画像がかわいい!(少し重いですが)
http://www.chiculture.net/
>perdidoさま
いや、失礼なんてことはありませんよ。
『宋史』日本伝についてのレスはすれ違っちゃったみたいでして。
>NAGAICHIさま
善意のつもりでしたが、かえって失礼したようでほんとにすみません。
>鹿角さん
わたしが指摘したのは、NAGAICHIさんのカキコとほぼおなじです。不親切ですみません。
またまたまちがえました。すみません。『参天台五タイ山記』です。
最近PCの前に張りついていることが多いけど、身のあることはしていない管理人です。
第三のブラウザと言われてるOperaの6.1日本語版をダウンロードして、様子を見てみました。
軽い、早いと言われてますが、僕が使ったかぎりではIE6.0と比べてそんなに早いという
感じはしませんでした。起動はむしろ遅い感じが…。
Operaで見たところ、うちの人物事典が開かなかったので、試行錯誤のあげくHTMLの
スタイルシートをばっさり削除したら、見れるようになりました。まあ元々役に立ってな
いスタイルシートでしたし。
>perdidoさま
ええと、僕は自虐ネタも、逆にホメ殺しネタもあまり好きじゃないんで、
適当なところでお茶を濁したいですが。
僕個人については、亭主簡介のところに書いている感じで、ほとんど誇張はないです。
まっとうな道は歩いてないですよ。(-_-;)
>鹿角さま
宋の太宗で正解です。
『宋史』日本伝にあるようです。下は石原道博訳の岩波文庫のものを参照してます。
--
太宗、「然を召見し、(中略)因つて歎息して宰相に謂て曰く
「此れ島夷のみ。乃ち世祚遐久にして、その臣も亦た継襲して絶えず。
此れ蓋し古の道なり。(後略)」
--
太宗は、「然を招いて、(中略)歎息して宰相にいうには
「これは島夷にすぎない。それなのに世祚(代々の位)は遐久(はるかにひさしい)であり、
その臣もまた継襲して絶えない。これは思うに古の道である。(後略)」
『参天台タイ山記』です。すみません。下記のHPも参考に挙げておきます。http://board.lycos.co.jp/arts/history/board/index.php3?qid=77&cn=66
下記のHP(というか掲示板)の千波子さんという方の「神皇正統記と宋史」レスに宋史日本伝の抜粋があり、宋の太宗が嘆息したという逸話が紹介されています。あと、『参天台五タイ(台の旧字)記』という書物に、天皇家には姓がありません、と日本の使者成尋が答えたという記述があるようです。検索エンジンで調べました。
ずっと前に読んだ本で日本の天皇の立場を羨ましがった中国の天子って誰なんでしょう?易姓革命がないというのはたしかに羨ましいかもしれませんね。私的にはもしかしたら宋の太宗あたりかなという気はするんですが・・・(東洋の歴史6でそんな感じの記述があるので。だけど違うような気もするし・・・)
前レス失礼しました。
「永一さんのほうがきっとまともです。」です。
NAGAICHIさん>
>筆記は通るのですが、適性とか面接とかで落とされる典型的な対人間関係無能力者
そんなに卑下なさらないでください。わたしもほうがはるかに「対人間関係無能力者」です。
元レスで書いたようにバブル期なのに企業面接で落ちまくり、おまけに修士課程を面接で2度も落っこちた人間です(思い出すと涙)。ですからそういう点では、永一さいこそんのほうがきっとまともです。
どうも降り積もっていたフンマンを草野さんにぶつけたようなかたちになってしまいまして、
申し訳ないことをしました。
もう見ておられないかもしれませんが、すみません。
>perdidoさま
>ほっとするとともに勉強になります。
ええと、perdidoさんのようなかたをほっとさせるようなことも、勉強になるような
ことも言ってないつもりですが。
僕はちょっとむかしに公務員試験の面接でだいぶ落とされたクチですけどね。
筆記は通るんですが、適性とか面接とかで落とされる典型的な対人関係無能力者でし
た。今も基本は変わらず、で、ええ感心しない話でしょう?
>鹿角さま
アニメの原案って「母をたずねて三千里」ですか?えっ、違う?
マルコ・ポーロもよく分からない人ですね。いまだに実際は中国まで行かなかったん
じゃないか?とか言われたりすることもあるらしく。
無学祖元を探すエピソードって創作でしょう?
うちにある『東方見聞録』は教養文庫の青木富太郎訳なんですが、そういう話は見え
ないようです。
『東方見聞録』にみえる日本って、黄金の屋根をもつ宮殿とか偶像崇拝の風習とか、
そうとういい加減な伝聞話ばかりなんですが、弘安の役(元寇第二次)のこととか
は比較的面白いですね。いわゆる神風のこととかが出てます。それでも元軍が日本
の都を占領したことになっていたり、やっぱ変なんですが。
久しぶりに陳さんの「マルコ・ポーロ」を読み直しました。 アニメの原案てこれだったんですね。特集号にそうかいてありました。文天祥がでてたの再読するまで忘れてた(^^;)それでも彼が信念の人であるのは変わりないのですが。日本とのかかわりも「チンギス・ハーンの一族よりは深くて、マルコが無学祖元を探すエピソード等もあったりします。しかしこれが原案ならもう少しアニメの方にも話を使って欲しかった気がします。使用されたのは南宋の墓守りの話だけですから。
真樹操さま>
あ〜、おっしゃるとおりですね。すみません。
実は、わたしも、他のアカデミック系というか世界遺産のサイトでこのような学生さんや中高生さんのカキコがあったので突き放した経験があります。たしかに2度とこない、ということがありました。
自分の前課長は、こういうことに厳しい方で凄く仕事のできる方でした。「プロ」の公務員といっていい方でしたね。「法律の条文を穴の開くほど読め。なにか発見があるかもしれないぞ。」とか「人にものを聞くときは、自分であらかじめ調べておいて、こう考えてるのだがどうか?と確認するようでなければだめだ。」とおっしゃてました。
草野さん、社会人はすくなくともこれだけの厳しさは要求されますよ。ちなみにこの課長は民間の経験がある方で、役所の体質に対しては批判的な方でした。
NAGAICHIさま>
どうもありがとうございます。ほっとするとともに勉強になります。
自分の職場は文化財の仕事をするところなので学生アルバイトをお願いすることがあります。そのとき、履歴書に「公務員は安定している」と平気で書いてくる人がいたので、
いま地方自治体は、多様化する市民ニーズや限られた財源のなかでどのように有効に施策を打ち出すか生き残りをかけているところだ。すくなくとも石原都知事がどういう施策をとっているか勉強したり、また、中国の戦国時代の君主たちのように勝ち残りを求めているので自分は、あなたのまちをよくするためにこういう施策を考えてます、とあらかじめ勉強して売り込むような気迫がないと面接におちるよ、という話をしました。
>perdidoさま
文字化けについては、文字コードの不統一とJISの漢字対応の遅れがそもそも悪いんで、
あまりお気になさらず。
僕が見たかぎり、南北朝の概説としてはいいんじゃないでしょうか。
劉宋なんかでは、かなり寒門が幅をきかせた時期もありますが、
基本が貴族社会だからこそ、そういうことも特筆されるわけで。
>真樹操さま
気を使っていただいてありがとうございます。
うちの基本ポリシーはおっしゃるとおりです。
まあ、あまり目立つところに書いてないですし、
管理人のそのときの気分で、原則は破られてしまったりしますが…。
>自分で調べる前に、てっとりばやく<要点>や<結論>ばかりを人に聞く癖をつけたら、本当の
