枕流亭総合掲示板過去ログ25(2003年1月4日〜2003年2月17日)



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戦国史 投稿者:太白  投稿日: 2月17日(月)20時16分23秒

なんか面白そうなのでDLしてみました。
いろんなシナリオがあるんですね。リンクを辿って幕末とガンダムのシナリオもDL。
戦国時代(先秦時代)のシナリオとかないのかなー? 七雄の興亡とか面白そう。


溜めてすみません 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 2月16日(日)22時14分30秒

>中野英夫さま
>でも、恋文を他人に訳してもらうという神経は私にもわかりません。

やっぱり?
って、こんな茶々入れて、ご本人はともかく日本人の旦那さんによもや聞こえたりは
しないでしょうな。(-_-;)

>そういえば、亡くなる直前、彼も「西洋の近代的思考=主観−客観図式を突破するには、
>東アジアの主客合一の思想を見直すべきだ」

哲学も東洋思想も分かっていない若輩ものなもので、全く当て外れかもしれませんが、
「近代の超克(小林秀雄図式)」にでもハマってたんでしょうか?
なんかイメージちがうんですけど。

>コルテスさま
>さて、もし永一さんにご興味がおありでしたら、

興味はありありですけど、本気でやるなら二、三カ月は要ります。
今は隋唐で手いっぱいかなあ?
ま、そのうち考えますです。

>・399年シナリオにおける北府軍、西府軍の幹部の武将

これは、
吉川忠夫『劉裕−江南の英雄 宋の武帝』(中公文庫)←絶版につき復刊運動中
が、いくらか役に立ちそうな気がしますけど。
でもやっぱ正史・通鑑を読みこまないと、だめでしょうね。
あと『中国歴史地図集』とか『中国歴史大辞典』とかの工具書も。

>候景の乱シナリオにおける梁の藩鎮

またまた吉川忠夫『侯景の乱始末記』(中公新書)←これも復刊運動中
が、…(同上)。

>・五大十国シナリオについては、手元に適当な資料がない

残唐五代は、僕は時代のイメージすらつかんでいないので、ディーテール以前の
問題です。いちおう『新唐書』『新五代史』は持ってますけど。
だいぶ前に南漢を調べて、文章化したことがありますが、途中で投げました。

>ところで永一さんは、生まれも松山ですか?私も実は愛媛出身です。

産まれたのは、母親が帰省中だったので、北宇和郡某町なんですが…正確には。
やっぱ愛媛人にはちがいないっす。いちばん長くいたのは松山で、今もそうですから。

>音之さま

通り掛かりさんにお答えいただいたようで。
自分は漢詩も漢字もビギナー以下のレベルなので、
お答えがなければ、大陸か台湾のサイトでも検索かけてましたよ。たぶん。
出てきたかどうかは、やってないので分かりませんが。(^^;)

>通り掛かりさま
飛び入り歓迎です。
というかありがとうございました。
管理人の能力では、音之さんの疑問に答えられなかったと思うので。


謝謝 投稿者:音之  投稿日: 2月15日(土)13時36分47秒

もう反応が、投稿してみてよかったです。
通り掛かりさん、ありがとうございます。
漢籍もビギナーなら、漢詩自体もビギナーで、一字で意味ニュアンスが変わってしまうので、色々考えてしまいました。ほんとにありがとう。もやもやが消えましたm(__)m


勝手に投稿していいのかな? 投稿者:通り掛かり  投稿日: 2月15日(土)12時13分46秒

突然勝手に投稿します。
緑片金英生處處。今来龍井舊観,鳥道蟠折升回巒。
ですよ。あまり深く考えないほうがいいです。


漢字について 投稿者:音之  投稿日: 2月14日(金)17時25分26秒

以前お邪魔したことのある音之といいます。

突然ですが、漢字の古字や、略字についてご存知の方おられるかもと投稿しました。なお、私はただの趣味で、最近になって漢籍類を見るようになったビギナーです。で、昨年なんですが、東京に出たついでに国会図書館支部にて清代の文献を見てきたのですが、どうしても分からない文字がありました。見ていたのは、乾隆帝の非常に寵愛を受けた沈徳潜という人の詩文集で、筆写の手書き。古字や略字で多く書かれてました。古字は大漢和辞典などである程度わかるのですが、問題は略字。草書とかのものでもないようです。漢字変換不可能なのですが、やってみますと、

@「雷」字の雨の点と、田を無くし、二を、その下に匆。

A「戸」字に|を短めに引き、下に匆。處=処???

B草カンムリに儁の凹のような部分が日の字、に見えます…。

C「炯」字の右が、回の中の口が左にくっついた字(or囗+コ) 炯???

いずれも七言詩中のもので、律詩などではないので平仄からは困難fでした。部分を書くと、

…緑片金英生@A。…

…今来龍井B観,鳥道蟠折升C巒。…
(龍井:浙江省杭州の地名/蟠わだかまる/升⇔昇/巒⇔峰)

手書きなので、見え方が微妙なのですけど(^^;
沈徳潜の別の版もあったので見てみましたが筆写で全く同じ、無駄でした(おそらくコピー?)。日本で沈徳潜著書もみたことないので、こんな感じで悶々としております。古い略字?だと思うのですが、何か心当たりのある方、お願いします。

P.S.いつも、こちらHPの中国人の姓名の記事やら人名辞典で勉強させていただいています、感謝(^^)


(無題) 投稿者:コルテス  投稿日: 2月13日(木)06時25分03秒


 先日始めましてとご挨拶致しましたが、実はこちらのページは以前から何度か拝見させていただいております。それから「戦国の暁星」や「群星の咆哮」は、よくプレイさせていただきました。「隋唐演義」もこれから遊ばせていただきます。
 さて、もし永一さんにご興味がおありでしたら、以下の点について改良いただければと思います。
・399年シナリオにおける北府軍、西府軍の幹部の武将
・候景の乱シナリオにおける梁の藩鎮(梁の場合、原則として王族とトップにしているようですが、実効支配の領域を特定するのが難しく、現時点では湘東王と武陵王しか独立勢力にしていません。でも、ここまで来るとほとんど学術研究だな)
・五大十国シナリオについては、手元に適当な資料がない(実は唐書とか宋書はあるのですが、重過ぎて私には読めません)ので、こちらでは多分あまりディーテイルなものが作れないと思います。月末頃に唐時代のマップと中小勢力をいくつか追加したものをアップする予定なので、それからいじっていただいても結構です。
 あと、天下統一2のマップのいじり方がわかったので、天下統一2で中国シナリオというのも考えています。ただ、戦略システムに関しては戦国史の方が優れているのでイマイチやるが・・・。それか2000円になった三国志5(コーエーで使い物になりそうなのはこれだけか)で南北朝シナリオとか、いろいろくだらない野望を抱いております。
いろいろ勝手なことを申し上げましたが、とりあえず今日はこんなところで。
ところで永一さんは、生まれも松山ですか?私も実は愛媛出身です。


