枕流亭総合掲示板過去ログ23(2002年10月12日〜2002年11月5日)



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塩野七生さんは・・・ 投稿者:エリス  投稿日:11月 5日(火)22時14分05秒

 中華史伝の方に、書いたことなのですが、塩野七生さんみたいなひとに中国史を書いて欲しいといったのはですね、彼女のローマ史を読んで、実によく、英雄的な人物が英雄的に書かれているなあ、ということなのです。ユリウス・カエサルについての記述など素晴らしいものです。どこまでもローマ、カエサルという対象に惚れ込んで書くわけだから、公平で客観的な視点ではないという指摘もあるかもしれません。しかし。作家の書くものはそれでいいのです。女性作家だけれども、きわめて男性的な感性をも備え、妙に日本人的なウェットさや判官びいき的な視点がないことが私には魅力です。私には、ね。もちろん違う感じ方をする人もいるでしょう。
 ローマ史を執筆するに当たって、その心構えを述べた言葉、
「歴史上の人物を見るとき、私は決して減点評価はしない」
に心打たれました。


タイタニアの続き読みたいな 投稿者:エリス  投稿日:11月 4日(月)22時52分51秒

 「タイタニア」の続き読みたいですね。実は「銀英伝」よりもあちらのほうが好きだったりします。ジュスランのファンなのです。アリアバートもいいですね。
 え〜、タイタニアのモデルは多国籍企業、財閥ですか・・・。それは思いつきませんでした。平氏というか、日本の朝廷に対する、武家勢力みたいなものと思っていました。だから、あのタイタニアの専横に怒る皇帝は、南北朝時代の後醍醐天皇みたいなものかな、と。タイタニアは武力も政治力も、権威や名声も充分にあり、いつでも名実共に支配者になれるのに、どういうわけか皇帝の権威や伝統をうまく利用して、実質的なだけの支配者の立場でい続ける・・・というのも日本の武家政権みたいです。でも、タイタニア内部の描写は、個々の人物の名前のようにアングロサクソン的というよりは、むしろ漢民族的な血族社会を思わせます。日本的な「家」の概念ともまた違う気がしますね。
 ま、私が勝手にそう思ったので、正しいかどうかは分かりませんが。

 全然関係ないですが、やっぱり、織田信長いいですね(爆)
 一向一揆ですが、あれはどっちもどっちのような気がするのですが・・・。
 この時代の仏教勢力はかなりのものですね。少なくとも、一方的に弱いものいじめをしたわけでもないようですが・・・。それに末端の信者たちはともかく、上のほうの坊さんたちが純粋な意図ばかりを持っていたとも思えないし、武士に代わって彼らが力を持ったとしても、本当に民衆のためになる政治が出来たか疑問のような気がするのですが・・・。宗教は権力と結びつくと大抵酷く腐敗するものですよね。それに純粋で熱狂的な信仰は、狂信と紙一重ですよね・・・。あれらの勢力が武家支配に勝っていたとしても、私としては日本の精神風土に、ばら色の影響をもたらしたとは思えんのですが・・・。
 ま、もちろんだからといって、信長はじめ戦国武将がやった虐殺が正しかった、と全面肯定はとうてい出来ないですが・・・。


それでも重い 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 4日(月)17時55分50秒

いつもながら中身のない更新。
年表があまりにも重たくなってしまったので、一世紀ごとに分け、フレームを使うことにしました。


歴史小説と疑似歴史 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 3日(日)23時56分19秒

>コージさま
いや、悪いとか言い過ぎとかいうことはないです。
意想外のところを指摘していただいたので、むしろありがたいくらいで。
管理人としてもかえりみるところが多かったですし。

>三国志と劉邦・項羽の話は好きだが。隋唐演義はそれほど面白くはなかったな、俺としては。

『隋唐演義』のふたつの訳はどちらも評判悪いですねえ。
そもそも原本があまり面白くないという話で。
ネットでは「『隋唐演義』より『説唐』訳せ!」という陰の声があるようです。
隋末唐初は、やはり田中芳樹『風よ、万里を翔けよ』がお話として今のところいち
ばんいいんじゃないでしょうか。

>perdidoさま
>「銀河戦国群雄伝ライ」の世界というか宇宙は、どうなんでしょうね。

あれはまさしく歴史パロディー的作品なので、歴史にモチーフを求めたら、さぞかし
たくさん出てくるでしょうね。各勢力の設定からキャラから台詞からなにから。
まじめに追求したことがないんで、ぱっといい感想が出てこないんですが。

共和制とかの近代的発想はまるでなしで。
日本の戦国時代と中国の『史記』『三国志』のパクリがほとんどだと思いますけど。

荒唐無稽な設定ですが、ストーリーには大きな破綻がないし、「どこかで読んだよう
な話」として軽く楽しく読めますね。

>でも「帝国」内で皇帝よりも強い権力を持つ
>外戚でも宦官でもない。中国史なら呂不イか戦国四君のような存在?

皇帝より権力を持つ一族ならいろいろあるんですけど、
曹魏後期における司馬一族でもよく、東晋初期における琅邪王氏でもよく。
ただタイタニアは「帝国」の疆域を越えて権力ふるってますよね。
なかなかモチーフをひとつに特定できないのでは。
「タイタニアにあらずんば人にあらず」とか出てきますけど劉氏や平氏ではなく。
単純に一国内だけの権力の二重構造ではないんですよね。
むしろ近代資本主義以降の多国籍企業・財閥のほうにモデルがあるかも。

>マルコさま
こちらこそ。
今後ともよろしくお願いします。
美男美女列伝、けっこうマイナーな人も紹介されてるので、嬉しい人物もいますし、
勉強になったところもありましたよ。


こんにちは。 投稿者:マルコ  投稿日:11月 3日(日)19時23分43秒

南極御殿のマルコです。

相互リンクの件、ありがとうございました。
こちらもリンク貼っておきました、今後ともよろしくお願いします。

それと、指摘いただいた誤植の件も、修正しておきました。
いや、おはずかしい。
どうもありがとうございました。


SF(スペースオペラ)?における擬似歴史?? 投稿者:perdido  投稿日:11月 2日(土)23時35分18秒

>NAGAICHIさま
>あまり厳しく追及されると困るんですけど。(-_-;)
すみません。そんなつもりじゃないので、ヒマ話と承知でチャチャ入れてるんですけど(爆)。
>タイタニアが帝国「的」と言ったのは、前の持論をふまえてのことです。
>血統によって世襲される特異な宇宙政体(コングロマリット)ですしね。
なるほど納得です。
>☆ある種のSFにおいて、汎人類的な統一政体が現れることがある。
>☆その疑似歴史において、なぜか連邦(共和制)→帝国→連邦(共和制)という経緯をとる。
>☆SFにあらわれる「帝国」は過去の歴史における帝国にモチーフを求められることが多い。
>☆帝国が現れる必然性を説明できてないSFはダメだね(説明できてるものはすごいよ
>ね)。
「銀河戦国群雄伝ライ」の世界というか宇宙は、どうなんでしょうね。
あれは、神聖銀河帝国→比企弾正の五丈国→骸羅の大五丈→ライの五丈国
になるので、帝国→軍閥→「帝国」(たった60日間!)→王国(南天を倒して帝国)
擬似歴史としては、「骸羅の大五丈」は神聖銀河帝国崩壊後の軍閥割拠の時代に含めるべきなんだろうな。新崩壊後の更始政権とか陳勝・呉広の「張楚」や項梁・項羽の「楚」のような位置付け?