>勉強にならない
まあ、そういう「教育的」配慮も多少はありますが、一番の理由は管理人にとっては手間ば
かりで面白くない上に面倒だってことです。(爆)
あえて露悪的本音をいうと「レポート手伝ってやってもいいが、講義料よこせ!」ってとこ
ですかね。
ネットってのは、相手の顔の見えない社会ですし、基本的にギブ&テイクでないと成り立た
ないところです。
ところが、授業・レポート対策のためのみに質問を投げる学生さんってのは、自分の一方的
なテイクのみをネットに期待してるんですよ。一方的なギブのみの立場に立たされて、手間
を取らされるものはたまらないです。
だいたいそういう学生さんは目的が達せられたら、二度と訪れてくれませんし。
ということで、基本は「自分で調べろ!」ですね。
大学生にもなったら、他人に教えてもらうだけじゃなくて、自分で調べるってことができな
かったら失格ですよ。
あ〜あ、とうとう言っちゃった。温厚篤実で通したかったのになあ。(^^)
小惑星の名前が「たこやき」か〜。中国系の名前がついた星とかないのかな…。
>perdidoさま
僕が昔聞いたのは、『清史稿』とは別の『清史』の話だったと思ったんですが、
…自信なしです。
台湾中央研究院の漢籍電子文獻はウチの網頁のリンクのとこにも貼ってあります。
BIG5(中国語繁体字)コード対応の環境の人は、ぜひ一度見てみることをオススメ
します…と知らない人に呼びかけてみたり。
無愛想な管理人に代わって丁寧に応対してくださってすみません。
僕は基本的に学生さんの授業・宿題・レポート対策の質問は、忌避してるもので。
よほど(趣味的に)興味をそそられたら別ですけど。
質問を投げるほうは5分ですむけど、回答をするほうは資料と首っ引きで数時間
格闘してたりしますから、たまりません。
仕事から疲れて帰ってきて、そういう質問を見てげんなり…というのを繰り返し
ているうちに、最小限の回答が最善と学びました。
南北朝の概説とか教科書的解説ってWEB上にはあまりないですよね。
ある程度知識があることを前提に、人物紹介とか翻訳から入っているサイトが多くて。
蘭陵王がどうとか、正史や通鑑を翻訳したとか。
学生さんも知りたい情報を検索しにくいんだとは思いますが。
>Kayさま
Klezはこの間流行ったBadTransより重い気がします。うちは激遅アナログモデム環境なので、
特にそう感じます。
それになりすまし型なのが厄介です。
アドレス詐称したり、有用なバッチやアプリと誤解させかねないサブジェクトがついていたり。
BadTransと違って悪質な破壊工作もするし。
そういうのが、一日何通も来るとたまらないです。
「一意専心」は故事成語というわけではなくて、そういう言い回しみたいですね。
管仲と荀子なら、管仲のほうが時代はだいぶ古いですが、
『荀子』がほとんど本人の著と見られてるのに対して、
『管子』は管仲の文とはみられない後世のものがだいぶ混入していると聞いてます。
はたしてどちらが初出でしょうか?
>草野さま
管理人はあまりお役に立てませんで。
perdidoさんが解説してくださったような時代です。
発表はもう終わってるでしょうから、蛇足でしかないんですが。
南北朝は戦乱の時代でもあり、輝かしい「漢」の時代が去って久しく、暗い懐古や諦念や
宗教的救済への渇望が時代の底辺でのたくっている時期でもあります。
西洋中世の暗黒時代とも照応して、中国の暗黒時代のように見る向きもかつてはありまし
た。しかし最近では、
北朝は北方異民族の気風と漢文化の融合がはかられ、
南朝は漢文化の粋を保存しつつ、貴族文化・仏教文化が花ひらいた時代として積極的に
とらえかえすようになりました。
退嬰の淵に立っていた中華世界が、北から西からの新風によって若返りが図られた時代、
一種のリストラクチャリング(再構築)の時代ともいえます。
この胡漢融合・貴族文化によるリストラクチャリングは隋唐時代に完成をみるわけで、
後漢末〜六朝〜隋唐の期間を中世とみる京都学派の時代区分論につながってたりします。
教科書的なことは、僕もあまり興味がないんですが、あえて流れを説明すればこんな
ものかなと。どちらかというと、僕は人物やお話に興味がある趣味人なものですので、
言ってることでおかしな部分もあるんでしょうけど。
お話中のところ、すみませんが……
原則として学生さんの宿題・課題・レポート等のお手伝いはいたしません、というのがこちらのポリシーじゃありません?
掲示板の「使用上の注意」に、そう書いてあるんですけど……
いきなり質問だけするのも遠慮して欲しい、ということも。
自分で調べる前に、てっとりばやく<要点>や<結論>ばかりを人に聞く癖をつけたら、本当の勉強にならない、ということだと思いますけど>学生さん。
余計な口出しでしたらごめんなさいm(_ _)m。
南北朝時代の貴族中心の政治を象徴することばに「上品に寒門なく、下品に勢族なし」ということばがあります。九品中正法で、地方豪族層や社会の有力層が中正官を独占するようになって結果的に中正官によって推薦される人物の官位が家柄や父祖の官位によって序列されるようになったため、高位高官を占める門閥貴族が「勢族」として形成され、一般庶民の官界進出は、かなわなくなった状況を示すことばです。
社会人になって、しばらく受験世界史から離れていたのに部分的な確認だけであれだけ書けたのはうれしかったです。草野さんのお役にたててうれしさひとしおです。
学生時代に卒論で書いたマヤ文明についても知識がでてこなくて愕然とすることがあるので...。けっこういい加減なところはあるかもしれませんので、どなたかおかしなところをご指摘いただけたら幸いです。
>perdidoさん
すっごく助かりました。ほんとに参考になりました。これから発表です。おかげで乗り切れると思います。どうもありがとうございました。
この時代の文化は、文化的に連続して捉えられ六朝文化と呼ばれています。六朝とは、建業(東晋以降は建康。晋の愍帝の諱を避けた)を都とした6つの王朝、呉、東晋、(劉)宋、(南)斉、梁、陳の6つの王朝を指します。顧ト之に書家王羲之です。「水経注」の編纂者名や「斉民要術」の編纂者名は文字化けしたのでやめました。(このレスももじばけしきなきゃいいけど。
文学では、田園詩人と呼ばれる陶潜(陶淵明)や謝霊運が活躍した。陶淵明の「帰去来の辞」や、謝霊運の山水を詠んだ詩文は評価が高い。また、四六駢儷体という4字6字の対句を用いて音調を整えた華麗な形式の文体が盛行した。南朝梁の昭明太子が古今の詩歌や名文約800を集めたという『文選』にも載せられている。
また、東晋の時代になるが絵画では「女史箴図」の顧ガイ之、書では「蘭亭序」の王義之が現れた。また、北魏では、河川流域ごとにまとめられた地理書である「水経注」、農業技術書「斉民要術」が著された。
また、後漢末からの政治的混乱や豪族の台頭、政治的な陰謀の多い宮廷をみている知識人に儒教に対する不信が強くなり、世相に失望して、世俗から離れて自由に談論する清談(実は、呑んだくれの集まり?)が流行した。阮籍など竹林の七賢人が著名である。清談は、老荘思想へ傾斜する傾向が顕著であった。
五胡十六国時代には、仏図澄や鳩摩羅什が訪れて、五胡諸国の君主の保護の下で布教や仏典の漢訳に励んだ。北魏の時代になると雲コウや龍門などの石窟がつくられ、雲コウの仏像には、西アジアの影響が見られる。こうした仏教の刺激を受け、老荘思想、神仙思想、民間信仰を融合した道教が生まれた。道教には、寇謙之のように教団をつくって北魏の太武帝に進言して仏教を弾圧させるような者も現れた。
う〜ん、自分の浅学非才がばれそうですが、どなたかフォローいただければ...
