して時系列に並べて把握しておかないと、読んでいる史書の価値観に引きずり込まれてしまいます。
>私の判断は、劉備が天下を取れなかったのと同じく、戦略観の欠如とみています。〜
お〜、また大胆な評価ですね。従来の李密のイメージが全く覆ってしまいます。でも、
>成功しない計略は誰にでもたてられますので、知略を示すわけではなく、単におしゃべりなキャラクター〜
それは確かに当っているかも…。本人が聞いたらきっと渋い顔をするでしょうねぇ。(笑)
>戦場では剣術よりも、胆力・腕力・気力でしょうか。
言われて気付きました。確かに剣術に優れてなくても、戦場では武勇抜群ということはありますね。『蒼天航路』の作者が「戦場でマグワイアが棍棒を振りまわす様子を想像して云々」と言っているのを思い出して、身震いしました。…しかも項羽本紀の最後に、「項王一人で漢兵数百人を切った」とありますな。にわかには信じ難いですが。
ただ、項羽が逃避行の最後に追いつかれたとき二十八騎で漢兵数千を打ち破ったというのは、そんな小人数でもなお戦術的手腕を発揮できたというエピソードと捉えておりました。
>項羽は、戦術というより統率力、撫馭の才能が高い。撫馭の才能とは、〜
成る程、そういう見方ですか。でも陳平にその吝嗇ぶりを指摘され、反間の計でもって組織を壊されていき、最後は討ち取られてしまう。
氾増(氾は草冠)・鍾離未(未は日偏)・竜且・周殷らを使いこなせなかったあたり、兵士の撫馭はできても臣下の撫馭は出来なかったのか、と揚げ足を取りたくなりますね。
こういう能力が長けている将軍としては、呉起が真っ先に思い出されます。
>「阪神の監督になる星野仙一の一番能力の高い部分」
これはもう、よ〜く解りました。的確な例えだと思います。
ちなみに私、ロッテファンの野球好きです。(^^ゞ
> (安史の乱)
私は『隋唐帝国』を読んで、民族戦争というより戦争に駆り出された兵隊達の政府への反発かと思ってましたが。
あと、安禄山の個人的野心に引っ張られた部分も以外と大きいのでは。
>リーダーの選び方が世襲ではないところ
これは遊牧民と言うより軍隊の掟ではないでしょうか。
五代の軍閥時代も、同じような事はしょっちゅう行われていますよね。
>>私が持つ彼の若い頃のイメージは、「熱血生徒会長」。(^^;)
>いやぁ、笑ってしまいました。
お恥ずかしい。つい勢いだけで書いてしまいました。(汗)
>うちの親の世代(団塊)の典型的パターンにオーバーラップ
書いた後でそれもちょっと頭に浮かびました。概ね似たような心境だったのではないかと。
ところでまた陳氏の小説が出版されてましたな。廣済堂文庫の『胡蝶の陣』。
短編で高仙芝の話があったので購入して呼んだのですが、彼もなかなか魅力的。
昨夜はKayさんの書きこみとすれ違ってしまったようですね。
コロ助さんとKayさんの議論をかき回すようなレベルの低いことを
われながらよう書いてます。だめな管理人だ〜、勉強せねば。
レスはまた今度。
Kayさんからいただいた『侯景の乱始末記』読了しました。
戦乱の叙事詩からあふれ出るもの悲しさ、叙情。たまりません。
道化役の侯景より、2章「徐陵」3章「後梁春秋」のほうが自分的には面白か
ったです。
>liuhaoranさま
It is difficult for me to write in English, in Chinese too.(^^;)
Can you understand to read writeing in Japanese? More or less?
>1,安史の乱
Kay said "安史の乱は一種の民族戦争という感じもします".
I'm against his impression too.
There are many generals of the rebellion from a minority race.
But there are also many generals of Tang dynasty from a minority race too.
高仙之,哥舒翰,李光弼,...etc.
>2,独孤皇后
I feel sympathy for 尉遅迥's daughter who was loved 文帝.
She lost her father on account of 文帝.
She sheself was killed enemy's wife.
>かっしいさま
>私が持つ彼の若い頃のイメージは、「熱血生徒会長」。(^^;)
いやぁ、笑ってしまいました。
若いころは理想に燃えた正義漢。晩年は、鬱々として楽しまない…。
妄想の翼を広げて、うちの親の世代(団塊)の典型的パターンにオーバーラップ
させてみると、とたんに笑えなくなるんですけどね。
>項羽のイメージって皆さんどんなものでしょうか?
僕も項羽の原イメージが本宮『赤龍王』なので、そこらはすこぶる共感するとこ
ろがあります。物心ついたころは、80年代ジャンプ全盛期だったしなあ。
物を知らないイタイケなころにあれ見たために、項羽=猛将のイメージが強烈に
脳裏に焼きついてます。
猛将というよりは名戦術家だったんだなあ、実際は。
>ねこさま
はじめまして。
門田鳳雛さんとこの「宦官列傳」に同じような質問をされてたかた…ですか?