レスのレス 投稿者:中野英夫  投稿日: 2月13日(木)00時20分04秒

 手紙の話は本当です。私の教え子が大多数ですが。でも、恋文を他人に訳してもらうという神経は私にもわかりません。「下手でもいいから自分で書いて御覧」とアドバイスはしているんですがね。まあこれも「お仕事」ですから。(銭は取っています)

 広松の件ですが、南京大学に中日文化研究センターというのがあって、そこで『存在と意味』を訳したわけです。その用語チェックを私に依頼してきたのですね。すでに『物象化論の構図』が訳されて出版されています。

 広松が亡くなってからはや七年経っています。そういえば、亡くなる直前、彼も「西洋の近代的思考=主観−客観図式を突破するには、東アジアの主客合一の思想を見直すべきだ」なんてことを言っていましたね。大乗仏教の思想にも関心を寄せていたようです。さすがに、老荘思想までは研究していなかったようですが。

 「道可道非常道。名可名非常道」なんて関係主義的発想に近いものがあると思うんですがね。

 


肝心をくだく 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 2月12日(水)19時55分47秒

隋唐ものUPです。五胡よりメジャー受けするかもしれない。
メジャーとはなにかが問題ですが…(>_<)。

>無茶苦茶さま
>足利義満がなぜ、朱元璋に日本国王にしてもらおうと書簡を送ったんか、

八切止男氏の著作は読んでないので、コメントのしようがないんですけども。
足利義満が日本国王に封ぜられたのは、建文帝の時代ですね。
洪武帝・朱元璋のときにも、使を出したけど蹴られたようです。
朱元璋は南朝方・懐良親王の征西将軍府のほうと通交してます。
どうも倭寇対策が主因のようで。

>胡錦涛はんですが、この方の父上、もしくは叔父様が、元北京大学学長で日米開戦
>時の中華民国駐米大使だった胡適です。

なるほど、ともに安徽省績渓の出で。新文化運動・文学革命の人でもある胡適ですね。
アメリカ・台湾に渡って顕位にあった人の親族が、トップに立つというのも時代です
かねえ。

>孫文亡き後、この徐世昌はんに対し日本軍は土肥原を中心に熱心に懐柔工作しましたが、

土肥原機関って、そういうことしてたんですな。

>このときの貴族の風習の「曲水の宴」が、

蘭亭の会(353)が元ですね。
「楽しみ極まりて哀情来たり/寥亮に肝心を摧く」
検索かけると、太宰府でも今もやってるとか。

>中野英夫さま
>「でも、本当に子供みたい。言うことを聞かないのね。大人の世話が必要な子供ね。

実話(マジ)ですか?
よほどの信頼関係がないと、こんなの頼めない。
それとも感覚が違うんでしょうか。うーん。

>広松の『存在と意味』の翻訳チェックをしながら、

広松って、廣松渉ですか。
名前だけしか知らないです。哲学は分かりましぇーん。
中文訳が出るんすか。最近亡くなったんでしたっけ?

>俺の仕事はいったい何なんだ!

日本語教師じゃなかったんですか?(^_^;)


私のお仕事 投稿者:中野英夫  投稿日: 2月12日(水)00時23分28秒

中野です。私の学校は授業以外も日本語への翻訳も引き受けています。その担当は
私。留学申請書の翻訳がほとんどですが、たまには中国人の奥さんから日本の旦那さ
んへの手紙の翻訳なんてものもあります。例えば以下のような・・・・・。

「でも、本当に子供みたい。言うことを聞かないのね。大人の世話が必要な子供ね。
私はこんな気持ちでいつもやきもきしているのよ。目を閉じればすぐあなたの姿が目
に浮かぶ・・・・。」

 広松の『存在と意味』の翻訳チェックをしながら、こんな翻訳もしているわけで
す。

 俺の仕事はいったい何なんだ!


宋美麗 胡錦涛 投稿者:無茶苦茶  投稿日: 2月 7日(金)23時28分08秒

 八切先生の真骨頂は、信長暗殺の真実から日本史の裏面を抉るものどすが、将軍義昭を信長に引っ張り出すことのできた光秀は何か、足利家と特別な関係があったんとちゃうやろか。一方、八切先生は、足利義満がなぜ、朱元璋に日本国王にしてもらおうと書簡を送ったんか、きちんと背景を書いています。光秀の出た明智村が室町の初めからとなると、もしかして、このときから、明と関係があったのかもしれへんぞ。情報、おおきに。
 蒋介石の故郷は浙江省奉化市で、わては1992年6月に行っとります。この時、「宋美齡財団訪問」の縦看板が市庁舎に出ており、中国の改革開放政策が、とんでもない次元で進んでいるんやと実感しましたんや。当然、後ろには、孔祥熙・宋藹齡と直結する、アメリカ・台湾の華僑勢がいるとはずやと。
 ところで、現在のトップの胡錦涛はんですが、この方の父上、もしくは叔父様が、元北京大学学長で日米開戦時の中華民国駐米大使だった胡適です。当然、アメリカの華僑と強いつながりがありまっせ。
 また、話が発展してすんまへんが、終戦時、日本が東京湾に浮かぶミズーリ号の上で降伏文書にサインした時の中華民国の代表を知っとりまっか。徐永昌はんです。日本の歴史教科書は、このときの事情、そして中華民国の様子を全く書きまへんなあ。この徐永昌と、1919年当時、大総統で、孫文のライバルだった徐世昌は親族だったはずです。孫文亡き後、この徐世昌はんに対し日本軍は土肥原を中心に熱心に懐柔工作しましたが、全く効果がありませんでした。この方の日本憎しは半端でなかったんや。皆はんご承知の通り、第一次大戦で日本が青島に上陸しドイツを追い払いましたがそのまま居続けてしもうた。徐世昌はんが、その青島を中国に返還させるようベルサイユ会議で顧維均に主張させても、当時の国際社会からは完全に無視されてしまい、国民から「愚か者」と罵られるばかり。鬱積した中国人エネルギーは1921年に共産党を生んでしまったんや。
 この当時から続く、近代中国政権の正統論争が、この胡錦涛はんの登場で、とりあえず纏まったとしたら、やはり、中華民族は、東アジア経済圏では、大変な力を発揮すると考えらまんね。
 今年5月、海南島でダボス会議のアジア版のボーアオ・フォーラムが開かれますが、ここで日本がどう位置付けられているか、気になっております。(覗きに行きたいくらいやで)
 あと管理人様、「菊」については、ご無理を言ったみたいで、すんまへん。お能の中に、中国の東晋時代から来たというセリフ回しのものがあるようです。東晋といったら、書聖の王ギシがいた頃で、このときの貴族の風習の「曲水の宴」が、今でも京都伏見の城南宮で催されていますねん。わては、「菊」はもっと早くから、日本に来ているんやないかと勘ぐっているものです。お騒がせしました。
 