ところで
>でも「帝国」内で皇帝よりも強い権力を持つ
>外戚でも宦官でもない。中国史なら呂不イか戦国四君のような存在?
>でも、平原君、信陵君、孟嘗君は王族だったし...
>春申君にちかいのかなあ...
のコメントは?う〜ん、もっと自分も勉強する必要がありますね。


悪い、言い過ぎた 投稿者:コージ  投稿日:11月 2日(土)22時31分46秒

>管理人様
 悪い。どうやら俺も言いすぎたようだ。ただ基本的に、よく思っている人間のことを悪く言われるのは、例えそれが正しいとしても、辛いことがあるということだね。ここへは議論のためにきているのなら、こんなことをいうのは的外れかもしれない。俺の考えの方が、見当違いだったなら謝る。すまんかった。
 歴史に興味がないということはないんだが。三国志と劉邦・項羽の話は好きだが。隋唐演義はそれほど面白くはなかったな、俺としては。

>perdido様
>実は結構自分も石原知事がすきだったりします。
 石原は俺も好きだな。はっきり物をいうところがいい。もちろん実行力も。今の日本にはああいう人間が必要なんだろうな、と思う。

 南京事件の例えはまずかったかな。近い時代の例えだっただけなんだが。情に訴えるものがないというのは言いすぎだった、すまない。いや、本当を言えば、難しい話が苦手なだけなんだが(笑)

>エリス様
 崇拝って悪い意味ではないんだが。いいんじゃないのかな、誰かを好きになれるって。
 小林信者と同じってことは無いんじゃないのかな。エリス様のはきわめて個人的だし、それで誰かを傷つけることにはならんと思うし。小林のよその国の人間の描き方やそれを鵜呑みにしたり喜んでみてる連中は好きになれんな・・・。小林の描くことが全くの間違いでもないとしても。

 
 それじゃ、失礼しました。


自由でいいじゃないか 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 2日(土)20時24分56秒

うーん、少し脱線してみようとは思ってたんですけど、
ここまで話が飛ぶとは思ってませんでした。

>マルコさま
はじめまして。
まだゆっくり見させてもらってないんですが、
相互リンクOKですよ。
少々お待ち下さい。

>コージさま
いや、僕も信じたいものを信じていいじゃないかの人間なんですけどね。
ただ信じるのが自由なら
自分と合わない意見を批判するのも自由だし、議論するのも自由、相手を説得したり
論破したりしようとするのも自由じゃないですか。

それで「情」ですけど、
管理人やこの掲示板の常連は「情」がないと言いたいわけですか?(T_T)
むしろ「情」があるからこそ、つまらんことで熱くなるんですが。
それともミーハーさが伝わってこないってことでしょうか。

「難しい」は同感です。

>歴史のことなんてそれほど興味ない人間をひきつける事はそれじゃ出来ないだろうな・・・。

管理人はさほど大それたことは考えてませんが、力不足なもんですから。
楽しくワイワイ言い合ってるうちに、歴史好きが集まってくる…のが理想ですけどね。
だいたい欠点のある人間同士ですから、トラブルがないでもない。
もちろん「歴史のことなんてそれほど興味ない人間」が来てもらってもうれしいので
すが、ケアが万全かどうかは残念ながら……。(汗;)

>エリス様へのレスのつけ方にしても、もう少しどうにかならんかね、

ひどかったですかね。
反省中なんですけど。
議論の中で知識でたたみかける部分もあったと思います。
歴史サイトなんで、瑣末な事実関係で熱くなったりしますから。
あまりお客さんが一方的に叩かれるようなことがあったら抑えますんで。

>千何百年前のそれも外国の(あ、日本人だと勝手に思い込んでますが)人間を崇拝してた
>っていいんじゃないのとか思うんですが。

いや、それはまったく構いませんよ。
私は私の意見を言う、僕は僕の意見を言うでやってるんで。
テーマに合わないってこともないです。
というより、むしろうちのテーマに合致しているといいますか。


>perdidoさま
えーと、まず話のやりやすそうなSFばなしから。
どちらにしろヒマ話なので、あまり厳しく追及されると困るんですけど。(-_-;)

僕が最初に言いたかったのは、
☆ある種のSFにおいて、汎人類的な統一政体が現れることがある。
☆その疑似歴史において、なぜか連邦(共和制)→帝国→連邦(共和制)という経緯をとる。
☆SFにあらわれる「帝国」は過去の歴史における帝国にモチーフを求められることが多い。
☆帝国が現れる必然性を説明できてないSFはダメだね(説明できてるものはすごいよね)。
ということです。
全然まとまってなかったので、こうは読めなかったかもしれません。(^^;)

perdidoさんが「タイタニア」を持ち出したとき、ぼくが考えてた議論の筋と合わなかった
ので、逃げたわけです。(^^;)
「タイタニア」の世界は分裂社会ですしね。
ヴァルダナ帝国は、名前だけはインドの王朝がもとですが。

タイタニアが帝国「的」と言ったのは、前の持論をふまえてのことです。
血統によって世襲される特異な宇宙政体(コングロマリット)ですしね。

さて、下手すれば難しくなりそうな歴史観ばなし。
僕もコージさんの最初の書きこみからなぜイデオロギー話に飛んだのか謎なんですけど。

僕はマルクス史観だろーが皇国史観だろーがトンデモ偽史だろーが
(perdidoさんが念頭におかれてる自由主義史観だろーが)
個人で信じるぶんには勝手だと思います。
またそれを批判するのも自由。
こと歴史観とかイデオロギーとかになると、それを強制するのが問題なのだと思います。


気恥ずかしいですね(苦笑) 投稿者:エリス  投稿日:11月 2日(土)19時51分02秒

 どうも、コージさま、はじめまして。

 どうも、賛同および弁護していただきまして、誠にありがとうございます。
 いや、なんだか気恥ずかしいのですが(笑)

 う〜ん、すると私はへたすれば小林信者と同根の精神を持っているということになってしまいますかね(笑)自分の信じたい通りに信じるというのは、一歩間違えるとまずいことになりますよね。
 でも確かに、今は定説となるものがない状態ですし、これからも確たる証拠など出てこない可能性のほうが高い気がしますので、自分のいいと思う学説を信じていることにします(笑)
 う〜ん、私は李世民を「崇拝」していますかね(笑)他の方から見ると、そう見えてしまうのですね(苦笑)

 本当にありがとうございました。人間が情の生き物というのは、本当に同意、です(笑)


歴史の醍醐味 投稿者:perdido  投稿日:11月 1日(金)21時42分37秒

コージさま>
実は少し誤解してました。すみません。
 今は、弱くなって、一部の新左翼しかまともに信じていない、そして反論のカキコなどありえないであろう「マルクス主義」批判をカキコして、コージさまがおそらく小林よしりんのファンでマルクス主義者やそれに近い陣営と正反対のお考えをおもちであろうからと勝手に想像して、特定の歴史解釈を信じることによってかってのマルクス主義者と同じ誤りを犯しているのではないですか、冷静になってください、というつもりで
>信じたいように歴史を信じることがひとつの流行になっているようで非常に気をつけなければと思います。
とカキコしたのです。アカになれ、とおっしゃってる(爆)とはとっていません。

>南京事件は俺もあったと思ってますけど。日本が正義の戦争したなんて夢にも思ってませ>んし(笑)まあ、きっとだいぶ酷いことしたんだろうな。ただ、人間て情の生き物だか
>ら、ただ「これが事実だ」てだけじゃ、納得いかない部分もあるんじゃないの?それは仕>方ないんじゃないかな。そこらへんの「情」の部分をなんとかしない限り、小林よしのり>みたいなのは(俺は好きじゃないが)今後も本の売り上げを上げ続けるだろうな(笑)
すごい正直ですね。でも多くの日本人の本音かもしれませんね。石原知事の支持者に実は10%くらい共産党支持者が含まれているように...
 実は結構自分も石原知事がすきだったりします。自分が南京事件少数論者である点などいくつかの点を除いて、例えば東京都の福祉政策は優れているし、都バスで広告料確保とか外形標準課税とか不法軽油摘発とかあの実行力にはほれ込んでしまいます。

>俺の暴論に対する説明や反論にしても、なにかこう、情に訴えてくるものがないんだよ
>ね。歴史のことなんてそれほど興味ない人間をひきつける事はそれじゃ出来ないだろう
>な・・・
 実は、コージさまのカキコをみたとき、南京事件のことを挙げられてので、かえって冷静にカキコしないとやばいと身構えたのが本音です。それが、かえって情に訴えるものがないとお感じになったのかもしれません。
 歴史が好きになるきっかけって、やっぱり好きな人物、ほれ込める人物がいてのめりこんだって人が多いですね。小説から入って好きになる人も多いようですし...
無味乾燥な年表とか教科書とかよんでも感動しないのはわかります。
でも史料批判でひとつの史実が立証されたとして、その史実についてどう解釈するか、他の事件と関連があるのではないかとか、いくとおりの見方とか解釈とか位置づけとかするのも歴史家稼業の醍醐味なのではないかと思います。また、過去の史実を教訓として未来を予想するとか、小説をよんである人物の美談に感動し、ある人物の行動に怒りを覚えたり...いくとおりもの楽しみ方学び方があっていいと思います。