メルアドとハンドルが違うので別のかたですか?いや、失礼。m(_ _)m
服飾・ファッション関係は、僕はうといのです。m(_ _)m
陰陽五行説についてもあまり詳しいとはいえないんですよね。(鄒衍も名前しか
知らないくらいでして)
官服のスタイルも、漢代あたりと、唐代あたりと、清あたりでは、ぜんぜん違う
みたいですね。
故宮展あたりで、清朝の朝衣を見たことがあるんですが、
皇帝は黄袍ってのはたしか(たしかに陰陽五行説にもとづくらしい)みたいです。
ドラゴンも五爪の龍ですね。
皇后の服は、赤というより、黄色のものや青いものを見たと思います。
官吏や宦官の服の色というのは、残念ながら知りません。時代ごとの変遷もあり
そうな気がしますが。
>コロ助さま
おひさしぶりです。
隋唐専門家のご来駕かたじけないです。多謝。
>魏徴撰「李密墓誌」によれば、秦王李世民の副将・先鋒として、李密は旧領の安撫にむかった
これは初耳です。ああ陳舜臣史観+我が妄想敗れたりでせうか?(-_-;)
謀反の嫌疑がかかって「進退窮まって、破れかぶれの末の謀反」と
わが妄説「野心とあせりにとらわれた末の謀反」とでは違うよなあ…。
しかし、王伯當はやはりシブいですなあ…。
>恐らく胡漢の混血で男前であった可能性が高いのでは?(^^)
うん、李勣美男子説をうちのサイトにかかげておけば、若い女性が寄ってきて、
熱〜いカキコをしてくれるということはないですかねえ。(邪念〜想起中)
かてて加えて、李勣のファンサイトを立ち上げてくれるなんてことがあったら
最高だなあ。(^^;)
> 遂に李密が天下を取れなかったのは、‥‥‥
私の判断は、劉備が天下を取れなかったのと同じく、戦略観の欠如とみています。どんなに人望と魅力があっても、部下の優れた策略を信用するには、群雄自身に知略がないとダメ。部下の意見の優劣を判断するには、自身の知略が必要ですから。知略はないが部下を使った例として挙げられる劉邦も、実際には第一級の謀略家だった。人をいれる器だけで天下を取った人はいないようです。李密はたくさん計略をたてていますが、成功しない計略は誰にでもたてられますので、知略を示すわけではなく、単におしゃべりなキャラクターであることを示すだけです。
もう一つ、あまりに寛容すぎたというのもあるでしょう。李密は、李世民について「真に英主だ。こうでなくては乱世は平定できぬ」と感嘆しますが、あれは李世民の一糸乱れぬ軍隊を見ての言葉でした。李密は部下に寛容に過ぎて、みな放縦な軍隊だったので、李世民の軍隊に驚嘆したのでした。
テキ譲の粛清どころか、ヘイ元真その他をもっと粛清する冷酷さがあれば(もちろん李世民にはこれがある)、もっと違う展開になっていたでしょう。
●かっしいさま
> 項羽のイメージって皆さんどんなものでしょうか
項羽は、武勇と統率力の人と見ています。最後の死ぬときも敵を斬りまくっていて、自決しないと死なないような人です。戦場では剣術よりも、胆力・腕力・気力でしょうか。かの荊軻も剣術を学ばなかったそうです。
項羽は、戦術というより統率力、撫馭の才能が高い。撫馭の才能とは、戦場における躊躇なきてきぱきとした決断、断固たる行動、大きな声、平常時に部下を愛して大切にし、生死を常にともにし、自分も部下も平等に扱うことにより、人に死力を尽くさせる能力です。
野球に詳しい人なら、「阪神の監督になる星野仙一の一番能力の高い部分」と言えば理解できるのではないでしょうか。
こういう人はたいてい武勇の将軍なのですが、ごくまれに諸葛亮や陳慶之のような武勇抜きで撫馭に長けた将軍がいます。
●liuhaoranさま。はじめまして。
英語は読むだけなら、内容はちゃんとわかります。が、書くのは苦手なので、日本語のままでご容赦を。中国語なら多少は書けるのですが‥‥‥
> (安史の乱)
確かに民族戦争と見るのは主流ではないですよね。
ただ北方民族の不満を背景した反乱とはいえると思います。だからこそ、安禄山や史思明が死んでも河北三鎮は事実上独立国となり、唐の支配下に復帰しなかったのだと思うのです。
その三鎮におけるリーダーの選び方が世襲ではないところなど、遊牧民的なものを感じさせるのです。でもこれは、河北三鎮の政治体制について勉強しないと、妄想の域を超えませんけども。
上下のえらく長いものにしてしまい、すみませんでした。
●コロ助さま
こちらこそ、はじめまして。以下、心理屋の過剰な妄想ということでご容赦を。(笑)
> 劉備の許都脱出とかなり事情が異なる
歴史を読むときは、「事実として起きた出来事の骨格」と「細部と解釈の部分」は、違う重みのものと捉えて、それぞれに分析するべきと考えています。
この二つの事件における事実としての出来事部分はほぼ同じ。
「群雄が他の群雄へ帰参した後、口実を設けて脱出し、独立をはかる」
もちろん、その状況での細部がかなり違うわけですが、細部はそれぞれの陣営が自分の都合のいい解釈を与えて宣伝しますから、あまり重視すべきでないと思うのです。特に李密のように自己陣営が残存しなかったケースでは、動かせない事実は信用できても、書き換えのきく細かい記録は注意が必要と考えています。
李密がもし現地に到達できたとしても、政治力学からいってどのみち自立せざるを得ないでしょう。まあ、すぐに討伐されて敗北するでしょうから、辺境にでも逃げたでしょうか。そうなると、ますます地方政権へ逃亡して劉備化しそうなイメージなのです。
この場合に李密と劉備が違うのは、唐の方は曹操と違い帰還命令を出したことで、このあたり曹操のような迂闊さがないなあと感じます。
歴史上で、群雄が他の群雄に降伏してその部下として活躍できたケースはまずありません。李密の謀反は、ほとんど必然的なものと思います。
ちょっと戻って、
>> 張須陀を殺したのに、その部下の勇士はみな彼に心服して帰参しています。
> いやあ、そういうことでいえば、李李密勢力が王世充に潰滅させられたとき
> 、その勇士たちの多くは王世充に降ってますし、さらには唐に帰順したもの
> もいます。
この二つは決定的に違います。張須陀の死因は李密にあることがはっきりしていますから。
それに秦叔宝らが王世充に降伏したのは、李密が生死も知れぬ行方不明になったからで、これはちょうど関羽が曹操に降伏したときと同じケースです。関羽⇒曹操と、秦叔宝⇒王世充と同じです。そして、秦叔宝は王世充のもとを去って唐へおもむくのも、関羽の脱出行に似ています。これも李密が唐にいることを知ったためとも解釈可能です。それ以上に王世充が厭だったんでしょうけど。
また唐が李密を出撃させたのは、李密を王世充の前面に出せば、王世充に降伏した勢力がほとんど李密に寝返ると判断したからです。すなわち、みな李密への忠誠心が高いと考えられていたわけです。