こそこそと 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 2月 7日(金)20時50分32秒

トップの更新に珍しく別館のものが載ってますが、実は中国史にからんでたりします。
歴史SLGとか五胡とかのキーワードに食指が動くかたはご覧ください。
このところ本も消化しないでコソコソと何をやってたかというと、こういうことだっ
たんです。

>無茶苦茶さま
八切止男はどっかで聞いたことがあるなあと思ったら、「意外史」シリーズの人ですか。
ちょっと世代が違うので、あまり存じません。
売れたらしいですけどねえ。

挙げておられるアドレスはどちらも通じてないので、
http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/
http://www.ma.megafit.net/~xpu_8510/
で行けると思います。

明智光秀の明智姓は、美濃国恵那郡明智荘からきてますし、
室町初頭の頼基の代には明智姓を名乗っていたともいいますから、
光秀個人の漢文通と姓とは関係ないと思います。たぶん。

菊はちょっと分かりません。
「一六葉八重表菊形」が皇室の紋章になったのは、旧憲法下の「皇室儀制令」(1925)
らしいですけどね。それ以前の太政官布告(1868)とかでも、国民の菊花紋章使用を取
り締まっていたとか。調べがついたのはこのへんまでで。
日本の古典に詳しい人でないと、ちょっと…。中国古典になんかあるかな〜。

>中野英夫さま
厦門も行ってみたいですねえ…。
コロンス島(鼓浪嶼島)ですか。鄭成功像見たいなあ。
うちの『地球の歩き方』は古すぎるのか、日光岩と日本の日光との関係は載ってませ
ん。(T_T)

魯迅の故郷の紹興も良さそう。「孔乙已」の店かあ。

鑑真和上といえば、ローカルな話ですが、今月「鑑真和上展」が松山に来るんですよ。
唐招提寺からなんぼのものが来るのか見に行くつもりです。


コロンス島・蒋介石 投稿者:中野英夫  投稿日: 2月 6日(木)23時39分31秒

コロンス島行きましたよ。街並みがパリの裏町のようでした。(行ったことはないけどね)ぷらぷらと散歩していると、ある家の部屋が開放されていて子供たちが集まっている。その中にいかにもゲージツ家風の髭面の男が一人。油絵の教室でした。こんなところがパリを連想させたのでしょう。日光岩と日本の日光との関係は『地球の歩き方』にも書いてありますよ。

 二日〜四日杭州・紹興・寧波と旅してきました。西湖と魯迅記念館がメインですけど、裏の目的は杭州の楼外楼でドンポーローを味わうことと「孔乙已」の店(シェンヘン酒店)でウイキョウ豆をつまみながら紹興酒をあおることでした。寧波は付け足しだったんですが、うちの学校の校長が「寧波は蒋介石の故郷だから行ってみろ」なんて言ってました。行く時間はなかったけれど、蒋介石まで商売の種にしてしまうなんて、恐るべし「資本主義中国」ですね。

 でも、「付け足し」の寧波でもそれなりの収穫はありました。鑑真和上が日本に渡航するために滞在した寺や、道元が禅を学んだ寺などがありました。


長安からの道 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 2月 6日(木)21時54分21秒

>鹿角さま
楊貴妃が日本に来たという伝説は、村山吉廣『楊貴妃』(中公新書)で紹介されて
たなあって程度しか僕は知らないで。見てみると渡辺龍策『楊貴妃後伝』紹介され
てますねえ。ははあ、そういう小説ですか。

蒋介石については、僕はやっぱり陰険で嫌いなような、いやスキンヘッドがなんと
もいえず愛おしいような複雑な気分ですが。(^^;)
毀誉褒貶の激しい人ですね。台湾系なら孫文の三民主義の忠実な後継者で国民革命
の指導者といった評価が一般になるし、大陸系なら時代の方向性を見誤ったダメ指
導者といった感じになるし。
政治家としてはいろいろ失点が多いんで、自分の評価は結果論的には低いですが、
無能な指導者でもなかったような。少なくとも人望と権謀はあったよなと。
軍才も自身にあったというよりそういう人材を育てた、かな。
北伐や抗日戦のかれの功績は全く無視はできないし。
インフレと国民党の腐敗を止められなかったために、結局は大陸を追われちゃう
わけで。
フライベートで友人にしたい人か?というと、そうでないので鹿角さんのおっし
ゃることもよく分かるんですけど。

「シルクロード」再放送は遅ればせながらビデオに録りはじめました。
喜多郎の音楽と石坂浩二のナレーション最高です。って違う。
これがはじめ放送されてたころは、ぼかぁ小学1年生だったんだなあ。
音楽だけは覚えてましたが。
ついでに「海のシルクロード」もやってくれたりはしないんでしょうか?


日光石 と 菊 投稿者:無茶苦茶  投稿日: 2月 6日(木)19時08分17秒

中野はんへ。
アヘン戦争で開港されたアモイには、コロンスという小さな嶋がありますが、ここには鄭成功の石象があり、すぐ横に大きな岩がありまっしゃろ。その名前は、日光石と現地で呼ばれとります。1990年に現地で理由を聞くと、日本の日光にちなんでいると。ホンマかいなと、その時は思うとりましたが、後で、明朝の日本への亡命者と徳川政権の関わりを知ってびっくりしましたがな。
 土岐の光秀ハンは、とにかく漢文に優れ、筆談で完璧に中国人と会話が成立しとりました。それで明智となったんやろか。
 あと、どなたかでもいいけど、中国の「菊」について、何か故事を知っている方、是非教えてくれなはれ。日本の皇室、中でも、わてら日本人が使こうとるパスポートが何で、菊やねんめん。
誰か教えてくれなはれ。