やっぱ暴論だった? 投稿者:コージ  投稿日:11月 1日(金)20時44分57秒

 管理人様、perdido様、どうも馬鹿なことをいってごめんなさい。やはり、暴論だったみたいね(笑)「マルクス主義」ねえ・・・。いや、別に今さらアカになれ、とかっていうわけじゃないんだけど(笑)
 俺は学歴も学もないんで難しいことはよく分からないんだけど、別に歴史学者さんたちの仕事を馬鹿にしているわけじゃないんだよ。まあ、ようするに俺は情の人間なので、なんとなくエリス様が可哀想だっただけなんだけどね。(こんな同情など、大きなお世話ということならすいませんでした)
 よくわかんないけど、要するに中華史伝の方で話に出てた、李世民って人が兄弟を殺した原因てのは、今は通説となっているものがないわけなんだよね?(そういえば、「隋唐演義」て本読んだんだよな。あと「中国名将伝」とか、題名うろ覚えだけど)だったら、今、わかんないんだったら、その中で、自分の好みに合うものを信じててもいいんじゃないか、と思ったわけで。

 南京事件は俺もあったと思ってますけど。日本が正義の戦争したなんて夢にも思ってませんし(笑)まあ、きっとだいぶ酷いことしたんだろうな。ただ、人間て情の生き物だから、ただ「これが事実だ」てだけじゃ、納得いかない部分もあるんじゃないの?それは仕方ないんじゃないかな。そこらへんの「情」の部分をなんとかしない限り、小林よしのりみたいなのは(俺は好きじゃないが)今後も本の売り上げを上げ続けるだろうな(笑)
 失礼な言い方だけど、俺の暴論に対する説明や反論にしても、なにかこう、情に訴えてくるものがないんだよね。歴史のことなんてそれほど興味ない人間をひきつける事はそれじゃ出来ないだろうな・・・。ま、だからって小林よしりんみたいのがいいってわけじゃないとは思うよ。しかし、エリス様へのレスのつけ方にしても、もう少しどうにかならんかね、とか思っちまいましたが。過去レスみても結構きついこと書いてるやつがいたねえ。いや、自分が学ないもんで、知識を持っている人間に反感覚えるだけかもしれませんけど(笑)だからエリス様が「難しいですね」に書いたことに、俺は賛成なんですが。
 いいんじゃないの、戦前日本や旧日本軍とかでないんだから多少史実より美化したことを信じてたって。てゆうか、今は何が史実か分からん状態?「三国志演義」(それも漫画のやつ)読んで史実と思い込んでるひとも結構いるんじゃないの?千何百年前のそれも外国の(あ、日本人だと勝手に思い込んでますが)人間を崇拝してたっていいんじゃないのとか思うんですが。そういうのは、ここのホームページのテーマに合わないのかもしれないけど。


まぜっかえしのまぜっかえし(爆) 投稿者:perdido  投稿日:11月 1日(金)19時05分39秒

>NAGAICHIさま
>タイタニアそのもののほうがひとつの帝国的な存在ですけど。
ん〜そうかなあ。だってラントレスクランナーで領土がないはずでは(爆)
>ヴァルダナ帝国は、帝国ではありますけど、統一政体では
ありませんし...
との整合性は?(笑)
 
 でも「帝国」内で皇帝よりも強い権力を持つ
外戚でも宦官でもない。中国史なら呂不イか戦国四君のような存在?
でも、平原君、信陵君、孟嘗君は王族だったし...
春申君にちかいのかなあ...


はじめまして。 投稿者:マルコ  投稿日:11月 1日(金)11時23分23秒

はじめて自分のホームページを作りました、マルコといいます。

早速ですが、相互リンクをお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?

「歴史探訪 南極御殿」というタイトルで、中国史の美男美女の列伝を連ねています。
いまだ未完ですが、よろしくお願いします。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3753/


話を混ぜっかえしてみる 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 1日(金)00時17分55秒

>perdidoさま
「タイタニア」のヴァルダナ帝国は、帝国ではありますけど、統一政体では
ありませんし…と逃げ。ここらありきたりに割拠的世界を描いてると思います。
むしろタイタニアそのもののほうがひとつの帝国的な存在ですけど。

地球人類に対抗する存在としてのエイリアンを描かないSFでは、
統一政体を考えない宇宙のほうがむしろ自然なのかもしれません。
外敵が存在しないと内側で権力争いをするのが人のサガなのかもしれませんし。

FSSみたいな割拠世界…は例が悪いか。あれは超帝国とAKDのふたつの統一
政体がすでに過去と未来に設定されてますし。
って、よく考えるとそもそも地球人類じゃないな。(-_-;)

ここらから中華帝国が成立した必然性とか話を振ろうと思ったけど、やめます。
また今度。

>コージさま
はじめまして。
ええと、暴言とは思いませんよ。
うるさい歴史好きをダマらせるには最強の論理です(^^;)。
そういう素朴な不可知論というのは。

a).歴史上の真実
b).歴史学が実証した(もしくは通説と認める)事実
c).現存する史料がかたる事実
この3つは必ずしも一致しません。
歴史屋は、c).から史料批判(テキスト・クリティーク)ということをおこなって
b).を抜き出し、最終的にb).イコールa).を目指すのですが、これを100%確実
に証明することはできません。

なぜかというと、現存史料が不足していて完全な歴史像を描けないということもあ
るのですが、
なにより自然科学のように再現実験ができないので、b).を疑う論理がいくらでも
構築できるからです。
例えば、「邪馬台国はなかった」「聖徳太子は実在しなかった」「徳川家康はふた
りいた」なんて議論も可能だし、実際そういうことを真面目に言ってる人もいるわ
けです。

ということで、
「誰も本当に見てきたわけでもないんだから、真実なんて誰にも分からないわけじ
ゃん。」というのは、歴史屋には「本質的には」論破不能な論理ということです。
しかし、まじめに歴史の真実を追究しようとしている歴史屋のそばでそういうこと
いうとイヤな顔されますけどね。(^_^;)

別の話になりますが
中国に関していえば、その「千何百年も昔」の史料でも、おそらくコージさんが想
像なさっておられるよりはたくさん残ってます。正史・稗史・考古資料を比較対照
してほぼ確実だろうといえることもいくらかあり。
控えめにいっても、正史に書かれてる何百万字かのうちの六、七割くらいは妥当だ
ろうなあというのが、僕の素人考えですが。
むろん書かれざるところ、比較対照する史料のないところは分からないわけですけ
ど。

「日中戦争の南京事件」は例が悪いというか、例がいいというか…。
日本史上では邪馬台国論争と並ぶ暑苦しい対立テーマですもんねえ。
あれは議論が成り立つというか、まったく噛みあってないというか…。
学問的には、数はともかく「あった」に軍配があがってます。
完全否定するには有為な史料が多すぎますし。
「なかった」側は専門の歴史学者がおらず、畑違いの人ばかりですしね。
学会の議論に打って出たりはせず、メディアに露出して一般書をたくさん書いて
で得点稼いでるかんじです。

と言ってる自分は、あくまでアマチュアですけどね。


歴史 投稿者:perdido  投稿日:10月31日(木)23時47分45秒

コージさま>
>中華史伝の方との関連でも思うんだけど、結局、そんな千何百年も昔のことなんて、誰も>本当に見てきたわけでもないんだから、真実なんて誰にも分からないわけじゃん。
歴史家が少しでも真実に近づくためにさまざまな生資料(文字記録意外も含む)にあたって、史料批判をし、いまの歴史叙述がなされているわけです。史料(資料)には、いろんな立場でかかれたものがあるので、それだけを鵜呑みにできないという点があり、そういう意味で言えば、たとえば史料が乏しい場合「千何百年も昔のことなんて、誰も
>本当に見てきたわけでもないんだから、真実なんて誰にも分からない」が当てはまるのかもしれませんが、その史料が歴史の一側面を表す材料であることには、かわりありません。
 もっとも新資料(史料)が見つかって定説などが覆ったりすることがありますが(それで、おっしゃるような考え方になられたのは理解できますが)、歴史家が何が真実、史実であるか研鑽することは否定できないのではないでしょうか。

>自分が信じたい通りに信じてたらいいんじゃないのかなとか、思うんだけど。う〜ん、これこそ暴論かな(笑)
 たとえば史料が乏しい段階で、また人類学が発展する前段階で社会進化説や弁証法を基盤に19世紀に築き上げられた「マルクス主義」が20世紀の後半まで世界中に荒れ狂ったわけです。信じたいように特定の歴史観を信じた結果です。
 ご存知のように、すべての文明や文化がヨーロッパのように「進化」するわけではないし、資本主義が必ずしも社会主義に「進化」発展するわけではありません。
いま、信じたいように歴史を信じることがひとつの流行になっているようで非常に気をつけなければと思います。