関羽と違うのは、秦叔宝以下が李世民陣営にがっちりと組み込まれ、李密が旧部下と連絡できなかったことでしょう。ここでも、唐の政治的な周到さを感じます。
> 賈閏甫の李密の謀反を諫言した一節
この、正史にない『資治通鑑』のエピソード、ちょっと創作っぽい気がします。唐サイドの宣伝という気が。『資治通鑑』は面白いエピソードなら何でもかんでも引用しています。
賈閏甫という人は『李密伝』という本を書いてます。このセリフはこの本からの引用に思います。これは唐の時代になって唐に迎合する形で書かれた本ではないでしょうか。
それに劉備だって同じレベルのことをしていますけど、そういう評価になっていない。これは李密陣営が生き残らなかったのに対し、劉備陣営は生き残って反論を提出できたからだと思うのです。
結局、賈閏甫の発言は個人的評価に過ぎないと感じます。賈閏甫は王伯當と違って李密を見捨てて逃げています。心理学に認知不協和理論というのがあります。これは認知と行動が不一致の場合に、行動に合わせて無意識に認知を変化させるというもので、この場合、見捨てたという行動にふさわしくなるように李密を評価する、すなわち評価を下げるわけです。従って賈閏甫が李密を高く評価することはあり得ず、このエピソードからは、賈閏甫が李密のもとを去ったということ以上を読み取るのは困難と考えます。
意地悪く解釈をするなら、命が惜しくなった賈閏甫が李密のもとを去るために吐いた捨て台詞ともいえます。
>永一様・かっしぃ様
お久しぶりです。ここんとこ書く時間がなくて
議論に参加したくて、うずうずしていました。
>Kayさま
はじめまして。中国史にかなりの知識をお持ちで感服しております。
>李密
実は、李密の唐への反乱の経緯は、史料によって、食い違いがあります。
又このあたりは、史書の曲筆を想定しなくてはいけません。と言うのも、魏徴撰「李密墓誌」によれば、秦王李世民の副将・先鋒として、李密は旧領の安撫にむかったとあるからです。実は、今この謀反事件について、李密墓誌の訳注作業と併行して、調べている最中で、私にとってはかなりタイムリーな話題だったりします。ちなみに、李密=項羽のイメージは、墓誌にもみられます。
通鑑を読むと、李密が高祖に自己の旧領安撫を申し出た時点では、謀反を起こそうというよりは、冷遇されつつある自己の立場の改善を諮ろうという気持ちであったと思われます。そもそも李密にこの事を奨めたのは改善と諮ろうという気持ちであったと思われます。そもそも李密にこの事を奨めたのは王伯當で、彼は永一さんが言われる通り、李密が謀反を決意した際、反対の態度を取っています。ちなみこの時の王伯當の台詞は、
「義士の志は、生死の如何によって変えてはならない。我が君が、諌めを聞き入れないのであるから、それがしも、共に死ぬのみだ。しかし今度の事は、益はあるまい。」です。かっこ良過ぎ!
それはともかく、李密が謀反を決意したのは、「単身入朝」せよと言う勅命が届き、(墓誌では軍を引き返せという詔勅)自分に謀反の嫌疑が掛かっている事を知ったからであって、進退窮まって、破れかぶれの末の謀反であったと思われます。故にKayさんが言われるように劉備の許都脱出とかなり事情が異なるように思います。又賈閏甫の李密の謀反を諫言した一節に「我が君は、昔翟譲を殺しその兵を奪った居り、人はその忘恩を誹りました。又今、大恩ある朝廷に背こうとしております。その様な、我が君になんで、人が付いてきましょうや。」とあって李密に対する当時の評価を述べており、昔日の威望はどこへやら、旧領の回復なぞ夢の夢でしょう。
もし李密が、再起を期して天下を争おうとしたならば、王世充に大敗した際で、『旧唐書』の史臣曰くの条に、「王世充に敗れた居り、猜疑心をおこさず李勣の拠る黎陽で再起を計り、李世勣を将臣とし魏徴を謀主とすれば、天下の趨勢はどうなっていたのだろうか。」と的確な分析が為されています。私としては、遂に李密が天下を取れなかったのは、麾下にあれだけの人材をそろえながら、使いこなす器量がなかった事と布目潮渢先生が分析した通り割拠した地域が、さしたる要害の地ではなく、長安・洛陽を攻略するのに適しなかった事が挙げられるでしょう。
>李勣
この人物は、隋唐で一番好きな武将です。李密の反骨精神も引かれる所があるのですが、この人の柔軟さ、韜晦の術、家族への愛、義侠心中々のものです。以前Kayさんが、紹介した単雄信とのエピソードは、奉勅撰の墓誌にも書かれており、唐朝の公式記録である『実録』や『国史』にも書かれていたのでしょう。
ちなみにこの人の容姿については、「胡貌に似る」と言う史料があって、北族(五胡)系の血を引いていたようです。恐らく胡漢の混血で男前であった可能性が高いのでは?(^^)
>太宗
性格悪すぎ?又短気でかなり猜疑心が強い。ただ、この人がいなければ、唐朝の天下統一どころか、中国は突厥の属国となっていたでしょう。
>コロ助さんが玄武門の変の原因として対突厥政策の意見対立(李淵、李
>建成=穏健派:李世民=積極攻勢派)もあった。
これに補足説明させて頂きますと。上の状況は武徳七年頃で、李世民が突厥を撃退すると、高祖は、対突厥強硬路線を取り始めます。一見この路線は李世民と同じに見えますが、高祖の強硬策は、西突厥と同盟して東突厥を挟み撃ちするという遠交近攻策で、李世民のそれは、反間の計を用いて突厥諸部族を分断して弱らせた上で討伐するというものでした。高祖のこの策は、西突厥の同盟せんとする途中で、突厥の大攻勢にあい李勣・李靖軍以外は全滅という憂き目に遇い失敗するのです。これに失望した李世民は、益々唐の国体を救うのには自分しかいないと野心を逞しくするわけです。
>李建成
李世民に比べ一段劣るのはたしかですが対突厥戦では李世民とともに防御の要の一人。魏徴も誠心誠意仕えていますし、その部将の馮立も「玄武門の変」で主の敵を取らんと、最後まで奮戦している所を見ると部下への信望は厚かったのでは?
長文で申しわけありませんが、安史の乱の話はまた今度と言う事で。今回はこの辺で。
ではでは。
はじめまして。
今、中国の官服の色について調べているのですが、
皇帝は黄、皇后は朱、とまでは五行説から解るのですが、
それ以外はどうだったのでしょうか?
例えば、中国映画などで見ると、皇帝の側近の「宦官」は
青色を着ています。胸には金のドラゴンが・・・。
金色は皇族をあらわし、ドラゴンは皇帝の象徴ではないのでしょうか?
五行説によると、
中央→黄色→黄龍(皇帝)
東 →青色→蒼龍
南 →赤色→朱雀(皇后)
西 →白色→白虎
北 →黒色→玄武
と、あるので宦官は蒼龍にあたり青色なのでしょうか?