草野さん>
南北朝時代は、主として華北、黄河流域を支配した北方異民族の鮮卑族の王朝の北朝と揚子江流域を支配した漢民族の南朝が中国を2分していた時代で、おおむね南朝の劉氏の宋の成立した420年から隋の統一の589年までの時代をさしているものとおもわれます。
南北朝時代以前は、華北は、五胡十六国といって鮮卑、匈奴をはじめとした5つの北方民族がいくつもの王朝を建てた時代でそのなかから鮮卑の拓跋部の建てた北魏が華北を439年に統一します。一方、江南地方は、東晋王朝があったのですが、五胡のうち匈奴に西晋王朝が318年に滅ぼされると貴族、豪族、農民が江南に移住し、江南の開発が進み南朝は経済的に発展します。北朝は、五胡十六国時代から主として北方民族の君主に漢人官僚が仕える形ですが、南朝は、おおむね皇帝を中心とした貴族の連合政権的な性格をもっていました。三国時代からの九品中正法という官吏登用制度が、形骸化し、豪族が官位を独占する時代でした。しかし、いざとなると武力をもった将軍が禅譲の形をとって前王朝から皇帝の位を譲らせて自分が皇帝になって新王朝をひらく、という形です。
今日は。僕は早稲田の第一文学部在籍の学生です。今、柳栄という詩人についてゼミで研究発表を行っているのですが、中国の南北朝時代がどんな時代であったのか、年表を見てもまったく掴めなくて困ってます。発表は明日なのですが今日はこれからバイトが有って・・・誰か知ってて教えてあげよう!という親切な人、是非是非教えてくださいませ!南北朝時代の大まかな概要、どんな時代だったのか、文化、文学等、なんでも参考にいたしますのでお願いします!
おはようございます。Kayです。 W32.Klez.H@mm は管理人さんのところにも来てますか? ウチにもかなり‥‥‥
◇一意専心の由来
石一参の『管子今註』の内業から引用しますと、
四體既正,血氣既靜,一意摶心,耳目不淫,雖遠若近。
心を正しくするには、まず身体を正さねばならぬ。わき目をふらずに集中し、欲望に惑わされない。これが遠いようだが近道なのである。(この訳ほんまかいな?)
とあります。
道家派の修身の言葉とのこと。
『荀子』には専心一志という言葉があり、下のページにはこれが出典だともあります。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/topics/wadai/w_kotoba/jukugo.html
どっちが古いのかな?
どちらにしろ、思想家の理想を託した言葉であり、エピソードらしきものはなさそうです。
前レスのHPは、下記のアドレスで開けます。
もうご存知かもしれませんが、「清史稿」は、あるようですね。台湾中央研究院の漢籍電子文献の二十五史で本文が読めます。(下にURLを書きますがアクセスできなかったらすみません。)
あと、全く同じものでないかもしれませんが「書虫」でも「清史稿」が手にはいるようですね。「民国史」もあるようで...
管理人(永一)さんに同感です。ホントに挑発的だと思います。
管理人です。Klezがうっとおしい今日このごろ。
はるさま、はじめまして。
って、僕は何のお役にも立てませんでしたが。
管理人が出てこなくても問題が解決する掲示板、いや最高です。!(^^)!
perdidoさま、どうもありがとうございました。
ありがとうございます。矛盾という言葉が矛と盾を売っていた商人の話からできたように
一意専心の由来がしりたいのですが、どうもweb上では探すことができませんでした。
はるさん>
出典は、「管子」で、「ひとつのことに集中して、そのことだけに専念すること」とのことですが...、たしかにweb上で検索すると将棋、囲碁、学校、酒造業者のものが目立っていました。
一意専心の語源になった話を教えていただきたいのですが。中国の物語で囲碁か将棋に関係している話ということしかわかっていません。どなたか知ってる人がいればよろしくお願いします。
『清史』は台湾がすでに作ってるという話を聞いたような気がします。
それより中華書局で出てる『中華民国史』は、あれは正史に列するつもりなのでしょうか?
挑発的だなあ。
もし正史の「清史」を編纂するとしたら大陸政府がやるのかそれとも台湾政府がやるのかどっちなんでしょう?正統性からいえば台湾政府かもしれないけど大陸政府の方がより多くの土地を支配してるし・・・
うちって実は教育系の板だったのか…と、錯覚しかねないここ数日。
どうやら管理人がいちばん知見がない、というよりズレている気がするので
煽り役に回ろうかな。
>真樹操さま
>『三国志』はある程度以上の読書力があれば面白い話ですが、長さは長いし、
>登場人物は多いし情勢は複雑だし
小学生高学年向きくらいのダイジェストなら、かなり人物とかエピソードとか端折
られてますし、週一時間の授業でも読めるかも。
ただ面白さも半減してしまうかもしれませんが。
しかしダイジェストも痛いのがたまにあるからなあ。
劉備の死で終わりとか、いや赤壁で終わりとかありませんでしたっけ?
せめて秋風五丈原までは責任もってやってくれ。
>台湾の蔡志忠氏の「マンガ唐詩の世界」や「マンガ中国の思想」などのシリーズ
蔡志忠さんはアメコミ風のユーモラスな絵柄で古代中国を描く人ですね。
蔡さんのマンガなら、歴史ばなしをしながら、文学や思想に話を広げられますね。
たしかあのシリーズは『史記』の巻もあったはずで、あれだけ僕は見てないんですが。
>あっきーさま
>22名の受講生からとったアンケートでは
いやいや歴史好きが集まってるにしても、その結果は優秀でしょう。
少なくとも僕の中学のときよりもずいぶんと知っておられる。
>その面白さの一端でも感じてもらえれば幸いと思って始めたわけです。
成功したら、道を誤る人が出るかもしれませんよ。(^^)
いや、誤らせたいですな。
そういや今の中学生世代ならフジリュー『封神演義』を読んだって人が多いかも
しれません。実際の歴史上の殷周革命と比べてみるとか…無粋かなあ。
>宣和堂さま
ども、不義理をいたしております。
>当時にわかに出版されていた正史モノのムック本に手を出したのがこの頃ですね……。
みなさん、早熟でいらっしゃる。
集英社『人物中国の歴史』の古代あたりを読んだのが小学校高学年くらい
手塚治虫・陳舜臣監修のマンガ『中国の歴史』シリーズを読んだのが中学くらいで
光栄の「三國志」シリーズをはじめてやったのが高校くらいで
横山三国志や演義をいちおうそれなりに読んだのが大学になってからという自分の
立場はいったい?