横からすみません 投稿者:コージ  投稿日:10月31日(木)06時16分52秒

 どうも、中国関係でいろいろ検索して、こちらにたどり着きました。はじめまして。
 管理人様、エリス様。
 中華史伝の方との関連でも思うんだけど、結局、そんな千何百年も昔のことなんて、誰も本当に見てきたわけでもないんだから、真実なんて誰にも分からないわけじゃん。
 自分が信じたい通りに信じてたらいいんじゃないのかなとか、思うんだけど。う〜ん、これこそ暴論かな(笑)
 日中戦争の南京事件にしても、何人が殺されたかでなくて、そもそもあったかなかったかなんてレベルで論議が成り立っちゃんだものな〜
 まして唐の時代なんて大昔のこと、誰に分かるの、とか思うんですけど。
 
 あ、ちなみに井沢元彦の「逆説の日本史」は俺も面白いと思いますよ。
 


(無題) 投稿者:perdido  投稿日:10月29日(火)22時41分34秒

NAGAICHIさま>
田中芳樹「タイタニア」は?
スターウォーズのパクリか。ヴァルダナ帝国とか出てくるし....


帝国が成立する必然性 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月29日(火)21時48分11秒

永一@管理人失格です。
なんか自虐的気分です。僕もミーハーなんだけどなあ。(ため息)

ぜんぜん関係ないけど、聖悠紀「超人ロック」とか読み直してました。
トレスちゃんファンだったことを思い出しました。
ヤマキとかナガトとかも好きだけど、やっぱり二次元疑似歴史的にはまっとうな
頑張り屋のトレスちゃんですよ。(^^;)

恒星間宇宙に進出した人類の統一政体についてとかいうのも、考えてました。
せいぜいこれのほか「ファウンデーション」とか「銀英伝」とか「星界の紋章」
くらいしか頭に浮かばないんですけど。(軽いなあ)
やっぱり連邦制(共和制)→帝国→再び連邦制(共和制)ってのは、黄金パタ
ーンなんだろうな。
そういやこのパターンに「スターウォーズ」なんて古典もありました。
エピソード2見て、ローマ共和政→帝政を猛烈に意識してるなと、思ったし。
エピソード4以下で逆に帝国の崩壊ですが、興隆も滅亡もお手軽に一世代ずつ
という帝国っていったい。帝国の存在意義ってなにさ。
アシモフもローマがモチーフでしたか。
欧米では帝国といえばローマにならざるをえないんでしょうか。

やはり恒星間帝国が成立する必然性みたいなものを説明できない物語は、疑似
歴史としてはダメなんだろうなあ。


こちらこそ申し訳ない 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月28日(月)21時17分50秒

>エリスさま

うちが迷惑ってことはありませんよ。
こちらもお客に気をつかわせたところがあるかしらんと反省することがよくありま
すし。

エリスさんの書かれたことは、暴言とかジョークとかと思わなかったんですけど。
(タチの悪い暴言とかはネット上にいくらでも見られますが、それに類するもので
はないと判断してますし。実際まずかったら、僕は即削除してます)

意見とか方向性とかで一致しない部分はあるでしょうし、それは仕方ないんです
が。うちのほうでいろいろ言葉がキツいところがあったのは、お許しください。
僕もディベートはへったくそなんですよ。
日本は欧米みたいなディベート教育もないし、大陸みたいな自己主張の強い文化で
もないので、実社会ではけっこうなあなあの馴れあいの対人関係でやっていてスト
レスためこんでるところがあります。顔の見えないネットでは、議論の技術もマナ
ーも知らぬまま、ハメを外して自己主張したいぞとか、いやそれでも気を使うとこ
ろは配慮すべきだとか、意外とここでも悩んでたりするんですよね。

まあ、掲示板の管理人としては、意見の違いが全人格的対立になったりしないよう
調整役になるのがホントでしょうけど。お客の数が知れてますし、本人が議論に参
加してアツくなってたりするので世話はありません。

んで、歴史のIFについてですが。
僕は歴史のIFは否定しませんし。歴史小説・時代小説も読みたいものはいくらで
もありますし、歴史SLGも昔はそこそこやってたほうです。
某SLGのオリジナルシナリオ(恥)もどこぞで公表していたりしますな。(=_=)

ただ最近、自分が史実志向になっていることはたしかです。
十年前ならさておき、悪食になんでも玉石混淆で読んでみるほどの余暇がないの
ですよ。いまだ半社会人で普通の社会人よりヒマがあるとはいえ。
趣味や娯楽であってもなるべく質のいいものを選んで楽しみたいとかいう訳の分
からない強迫観念に駆られたりしてます。
なにを言ってんでしょうかね。とにかく頭を冷やしてきます。


すいませんでした 投稿者:エリス  投稿日:10月28日(月)10時52分21秒

 すいません、下の「難しいですね」に私が書き込んだことは、全部ジョークです。
 ちょっと調子に乗りすぎたようで、すいませんでした。
 もしよろしければ、削除していただいて結構です。
 どうも、管理人様、ご迷惑おかけしたようで申し訳なかったです。
 これからも、このサイトのますますの発展を願っています。


難しいですね 投稿者:エリス  投稿日:10月25日(金)00時52分03秒

 管理人さま、レスありがとうございます。

 井沢元彦氏の本について

 私個人が知識に欠ける点が多々あるので、正確な論評は出来ないです。しかし、「逆説の日本史」の最初の1・2巻の古代史辺りからもう、「想像(妄想?)突っ走ってるなあ〜」という感じはしていましたので、まあ、小説読む気分でいようかな、と思いました(笑)基本的には、下の書き込み、「井沢氏は面白いのですが(笑)」の一神教にかんする例えに書いたとおりの極論(しかし真理の一部は含まれている)と、根拠が薄いのに、断定的に自説を展開する傾向があるような気がいたしますね。とりあえず、戦国時代にお詳しいということならば、9巻あたりだけでもお読みになって、だめならばそれ以上は読まなくてもよいのではないでしょうか。そこに、あの、「毛利元就は「寄らば大樹の陰」とは正反対の生き方をして成功した英雄」という論が出てくるわけですが(笑)

 歴史のIF もし話について

 管理人さまの書いておられることは分かります。しかし、です。
 いわゆる戦略シュミレーションゲームなどは・・・(笑)まさに机上の空論と想像の中ですよ(笑)それで自分の好きな戦国武将に天下を取らせてみたりする。実際の歴史ではありえなかったことを実現させるわけですね、架空空間の中で。そうしたからといって、「こうしていたら良かったじゃないか」とその贔屓の武将を「批判」しているわけではないですよね。
 「歴史に、もし、は許されない」などという言葉もありますが。やはり、言ってみたくなるのですよね。別に裁くつもりはないのです。実際に自分がそこにいたら、歴史に名を残すどころか、その他大勢の一人として、戦乱その他に巻き込まれて終わり、が関の山だったろうなあ、と言う思いも当然あります。それでも、いやそれだからこそ、なんとなく言ってみたくなるのですよね。
 鹿角さまの「昭和の軍人以下」は、もともとの書き込みを見れば、決して本気でなく、冗談のつもりの書き込みだということはあの文面から十分読み取れると思います。正直なところ、私もモンゴルよりははるかに高麗に肩入れしたくなるので、鎌倉武士が高麗を助けてモンゴルと戦っていたら、というのはなかなか心楽しい想像ですね。

 未来を予測するのが困難だというのは全く同意です。そのことは歴史を見るうえで、常に頭に入れておくべきことですね。

 鹿角さま、レスありがとうございます。

 そうですか、秀吉ですか(笑)ポストは読んだことはないですが、すこしのぞいてみましょうかね(笑)しかし、戦国武将の話面白いです。まさしく、英雄列伝、という感じですね。