また、このようなことに関する文献や資料などはあるのでしょうか?
レス頂ければ幸いです。
>李密
言い忘れてましたが、私もこの人は結構好きなんですよ。ただ、策士の割には迂闊で、しかも梟雄っぽいイメージが返って気に入っていたのですが、ちょっと認識を改めなければならないようですね。
それにしても楊玄感の元では軍師をしていたのに、テキ譲を殺害してからは自らリーダーとして活躍しまよすね。状況に応じて自分を変えられる人だったのか、彼の人格が成長したのか。妄想の翼は鳴り止みませぬ。楊玄感の元にいた時は、やはりまだ書生のような甘さがあり、そのあと多くの危機を乗り越えて立派な英雄になったのでせうか。
>これって、劉備の許昌脱出を思わせません?
なるほど、そういう見方もありますか。それにしてもやはり、逃げ出すタイミングが最悪ですね。焦り過ぎたような気がします。
>>徐世勣(李勣):
>なにやら白ルの美貌をイメージするのは、やはり妄想でせうか?
私が持つ彼の若い頃のイメージは、「熱血生徒会長」。(^^;)
徐世勣は理想に燃え、志を持ち、悪を見過ごせない性質の高校生。「見た目は熱血教師」の李密に心酔して学校の風紀を正すべく「不良」たちと戦います。が、紆余曲折の後先生(李密)は途中で教育委員会に呼び出され、学校改革に失敗。打ちひしがれた徐世勣はとある一部上場の大会社に就職して名前を変えて活躍するが、同僚とは折合わず常に浮いた存在であった。彼は酔うと必ず学生時代の思い出話をし、いつも鬱々として楽しまない風であったという。彼が心を開くのは、学生時代から付き合いの有る友人だけであった…。
…す、すみません。妄想が過ぎてしまいました。
>そうそう。この人の屈折感がたまりません。
あ、やっぱりKayさんもこのあたりに惚れられたのですね。こういう複雑な情操も、結構私のツボだったりします。
ちなみに、日本史の中では伊達政宗は一番好きな人物です。
>> (史思明)戦バカなら項羽の方が上かも
>武勇と策略の違いでしょうか。
うーん、ちょっと話が戻るのですが、項羽のイメージって皆さんどんなものでしょうか? 昔は『赤龍王』のイメージが強烈で、自ら剣を振るい、問答無用で敵を薙ぎ倒す突撃将軍のように思っていたのですが、項羽本紀の冒頭では字も剣術もろくろく上達せず、兵法のみ熱心に学んだとなっています。その後の彼の活躍を先入観無く読み返すと、彼は無類の戦術家で、しかもただそれだけの人ではなかったかと思えます。必ずしも武勇抜群とは限らないんじゃないかしら。
戦術だけ飛び抜けて上手いけど、戦略そのほかが全くおバカなところが、史思明とダブるかな思ったのです。
> (李世民)
>持病がひどくていつか死ぬかわからぬ中で、生き急いだ人
そ、それも初耳…。持病って、どんなものだったのでしょう? 命にかかわるようなものだったのでしょうか。たしかにそういうエピソード聞くとイメージ変わりますねぇ。
そう言えばだいぶ前にもう一方の掲示板で李世民が話題になったとき、コロ助さんが玄武門の変の原因として対突厥政策の意見対立(李淵、李建成=穏健派:李世民=積極攻勢派)もあったと言ってませんでしたっけ。
>>漢詩って難しくありませんか?
>はい、難しいですよ(爆)。
全く同感です…。
>やはり、詩ってのは音の響きをまず楽しむものだと思いまする。
これも同感。私も本当の意味で詩を堪能出来ているとは思ってません。
結局自分が気に入る詩というのは、読み下し文のフレーズがカッコイイ詩ですからねぇ。滅多に有りませんが。
そういうところは最初から諦めて、私は詩をちょっと別の読み方をします。
詩というのは歴史人物本人が残した、歴史の一次資料と捉えるのです。
史書でその人物の人生を追い、その人が作った詩がどういう状況の中で作られたかを把握してから読むと、色々と妄想が喚起されてきてトリップできるんです。(笑)
>liuhaoran
Nice to meet you.
I like Chinese history too.
But I'm sorry that I cann't understand English.
1,安史の乱
I found that some one says that 安史の乱 was 一種の民族戦争,in China ,most historians don't agree with that view .In that that ,the total number of army of 唐 was 560,000,but 490,000 were controlled by the generals in the frontier.And 安 have 150,000 soldiers ,The balance between external and center was broken.And 安 had ambition to be emperor (in China ,if some one have a strong troop ,the commander usually betrayed their emperors and became emperor himself,it's common)
2,独孤皇后
In China ,emperors owned all the power ,all the persons are afraid of their emperor including emperor's wife.独孤皇后 was an exception .she borned 5 sons ,so 文帝 loved her so much even became nervous of her.独孤皇后 did not want to other women share the love of 文帝 ,one day ,文帝 fell in love with a beautiful girl 尉遅,but 独孤皇后 found that and killed the beautiful girl 尉遅,文帝 couldn't protect his honey from being dead,the only thing he could do was just rising a horse and going to the vally.That's am emperor !!! How sad!!!
>石野陽虎さま
>ウィルス騒ぎ、だいぶ落ち着かれたようですが
いや〜、落ち着いたというのでしょうか?
まだ1日4、5通は来てますしね。
>ウィルスメールを間にはさんで、未開封のまま選択して削除しています。
なんとなく面倒そうです。
それをするなら、アウトルックのプレビュー機能を切ったほうが早そうで。
ウイルス対策ソフトのデータ更新やIEの更新、あとメールソフトも見直せれば、
いちばんいいんでしょうね。
>Kayさま
>これって、劉備の許昌脱出を思わせません?
劉備は、対袁術戦の名目で堂々と許都を抜けてます。
むろん後に董承・呉子蘭らとの計画が漏れて曹操の追討を受けてるんですが。
李密は、唐朝廷からの呼び出しを勘ぐって、王伯當のいさめも聞かずに逃亡して
ます。なんかここらは策士らしくない。なにやら彼らしくもなく焦ってたんじゃ
ないかという気がしてます。
>安史の乱は一種の民族戦争という感じもします。
そういうことでいえば、唐朝側も叛乱側も異民族武将のオンパレードですね。
南北朝の北魏のころの六鎮の乱に性格が似てるかもしれません。
>李淵、李建成の記録が変ですよね。この二人の功績が、李世民の功績に書き換えられて
李建成は、突厥戦ほかでけっこう活躍してたらしいですね。
唐書列伝では「荒色嗜酒」とか「士をあわれまず」とか書かれてるのに、
通鑑では「性頗る仁厚」になってたり。
>漢詩って難しくありませんか?