八切止男のHP 投稿者:無茶苦茶  投稿日: 2月 6日(木)18時48分18秒

日本とアジア諸国のかかわり、そして何よりも日本人の精神性について独特の歴史観を持っておられた、八切止男をご存知でっしゃろか。和歌森太郎や梅原猛が、一目もニ目も置いた市井の研究家について、興味深い内容が出ています。
 林羅山が「中国に生まれなくて残念」といっていたのが、何で、彼の弟子の山鹿素行が「中国とは日本のことなり」となってしまったのか、あるいは、日本の部落やサンカの起こりなどにも、
かなり突っ込んで書いてありまっせ。是非ご覧あれ。
http://wwww2.odn.ne.jp/~caj52560

http://www.ma.megafit.net/~xpu_8510/indexhtm


中華あれこれ 投稿者:鹿角  投稿日: 2月 4日(火)09時21分28秒

この季節になると水道凍結の心配のない
管理人様達の本州が羨ましい・・・

楊貴妃後伝にはびっくりしました
悲劇の後で彼女は日本に来ることになるのです
それにこの本では玄宗がらみより
どっちかというと寿王との愛の方が目立ちます
(渡辺 龍策 秀英書房)
まあ楊貴妃が日本に来たという伝説は
色々なとこにありますが・・・

蒋介石秘話を読むと
つくつくこの人って最低だなと思います
部下をしんじられぬあまり
兄の葬儀にも行かせないというのですから・・・
敵との戦いでも自分の思い通りでなきゃ
嫌なようで・・・軍事の才能もないのに

シルクロードがNHKで再放送です(午後11時から)
いやー陳さん若い!中国の歴史を書く少しまえくらいかな?
今日は敦コウで井上さんが出るそうです


まったりできれば 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月30日(木)22時20分44秒

>凛さま

まずは建前から。すみませんが
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/bbslog.html#caution
4.のc).を読んでください。
こちら趣味でやってるんで、あまり学校の課題に都合よく利用されるとキリがないって
ことがありまして。勘弁してくださいね。

で、以下はあくまで趣味の延長としての話なんですが、
僕らが日本語の本では追っつかない調べものをするとき、
中華書局の正史や通鑑を直接繰ったりも時々しますけど、
こういうの
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
を検索したりもします。(要繁体字コード)
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tyv07679/chuden/toyoshi/sinica/index-j.html
で日本語で使い方の解説が読めます。
便利な時代になったものですよ。
でもインターネットで調べたとは、言いふらさないほうがいいでしょうね。(^_^)

>Kayさま
「天知る神知る我知る子知る何ぞ知る者なしといわんや」の楊震さんの孫ですか。
ということは、隋室の遠祖にされてる家系ですな。

>太白さま
>伊予には雪なんか降らんのでしょうなぁ。

昨日降りましたよ、積もらなかったけど。
それより路面が凍結してスリップ事故多発です。
松山人はホント雪に慣れてないんですよ。
松山で雪が積もるなんて十年に一度くらいですからねえ。
久万とか美川とかの山の中にいけば、スキー場もありますが。

>しかしそっちに温泉郡てあるんですね

松山の版図疆域も、大部分は元・温泉郡〜村ですから。
温泉郡は、道後温泉がもとです。
聖徳太子がどうとか、白鷺がどうとかいう伝説があったり。
伊予(いよ)も湯(ゆ)から来てるという説もありました。

>ところで明治帝の諱は睦仁(むつひと)かと。

そうですね。
明治−睦仁(むつひと)
大正−嘉仁(よしひと)
昭和−裕仁(ひろひと)
今上−明仁(あきひと)
皇太子−徳仁(なるひと)


ここらでまったり。 投稿者:太白  投稿日: 1月30日(木)14時08分40秒

北海道は大雪ですよ〜。伊予には雪なんか降らんのでしょうなぁ。
しかしそっちに温泉郡てあるんですね。こっちにも「○○温泉」みたいな地名が
いくつかありますが。。。(^^;

「坂の上の雲」ドラマ化で、愛媛ブーム来るかも?

>大室寅之祐
某掲示板の日本史のところでよく名前を見かけますが、そういう履歴の人だったんですか。
熊沢天皇のごとく、混乱期にはよくこういうことってあるんでしょうか。
ところで明治帝の諱は睦仁(むつひと)かと。


これは、 投稿者:Kay  投稿日: 1月29日(水)22時22分10秒

答えてはいけないのかもしれませんけど、後漢書54列伝44の楊震伝にある。孫やね。


後漢書 楊賜伝について 投稿者:  投稿日: 1月28日(火)19時58分43秒

はじめまして。
今、卒論で三国志関係についてやっているのですが、
『後漢書』に「楊賜伝」があるはずなのですが、見当たりません。
どこにあるのでしょう?
教えてください(T_T)


跳ぶがごとく 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月28日(火)00時36分08秒

NN@怠惰な管理人です。
ええと、話題がずいぶんと翔んでますねえ。(^^;)

>中野英夫さま
>客家というのは中国では「影の一族」なのですね。

白土三平?
どうなんでしょう。
漢族非主流の人々であるのは、たしかでしょうけど。

>しかし、朱き(ご亭主、この漢字は電脳内にありますか?)

ええと、
1).「朱熹」の「熹」の字が「?」のようになってて見えない、もしくは文字化けしている。
2).「熹」の字は見えるけど、ワープロソフトで入力する方法が分からない。
のどちらでしょう?

1).の場合なら、端末の環境が悪い(古い)です。
日本語環境を新しいものに整えるしかありません。場合によっては買い換えないと出ない。(T_T)
2).の場合なら、詳しい説明はともかく、「朱熹」をコピー&ペーストして、お手持ちの
日文ワープロソフトに単語登録してしまうのがてっとり早いです。

>さて、葉%

あれ?途中で切れてます。

>右に「尊亜攘夷」左に「打倒美帝主導的全球化」。

笑いました。
尊×攘夷の微妙さ加減とか。
中文では米帝が美帝で、グローバル化が全球化なわけですな。

どーでもいいけど、北一輝『支那革命外史 抄』(中公文庫BIBLIO)を
積ん読にして幾久し。いい加減読まないとなあ。

>鄭成功の像が見守る中、船は一路金門島へ。

小三通の実地体験ですか〜。時代ですねえ。
って、自分はニュースでしか知らないので。
実際に体験しないと、感動は実感できないのかも。
いや僕も大陸の空港で、「中華民國」のパスポート持った観光客集団見たことあるんですけどね。
って、比べものにならない?

>鄭成功はんはこの情景を見てどう思っているんやろか?