単にふつうでない道をたどってるだけか。
>自分はガチガチな授業でないなら、絵は多用した方が取っつきがイイと思います。
百聞は一見にしかずっていうか、実際そのほうがイメージ湧きやすいですね。
ぼかぁ活字やマンガばかり読んでたころはさほど実感してませんでしたけど、
自分で旅行したり、図録集めはじめたりの20代になってから、その本当の重要性
に気づいたかも。
>perdidoさま
>わたしの世代でもこの単語を知ってる方は数えるほどしかいないのに、
仕事がだるいときに(…っていつものことか)使ってるだけなので、
本来の意味とはちょっとニュアンスが違うよ〜な気もしますけど。
ほとんど死語だからこそ、気取って使ってみたり。
>鄭問氏の「東周英雄伝」もいいまんがですよ。
これは大賛成。墨を使ったりして、絵柄にくせはありますが、今の中学生はほとんど
知らんでしょうし、かえってこれが新鮮でいいかもしれません。
NAGAICHIさん>
「労働の疎外」ですか〜、なつかしいっすね〜。マルクスですか。彼の生き残った数少ない概念ですね。わたしの世代でもこの単語を知ってる方は数えるほどしかいないのに、わたしより若い方からこの単語を聞くとは...。
あっきーさん>
鄭問氏の「東周英雄伝」もいいまんがですよ。あと、ご自分の勤務されているまちの歴史がマンガになっていないのでしょうか?(授業の意図と違ってしまうか...)
高校生だったら、漢文と世界史の中国史分野、漢文と英文法(よくにてるんですよ。これが。英語の副詞節を導く接続詞if,Though,even ifにあたるのが助字の若、雖、縦令だったりとか、使役動詞にあたるのが、使、遣とか)が関連づけられるのですが、中2ときいて何も書けなくなってしまいました。
ちなみに、中学の歴史の授業は、先生から歴史に興味がもてるように手塚治虫(?)の「ブッダ」を順番で自宅で読むようにとすすめられました。(ある宗教団体が積極的にこのまんがを宣伝に使う以前の話です。)
と、ココではお初の宣和堂です。初めまして皆様。で、お久しぶりです永一様。
あっきー様曰く…
>「三国志などの物語から歴史を考える」
最近の中学ではこういう事教えてるんですねぇ……。
でも、思い起こせば自分も、金髪孟徳・女于禁のアニメを見て、光栄の『三国志』に触れて、
家にあった児童文学全集の中から『三国志』を探し出し、吉川英治の『三国志』に手を出して、
当時にわかに出版されていた正史モノのムック本に手を出したのがこの頃ですね……。
今頃ですと、『真・三国無双2』とか『決戦2』とか『三国志戦記』等のゲームで知った
というような人が多そうですね……。多分、読んだこと無いけど知ってるというのは、
こういう人が多いと思います。最近、人形劇三国志の再放送してないしなぁ…
あ、そう云えばNHKで中央電視台の三国演義を見た人くらいはいるかも知れませんね。
教材としてこういうモノの映像を使うのは良いかも知れないですよね…。
でも、水滸伝は……難しいですよね……。
一番の盛り上がりの武十回にして壮大なるスプラッタですし…。
ヒゲのおじさんが三度の飯より人殺しが好き〜とか歌う話ですしね…。
自分は個人的には好きなんですが、面白さを伝えるのは難しそうです。
西遊記は夏目雅子のドラマを教材に使うのも面白そう…。
堺雅章や西田敏行、岸辺シローも名前ぐらいは知ってるでしょうから。
日本では西天取経の方が有名なので、大鬧天宮あたりの授業をしても興味を引きそうですよね。
で、自分はガチガチな授業でないなら、絵は多用した方が取っつきがイイと思います。
色んなメディアを利用してプリントなり何なりで興味を引くのも一興と思います。
やっぱり、三国志とか西遊記って中国文学や中国史に限らず、中国に対する興味の入り口
みたいなものですから、基本的に門戸は広いのでやりやすいと思います。
>真樹操さん、永一さん
貴重なご意見をありがとうございますm(_ _)m。選択教科は、国語・数学・理科・
歴史・地理の5科目から生徒が自由に選び、授業よりもさらに発展的な学習を
行うってのがコンセプトなんです。さらに「問題解決的な学習」というのも要求
されていまして、つまりは知識を詰め込むのではなく、生徒が自ら課題を設定
して、それを研究するというものです。
事前のガイダンスでも「三国志などの物語から歴史を考える」と述べたので、
ある程度予備知識があるヤツばかりが集まると思ってたんですよ。そういう
ヤツらなら、例えば自分で好きな武将のことなど調べていくことはできる
だろうと思ったわけです。しかし!22名の受講生からとったアンケートでは
三国志を「読んだことがある」が10名、「読んだことはないがだいたい話は
知っている」が6名、「全く読んだことがない」が6名という結果でした。
中にはわざわざこれを選んできてるのに「社会科苦手」なんて公然と言う
ヤツもいて、なかなか手強そうです(^^;)。
>永一さん
題材にこれら歴史物語を選んだのは、私自身大学・大学院と東洋史(秦漢
時代)を専攻してきたので、その専門性を生かしたいと思ったのと、私が
この道を歩むきっかけになったのがこれら「歴史物語」だったからなんです。
何も生徒に同じ道を行って欲しいなんては思いませんが、その面白さの
一端でも感じてもらえれば幸いと思って始めたわけです。元から歴史好きな
ヤツはさらに深く、これからのヤツは興味がわくきっかけになればと。しかし
大見得切って始めたものの、進め方に悩んでるわけなんです。
>真樹操さん
水滸伝はたしかにヤバイ話も多いですね(^^;)。今回テキストとして扱おうと
思っているのは講談社の青い鳥文庫「水滸伝」です。これは対象年齢小学校
高学年からですし、私自身その頃に読んだ経験があるんで大丈夫かと(笑)。
児童書コーナーに売ってますしね。
「マンガ唐詩の世界」や「マンガ中国の思想」などもいい教材になりそう
ですね。参考にさせて頂きます(^o^)♪
もうすぐ第2回の授業だ…どうしよう…むむむ。
>perdidoさま
いやいや、仕事と趣味に一致点があるというのはうらやましいことです。
最近、労働の疎外について真剣に考えないでもない自分にとっては、なおのこと
です。(-_-;)
アフリカ起源説も微妙ですか。
上古(中国だと遠古か)の歴史が、いかに不安定な土台に立って議論されてるかを
実感します。
>あっきーさま
はじめまして。管理人の永一です。
学校の宿題やレポート片づけるのにうちの掲示板利用される学生さんとかは
よく来ます(うちは趣味系サイトなので、テキトーにあしらってます)けど、
現役の学校の先生が相談にみえたのは初めてです。(^^;)
学校出てしばらく経つもので、学校時分の感覚鈍ってますしね。
今時の中学では選択教科があったりするんですか…。
僕の個人的な経験感覚ですみませんが、中2で『三国志演義』を読んでないってのは
無理ないかと。僕も中学校時分じゃ横山『三国志』すら読んでませんでしたし。
中学生で歴史好きというと、平安王朝ものが好きとか、戦国・幕末に異様に詳しいとか、
太平洋戦争知ってるとか、そんな傾向じゃないでしょうか?
たまには三国志マニアもいるかもしれませんけど、
知識の元はたいてい近年のマンガだったりして。
マニアといっても、個人のあいだの温度差もあるでしょうし。
あまり知識量に差があると、議論も成り立ちにくいですしね。
物語から歴史への興味を引き出されるってのは大いにあると思います。
でも、そういうことは学校で教えなくてはならないことなんでしょうかねえ?