はい、難しいですよ(爆)。
漢詩の本って、通読・完読する(できる)ことまずありませんから。
でも意味が分からないなりに、気に入ったフレーズとか出てくるんですよね。
曹操とか李白の詩とかは、そうやって好きになったものです。
やはり、詩ってのは音の響きをまず楽しむものだと思いまする。
詩人の伝記ってのも、なかなか奇矯なのが多くて、別の意味で楽しい。(^_^;)
>liuhaoranさま
Welcome. Nice to meet you! (初次見面.)
I am a webmaster of this site,"ChinRyuu-Tei".
Many Japanese people know "The Romance of the Three kingdoms",
but few people know only other period of Chinese history.
I want to tell every Japanese about attractiveness of Chinese history.
Sorry, that's why this site is written in Japanese, isn't useful for you.
I welcome you who share the same interest.
I'm very glad to be acquaintance.(請多関照.)
I am Chinese ,I am so glad to find this website ,I think there are many Japanese people like Chinese history ,I also like history and I know some Chinese history ,Can I become the member ?
> (李密)唐に下った後再び自立しようとして殺された事
これって、劉備の許昌脱出を思わせません? 李世民は曹操ほど甘くはなかった、という感じです。脱出できたら、劉備みたいに辺境で建国できたんじゃないかなあ。
悪い意味でも劉備というのは、陳舜臣秘本三国志の劉備=悪辣な策士説のようにも解釈可能という意味であります。
> (尉遅敬徳)これほどの武人がなんで李世民に捕まるかなぁ
主の宋金剛が負けた後も、城を守備していたのですが、李世民の派遣した李道宗と宇文士及の説得に応じて降伏したとあります。この人を捕まえられる人はこの世にいないでしょう。
小説ではむしろ評価が下がっている感じの人です。主人公の秦叔宝を目立たせるため? 正史のままだと、明らかに秦叔宝より強くなってしまうから。
その後、他の家臣が尉遅敬徳が謀反すると疑い牢獄に収監してしまう。このとき李世民が、彼を解放して陳謝し、路銀を与えて、曰く
「止まるも去るも自由してくれ」
かっこいいなあ。
李世民は、もともと私的には非常に印象が悪かったのですが、持病がひどくていつか死ぬかわからぬ中で、生き急いだ人だとわかって、かなりイメージが変わりました。
> (徐世勣)‥‥‥グレてしまったような印象です。
そうそう。この人の屈折感がたまりません。伊達政宗とかこういう気持ちじゃなかったでしょうか?
> (史思明)戦バカなら項羽の方が上かも
武勇と策略の違いでしょうか。史思明って、滑稽な印象を受けるのです。この人は項羽みたいに格好良くはないだろうなって気がする。演義の曹操のイメージに近いのです。史書での負け戦ぶりも、演義の曹操によく似ているんですよ。
安史の乱は一種の民族戦争という感じもします。唐につぶされた遊牧民の自立運動という様相も一面あるのかもしれない。
> (独孤皇后)
この人、隋書を読む限り評判がいいですね。夫を助けて政治的にかなり有能。文帝と皇后で二聖と呼ばれる。一応、晩年まで相思相愛だったよう。文帝が亡くなるとき「皇后がいればこんなことにはならなかった‥‥‥」と漏らしたとか。「騎虎の勢い」の語源の人ですよね。
嫉妬深さも愛情の裏返しですかねえ‥‥‥
> (李世民)やっぱり肉親の情に薄い所と、実録改竄の疑いや
李淵、李建成の記録が変ですよね。この二人の功績が、李世民の功績に書き換えられている部分が多い。二人ともそんなに無能じゃない。
父の李淵が李世民に継がせようか迷ったとかも大嘘でしょう。後継者というものは、万一のため主君の側か本拠にいるもの。戦場でたくさん功績をたてているのは、後継者争いに加わりもできず一武将扱いしかされていなかった証拠そのもの。
お二人とも、詩人の名前が挙がって文化的。
漢詩って難しくありませんか? 書き下し文はもちろん、訳で読んでもいまいちピンとこない。意地になって現代中国語音で読んでも意味がわからんのは同じだし。素人の頭に入りやすい訳の漢詩の本ってなかなか見つからない。
※check it up ⇒ check it out
英語もやっぱりわからん‥‥‥
ウィルス騒ぎ、だいぶ落ち着かれたようですが、うちでもいまだに
ぽつぽつre:メールが来ます。選択(プレビュー)だけで感染するというから
はさみうち(あるメールを選択し、次に別のメールをシフトキーを押しながら選択すると、
その間のメールも全部選択される。)で、ウィルスメールを間にはさんで、未開封のまま
選択して削除しています。
>ぐきっと腰が、っちゅうねぃ。…
こうゆうの、けっこう好きです。
この掲示板、ユニコードタグは使えるけど、相性はいまいちみたいですね。
コピペしたときに、文字化け原因になるみたいです。
「テキ譲」を「翟譲」と僕がタグで書いたのが癌でした<Kayさん、m(_ _)m
自分も一度文章アップしてたけど、書き直し…(T_T)
>Kayさま
>李密は、いい意味でも悪い意味でも劉備です。情の人。
以下、妄想爆発中なんですが…。
僕も李密を貶したいわけではないんです。
テキ譲や王世充などとは比べるのもおこがましいほどの人物だと思ってます。
民衆に善政も布いてるし、魅力もあったから人材も集まってきたのだと。
でも劉備に似た情の人といわれると、違和感がぬぐえないんです。
テキ譲を殺した件もおっしゃるとおり正当防衛でしょうけど、その如才なさ
ぶりが、なにやら冷たい計算と野心を感じさせます。
関張を失ったときの劉備のあの計算のない熱さとは対極にある気がします。
唐に降った後は焦りと妄執にとらわれて、持ち味を失って自滅しましたが。
僕の李密イメージは、三国志の賈[言羽]+フェザーンの黒狐+カリスマなの
です。なんのこっちゃ…(これにて妄想を終わります!)