さあて、あきれてるんじゃないっすか。
鄭成功はんは地下でも主義者じゃないですかねえ。

>無茶苦茶さま
>アジアでも、ヨーロッパのように地域統合の動きが、昨年から始まり出してんな。

あれって、客家主導だったんですか。ブロック化、いやいや…。

>広島の暮に住む河内正臣氏は、現在の平和憲法は昭和天皇のご発案というとるし

GHQ民政局主導ではなくて、ですか。
まあ、こういう茶々を入れていながら、ぼかぁ護憲派ですけど。

>そうした真実もきっと現れてくると信じとります。

ナルヒトはんの御世のことはぼかぁ分かりませんが、ヒロヒトはんの事蹟も裏があったりするんで
しょう…いろいろ。


裕仁と孫文 投稿者:無茶苦茶  投稿日: 1月26日(日)22時31分33秒

明治天皇については、昨年末に雑誌「ムー」の12月号で、孝明天皇が岩倉具視の手引きで伊藤博文に殺された後、長州藩が匿っていた後醍醐天皇の子孫といわれる大室寅之祐が、睦仁にすりかわったと出ていました。わてが最も気にしとるんは、中野はんが、インパクトにかけるといっておられる、裕仁はんのことでんね。広島の暮に住む河内正臣氏は、現在の平和憲法は昭和天皇のご発案というとるし、確かに、裕仁陛下は対中政策に宥和的な内閣には、覚えがめでたかったですがな。
 特に、孫文はんが1924年11月に神戸女学院で行った有名な、「アジア王道か、西欧覇道か」の問いかけに、もっとも真剣に対処されたんは、ヒロヒトはんだったのではないでしょうか。
 昭和には、必ずや、もっと深く大きな秘密がある。徳仁天皇(浩宮)の御世になったら、そうした真実もきっと現れてくると信じとります。


こんなんどうや 投稿者:中野英夫  投稿日: 1月26日(日)12時45分35秒

 おっ、新「大東亜共栄圏」ですな。それじゃ、こんな「大東亜会議」はどうや。

 壇上正面の中央には孫文、その左には毛主席、その右には明治大帝(ヒロヒトはんはちとインパクトに欠けるので)のご真影。北一輝先生の写真も飾ってある。掲げられるスローガンは右に「尊亜攘夷」左に「打倒美帝主導的全球化」。参加者の中には「北の二代目」もおるな。フセインのオッサンも参加を許しておこうか。(^o^)丿

 冗談はさておき、一昨年アモイに行って金門島観光のクルージング船に乗りました。でかい鄭成功の像が見守る中、船は一路金門島へ。驚いたのは船が「国境」を平気で超えたことです。船は小金門島の岸辺ほぼ300mぐらいの地点で停泊、台湾側の兵士の姿がはっきり見えます。島には「三民主義統一中國」(繁体字に注目)のスローガンが。船に乗っている連中は写真を撮ったり、台湾の兵士に手を振ったりしてはしゃぎまくっていましたな。

 それにしても鄭成功はんはこの情景を見てどう思っているんやろか?


アジア経済統合 投稿者:無茶苦茶  投稿日: 1月25日(土)22時59分14秒

 うれしいことに、アジアでも、ヨーロッパのように地域統合の動きが、昨年から始まり出してんな。昨年4月海南島で始まった、ボーアオ・フォーラム。これアジア版の「ダボス会議」と呼ばれております。ダボス会議ちゅうのは、アメリカの米ドルが1971年8月に金本位制を離れてから、世界中の経済が纏まらなくなるのを恐れて、翌年に世界経済の指導的な立場にある、政治家や経済人が集まる会議としてスイスのダボスで始まったんや。しかも、そんとき、ドルでしか石油を変えなくし、その直前に、中華民族の代表政府が、台北から北京に移ってまんねん。
 このとき動いたんが、台北・北京・シンガポール・アメリカにいる客家筋と言われてんね。しかも、現在でも宋美麗は生きとるし、彼らが今度は、中国統一を目指していると聞いとります。
 問題なんは、彼らの動きと日本経済。抵抗勢力と見られとる野中と古賀が、日中戦略会議を開くといってはるし、日銀は、中国人民元やアジア通貨の外貨準備を下から支えとります。
 どうも、日本国内の客家の「松」と中国人の「松」とが、連動しているとしか思えまへん。
 
 参考までに、武夷山は、最高級茶「岩茶」のふるさと。わての中国の友人はんが今度別荘を建てましたんねん。ほんで、福建省と日本の関係を見るなら、絶対に忘れていけへんのが、明王室との関係ですねん。鄭成功に隠元(黄檗山万福寺)、朱舜水、それと、日光東照宮の陽成門(明芸術の粋)に、足利義満の朱元璋への「日本国王」書簡。二千年に発行された、2000円札には沖縄の「朱礼門」(これは明皇帝の使節を出迎える門)が、図柄になっておるしな。
 あと、日本で、なぜ、ご飯を食べるお碗を「お茶碗」というんか、考えたことありまっか。
陶器の中の最高傑作の燿変天目茶碗3個(いずれも中国の南宋のもの)がなぜ日本にあるんか、
不思議だらけですねん。
 一緒に謎解きしまへんか。
 


無茶苦茶さま・ご亭主へ 投稿者:中野英夫  投稿日: 1月25日(土)16時41分34秒

 中野@福州です。客家というのは中国では「影の一族」なのですね。顔ぶれを見ると、勤勉さと柔軟さを兼ね備えた人々が多いと感じました。しかし、朱き(ご亭主、この漢字は電脳内にありますか?)と王陽明がともに客家というのは面白い。ついでですが、世界遺産にも登録されている福建省の名勝、武夷山は朱きの故郷でもあるのですよ。

 さて、葉%


なるほど 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月25日(土)01時26分31秒

>無茶苦茶さま
はじめまして。管理人の永一です。
京都の泉涌寺は名前だけは知ってるんですが、まだ行ったことがありません。
去年11月に京都行ったとき、泉屋博古館は寄ったんですけどね。
今度行く機会があったときにぜひ寄ってみたいです。

三希堂ははじめて知りました。
上海博物館より凄いと言われると、眼福をいただかないといけません。

客家というと、中国革命期の面子は錚々たるものがありますね。
孫文、宋慶齢・美齢姉妹、郭沫若あたりが客家出身で。
共産党人士でも朱徳、葉剣英、賀龍、劉伯承と十大元帥の四人までが
客家ですし。ケ小平も客家ですよね。
現代史の領域ですが、胡躍邦、李鵬、台湾の李登輝、シンガポールのリー・
クアンユーも客家。
古くは朱熹、王陽明、洪秀全もそうらしい。調べると出てくる出てくる。
客家の人口は現在4500万人程度だそうですが、ずいぶん人材を輩出して
きたものと思います。
客家は軍人になる比率が高かったらしいですけど、それにしても。

>鹿角さま
>この作品ではどうなるんでしょうね

読んでる途中でネタバレはまずいですよね…(^_^;)。
まあ、僕としては記憶の彼方なんで、引っぱり出して衝動書きしないように
努力します。

ええと脈絡がヘンだけど、
曾国藩って穆彰阿の門生だったんですねえ。

>牢獄も先日借りました

太白さんが紹介してくださったやつですね。
そういやまだ見つけてないや。
洪武帝の粛清ばなしで黄子澄が出てくるんですか。


太平天国と牢獄 投稿者:鹿角  投稿日: 1月24日(金)11時28分47秒

西郷がいつ出て来るかと思いきや名前だけでした(T_T)
その代わりといっちゃなんですが
大久保がでてくるのは嬉しいかなぁ(^_^)

理文大丈夫でしょうかね  あまりにも内部に深く入り込みすぎな感じがします。洪秀全と運命を共にするんでしょうか
そうならないでほしいけど・・・連維材が何か息子の為に手を打つんでしょうか?