どちらかというと、授業中に先生に隠れて耽読するたぐいのものじゃないかと。
「ベルばら」を読んでフランス革命に興味を持ち、里中満智子を読んで古代史に
興味を持ち、「風と共に去りぬ」を読んで南北戦争に興味を持ち、「るろ剣」を
読んで幕末明治に興味を持ち、…etc.ってことは、ままあります(例えが古すぎ
ますが)。もちろん「三国志」を読んで中国史に興味を持つのもありで。
そういう機会は、人それぞれ勝手にあると思うんですよ。
選択教科でわざわざ歴史を選ぶような子どもには、そういう動機づけは多分いく
らかあるはずです。
問題は、興味をもった時代について深く調べる意欲がもてるか、また調べるには
どうしたらいいかというようなモチベーションと方法論あたりのほうが足りない
んじゃないかと。
与えられた課題をこなす型の授業では、なかなかそういうのは得られないと思い
ます。
歴史と言っても、『三国志』や『水滸伝』ばかりじゃないんで、生徒さんにどの
あたりに興味があるか聞いてみられたらいかがですか。
はじめまして、あっきー先生。ときどきここの掲示板に出入りしているものです。
どうぞよろしく。
いまどきの中学校は「選択社会科」なんてものがあるのですか。
「教科書を使わない授業」ってやつですか?
好きな生徒だけ受けられるんですか?
わたしの中学時代ははるか昔、いましも校門前の泥沼からユーステノプテロンがはいあがって両生類に進化しようとしていたころ……(ウソウソ)、受験戦争まっさかり、課目に選択もへったくれもありませんでした(^^ゞ
ともあれ、選択の自由があるのはいいことだと思います。
『三国志』はいろんなバージョンがあるから、読む子は小学生のころから子供向きのを読んでますね。そして中学生ともなると、「だからぁ、呂布の敗因は漢民族のパターンを読めなかったことにあるわけよ」なんていっぱしのクソ生意気な(笑)口をきいたりする。
その一方で、知らない子は全然知らない。「サンゴクシ? なにそれ?」状態。
(いや、オトナだって大半の人はそんなもんです)
中学生ぐらいだと読書力に相当個人差がありますね。もうほとんど大人並みの子がいる一方、小学生のマンガすらろくに読まない、って子もいますから、一緒に教えるのは大変でしょうねえ。
『三国志』はある程度以上の読書力があれば面白い話ですが、長さは長いし、登場人物は多いし情勢は複雑だし……ついてこれなくなる生徒さんも出るんじゃないでしょうか?
大人だって挫折する人がいるんですから。
むしろ『戦国策』みたいに、短いエピソード集のほうがわかりやすいのでは?
『水滸伝』だけは避けたほうがいいと思います。
授業で取り上げるにはやばすぎるネタ満載ですから。
(人妻が不倫相手の男とグルになって夫を殺すとか、不倫がばれた人妻が激怒した夫に惨殺されるとか……ほとんどワイドショーネタ^^;)
まあ、いまどきの中学生ならもっと過激な刺激に取り囲まれているでしょうけど、義務教育でこういうネタはまずいでしょ、やっぱり。親御さんから苦情がでるかもしれないし。
漢文はまだだとしても、有名な詩句や名文の一部などを解説するぐらいはいいのでは?
すでにご存知かもしれませんが、台湾の蔡志忠氏の「マンガ唐詩の世界」や「マンガ中国の思想」などのシリーズは学習まんがとして使えると思います。マンガとはいえ、内容は確かです。奇をてらったところや妙な珍解釈がなく、非常にスタンダードな作品をオーソドックスに解説してあって、入門書としてお奨めです。ただ絵柄には好き嫌いがあるかもしれません。
いろいろ書きましたが、教育のシロウトの言うことですので、あまりお役には立てないかも、です。どうも失礼いたしました。
今年度、新任で中学校の社会科の教員になった者です。中2の選択社会科
(歴史)を週1コマで持つことになりまして、『三国志』や『西遊記』、
『水滸伝』など物語から歴史について考え、親しんでもらうような授業を
したいと考えました。
ひとまず1回目は『三国志』の時代背景をビデオで見せました。2回目は
『人形劇 三国志』の総集編を見せようかと思っています。当初は三国志
マニアのような生徒ばかりが集まることを予想していたので、戦や故事成語
のエピソードを詳しく解説し、討論やフリートークの形式で進める予定でし
たが、ふたを開けてみると三国志は読んだこともないという生徒が結構な数
混じっていたのでさあ大変。
まだ中2ですので漢文や中国語を読ませるのも難があります。これから1年、
どう進めていくか悩んでいるところです。みなさん、もし良案があったら
お知恵を貸して頂けませんか?「こんな授業なら受けてみたい!」とか「私
ならこうする」などなんでも結構ですので、ご意見をお願いいたします。
「ざつげいいん」とは、たとえば、市町村勤務の場合、学芸員の仕事ばかりでなく、文書事務やら文化財の清掃やらいろんなことをするので「ざつげいいん」と自嘲していることからうまれたことば(?)です。
あと、前レスすみません。スラッシュが1本抜けてしまいました。正しくは下記のとおりです。http://www.komakino.jp/totteoki/sasaki-shurakuron/sasaki-shurakuron-2.html
NAGAICHIさま>
恥ずかしながら、市町村につとめる一「ざつげいいん」なんです。学生時代レポートを締め切り間際にばたばた提出してとった学芸員の資格のおかげで、10年前にある市町村への就職が決まったのです。当時はバブル期だったにもかかわらず、大学院へ進学したい気持ちのほうが強くいやいやながら保険のためにした就職活動で「面接の達人」に書かれてる通りに「御社が第一志望です!」の押し出しができず、最終までいっても落ちることのくりかえしでした。しかし、そのとき初任給30万もらっていた証券会社につとめた同期生が「バブリー君」と呼ばれて路頭にまよっているかも知れないことを思うと「人生万事塞翁が馬」なんて考えてしまいます。
>猿人アフリカ起源説を覆そうと躍起になってるんじゃ
同感です。わたしも中国の古人類関係のHPを見ながら思いました。でも、うそなら某F村氏のように、いつかばれると思います。たしかに巫山人も安徽省の人字洞もいまいち決定的な材料にかけるし、炭素14以外の年代測定法は誤差が多く、カリウム=アルゴン法にいたっては、宇宙の始まる以前の年代が出たなんて話があるくらいです。東アフリカの猿人の年代決定に使われているため、実は、アフリカ起源説も微妙です。中国の場合、古地磁気法と電子スピン共鳴法を使って年代をはじき出したようですが、この年代測定法がカリウム=アルゴン法にくらべてどのくらい信用できるか、また、東アフリカの古人骨は、複数の年代測定法によってクロスチェックされているのかが問題です。
古地磁気法の精度については、よくわかりませんが、熱残留磁気年代測定法は、最近1000〜2000年くらいのものについては、土が焼かれたり熱を受けたりした時代の磁気を帯びてその経年変化の曲線がわかっているので、炭素14法で誤差の大きい最近の時代について、窯跡などの焼土や住居の炉の土で年代を図るのに有効です。
>すくなくとも都市の成立が前提になるのでは?と。