>張須陀を殺したのに、その部下の勇士はみな彼に心服して帰参しています。
いやあ、そういうことでいえば、李密勢力が王世充に潰滅させられたとき、
その勇士たちの多くは王世充に降ってますし、さらには唐に帰順したものも
います。忠臣は二君にまみえずという時代ではないし。
本当の意味で李密に殉じたのは、王伯當ひとりでしょう。
でも李密勢力の人士間の任侠的結合というやつは、きわめて強力なものがあ
りますね。
>郭子儀と李光弼がそれぞれに大敗を喫している(759年3月と761年1月)のは事実。
細かいこというと、後のほうは761年2月ですね。
前のほう(759年3月)の大風が起こって両軍潰乱がなんとも怪しげでよ
いです。官軍が負けたのを粉飾してるんだろうなあ…。
史思明の戦闘指揮能力が高かったというのは同感です。
まあ、北方の前線で揉まれてきた兵と、内地で平穏を楽しんできた兵では、
士気や兵質に雲泥の差があったんでしょうけど。
それにしても、短期間に河北の城を陥しまくる戦術能力はすごいです。
無敗将軍説もありかも。
>かっしぃさま
>歴史は、国や時代にかまわず面白い
…近現代とかは、あまり無邪気に言うのもためらわれますけどね。
でも、すこぶる同感です。
>竇建徳:
あまりにもイメージ的に「好漢」「義侠の親分」しているために、
『隋唐演義』では、殺されずに出家したことになってました、…確か。
>李靖:
僚将の李勣と対照的な人という気がしてます。
やや大言壮語癖がありますが、前半生は地道に苦労してますし。
唐に帰順して以後は、いっきに才能を開花させてますね。
>李世民:
名君のあらさがしには、最適の素材(笑)ですね。
かっしいさんもKayさんもよくご存じの某作家は、雑誌インタビューで好きな
世界史人物5人にこの人を入れてました。
竇建徳のファンはこの人を嫌う傾向にあるらしいけど、僕はさほどでもない
んです。肉親の情…というか、あの兄弟喧嘩はどっちもどっちだし、親父さ
んは…だし。しかし史書の改竄はいけませんな。
>徐世勣(李勣):
若いころから派手な天才肌の将軍ってかんじですね。
なにやら白ルの美貌をイメージするのは、やはり妄想でせうか?
>隋の人物が挙がってきませんね。高頃とか楊素とか張須陀とか候補はいると思うんですけど。
煬帝を除いては出てませんね。
高ケイと楊素も対照的なふたりという気が。
端から見てて面白いのは楊素だけど、まじめに交友するなら高ケイのほうが
よさそうです。(^_^;)
>李密の配下の時は武官だったんじゃないかなぁ。
いや、魏徴は、檄文を書いたり、李密に進言したりとかくらいしかしてない
ようです。僕が見た限りはですが。
…ある程度資料があればですけどね。隋唐もまた然り。
さて、今回は他の方々が挙げられた人物について、私の印象などを述べてみます。
と言っても、私は『旧唐書』『新唐書』共に読んだ事無くて、『十八史略』の内容が限界ですが。
あと、永一さん以上にバリバリの陳舜臣史観が入っておりますので御容赦を。(汗)
竇建徳:
隋末に真っ先に兵を起こした群雄ですか。李世民のヤラレ役のイメージしか無い…。
でも一番最初に兵を挙げて、結構後の方まで勢力を保っているのは、それなりに人望も力量も有ったと言う事かな?
あ、でも陳氏は彼の義侠を誉めてますな。なるほど…。
李靖:
外にあっては将軍として、内にあっては宰相として、それぞれ非凡な才能有り。こういう万能型の人物も結構私のツボでして、好感度高いです。
…実はこの人、私の中で太公望とイメージがダブっております。生涯の前半と後半のギャップが似ているからでしょうか。
駱賓王:
この人は、三国時代の陳琳を彷彿とさせますな。共にその時代の文化の担い手だったし。
武照:
>意見が合った…のが、ちょっち嬉しいです
私もです。皇帝としては唐朝歴代皇帝の中でも指折りの優秀さだと思いますよ。
長く権力の中枢にいた割に政治的判断力は衰えなかったようですし、天下が平穏であれば、皇帝の個人的な道楽は汚点にならないとも思ってます。
講談社の『隋唐帝国』を読むと、政治面でも結構変なことしている部分もあるようですが、差し引きしても大幅にプラスかと。
>武則天と駱賓王を顕彰するページを自分で立ち上げるべきなのでせうか??
べきですぞ!(^.^) 紹介コラムでサラっとなぞるだけでもいかがですか?