蒼穹の昂では曾国藩が乱平定の後に
恭親王を帝位につけようとするんだけど
この作品ではどうなるんでしょうね
(西太后が善人なんて浅田さん以外絶対書かない・・・)

牢獄も先日借りました
やっぱ黄子澄ってどの作品でも最低な奴ですね
だから斉泰とペアで名前もいいたくないんだけど
「洗脳計画までやるんじゃねーよ
あんた建文帝をひどい目にあわせただけじゃまだ足りないの?」
といいたいです(言葉悪くてゴメン)
完読してないのでなんとも言えませんが
ざっと読んだとこでは
ラストが少し悲しい・・・
主人公のような悲劇は
文革のときにも繰り返されたんでしょうね

終わり近くになってでてくる
永楽帝の側近たちの反応が冷静です


客家と共産党 投稿者:無茶苦茶  投稿日: 1月23日(木)10時07分10秒

葉剣英ジイサンに、興味もってくれている人がいて、わてほんま嬉しいわぁ。ケ小平が1978年年末に日本に来て昭和天皇に会ってから、共産党が変わり出したのやけど、その後、体制をどう変えるか、小平ジイサンが相談したのは、葉さんの客家ルート。日本では、客家崇正会と常陽銀行、そしてアメリカでは、洪門致公会(チャイニーズフリーメーソン=現在の民主党派の一つ、致公党)。
 ちなみに客家は、松(皇族・貴族・学者)、竹(兵隊・農民)。梅(料理人・金融・商人)に分かれていて、葉ジイサンの故郷の梅県は、大陸内の梅グループの集積地。
問題は、松」がどこへいったかですねん。中国版「失われた十支族」やで。
 息子さんの葉選平、葉選寧。部下たちと一緒に、現在、立派に活躍してはるでぇ。
また、葉さん以外にも、今回、江沢民を引き継いだ、胡錦涛はん。この方の出自を知ったら、もっと面白いで。江さんのお父上は、日本人の家でコックやってはったが、これが今、中国経済にごっつう、効いてんで。  日中は、ほんま深いんや。


中国のお宝が東京で 投稿者:無茶苦茶  投稿日: 1月23日(木)09時34分55秒

枕流亭さん、こんにちは。貴殿のHPを見つけて、心から喜んでいます。これで、日本と中国の深い深い関係が、一般読者にもわかりやすくなるでしょう。
 さて、面白い情報を2つ。
1)まず、日本の天皇家と中国の唐・宋の関係。京都の東山九条に、天皇家の御寺の泉涌寺があります。ここに、楊貴妃観音菩薩があります。
2)次に、中国の故宮からの流出品と思われる、すごいお宝を、トンデモ価格で売っている骨董屋が東京の銀座にあります。銀座一丁目・アンティーク・モール3Fにある三希堂。殷の青銅器から、清代の一品まで。モノによったら、上海博物館のものより凄いで。是非、ごらんなはれ。


にゃろめ 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月22日(水)23時52分55秒

武当山の道教寺院群のひとつ、遇真宮の主殿が焼けてしまったらしいですな。
http://j.people.ne.jp/2003/01/21/jp20030121_25378.html

武当山と龍虎山を混同していた(恥)ような自分の言うことではないですが、
実にもったいない。
いや世界遺産だからではなく、道教の聖地だったからでもなく、武術の本山だったから
でもなく、永楽帝肝いりで作られた建築物だったからです。
歴史好きの端くれとして心穏やかではありません。

というか、まだ見てないのに勝手に焼けるな!です。こんにゃろ。


言い訳といえるのか 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月19日(日)19時42分38秒

いろいろ立てこんでいてレス遅くなりました。m(_ _)m

>perdidoさま
>青銅器に羊を象ったものがあったとは...

あれは日本でも比較的知られてるものです。
いちおう北京の「中国歴史博物館」蔵ということにはなってますが、
二、三年前に「中国文明展」が全国巡回してたときも、展示してましたし。
長崎の中国歴代博物館に貸し出されて常設展にあったような。

>「中華史伝掲示板」、過去ログは、保存しないんですか?

やっぱりHTML化はあきらめました。
テキスト文書で勘弁してください。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/bbslog.html#log

>鹿角さま
中華史伝のつづきですが、
回回砲は
http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/kakehi-masahiro-yorituna.htm
なんか見ても、結局中止された第三次日本遠征には持ってくる予定で高麗まで
運んでたみたいですが、第二次遠征にも持ってきてたんですね。
知らなかった。
九州沖の海の中を調査してるって話は聞いてたんですが、出てきてるんですねえ。

陰暦7月から9月は、「天高く馬肥ゆる秋」ですからね。
やはり遊牧民は…って、ちがうか。

>年末年始にかけて阿片戦争を読みました

読みましたか。
あれは陳舜臣さんが推理小説畑から歴史小説畑に移る転機になった小説なんですよ。
このころの陳さん若いし、大作を次々と物してパワーあったんだなあと思いますけど。

>連維材が主役のような感じを受けました

感じ…ではなくて、はっきり主役でしょう。
調べてはみましたが、連維材はどうも架空人物みたいですね。
設定がしっかりしてるんで、読んだ当時は実在かと勘違いしてしまったんですが。

創作部分と史実の区別がつきにくい小説ではあると思います。
伍紹栄とか定庵先生とかは実在なのになあ。

穆彰阿はうちの愛用の『中国歴史大辞典』なんか引いても、よく書いてません。
私党を組んで大権を握り、イギリスに妥協・投降したというような書き方です。
まあ旧陋保守の人だったんだとは思いますけど。

>中野英夫さま
>それならば、マーリンとボロディンも入れたほうが・・・・・。

そうですねえ、近代も最後に更新して二、三年経っちゃいまして。
自分の興味が中世のほうに偏っちゃって、途中で切ったかたちになってるんですよね。
本気で1万人掲載目指すなら、西山会議とか含めて載せないといけない人物と思います。

言い訳がぐだぐだ続きそうなので、以上で失礼します。
期待せずに、増えるの待っててください。(-_-;)


人物事典・近代 投稿者:中野英夫  投稿日: 1月16日(木)14時48分11秒

人物事典の近代に、コミンテルンから派遣された李徳が入っていますね。それならば、マーリンとボロディンも入れたほうが・・・・・。


お正月映画ばなし 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月15日(水)00時18分12秒

織田裕二主演の「T.R.Y.」を劇場に見にいってました。

別に織田裕二に興味があったわけではなくて、上海の街がどう描かれているか
に興味があったんですけどね。

冒頭いきなりのバンド(外灘)のシーンとかから首ひねりました。
外灘が今のかたちになったのは、1920年代か30年代じゃなかったかなあと。
うちにある『上海舊景』(人民美術出版社)でも
「1936年に街の基本的外観が固まった」と書いてあるし。

もっと疑問だったのは、日本軍が当たり前のように上海に駐留していたこと。
あれって1932年の上海事変以降じゃなかったか?