 では、ここでひとつ暴言を吐きましょうかね(笑)きっと、反論が、ばしばし来ることでしょうが(笑)歴史上の人物の話に興味を持つとき、人は必ずしも真実を知りたいわけではないのです(笑)心楽しませてくれるような、英雄女傑伝説を読みたいと思ってしまうものなのですね(笑)だから、小説家の妄説や小説のことを全くの真実と思い込んでしまう人、少なくとも、喜んで読んでしまう人がでてくるわけですね。私のように(笑)
 さて、(まだ暴言は続いている・・・笑)個人的には私は李世民の「太原挙兵は全て李世民のはかりごとによる」という説を信じたいです(笑)それから常勝無敗神話を信じたいです(笑)さて、外山軍治氏の「中国文明の歴史5隋唐世界帝国」(中公文庫)によれば、完璧にこれが真実として書かれている。ここに書かれている李世民て本当に素晴らしい。手放しで賞賛できる乱世の名将、治世の名君という感じですね。ちゃんとした学者さんによって書かれたこの様な本が大手出版社から出ている限り、私はこの説を信じるぞ、とね(笑)・・・いや〜〜きっと反感買ったな、これは(笑)
 ちなみに、中華史伝の方でも書きましたが、布目潮ふう氏も1997年に書いた本で、この旧説を決して否定していません。100%の肯定もしていませんが。


気楽にいこう 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月24日(木)20時16分59秒

>エリスさま
>井沢元彦氏の説に真面目になってはいけないのですよ、きっと(笑)

そうなのですか?
読む前から軽々と判断すべきではないのですが、
そういう話を聞くと見つけて読もうという気が萎えます。
僕はトンデモ本批判は好きなんですけど、
じっさいにトンデモ本を読むと腹が立つことのほうが多いので。

>「もしも・・・たら」話は歴史の楽しみの一つと私は考えています。

それは僕も同感ですよ。
この人がこの時こうしていたら良かったのにと思うことは多々あります。

ただ机上の論理と空想の中だけで、「こうしてたら良かったじゃないか」と
いう批判は、わりと安易にできるんですよね。
しかし現実の歴史上の人物たちというのは、当時の社会の諸々の制約の中で
行動しているわけで。それなりに最善を尽くしてたりもするわけです。
真面目なシミュレーションってのは、史実をなぞることより実は難しいこと
なんじゃないかとも思うのですよ。

こうやって気楽にやるぶんにはぜんぜん構わないんですけどね。
ただ現実の学問でも、このへんさして変わらないのかもしれません。
過去を詮索し、現状を分析することはできても、未来を予測することは実に
困難だというあたりで。

>鹿角さま
>昭和の軍人達は(負けてしまったけど)
>硫黄島が落ちたら終わりだという意識はあった

本題でない前振りから合わなくて申し訳ないんですが、
「硫黄島が落ちたら終わり」なんて昭和の軍人が考えてたんでしょうかね。
軍部が敗北を認めたのは、ソ連の参戦がきっかけと今では言われてます。
(一昔前は広島の原爆とも言われてましたが)
それでもなお終戦の直前に、本土決戦を主張する一部の軍人がクーデター寸
前のさわぎを起こしてます。
「硫黄島が落ちたら終わり」と思ってあきらめてたなら、沖縄戦もなかった
し、広島・長崎もなかったでしょうけどね。

>鎌倉幕府はその努力すらしてないということをいいたかった訳で・・・

こちらが本題ですけど。
そうですねえ。鎌倉幕府は海外の情勢の変化に鈍感であったとは思います。
でも昭和の軍人以下ですか。うーん。

>sigenさま

諒解しました。リンク先アドレスを変更しておきます。


(無題) 投稿者:鹿角  投稿日:10月22日(火)09時20分16秒

>エリス様
レスどうも有難うございます。
ポストでは信長篇終わって秀吉篇ですね。
相変わらずトンデモ説をとばしてますけど(^^;)
突っ込む気力はもうありません・・・

>管理人様
自説を言わず引っ込めたままだと消化不良をおこしちゃいそうなので
お言葉に甘えて言っちゃいます。
鎌倉幕府が昭和期の軍人以下と言ったのは
昭和の軍人達は(負けてしまったけど)
硫黄島が落ちたら終わりだという意識はあった
精一杯やってそれでだめなら仕方ないといえますが
鎌倉幕府はその努力すらしてないということをいいたかった訳で・・・
もっと前にいえばよかった・・・(;_;)


突然すみません(汗) 投稿者:sigen@中国の王朝達管理人  投稿日:10月21日(月)18時49分20秒

 お久しぶりです。中国の王朝達のsigenです。ホームページ移転しましたので、ヒマな時に、リンク先変更よろしくお願いします。
 http://isweb46.infoseek.co.jp/novel/tyuugoku/です。


管理人帰る 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月21日(月)00時30分49秒

管理人です。
山陰(というか中国地方を大回りしてきた感じですが)から帰ってきました。
ほぼ一年ぶりに趣味の世界にどっぷりつかった旅でした。

16日(水)
松山→柳井→防府《毛利博物館→周防国分寺→防府天満宮》→萩泊
17日(木)
萩《松陰神社→伊藤博文旧宅→東光寺→吉田松陰歴史館→萩史料館→萩焼資料館→萩城跡→旧厚狭毛利家萩屋敷長屋→天樹院→口羽家→高杉晋作旧宅→木戸孝允旧宅→萩美術館浦上記念館》→出雲泊
18日(金)
出雲《出雲大社→日御碕》→松江《フォーゲルパーク》→松江泊
19日(土)
松江《松江城→松江郷土館→小泉八雲記念館→小泉八雲旧宅→武家屋敷→堀川地ビール館→八雲立つ風土記の丘》→倉敷泊
20日(日)
倉敷《大原美術館》→岡山《岡山市立オリエント博物館→岡山城》→松山

以下は、雑把な感想ですが。
防府の毛利博物館はまあまあ。
萩の吉田松陰歴史館は、650円と値段高めの蝋人形館だったんですが、これが不気味。ここのパンフの記載はなんとも爆笑ものでした。(いや詳しく紹介したいところです)
萩史料館・萩城跡はイマイチ。城下町のほうでは、毛利家臣や維新人傑関係でいろいろあって面白かったですが。
萩美術館浦上記念館では、李朝陶磁の特別展をやってました。なかなか勉強になりました。
出雲大社・日御碕は、ゆっくり回ってきました。出雲大社には国宝・重要文化財級のものがごろごろしてたし、日御碕灯台は高さ日本一のものらしいですが、163段の狭くてキツい螺旋階段には参りました(ぐったり)。
松江フォーゲルパークは1500円と高めでしたが、意外と面白かった。鶴が目の前を横切ったりとか、鴨にエサやってみたりとか。
松江城は、城の中ではいちばん良かったですよ。真田幸村が松平直政に投げよこした扇とか、後藤又兵衛の具足とか、ええ見惚れておりました。
風土記の丘は、ちとトラブルもあって不満。でも荒神谷の銅剣や加茂岩倉の銅鐸や「額田部臣」が見れたのはまあ良し。
倉敷の大原美術館は濃かったです。本館の最初のほうの西洋絵画の展示はじつに見応えがあった。本館の後のほう&分館の抽象絵画はさっぱり理解できなかったけど。あまりに濃厚すぎて工芸館あたりではバテてしまって飛ばして見てました。東洋館ではまあ復活。やっぱり(趣味の)本業の部分ですからね。目を皿にして見とかないと。
岡山のオリエント博物館は特別展で古代イラン展をやってたんですが、イマイチ物足りず。まあ青銅剣の芯に鉄が入ってるってのは面白かったですが。でも常設展のほうが質がいいという話もあり。
岡山城も不満。三大仇討ち話の展示なんかやられてもなあ。って、自分の興味から言ってるだけなんですが。

今回の旅は失敗も多かった。
防府で乗る予定の萩行きのバスに置いて行かれてしまい、一時間半も空しく待たされたこと。
風土記の丘で案内図にだまされて、二,三キロは余分に歩かされたこと。
岡山で雨に降られて(傘もってなくて)往生したこと。
なんか下らんミスを重ねてます。昔より退歩してますね。

掲示板もレスがたまってますが、失礼させていただきます。


井沢氏は面白いのですが(笑) 投稿者:エリス  投稿日:10月18日(金)21時02分03秒

鹿角さま、レスどうもありがとうございます。

>スローガンだけ唱えてもどうしようもないということを井沢さんは言いたいのかなーと思います。

 確かに、そういう面はあると思います。しかし、表現の仕方が過激というか、極端な感じはしますね。そこが魅力でもあるのですが。
 例えば、キリスト教やイスラム教について、「一神教は自分たちの信じる唯一の神のみを絶対と信じてそれを他者にも強制し、従わないものは場合によっては殺してもかまわないというとんでもない教えである」と説明したとしたら、それはあまりにも一方的で極端なものの見方ですし、はっきり言って信者に失礼だと思います。しかし、一神教にそういった一面がまったくないかというと、そうとも言い切れない部分があるわけですよね。過去の歴史においても、現代でも。どんなに優れた教えでも、それを実行する人によっては大変なことになってしまうし、思想の一面だけを取り出して全体を理解しない人というのは、いつの時代もいたわけですから。
 しかし、朱子学を宋の知識人の負け惜しみの産物とする説は、井沢氏だけでなく、他のところでも良くみます。いずれまた引用してみたいと思います。