李白:
政治的な野心があったというのは…どうなんでしょうね? 私的には、「そうであって欲しくない」感じなのですが。そういう俗な部分を見せられると、ちと興ざめ。
独孤皇后:
文帝はからっきし頭が上がらなかったそうですね。愛する夫に「浮気するな」と言うのは自然な感情ですが、その浮気相手を殺してしまう猛女振りはちと引いてしまいまする。
楊広:
親が存命の間はちゃんと自制心が働いていたのに…。
李密:
私のイメージでは、「迂闊な人」。最初は「策士」のイメージだったのですが、唐に下った後再び自立しようとして殺された事や、楊玄感に上中下策を一々説明した事(最初から上策だけ進言すればいいのに、これこそ蛇足)から、そういうイメージになっちゃいました。でも、
>劉備を彷彿とさせる度量と義侠の人。
>この二人は、小説や正統観の関係で悪役が割り振られて〜
なるほど、自らリーダーたらんとした時の李密は確かに立派なものかもしれません。中原の鹿は仕留め損ないましたが、彼の勢力の周りは敵だらけで難しい情勢でしたし。
尉遅敬徳:
これほどの武人がなんで李世民に捕まるかなぁ、と素朴な疑問が湧きます。敵中を一騎で突破するほどなのに…。
李世民:
以前にもこちらで吠たえたことがありますが、やっぱり肉親の情に薄い所と、実録改竄の疑いや起居注を閲覧したことが鼻につきますな。有能なのは認めるのですが。
ところで、この人中間子ですね。兄と弟に挟まれて。親にとって最初と最後の子供には特別な感情が湧くが、それに比べて間の子供には関心が薄れがちだと言いますね。この人が肉親に冷たくて臣下に寛容で妻への依存が強いのはそのせいかなと思ったりします。
徐世勣(李勣):
>なんと、太ももをえぐって肉を手渡し、
そ、そんな逸話があったとは…。もともと好印象の人物でしたが、贔屓になりそう…。
ちなみにこの人が本気で仕えたのって、李密だけなんじゃないかしら? 李密が死んだあとはすっかりクールで、グレてしまったような印象です。(笑)
唐朝の天下はつまらないけど、かといって謀反を起こすほど無謀じゃない。鬱屈した感情があったように、私には思えますが。彼の詩があると面白いんですけどね。
史思明:
官軍の名のある将軍を負かしているのは大抵このひとですね。でも結局息子に殺されちゃう。戦バカ? 戦バカなら項羽の方が上かも…と思ってしまいます。
李晟・李愬:
息子の方は某小説家が短編書いてましたね、確か。二人とも好みの人物ですが、なにぶん情報が少なくて、名前を挙げるのには躊躇われました。
さて、隋の人物が挙がってきませんね。高頃とか楊素とか張須陀とか候補はいると思うんですけど。
唐でも、チョ遂良・蘇定方あたりもいい線いってます。
あと私が最初挙げようと思っていた人物に宣宗がいます。晩年に道教にハマっているのが気に入らなくて除外しましたけど。
嫁にやった皇女が傲慢なのを叱りつけたエピソードが好印象だったんですけどね。
>>魏徴:
>なぜかしらん、武官的イメージのあるこの人。
李密の配下の時は武官だったんじゃないかなぁ。少なくとも干戈を振っていたことがあるような気がします。
この二人は、小説や正統観の関係で悪役が割り振られていますから、それをどう排除して読むかが難しい。
李密は、いい意味でも悪い意味でも劉備です。情の人。野心家なのは事実ですが、劉備だって野心家ですからね。野心的であることは部下にとって大きな魅力です。むしろ野心のないのは部下への裏切りであり、それこそ信義も情もないというべきですし。
光武帝が皇帝即位を嫌がったとき、家臣は「そんなことでは部下はみな去ってしまう」と脅かした。これも、野心がなくては部下は面白くないからです。親玉が出世しなきゃ、家臣も出世できませんから。
私は、目上や敵への態度と、部下への態度を別物として読み取ることにしています。
てき譲殺害は正当防衛でしょう。てき譲が残忍で内部を混乱させるつまらぬ人物だったことは記載があります。この事件は本来、敵の王世充が「李密にこれほどの果断があるとは」と驚きかつ落胆したほどの、内部混乱をうまく処理したことを称賛すべきエピソードなのです。
李密の死のとき、多くの人たちがこの反隋の闘士のため血を吐いて悲しみ、あるいは彼のために復讐に立ち上がり、徐世勣も李密が死ぬまで領土を守り抜き、誰にも譲りませんでした。張須陀を殺したのに、その部下の勇士はみな彼に心服して帰参しています。彼がいかに部下に慕われたかは、枚挙にいとまがないほどです。新唐書は、彼を「礼賢得士」の人と評しています。
史思明は、本当のところはよくわからない。資料が決定的に欠けているし。でも、郭子儀と李光弼がそれぞれに大敗を喫している(759年3月と761年1月)のは事実。しかも情勢は史思明にとって逆風の中での出来事。史書の筆法として、名将と認定した人物の敗戦は抹消するのが常識であることを考えると、異例の出来事です。
安史の乱の記録を見ると、戦いはほとんど官軍の勝ちばかりが記載されるのに、領土の陥落はほとんど官軍側の失地の記録。このギャップが実にうさんくさーい。でもこれが史書の記録形式なんだと思います。本当の敗戦には、失地をともなうはず。
安禄山の挙兵のとき、史思明は当初たった3000人の手勢を与えられただけでしたが、それで河北のほとんどを平定してしまいました。彼の戦略的戦闘力は結果が証明しているという感じです。
史思明の戦いは、遊牧民の戦い方で、利があれば戦い利がなければ簡単に撤退します。この撤退を敗戦に書き換えているというのが私の推測です。
>きいわこさま
>どうも、いまさら「千と千尋」を見にいきました。
あれもずいぶん長くやってますね。まあ、評判通りじっさい面白いんですけど。
うちの周囲にあの映画を2回3回見たとかいう人間がいるんですが、むべなるかな
という感じです。最後の辺さえどうにかしてくれれば、ケチのつけようがないです。
>歳差運動の発見者ですが、東晋の虞喜でした。
虞喜(字は仲寧)さんですか。
ぐきっと腰が、っちゅうねぃ。…あまり面白くないですね。やめときます。(-_-;)
>隋唐編にちょびっと参加します。独孤皇后というのはどうでしょう?
ついこないだですが、宮崎市定さんの『隋の煬帝』を読了したとこなので、文帝と独
孤皇后の夫婦には幻滅したばかりのところだったりします。息子の教育にことごとく
失敗してるんですね。ろくでなしの息子は楊広君だけではないという…。
あの時代は、宮廷での女権が強かったという説があります。
隋唐朝は北朝系(遊牧民系)なので、遊牧民の風習を受けて、強い女性が多かったん
だそうです。唐の武則天とか韋后とか、数えてみれば確かになあとうなずけます。
>Kayさま
>決して人には譲らないでしょう (^_^)。
気に入っていただけたらさいわいです。
『侯景の乱始末記』に釣り合うくらいレアで、値の張らないものってそのくらいしか
思いつかなかったんですよ。まあ、中国行ったら観光地ならどこでも売ってるし、日
本でも中華街に足を伸ばせばあるものなので、それほど珍しいものでもないかな。
>李密:劉備を彷彿とさせる度量と義侠の人。たぶんこの時代で最も信義を守る群雄
また僕の抱いてるイメージと違います…る。
李密は、天才肌で狷介で鼻持ちならない野心家って、思ってたのですが。
煬帝のところを致仕したときのエピソードといい、「項羽伝」といい、楊玄感に与し
たことといい、翟譲を殺した件といい、義侠心より利己的計算が強そうな気が
してるんですが。まあ、穀倉開いて民に散じたりもしてますが、彼のはどうも打算っ
ぽい。
>史思明:安禄山の盟友。奇想天外な策略を繰り出し、数分の一の兵力でかの名将郭子儀や
>李光弼をこっぱみじんに。
うー〜ん、藤善真澄『安禄山』とか、ちらちら見直してみましたが、情勢が二転三転
してるようで、順境のときは勝ちまくってるし、反攻を受けて逆風状態になると退い
てますし、よく分かりません。『新唐書』巻225・列伝150逆臣…になるとさらに分か
らないです。「無敗の将軍」説に同意するにはちと躊躇します。ぜひとも詳細をHP
にアップしてくださいな。
>かっしぃさま
>魏徴:
あああ、忘れてました。諫議大夫どの〜。
なぜかしらん、武官的イメージのあるこの人。
「人生意気に感ず」も勇ましいし。
史書を編纂したり、李世民にずけずけとものを言ったり、って功績みると文官なんで
すよね。
>武照:
意見が合った…のが、ちょっち嬉しいです、ホンワカホワフワ。
そういえば隋末唐初サイトはいくつかあるけど、武周サイトって見ないなあ。
学界でも小説でも再評価されてる偉大な女傑の時代なのに…。
武則天と駱賓王を顕彰するページを自分で立ち上げるべきなのでせうか??