そういう考えでよろしいと、おもいます。ただ、「都市」の起源とか定義は、考古学、人類学上の大問題で、論文集が数冊できてしまうようなテーマなので面白いのですがドツボにはまるので書きません。わたしも全レスで書いたように「縄文文明論」は、うさんくさいと思っている1人です。縄文文明論を批判しているHPでわたしがみつけたのは下記のとおりです。
http:/www.komakino.jp/totteoki/sasaki-shurakuron/sasaki-shurakuron-2.html
最近、フェイ・ウォン(王菲)を聞いてる管理人です。
>perdidoさま
巫山人のことは聞き覚えがあったんですが、「安徽省繁昌県孫村鎮の癩痢山の人字洞」の
ほうは初耳でした。紹介ありがとうございます。
雲南の元謀人でも歯が2本出たのみですし、古地磁気法で170万年前と測定されたのち、
5、60万年前じゃないかと批判が出たりしてたようで、この辺の年代誤差が大きすぎて
素人目にもあやしく思えるんです。猿人アフリカ起源説を覆そうと躍起になってるんじゃ
ないかと。
縄文が16500年前からですか。
縄文時代のスパンの見直しがあるのは、それはそれでいいことだと僕も思うんですけど。
僕が言いたかったのは、いわゆる「縄文文明説」に胡散臭さを覚えるってことです。
「文明」の定義にもよるんでしょうけど、四大文明と比較するには、少なくとも都市の
成立が前提になるのでは?と。
三内丸山は画期的な発見だと思いますが、都市とはまだ言えない段階でしょうし。
先走りしすぎているキライがありはしないかと、これも素人考えですが。
perdidoさんは、文化財の仕事をされてたんですね。
アマチュアがテキトーなこと書き散らしてるところなんで、お見苦しいとは思いますが。
>鹿角さま
人物往来社の「東洋の歴史」シリーズは、中公文庫で「中国文明の歴史」シリーズとして
再刊されているので、僕はそっちで持っているんです。
「簒奪者永楽帝」の章の方孝孺のとこで三田村さんが言いたかったのは、永楽帝が士大夫
を粛清して宦官を信任したことが、明の士風を一変させて、後々尾を引いたってことだと
思うんですよ。
そういう意味では、そう不適当な表現でもないかなと、感じるんですが。
>perdido様 確かにその通りですね。変換ミスです。 永楽帝も方孝襦から罵倒された時言い返せば良かったような・・・・ (犠牲の多さを考えると)「お前の学問とやらは誰を救った」とか「私を謀反人と罵るなら何故削藩計画を止めなかった」とか・・・(他にも色々考えつきそう・・・)大体南京の人たちから只でさえ嫌われてるのにもっと嫌われることを重ねてどうするという気がします。 東洋の歴史8 明帝国と倭寇 には「簒奪者永楽帝」という章に崇禎帝が自害するとき供は宦官しかいなかったのは永楽帝が方一派にひどいことをしたからだという一節がありました。そこまで彼のせいにするのもちと気の毒なような・・・
縄文時代の始まりについては、福岡県の泉福寺洞窟の12000年前の豆粒文土器が最古ということで長い間の定説でしたが、青森県蟹田町の大平山元(1)遺跡で、2〜3年前に16500年前の土器が発見され一気に4000年もさかのぼることになったようです。名古屋大学の炭素14法の最新年代補正法をつかってはじき出された年代なので信用できる情報のようです。
しかし、わたしも、縄文文明論には、懐疑的です。三内丸山が500人の集落であるなら9000軒の住居跡と13000基の子供の墓と15000基の大人の墓が必要と西田正規氏が指摘していますが、現在発見されているのは住居跡約700軒、子供の墓(埋納土器)880基、大人の墓約220基で遺跡の全面積を掘って同じ量の遺構が検出されたとしても、この数字の半分くらいにしかなりません。また、縄文時代の家族の人数(竪穴住居に住んだ人数)は、千葉県姥山貝塚などの調査成果から4〜5人くらいと考えられていますが、やはり、その数字から計算しても多くても200〜300人前後の人口と思われますし、東南アジアの民俗例から掘立柱の建物はそれほど大規模なものでなかったのでは、と主張する方もいます。青森県の地域起こし的な面もおうおうにありそうです。(以前は、中世の十三湊でアピールしようとした。)
まあ、マスコミの加熱報道に問題はあるものの、文化財が大切だと思ってくれる人が増えればいいなと文化財の仕事をするものとしては、楽観的にとらえていますが...
中国の古人類の化石については、重慶市巫山県廟宇鎮竜骨坡で、約200万年前の地層からホモ=ハビリスと思われる古人類の下顎骨が石器とともに共伴して中国科学院古脊椎動物・古人類研究所の黄万波教授らのチームの1985〜1997年の調査によって発見されています。(巫山人)
また、安徽省繁昌県孫村鎮の癩痢山の人字洞のやはり約200万年前の地層で霊長類の上顎骨、下顎骨が、50種類以上の脊椎動物、打製石器とともに、同研究所の金昌柱博士のチームによって発見されたということのようです。自分は、雲南省で、ラマピテクスの骨が発見されたのを中学高校時代に新聞記事を見て以来中国の古人類の情報にはごぶさたでしたが空白の200万年前〜400万年前の古人類の人骨や証拠をさがそうと中国では必死になっていたんだなあとHPを見ながら思いました。
長沙国宰相夫人の顔のCGは何種類もあったみたいです。
なんだ、若くして死んだわけじゃなかったのか。
http://j.people.ne.jp/2002/04/29/jp20020429_16714.html
>きいわこさま
>南漢の話、まだちゃんと読んでいないのですが、ベトナムの独立と関係ありそうですね。
僕はヴェトナム史は分からないんですが、北ヴェトナムが中国の支配から離脱する
時期に当たってますね。
呉権とか呉昌文とかの人物の背景まで調べられたらよかったんですが、そこまでも
資料探しの努力をしなかったので。
>黄帝は、中国では、実在の人物として認定されているのでしょうか。
中国においても歴史学で真面目な議論になるのは、夏まででしょう。
黄帝が持ち出されるのは、かなり政治向きな匂いを感じます。
「中華民族の祖」としての多民族統合のシンボルみたいな意味合いで使わ
れてる感じがします。
中国でも、多数の研究者は実在を疑問視してるんじゃないかと思いますよ。
こんど隕石とか言われると、さらにトンデモ臭を感じてしまいます。
>元謀原人(でしたっけ?)は事実で、中国の歴史は5000年どころではなく、
>百万年以上あるそうです。
元謀猿人らしいです。それだと、中国の歴史は170万年?(笑)
元謀人もかなり怪しい気がするんですけどね。頭蓋骨くらいは出てもらわないと。
まあ日本にも、前期旧石器文化を捏造した人とかいましたし。
そこまでいかなくとも、縄文文明が四大文明より古い一万二千年前から…とか
言っておられるかたがいるようですしね。
>perdidoさま
僕はちょっと思いついたんですけどねえ。
文天祥は一個人の意地を貫いたのだから、それはそれで立派でしょうけど。
家族や友人や一門が殺されようとしても屈しなかった方孝孺って何者なんだろう?
って。
もちろん一義的に非難されるべきは、永楽帝のエキセントリックさなんですけど。
このときの応天府での殉節もすさまじいですね。
方孝孺の一族・一門873人を皮切りに
鉄鉉・景清・黄観はじめ三千人だそうで。
鹿角さん>
「燕族簒位」ではなく「燕賊簒位」だと思いますが...「賊である燕王棣が皇帝の位を簒奪した」という意味なので...