>江戸幕府ってどうよということになってしまう・・・

 「恨の法廷」てすごかったですね(苦笑)井沢氏は基本的には右派寄りの人だとは思うのですが、わりと自国のことも悪いことは悪いというし、他国のことも良いところは認める、という点ではバランスが取れているので、その点では良いと思うのですが、これは少し一方的かな、と思いました。確かに、朱子はすごいことになっていました(笑)最後には「日本も朱子学の悪い影響で半島に皇民化教育を押し付けてしまった」ということも書いていたので、基本的には日本が朱子学を受け入れたことも良いことと思っていないかもしれません。江戸幕府についてどのように書くのかは、「逆説の日本史」の巻数が進むのを待つしかありませんね(笑)



やはりトンデモ? 投稿者:鹿角  投稿日:10月18日(金)11時09分25秒

>エリスさま
井沢さんにやれ負け犬の遠吠えだの何だのと
朱子学は散々な言われようですが
好意的に考えてみるとスローガンだけ唱えてもどうしようもないということを
井沢さんは言いたいのかなーと思います。

しかし負け犬の遠吠え的学問といいますが
それじゃ朱子学を有り難がってる江戸幕府ってどうよということになってしまう・・・そういや「恨の法廷」にでてきた朱子はやな奴だった
これは井沢さんの見た朱子だから仕方ない(^^;)


井沢氏はやはり小説家だな(笑) 投稿者:エリス  投稿日:10月16日(水)23時14分23秒

管理人さま、レスありがとうございます。
 
 井沢元彦氏の説に真面目になってはいけないのですよ、きっと(笑)これはきっと笑うためのものなのです(笑)しかし、面白がって頂けてよかったです(笑)

 perdidoさま、七つの大罪、調べていただいてありがとうございます。私はちゃんと聖書を調べたことはなかったです。それにしても、映画「セブン」は力作でした。

 鹿角さま、レスありがとうございます。

 「もしも・・・たら」話は歴史の楽しみの一つと私は考えています。気軽に話題にしていいのではないかと思えるのですが。近現代史ともなれば、ジョークの種にするのも少々憚られる場合がありますが、元寇ぐらいなら大丈夫でしょう。私も生半可な知識でいろいろ書き込んでますから(笑)
 しかし、確かに、日本が海に囲まれた島国であることは、元寇のときに限らず、日本と大陸、半島の関係を考える上で、重要な要素だと思います。


 他にも、いろいろ、面白そうな本を見つけたので、またご紹介して笑いのタネにしたいな、と思います(笑)


管理人不在のため 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月16日(水)06時29分34秒

今日(16日)から、管理人は山陰のほうに行ってます。
20日に帰ってくる予定です。
その間、掲示板の管理ができませんし、レスもつけられませんので。m(_ _)m
管理人がいない間でも、度を過ごさない範囲で自由に使ってください。


>鹿角さま
>どっちにしてももっと客観的になってから

いや、主観的な意見でけっこうじゃないですか。
元寇については、まだ基本的な部分で通説が固まってない気がします。
僕も固まりきらないまま、言いたい放題言ってるだけなんで。
遠慮しないでくださいな。

>だって卑弥呼を暗殺したのはギ王朝だなんていってるから・・・

いや、なんというか、藤原カムイの漫画ですか?

>やりたい放題の洪武帝が倭寇となると生前には解決できなかった。

そのころの倭寇の活動は、朝鮮半島が中心でしたから。
中国大陸に手を伸ばしても、山東か江蘇の沿岸あたりまでで。
本腰を入れて取りかかるべき深刻な問題ととらえていなかったのでは?

>エリスさま
>「朱子学とは、蛮族と蔑んでいた北方異民族に軍事的に完敗した宋のインテリが、悔し
>紛れの負け惜しみに考え出した、一種のヒステリーである。

僕もさほど朱子学に興味を持てないし、知ってもいないんですが、
おっしゃるところの井沢説は、あまりにも雑な定義だろうと思います。
朱熹の思想の名分論の部分だけを取りあげて、蛮勇をふるって裁断すれば
そんなことも言えるのかなあ??
哲学としての朱子学をまるっきり無視した見方といいますか。
せめて太極とか理気二元論とか居敬窮理を分かりやすく解説して下されば、
僕も信用するんですけどね。

>なぜなら朱子学では名君でなく、部下や民を思いやる心のない不徳の君に報われない忠義
>を捧げることが忠臣の証と考えているからで、

どこの朱子学者がそんなこといったんですか?
「君、君たらずとも、臣、臣たれ」とかいう日本の武士思想を曲解したのかしら。
朱子学は孟子あたりの易姓革命思想を否定していないように思うんですが。

>しかし井沢氏の文章の方が面白いんだよな(笑)

紹介してくださったところは、ずいぶん面白かったです。(^^;)

>perdidoさま
ヨハネ黙示録まで挙げてくださってありがとうございます。

映画などで耳なじみがあるのは、エリスさんが最初に挙げてくださった7つなん
ですけど。これも訳しかたの違いでしょうね。

洋もの映画を見ていると、よくキリスト教に対する過剰なまでの意識を感じます。
正統的な教義を嘲弄するようなテーマの映画ですら、そうなってるんで。
「神は死んだ」と言いつつ、そこにキリストがいる、という感じです。
やはり文化の深いところで、根づいてるんでしょう。

知識として分かっても、実感として分からないというのがあるわけで。

例えば中国のことを理解したいと思っても、日本にいる人間が本当に理解できる
のか?という根本的疑問にとらわれることがあります。また現地にいったところ
で本当に理解できるか?とか。
文化人類学者が最初にぶつかる壁らしいですけど。
歴史屋の立ち位置ってなんでしょうね。
現代(いま・ここ)の価値観で過去を裁断すること?
それともあくまで現地本位でなくてはいけない?


七つの大罪(pt.2) 投稿者:perdido  投稿日:10月15日(火)22時11分28秒

自由国民社の『故事名言・由来ことわざ総解説』には、
傲慢、貪欲、邪淫、嫉妬、貪食、憤怒、怠惰
とありました。
「物欲」と「貪欲」、「貪欲」を「貪食」と言い換えてるようです。


すみません(汗) 投稿者:perdido  投稿日:10月14日(月)15時40分01秒

すみません(汗)。黙示録のは、8つになってますね。あわてててすみません。


七つの大罪 投稿者:perdido  投稿日:10月14日(月)15時37分19秒

最初、黙示録の21章8節が思い当たったのですが、
「臆病者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、全て偽りを言う者ものどもの受ける分は、火と硫黄と燃える池の中にある。」
でちょうど七つなので…
でも、全然違うみたいなので、ネットや辞典で調べたところ、
傲慢、物欲、色欲、ねたみ、貪欲、憤怒、怠惰(もちろん表現や順番は、微妙に異なりますが)でした。
 もともとの出典は、マタイ、ヨハネ、ルカの福音書やコロサイ人への手紙3:5〜10など複数で、カトリック教会が完全数七にあわせて引用したものと思われます。
コロサイ人への手紙3:5〜10
「不品行(性的悪徳)、汚れ、情欲(感覚的欲望)、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像崇拝なのです。・・・(中略)・・・怒り、憤り、(他人への)悪意、そしり(のろい、中傷)、あなたがたの口から出る恥ずべき言葉(唇から出る口汚い悪口)を捨ててしまいなさい。互いに偽りを言ってはいけません。」(新改訳聖書、詳訳聖書)
コロサイ人への手紙からは、怠惰、傲慢が抜けてるようですが、最後のそしりとか悪口なのでしょうか。そこまでは確かめてません。
 一方で、七つの主要な徳として、賢明、正義、剛毅、節制といって自らの反復行為によって獲得される枢要徳と、純然たる神からの賜物である信仰、希望、愛(対神徳)があるとしています。