駱賓王はともかく、武照を真正面から取りあげるのは、しんどいかもしれん。
>李白:
豪放磊落で楽天的で神秘的で刹那主義なお人に見えますよね。自由気儘な生き方して
ます。
僕が李白に興味をもったのは、
斯波六郎『中国文学における孤独感』(岩波文庫)だったりするので、
この人もじつは政治的野心持ってたし、いろいろ屈折してるんだなあというあたりが
好きだったりします。
野心持ってんなら、高力士を敵に回したりするなよ…って、結果論的なツッコミをし
てもせんないのが、この人らしいところ。
> きいわこさん
はじめまして。最近、こちらでお邪魔しにくるようになりました。自分で掲示板置くより、他人の掲示板に書きに行く方が楽しくて。(^^;)
> 問題のファイル(Kernel32.exe)がないか
確認しました。中身は空でしたがありました。気味悪いので削除消去しました。その前後の時間に作られたファイルも検索してチェックしましたが、他にはなかったです。「cp_25389.nls」「kdll.dll」はありませんでした。
> 高校ぐらいまで天文学者にあこがれておりました。
私も高校の頃は天文学者っていいなあと思っていました。いえ、思っていただけです。一番ましな科目が物理だったもので。一応理系でしたし。惑星科学なんか大好きで、太陽系の惑星の写真や地図見て喜んでいたりしました。パイオニア、ボイジャー、カール・セーガン、Ω型の巨大木星生物とか懐かしいですね。
> 『志林』の虞喜
『安天論』という本を書いて蓋天説や渾天説を難じたとありますね。
> 永一さん
> 別の変なものも
とんでもない。さすが、中国史好きの心をよく捉えております。決して人には譲らないでしょう (^_^)。劉備がジョーカーとは意外。
> 添付ファイル開いて、感染が確認されないというのは不思議ですね。
はっきりとはいえませんが、どうも Internet Explorer 5.00 は感染するにはバージョンが古いみたいですね。Internet Explorer 5.01、5.01 SP1 Internet Explorer 5.5、5.5 SP1 が感染対象だそうです。ウイルス対策には、バージョンアップよりバージョンダウン?
※ウイルスソフト⇒ウイルス対策ソフト
ウイルス買ったり、更新する奴っているのかな?
●中国史上人物の品定め(5)〜隋唐編
以下、決して友達になりたいと思っているわけではありません。(笑)
check it up !
楊広:才能も義侠心もありながら、自制心0。遊び倒して国を滅ぼす。煬帝のバカ遊び炸裂の『煬帝艶絶史』、誰か翻訳してくれー。女を巨大迷路に放り込んで、出られずにくたくたになったところを、助けにあらわれてやっちゃうらしい。あるいは女が座ると手枷足枷が出てきて拘束するH用の御女車を作ったとか。サイテーおバカ男。(笑)
李密:劉備を彷彿とさせる度量と義侠の人。たぶんこの時代で最も信義を守る群雄でしょう。肝心なところで信義を無視する竇建徳や、冷徹非情な李世民とはちと違う。策士としては二流。
尉遅敬徳:中国4000年が生んだ最強戦士。素手で槍を奪いとる槍術の天才。敵中を一騎で突破して大将の首を取り、身体に傷一つ負うことなし。李元吉との御前試合で相手を赤子扱いに。かの単雄信すら尉遅敬徳の前には一撃で敗北した。晩年は仙人に?
李世民:持病もちの名君。鍼や薬物に詳しい名医として家臣をしばしば治療した。
ある戦いで、李世民&尉遅敬徳が2騎で敵中に突入して敵をさんざんにかき乱して曰く、
「われが弓矢をとり、公が槍をとって従えば、百万の大軍といえども阻むことはできぬ」
「われらを見れば逃げかえる。これこそ賊にとって最上の策というものだ」
この自信、そして尉遅敬徳への信頼、かっこいい!
徐世勣(李勣):隠れ野心家、最後の乱世の英雄、高句麗壊滅の名将。親友の単雄信の処刑免除が許されず、別れの言葉、
「われはおぬしとともに死ぬことができぬ。せめてわが身体の肉だけでもともに土に帰ろう」
なんと、太ももをえぐって肉を手渡し、単雄信も涙してこれを喰らった。
その後、唐の将軍として活躍するも心服はしておらず、すきあらば事を起こさんとうかがっていたらしい。
史思明:安禄山の盟友。奇想天外な策略を繰り出し、数分の一の兵力でかの名将郭子儀や李光弼をこっぱみじんに。もはや史思明を止められるものは誰もいない! って、自分で止まっちゃいましたけど。
正史など記録では、史思明はほとんど敗戦ばかりだがこれはまったく信用できない。兵力や物資の消耗など計算するとあり得ず、転戦を敗北に書き換えたと思われる。実際の史思明は無敗の将軍と思う。
李晟:唐中期の名将。万人敵の異名をとる勇士にて知略にも優れ、軍紀は厳正、兵士の信頼厚く、病に倒れてもなお兵の士気があがり敵も恐れる不敗の名将。朱[シ比]の乱を平定し吐蕃を退ける。清廉潔白、野心0。上司も皇帝もいうことを聞かず、晩年は兵権もなく宰相として過ごす寂しさがなんとも。息子の李愬も名将。
‥‥‥いかん、やっぱり文化的でないなあ。(^^;)
>管理人様へ
書き込み上の注意をよく読まず、申し訳ございませんでした。
またちょくちょくお邪魔いたしますのでよろしくお願いします。