恥ずかしい話ですが、方孝孺と文天祥をときどき混乱することがあります。両方とも悲劇の皇帝の忠臣で、文天祥は、フビライに、方孝孺は、永楽帝に媚びなかったからでしょうか...
どうも、きいわこです。
<Perdidoさん、文字化けはよくわかりませんが、君王后様が、あっちこっちで話題になるのは、嬉しいです。(すいません、永一さん。)
<永一さん
南漢の話、まだちゃんと読んでいないのですが、ベトナムの独立と関係ありそうですね。
(曲氏とか、呉権とか、そのあたりの名前はさすがに見覚えがあり・・・)
中原と戦う気がないのに帝号を称したというのは、それより千年前の南越を思い出します。
>黄帝が隕石落下で亡くなった
すごい・・・。黄帝は、中国では、実在の人物として認定されているのでしょうか。
中国の小学校の歴史教科書では、一応、神話の人物だった気がします。(自信ない・・・)
元謀原人(でしたっけ?)は事実で、中国の歴史は5000年どころではなく、百万年以上あるそうです。
このネタをすすめると、日本はどうなんだ? となりそうなので、この辺で・・・自分で振ってすみません。
>Perdidoさま
>わたしのブラウザの調子が悪く文字化けするので
きいわこさんとこの書きこみを見させてもらいましたが、この症状はたぶんブラウザの調子
ではなくて、文字コードの問題です。
ユニコードタグが埋め込んであるHTML文書のブラウザ画面表示から直接コピー&ペース
トしてきたのではないでしょうか?
うちもそうですし、きいわこさんとこもそうですが、teacupの掲示板ではそれは禁物です。
たとえば
「莒」を「莒」と
「太史敫」を「太史敫」と
直接打って書きこむのはteacupの掲示板でも構いませんが、
「莒」「敫」というブラウザ画面表示から直接コピー&ペーストして記事
投稿すると、teacupの掲示板では文字化けします。
うちのもうひとつの掲示板のOTDのやつなんかは、直接コピペでも平気なんですけどね。
>これだけ南漢について詳しい情報はみたことがありません。
たぶん論文とかを除けば、日本語で書かれたものでこれより詳しいのはないと、僕も自負
してますけど。(^_^)v
でも、自分でもいくらかネタばらししてるつもりですが、アラはたくさんありますよ。
少しずつ手直しもしたいなあと思ってます。
NGAICHIさま>
南漢国の興亡興味深く読ませていただきました。自分の勤務する町には伊豆の土肥(とい)で荷揚げ料をとったり、海賊っぽいことをしていた後北条の家臣富永氏の館があるというまちなので、海賊っぽい南漢には親しみを覚えます。
わたしは、はるかむかし、中学か高校くらいのとき明治書院の「資治通鑑」を読んだほかは、五代の皇帝が小説風に章立てしてある本(はるかむかしで名前が思い出せない)と、何かの本で、南漢の君主はイスラム商人だったのでは、と書いてあったことを思い出すくらいでこれだけ南漢について詳しい情報はみたことがありません。お疲れさまでした。
前レスで「まったくおっしゃるとおり」と書いてしまいましたが、キフォイザー星域会戦については、もう一度ナポレオン戦争も含めて調べてみたいと思います。
管理人NAGAICHIさま>
いろいろ、ご教示、ありがとうございます。まったくおっしゃるとおりです。
負け惜しみですが、わたしもダゴン星域会戦のネタは、4〜5年前には、気づいていました。でも、銀英伝にはまる方は、歴史狂が多いはずなので早い者勝ちですね。でもやっぱり気がついている人はいるんだなあ、とおもいました。
あ〜義手のリンザーもコンラートだったんですね。少年コンラート・フォン・モーデルの名が正確に思い出せなかったのでああいうカキコになりました。
まっちゃんさん>君王后について
「きいわこ」さんのBBSでカキコしましたが、わたしのブラウザの調子が悪く文字化けするので、NAGAICHIさんのこのBBSをお借りします。管理人さまご容赦ください。
君王后の記事は、「史記」の「田敬仲完世家」と「田単列伝」に見られます。「きいわこ」さんBBSに書かれたとおり、悼歯の目を逃れるために姓名を変えて(世家のみ)莒の太史敫の傭人になっていたところを、その容貌が常人でないとして「衣食を給する」(世家)などして「厚遇」した(列伝)と書かれています。
「十八史略」は確かめていませんが、「戦国策」には、登場していたとおもいます。
中国史ネタ二題。
■馬王堆漢墓で発見された長沙国宰相夫人のミイラをもとに復顔されてましたね。
数日前の新聞のあのCG見ながら、若いなあ、美人やなあ、南方系かなあ、とか
俗っぽい感想を抱きました。どの程度精度の高い復顔なのかは分かりませんが。
■陝西省の黄帝陵近くで巨大な隕石が発見されて、黄帝が隕石落下で亡くなった
んじゃないかとか中国考古界の一部が言ってるらしい。頭イタ〜。
エイプリルフールネタが遅れて伝わってきたものと信じたい。
ローカルネタ一題。
■道後湯築城の武家屋敷ほか復元公開されたので行って来ました。
天守閣とかないので、地味で観光的には売れないんでしょうが、考証的にはしっかりして
そうだったので、好感もちました。しかし、資料館のブツ(数は少ない)は、どこで出土
したものかより、いつの時代のものかのほうが重要だと思うのに、書いてない。(泣)
>Perdidoさま
はじめまして。
言われて「百家争鳴」HPってどこだろうと思ったら、瀧さんとこの「水龍公司」の投票
ページですな。しかも2年半も前の自分の一行書き込みに物言われようとは…。
指摘したのは和さんって人のはずで、僕はツッコミ入れただけみたいですが。
さておき、キフォイザー会戦の元ネタはたしかナポレオン戦争のイタリア戦線のなんとか
言う戦いです。記憶があいまいですが、初期兵数と展開がまるっきりそのままだった気が
します。
アスターテがアウステルリッツ三帝会戦だとか、アムリッツアがゲティスバーグだとか
いろいろ言われてます。シャーロキアンならぬ銀英伝フリークの世界ですが、興味がおあ
りなら調べてみて下さい。歴史からのパクリは相当あります。
中国史でいえば、ロイエンタールが感銘を受けたという「皇帝になりたいから謀叛するの
だ」の元ネタが黥布とか。
銀英伝の星の名が神話をもとにしているのは、本編にもそう書かれていたと思います。
コンラートは皇帝はいませんが、コンラート・リンザー(ワーレン麾下の義手の士官)と
コンラート・フォン・モーデル(アンネローゼに仕えた子爵家の御曹司)がいますぞ。
>門田鳳雛さま
いや、僕も五代は知識がないんですよ。
中原王朝やると収拾がつかなくなりそうだから、十国に逃げたんです。
どうせなら「周縁から中国史を見るのだー」と格好をつけるために、南漢を選んだわけで。
そしたら越呉朝とか占城とか大長和国とか出てきたり、ペルシア人女性が出てきたりして
結構面白かったという。
取りあえず『新五代史』の世家をベースに『旧五代史』『通鑑』をまぜこぜにしてます。
『通鑑』はまだ全部チェック入れてなかったりしますが。
ホントは『十国春秋』『南漢春秋』とかも見るべきだし、論文とかもあさるべきなんでし
ょうが、探してすらいません。
宦官は名前だけは何人か出てきますね。
ことごとくロクでもない人たちみたいですが。
あの地図はホントに適当です。
目の粗い白地図に手持ちのソフトでいいかげんに字入れただけですから。
GWはテキトーに実家と家とでごろごろして、テキトーに働く予定の管理人です。
最近「W32/Klez」ウイルスが流行っているようです。ウチにも2通くらい来ました。
みなさんも気をつけてください。
>鹿角さま
そこまでおっしゃられると、黄子澄と斉泰がなにやら可愛そうです。
以前も別に書きましたけど、陳舜臣さんが言ってた二流の儒臣ってくらいがいいとこで、
けっきょく実力が足りなかったのだと思いますよ。
削藩じたいは王朝の権力を確立するためには自然な流れですが、前漢の前例に固執しす
ぎて周到な配慮をおこたったんでしょうね。
鄭和の大航海については、最近イギリスの研究者が新説を出したらしいですね。
鄭和艦隊が大西洋→アメリカ大陸東岸まで到達していた?