朱子学についての井沢説 投稿者:エリス  投稿日:10月14日(月)11時25分25秒

 管理人さま、レスありがとうございます。
 
>日本の南北朝
 大丈夫です、お分かりになるところだけで充分すごいですから(笑)
 「逆説の日本史」だけでなくあちこちで、井沢元彦氏は朱子学についてかなりみそくそに書いていますね。要するに、こういう意味のことを書いています。
「朱子学とは、蛮族と蔑んでいた北方異民族に軍事的に完敗した宋のインテリが、悔し紛れの負け惜しみに考え出した、一種のヒステリーである。自分たちは軍事、力でこそ負けたが、文化や知性では負けてはいない、と頑なに中華思想に凝り固まり、外国(=蛮族)のいうことなど一切聞かないし、学ぶべきことも、自分たちと異なる文化を認めることもないという、とんでもない教えである。そしてこのような教えのために朝鮮半島は近代化できず、これをゆがんだ形で受け入れた日本も、相手の迷惑顧みず、皇民化教育を半島に押し付ける羽目になったのだ。そして半島も日本もこの様な朱子学という間違った教えの悪い影響から早く抜け出して真の友好を築くべきである」
 おお、今日の日韓の友好を妨げているのは朱子学ですぞ!
「後醍醐天皇は朱子学の影響で日本を戦乱の巷に巻き込んだとんでもない天皇である。朱子学で帝王に必要とされる徳もないくせに。朱子学の影響を受けた「太平記」では楠正成は真の忠臣で、彼が仕えた後醍醐天皇は不徳の君として書かれている。なぜなら朱子学では名君でなく、部下や民を思いやる心のない不徳の君に報われない忠義を捧げることが忠臣の証と考えているからで、この意味でもとんでもない思想なのである」
 おお、光武帝や唐太宗に仕えた人たちは皆、朱子学では忠臣ではありませんぞ!
「このとんでもない思想(朱子学)にかぶれた不徳の君である後醍醐天皇を、足利尊氏は彼に受けた恩など無視して島流しにするべきだったのであり、ついでに自分の弟も後の争いの種を摘むために殺しておくべきだった。この様な非情な決断の出来ない尊氏は幕府創設者のなかでも、頼朝や家康に比べて政治家として劣っている」
 個人的には後醍醐天皇に関する評価だけは同意できるのですが(笑)

>七つの大罪
 そう、これの元はキリスト教ですね。傲慢、嫉妬、激怒、大食、強欲、色欲、怠慢、だったと思いますが。
 すずめさんの日本古代史サイトは見たことがありました。いや、しかし井沢氏の文章の方が面白いんだよな(笑)それが問題なのですよね、きっと。

 宣和堂さま、レスありがとうございます。

>司馬遼太郎
 ここまでビックネームになれば、勝てば官軍、状態ですね。「三国志演義」にしても。
 田中芳樹氏もどんどん話を書いてビックネームになればいいのですね。私はそれでも田中氏に光武帝や唐太宗を書いて欲しいですね。田中氏は唐太宗を好きな(興味のある)世界史の人物ベスト5に上げていたそうですが。陳舜臣氏の「中国の歴史」をこの方読んでいらっしゃるのですよね。それでこの評価なら充分です(笑)


いかん つい私情が・・・ 投稿者:鹿角  投稿日:10月14日(月)11時05分37秒

>管理人さま
三別抄絡みになるとついつい私情にはしってしまう・・・
ご指摘有難うございます。
どっちにしてももっと客観的になってから
意見をいった方がいいのかも・・・
って以前反省したことまたくりかえしてしまったなー(-_-;)

>エリス様
私の拙い意見をフォローしてくださってすいません。
井沢さんの意見を以前はトンデモだと笑っていたんですが
(だって卑弥呼を暗殺したのはギ王朝だなんていってるから・・・
東海の小国に手出ししてどんな利益があるの?)
でも蒙古軍が敗北したのは日本が半島と陸続きでなく
海があったからだという指摘には一理あると思えたので
「少し信用してもいいかなー」と思ったのが間違いのもと(^^;)
でもこの部分は村井章介氏の「アジアの中の中世日本」を
多分参考にしてると思う。
村井さんは井沢さんほど手ひどく幕府を批判してませんが
オブラートにつつんだ中にもさりげなく批判してるのがわかる文です。
三別抄と日本だけの関わりじゃなくて
洪武帝と懐良親王との交渉も掲載されていて
やりたい放題の洪武帝が倭寇となると
生前には解決できなかった。
日明が安定するのは永楽帝の時代まで
待つ必要があったというのがよくわかります。


いい加減 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月13日(日)22時10分42秒

中国書をネットで買うなら「書虫」だと思ってたんですが、
http://www.frelax.com/sc/index.html
さいきん「東方書店」のネット通販の価格も安くなってるような気がします。
http://www.toho-shoten.co.jp/
正史の価格とか調べてて思っただけなんで、実際どうか使ってみないと分かりま
せんが。
ええと、ぼかぁ回し者ではありませんので、よくよく調べてからお使いください。

>エリスさま
>次は南北朝時代からネタを持ってきましょうか(笑)

いや日本の南北朝持ってこられても分かりませんから。
日本史は知識に偏りがありすぎてダメです。
中国史知識がバランス良いわけじゃ決してないですが。

>あなたが元就の立場だったら、どちらの被官(家来)になることを選びますか?

いやあ、僕だったら趣味で尼子に。(爆)
新宮党国久とかと仲良くしたいなあ。(^^;)
単純に勢力の大きさから考えると大内につくでしょうけど。
尼子が山陰で台頭できたのは、京極や山名といった旧守護勢力が衰退したことと
大内が九州で小弐や大友との争いに手を取られてる間に、石見銀山とかをかっさ
らえたことなどの要因もあるんですよね。経久個人もすごい人だけど。

「被官」という言葉を軽く使われるのも、多少違和感あります。
被官(家臣)というには、大名家の私的な職官をもらって、参勤してることが条
件になると思います。
元就は尼子や大内に従属していたことはあっても、どうもさほど参勤していたよ
うには思えません。むろん軍役にはついてましたが。
大内に従属してからも、山口に参勤してたのは、息子の隆元でしたし。
戦国大名が自領にへばりついてる国人・豪族たちを被官化(家臣化)していくと
いう流れを見てないのでは?

>「井沢元彦 七つの大罪」というコーナーを作るべきですぞ!

作れません!
まず本を読まなくちゃいけないし、それより問題は日本史全般の知識がないので。
井沢元彦批判というと、↓のようなのがありますね。古代史だけみたいですが。
http://member.nifty.ne.jp/suzumei/suzume.htm
あと2ch日本史板にもスレありました。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1013403328/

閑話休題
「七つの大罪」というと、以前の宣和堂さんとこもありますけど、
映画「セブン」「ハンニバル」のほうが元に近いんでしょうね。
キリスト教の七大罪ーって、具体的には忘れましたが。
ええ、七人目の犠牲者が犯人自身とか、
レクター博士がメスで綺麗に頭蓋を外して脳味噌をムシャムシャとか、
えっ違う?

>宣和堂さま
>元就も宇喜多直家や松永久秀とあんまりかわらん気もしますが…

宇喜多 = 浦上→自立→毛利→羽柴(豊臣)
松永  = 三好→織田→自立したり織田家に戻ったり→茶釜と一緒に燃えたり(-_-;)
ですね。え〜と、たしかに主家を乗り換えて勢力伸ばしてるのはおっしゃるとおり。
宇喜多が備前一国、松永が大和半国、毛利が中国地方の大半とかいうのは別として、
毛利氏と宇喜多・松永氏はいちおう戦国大名の性格づけでは区別されてます。
毛利氏は国人一揆の盟主からのし上がった戦国大名で、
宇喜多・松永氏は大名の被官からのし上がった戦国大名というふうに。

>まあ、李成梁が悪いんだけど。

「貴、極まりて驕り、奢侈、度無し」…ですか。
いや、それ以前にヌルハチの祖父・父を誤殺したことが悪いですか。

>むしろ雑賀党みたいにいい加減なところの方が好きだなぁ…。

一向一揆もけっこういい加減ですが…。
加賀の一向一揆と能登の一向一揆が仲が悪くて、合戦してる、とか。
一向一揆が必ずしも本願寺の統制を受けてたわけではない、とか。
神田千里『信長と石山合戦』(吉川弘文館)とか昔読んで惚れたんで。