ということで、あまり時代考証は当てにならないんではないかと思ったんですが。
中国同盟会をモデルにしたと思われる「中華黎明会」とかいう革命党が出てくる
し、わざと変えてあるんでしょうな。そう思うことにします。
ストーリーとしては、それなりにそれなりだったような。

個人的には、お正月映画は「ギャング・オブ・ニューヨーク」のほうが好みです。
こちらも、ぼかぁ主役のディカプリオ君はどうでもいいとか言ってましたが。

レスはまた今度。
「中華史伝掲示板」の過去ログはテキスト文書でUPしてあるんですが、
HTMLで残したほうがいいかなあ?テキスト文書だとタグ文字出ないし。


意外です 投稿者:鹿角  投稿日: 1月14日(火)14時36分17秒

中華史伝の方に書こうかと思ったけど
レスがないのでこっちに書きます
なのに書いてしまった・・・(T_T)

年末年始にかけて阿片戦争を読みました
新刊の方で96年度版です
てっきり林則徐が主役かと思いきや
連維材が主役のような感じを受けました
にしても穆参阿は許せない
林則徐を新彊に追放し
定庵を毒殺するし
やりたい放題ですね
本人も追放されるのは
因果応報ですね

太平天国には意外なことに
阿片戦争に出た
西玲と理文が出ます
二作品に同じ人が出るのは
陳氏の小説では珍しいと思います
(実在の人ならともかく
理文はいそうだけど
西玲は創作の人物でしょ?)

そして何と!西郷まで出てくるそうで・・・
どんな風に書いてくれるか楽しみです


おひさです。 投稿者:perdido  投稿日: 1月13日(月)22時43分06秒

NAGAICHIさま>
年賀状ありがとうございました。
青銅器に羊を象ったものがあったとは...

「中華史伝掲示板」、過去ログは、保存しないんですか?
けっこう内容の濃いカキコが多いので過去ログすら残らないのはさびしいです。


いじってみた 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月13日(月)15時32分04秒

連休中(と言っても一般の人と休みずれてるんですが)、網頁の再編に取り組んでました。
はっきりいって縮小再編なんですが、増えてるところもあります。

★「中華史伝掲示板」を廃止告知.
実際にはまだ書きこめるんですが、レスはつけませんし、いつ消えてなくなるか
わかりませんよ、と。
最大の理由は管理人の手が回らないことなんですが、
OTDが何かと使い勝手が悪くなったことも大きいなあ。
CGIが勝手に書きこみ文章にリンク貼っちゃう仕様になっちゃったし。
★「訪問者登録」の閉鎖
これはログを残して閉鎖です。
★「主頁」の「今日の言葉」が「史上人物辻占」に。
仕込んであるJava Scriptの基本はあまり変わってません。
少し気分を変えてみただけ。リロードするたびに結果の変わる占い(笑)。
おみくじみたいなもんです。
★掲示板のログは結構増えてます。
★「年表」はちょくちょく記述が増えてます。4世紀あたり。


>中野英夫さま
中国では『三国演義』ですかね。志がつかない。
中央電視台の大河ドラマがあったはずなのになあ。
思えばあれも6、7年前の話なのか。

>驚いて「『演義』を読んだことはないのか」と聞くと、
>ほとんどの連中が「読んだことない」とのこと。

いや興味深いリサーチ結果、ありがとうございます。
若い人が三国志を読めるような環境にないのか
三国志より面白いものがあるのか(^^)
はたしてどちらでしょうね。

>日本も中国も「いまどきの若いもんは・・・・」

ああ、その台詞言ってみたい。
というか、いつ言い出してもおかしくない齢にこちとらもなってきました。


(無題) 投稿者:中野英夫  投稿日: 1月11日(土)14時12分43秒

さっそくのレスありがとうございます。

 さて、ここで近現代史から離れて、三国時代へ(厳密に言うと『三国志』ではなく、『演義』の話ですが)。

 前にも紹介したとおり、私は福州にて日本語教師をしております。昨日の授業で接続助詞「から」の説明をしました。その練習として「関羽は劉備に忠実でした」「関羽は曹操のプレゼントをもらいませんでした」という二文を一文にしなさい、と命じたところ。

 「話の内容がわからない」という返事。驚いて「『演義』を読んだことはないのか」と聞くと、ほとんどの連中が「読んだことない」とのこと。

 日本も中国も「いまどきの若いもんは・・・・」

 


波高し 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月11日(土)01時03分29秒

>中野英夫さま
>ヨーロッパ二百年間の近代(革命)思想を中国で一身に担った人間と申せましょう。

革命家…にしても、波瀾万丈の生き方してると思います。
毀誉褒貶あるのはしかたないとしても、孫文と毛沢東の谷間で小さく評価されるという
のは、なんだかもったいないような。
新文化運動・五四・共産党創立・国共合作と、時代のいっぽうの主役でもあったはずな
んですが。

>中国の学者の見解もかなり評価が客観的に成ってきたと、思います。

さいきんでは文革以前の歴史研究にはタブーはない、と、
どこぞの学者が言ってたとか言ってないとか。
妙な締めつけはだいぶ少なくなったみたいですね。

>ある人物にも興味が湧いてきました。葉剣英元帥です。

十大元帥も興味深いキャラ多いですけど。
たしか四人組捕まえたのには、この人の力がありましたよね。
穏健な路線のひとだったのかなあ。

>近頃はもし葉元帥が第二次天安門事件のときまで生きていたら・・・

あと3年生きてたら、何らかの影響力を発揮したかもしれないですね。

>Kayさま
まあヨーロッパ人は半牧半農で、日本人は農耕民で、ほぼ2000年間ずっと来てますから。
中国も農耕民で変わらずですが、大陸だけにいろいろ、あったのかなあ。
やはり大規模な民族移動を想定しないといけないということですかね。
2000年前・2500年前の中国のほかの地域の遺伝子型はどうなのかということも分からな
いと、なんとも。
モンゴルとも、ってそれこそモンゴルはだいぶ系統が変わっていると思いますけど。