まあかなり眉唾な説だとは思いますが。
>のら豚さま
はじめまして。
>時代によって龍の向き、表情が違うように思います。
以前、皇帝袍・皇后袍の色についておっしゃられていた人がいました(その人も五行説
について言われてました)が、そのときの感想として考えすぎじゃないかと、僕はぶっ
ちゃけて思ったんですが。そのときと同じ感想を持ちました。
時代によってというなら、竜どころか着衣のスタイルじたいが相当変遷しています。
どうですかね。
とりあえず清代の皇帝袍・皇后袍の竜は、胸のあたりで正面向いて、胴体はS字にとぐ
ろを巻いているのが多いみたいですが。
また2匹の竜が対称的に向かい合わせになってるようなのもあったり。
未読ですが、林巳奈夫『龍の話』とかに何か書いてあるでしょうか?
ご無沙汰しております。
コラム「南漢国の興亡」をハードコピーして読ませていただきました。
宦官史においても南漢という国は避けては通れない国でありまして、
晩唐から五代を調べている私にとって、この特集は嬉しい限りです。
これから五代を始める予定ですので、いろいろご指導下さいませ。
P.S.あの地図は作成にかなり苦労されたのではないでしょうか?
管理人さま>
「きいわこ」さんのところとか、「百家争鳴」HPなどでお見かけしていますが、「銀英伝」ファンでいらっしゃるのですね。ダゴン星域会戦の自由惑星同盟首脳陣のネタバレは、淝水の戦いの東晋の謝安とその囲碁の客であることを見破るなどさすが!と感じました。
キルヒアイスが門閥貴族連合軍を破った「キフォイザー星域会戦」のネタバレは、合淝の攻防戦で10万の呉軍を800の兵で破った張遼の故事(自分は、太史慈と勘違いしていた。)
ですよね。北欧やドイツはいうに及ばずバビロニア神話、インド由来のネタバレもあります。
惑星ハイネセンが公転する太陽バーラトは、インド人が自国のことを呼ぶときの名で、サンスクリット語のバーラタに由来し、「リグ=ヴェーダ」に見られる古代インドの王の名だし、(でも、そういう名の王がいたのは寡聞にして知らないので「バラタ族の戦いを物語る「マハーバーラタ」のバーラタというように考えたほうがいいような気がする。)
ウルヴァシーもインド神話に登場する天女の名前だし、アムリッツアもインド由来だった
気がします(これは、確認の必要あり)。
エフライムは、イスラエル12部族の1つだし、ダゴンは、ペリシテ人の偶像神で旧約聖書に登場します。
「銀英伝」で奇妙に思ったのは、コンラートという名の皇帝がいないことでした。(登場人物は少年でいたような気がした。)
もうご存知かもしれないし、夢がなくなるのでこのくらいにします。
ちなみに「故事名言・由来ことわざ総解説」自由国民社刊でインドとギリシャ神話についてネタバレ発見をしました。
中国皇帝についていろいろ調べているのですが、
その中で皇帝の着ている服の正面に描かれている
五爪龍なんですけど、時代によって龍の向き、
表情が違うように思います。
龍によって「昇り龍」とかいろいろと
名前が付けられているものもあるみたいです。
中国での龍思想は五行説に基づくものだと思うのですが、
なにか参考になる本はありませんでしょうか?
どなたかお教え頂きたく思います。
よろしくおねがいします。
幸田露伴「運命」を田中版と照らし合わせつつ読んでいます。
露伴が漱石のように口語体でかいてくれればこんな事しなくて済むのに・・・・(泣)田中版と原作って出だしから違うんですね。原作が唐塞児の反乱から始まっているのに対し田中版は病床にある洪武帝とこの時は皇太孫である建文帝のシーンからはじまります。原作では方孝襦と永楽帝の成王・周公問答があるのに対し田中版では削られていて、原作にはない「燕族纂位」の逸話がかかれています。あの二人(もう名前もいいたくない・・・)はやはり原作でも愚臣ぶりを如何なく発揮してます。(怒)最初に読んだときは大航海の文章を思い出しつつよんだのですが運命と大航海を読み比べてみるのも面白いかもしれません。だけど伴野さんが建文帝を僧侶にしなかったのは露伴の真似が嫌だったからなんでしょうか?大航海を書いてるときに露伴を意識してたと思うので。だけど田中さん・・・鄭和については中公コミックスを挙げるなら大航海についてもいってくれなきゃフェアじゃないという気がします。
いっやー、久々にまともな更新をしました。
コラムに入ってる「南漢国の興亡」でっす。
レスずいぶんと放置してましてすみません。m(_ _)m
はっきり言って「南漢」にハマってたんで。
というのも、別に準備してた文章を飛ばしてこちらに変えたというくらいハマってました。
「うおーっ劉晟くん、もっと殺せ殺せ」
と、管理人が口走っていた…というのは、事実ではありません。(^^;)
ええと、ひとつ調べると分からないことがふたつくらい出てくるという泥沼を
泳いでまして。史料批判、いやつじつま合わせに苦労しました。
おかしいな〜、手持ち資料が少ないから簡単に終わると思ってたのに。
>きいわこさま
司馬さんがもっと中国ものを書いていれば、ってのは確かにありますね。
まあ、司馬さんは日本の戦国と幕末が非常に好きな人だったので、そっちへ言っちゃった
のでしょう。たしかモンゴル関係の学科出てる人なので、遊牧民と農耕民の対比で中国を
語るみたいなこともどこぞのエッセイでしておられたと思います。
>鹿角さま
妙な映像の使い回しをしてたのですね。
まあNHKとかでも時々変なことをすることがあります。
僕も京劇とか越劇とかは分かりません。
梅蘭芳というと四十年もむかしに亡くなってるかたですから、古い映像ですか?
それとも梅蘭芳が創案した劇を最近にやっていたのですか?
『運命』は、幸田露伴のしか読んでません。
ここ数年、僕の田中熱もずいぶん冷めてしまって、新刊もチェックしなくなりましたし。
むかしはほとんど全作持ってるくらいだったんですがねえ。
でも皇なつきさんは好きなので、絵は見てみたいかも。永楽帝が悪役顔っすか。
講談社文庫の『中国帝王図』の永楽帝は、ちょっとえらが張ってそうな顔ですが、まあ
まあいい男ですね。