確かに…… 投稿者:故宮の番人・宣和堂  投稿日:10月12日(土)23時28分53秒

永一様
>戦国大名の中で毛利元就ほど主家を乗り換えながらうまく勢力を伸ばした大名は
いないと思うんですがね。
 大内は由緒正しき守護大名、尼子は新興大名ですからねぇ……。元就も宇喜多直家や松永久秀とあんまりかわらん気もしますが…まあ、勢力範囲が違いますかねぇ…。

>ヌルハチの台頭は秀吉の朝鮮出兵にかなり助けられてはいますね。
 秀吉の朝鮮侵略によって生じた東北の軍事的な空白が、ヌルハチの領土拡大に貢献したことは確かですよね…。でも、李成梁が失脚しなかったらヌルハチも明に対して軍事行動起こせなかったでしょうに…まあ、李成梁が悪いんだけど。

>一向一揆
 自分は出身大学からして西本願寺大学ですから好きは好きなんですけどねぇ…。むしろ雑賀党みたいにいい加減なところの方が好きだなぁ…。

エリス様
>井沢元彦 七つの大罪
 まあ、井沢元彦じゃしょうがないなぁ…。でも日本史はいくらでも良書が出てるからいいんじゃないですか?司馬遼太郎の方が罪は深いでしょう。井沢元彦と比べるのもおこがましいけど…。司馬遼太郎のフィクションてそれなりに多いんですが、頭から信じ込む人が多い点では歴史物の小説で読者が最も多い人でしょうから、混乱は大きいのでは?


いえ、どんどん暴走してください(笑) 投稿者:エリス  投稿日:10月12日(土)02時29分32秒

 管理人さま、レスありがとうございます。

 六角氏について
 「逆説の日本史9」織田信長のところにも影も形も出てきませんが(笑)
 佐々木道誉の子孫ですか。私は道誉好きです。南北朝時代のばさら大名っていいですね。では「逆説の日本史」、次は南北朝時代からネタを持ってきましょうか(笑)きっと管理人さまが呆れ返るようなことが書いてありますから(笑)

 毛利元就について
 本当にそんなこと書いていますね。
「逆説の日本史9」のP238に、こうあります。
「では、あなたが元就の立場だったら、どちらの被官(家来)になることを選びますか?尼子か大内か答えは明らかだろう。「寄らば大樹の陰」である。この諺が大嫌いだという人でも、いざ元就の立場に立ったら、まず間違いなく尼子を選ぶだろう。自分だけではない、両親や妻子、一族の者、家来たち、すべての命運がかかっているのである。ところが、元就は尼子を選ばず大内を選んだ」
 いや、さすが小説家、話のもっていきかたがうまい(笑)一応、ちゃんと、毛利、尼子、大内の初期勢力図も載っています。いや〜元就って英雄だな〜と(笑)

 管理人さま、ここは是非、「井沢元彦 七つの大罪」というコーナーを作るべきですぞ!(笑)(宣和堂さま、失礼いたしました)

 元と清について
 すいません、横レスします。
 その元寇について、「鎌倉幕府は大陸や半島の動向をよく把握しておくべきだった!」と批判しているのは井沢元彦氏なのです。鹿角さまは、あくまでその説にそって話をされているだけだと思います。
 井沢氏は「逆説の日本史6」で、「元軍の日本上陸を防ぐため、先んじて半島へ出兵すべきだった」と述べています。清と鄭氏についてどういう意見を出すかはまだ本が出ていないので分かりません。元寇のときの鎌倉幕府の対応について、井沢氏がどのような意見を持っているかは実際に本を読んでいただくしかありませんが(図書館で借りたので今手元になく、引用できません、失礼)どちらにしても鹿角さまになさった批判は、むしろ、井沢氏本人に、手紙でも送りつけるしかないと思われますが。
「いい加減なものを書いているんじゃねえ〜〜この野郎〜!」

 田中芳樹氏の中国ものより売れている分、より罪が深いかもしれませんね(笑)しかもこれ週刊誌連載みたいですね。「週刊ポスト」(小学館)に連載したものを再構成、とあります。
 信長のことは他の本で調べるとしましょう(笑)しかし!面白いことは確かです。小説家の妄説が蔓延るのは、やはり語り口が面白く、人をひき付けてしまうからですよ。人は英雄の話が大好きなのですよ。あれこれあら探しに勤しんでいる真面目な研究者のいうことなんか、本当は聞きたくないのですね(笑)つまらないから(笑)


訂正 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月12日(土)01時14分18秒

ごめんなさい。郡山合戦は天文九年から十年にかけて(1540-41)でした。m(_ _)m

全然話は違いますが、
岳南『秦始皇帝陵の謎』(講談社現代新書)とか読みながら、
そういや兵馬俑博物館で楊志発さんのサインをもらったことあったなあ〜
とか思い出してました。
実物をいちおう見てる人間には楽しめる内容であります。


暴走注意報 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月12日(土)00時05分46秒

日本の戦国時代の話をはじめると、昔取ったきねづかで暴走しちゃうのよね。
一昔前は中国史より詳しかったくらいで。
信長というと、こないだ『武功夜話』の偽書説とかでてましたねえ。
生駒屋敷の吉乃ちゃんとか嘘なの??

>エリスさま
>六角氏?ちゃんと名前も残っていないんだ?楽市をはじめた人なのに?

天文十八年(1549)十二月、六角定頼が石寺の新市を楽市としたのがはじめ
ですよ。

南近江の六角氏もねえ、永禄十一年(1568)に信長の上洛ついでに
わずか二週間で踏みつぶされちゃったもんだから、
弱小大名のイメージがしみついてるんですよね〜。
六角氏(佐々木氏)は『太平記』のバサラ大名・佐々木道誉の後裔です。
戦国初期には幕府・細川らに喧嘩売るくらいなかなか粋な大名だったのに。
義賢のころには、見る影ないくらいに落ちぶれちゃいまして。
佐々木源氏の惣領、観音寺城に散る!(って、そこじゃ死んでないつうの)

>一言で言うと「寄らば大樹の陰」とは正反対の生き方をして成功したからですね。

あイタタタタた、本当にそんなこと書いてるんですか?
戦国大名の中で毛利元就ほど主家を乗り換えながらうまく勢力を伸ばした大名は
いないと思うんですがね。
元就が兄興元の子幸松丸を後見していたころ(1516-)は、毛利氏は大内家に従属
していました。大内方として、尼子方についた安芸守護武田元繁と戦ったりして
ます。
大永年間(1521-27)ころには、尼子方につき鏡山合戦(1523)とかを戦っています。
のち大内方の安芸侵入がつづき、安芸国人の天野興定が攻められるなんてことも
起こったため、享禄元年(1528)に元就は大内義興に服属します。
ここがおっしゃるところの「弱小の大内に味方し」なんですが、
大内のどこが「弱小」なんだと言いたい。
だいたい大内氏は山口が本拠ですが、周防・長門はもちろん石見・豊前・筑前
を版図とし、全盛期には安芸・備後・肥前あたりまで勢力圏としてます。
戦国初期(応仁・文明のころ)の山名氏に代わって、戦国中期における西国の
代表的な大名であり、畿内・四国に勢力を張った東軍(幕府)の細川氏と張り
合えた唯一の大大名です。海上貿易でも有名で、寧波の乱(1523)とか起こして
たりするのは、少し中国史ともからみます。

元就が「寄らば大樹の陰」で大内にすり寄ったからこそ、尼子詮久(晴久)の
安芸侵入があって、天文八年(1539)の郡山合戦で尼子軍に大勝して撃退すると
いう快挙があったわけですよ。

>鹿角さま
>日本に対してある意味領土的野心が元には感じられるのに対して
>清の場合には全くそれが感じられないし・・・

それって、歴史を知ってるからこその後知恵でしょう?
なぜ当時の鎌倉幕府の為政者が蒙古襲来は確実であることを知り、
それを防ぐ対策として耽羅(済州島)に出兵することがふさわしいと
結論されるのでしょうか?
またなぜ徳川幕府の為政者が清は日本に攻めてくることはないと知り、
鄭氏政権を救うために出兵する必要はないと結論されるのでしょうか?

秀吉とヌルハチは共同戦線を組んではいませんが、ヌルハチの台頭は
秀吉の朝鮮出兵にかなり助けられてはいますね。
海西女真が次々とヌルハチに討たれていくのに、明朝は朝鮮に手を取
られて有効な対策を打てませんでした。


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