考えると、 投稿者:Kay  投稿日: 1月 8日(水)18時52分48秒

ますますこんがらかるのですが、どうも山東省の人の結果はかなり意外みたいです。たとえば2000年前のヨーロッパの人に一番近縁なのは現代ヨーロッパ人で、2000年前の日本人に一番近縁なのは現代日本人になると考えられているらしいです。文化系統だとルーツをたどって移動するわけですが、遺伝子はほとんど地域を移動しないと考えられているようです。

2000年前の山東の人が中央アジア系で、2500年前だとトルコ−ヨーロッパ系と、どんどん東洋から離れていくのは、日本、韓国やモンゴルとも大きく違っていることを意味するらしいですが‥‥‥

でもこれ、実際に2000〜2500年前のヨーロッパや日本人の遺伝子を調べた結果がないと確実なことはいえないんですよね。


掲示板にお邪魔いたします 投稿者:中野英夫  投稿日: 1月 8日(水)17時23分16秒

 5日にお邪魔しました中野です。こちらのほうにもお邪魔いたしました。

 さて、ご亭主は陳独秀に興味がおありとか。確かに面白い人物でございますね。ルソーからトロツキーまでヨーロッパ二百年間の近代(革命)思想を中国で一身に担った人間と申せましょう。

 小生も最近中国人の学者が『陳独秀伝』を読みましたが、中国の学者の見解もかなり評価が客観的に成ってきたと、思います。

 ところで、小生、陳独秀のことをいろいろ調べているうちに、ある人物にも興味が湧いてきました。葉剣英元帥です。葉元帥は中共除名後の陳独秀といろいろ連絡を取っていたみたいです。党内ではスターリンの子分どもの王明や庚生が「トロツキストは日本のスパイ」とわめいていたにもかかわらずです。また、王凡西の『中国トロツキスト回顧録』の中でも、葉元帥が国民党の獄中にいる王凡西を救出しようとしていたという記録もあります。葉元帥は周恩来とともに中共の柔軟性を象徴する人物に思われてなりません。

 近頃はもし葉元帥が第二次天安門事件のときまで生きていたら・・・などと思ったりしています。


ひっさしぶりに 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月 7日(火)22時45分53秒

久しぶりにうちのマンガ紹介コーナーに投稿があったのですが、
どうも中国史関連のマンガではないようなので、掲載を見送らせていただきます。
5日の21:56ころに送って下さったかたです。すみません。

>Kayさま
>トルコ−ヨーロッパ人の中間ってのは統計の山の部分がそこに位置するということだと思うので

ということは、後世の血統とかと混同するといかんということですかね。

>パン・ユーラシアンでした。

汎ユーラシア人ですか。(勝手に翻訳)
アジア人種とヨーロッパ人種の分化する以前の人々なのかな?(妙にこだわる)

>太白さま
ちくまの正史日本語訳で、井波さんは魏志の一部と蜀志の全部を担当してますね。
とにかく翻訳ってのはたいへんなようです。

>>南條範夫「牢獄」(講談社文庫)

検索かけたら、うちのもうひとつの掲示板のログが引っかかって、ちょっとびっくり。
名前が出たことはあるんですね。全然覚えがなかった。(汗;;)
あらすじや読後感想みたいなものが、WEBにほとんどなさそうなので、
あまり知られてない小説なのかな?陰惨な話なんだろうなあ、と勝手に想像。


ヨコレスです 投稿者:太白  投稿日: 1月 6日(月)18時44分18秒

>永一さん
>こちらは対抗して井波律子さん新訳の『三国志演義』でも読もうかな。
あまり語られてない(のかは知らない ^^;)ようですが、ちくま演義て正史を
訳された井波さんなんですよね。正史と演義の両方を訳したって所に話題性が
ありそうですが。


>南條範夫「牢獄」(講談社文庫)
>コマシンさんが解説書いてるってことは、そこそこ古いのかな。
ええと確か、81年くらいにでたのを91年ぐらいに文庫化だそうです。作者
は洪武帝の小説を書こうとして、その晩年の大粛清に行きあたり、本書となっ
たと。


もともと情報量が少なくて、 投稿者:Kay  投稿日: 1月 5日(日)01時40分07秒

たいした情報じゃないです。2500年前、2000年前ともに臨シの遺跡からの分析だそうです。斉の首都ですよね。

トルコ−ヨーロッパ人の中間ってのは統計の山の部分がそこに位置するということだと思うので、おおざっぱなものでしょう。古代中国人は、現代中国人とはだいぶ感じが違ってたということだと思います。

私はこれを読んで、春秋戦国時代の中国人は、日本人とはかなり異なる系統だったんだなあ、と理解したんですけども‥‥‥。

※記述ミスしました。あれって、パン・ヨーロピアンでなく、パン・ユーラシアンでした。


人類学はやっぱ分からん 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 1月 5日(日)00時35分37秒

>太白さま
>今年こそはまず中国史出戻り手始めに吉川三国志読破といきたいです。。。

こちらは対抗して井波律子さん新訳の『三国志演義』でも読もうかな。

>南條範夫「牢獄」(講談社文庫)
>明初の洪武帝の粛清を扱ったサスペンス。

そんなのあったんですねえ。恥ずかしながら初耳。
コマシンさんが解説書いてるってことは、そこそこ古いのかな。
探してみます。

>前年比90%くらいって上の人が言ってましたが。。。>ブツ

うちも元旦持ち出しは少なかったみたいです。
年々出回るのが遅くなる傾向に。
まあ、でも終わったら前年比90何%かにはなるんじゃないかなあ。

>perdidoさま
賀状届きましたでしょうか?あんなのですみません。

>本宮ひろ志は、わたしもけっこう好きですねえ。

僕は物心ついたころにジャンプで連載してた「赤龍王」が好きでしたねえ。
後になって考えると、あれは本宮作品にしては荒唐無稽度が低い部類でした。(^^)

>Kayさま
ええと、僕がアルタイ系とか印欧系とか言ったのがマズかったんですかね。
アルタイ系とか印欧系とかいうのは、いわゆる「語族」ですし。
遺伝子型とか「人種」の下位概念とはやっぱり違うかな。
話をかき回してすみません。
僕も文化系統の話だと思ったわけではないのです。

ただ現代のトルコ−ヨーロッパ人の中間というのが、想像しにくかったもので。
人種としてもアジア人種とヨーロッパ人種にまたがってますし。それで
春秋時代の山東省に印欧語族とアルタイ語族の混血の人々がいたと捉えてしまいました。
それでアルタイ系(トルコ系)の人々なら古くから北方民族の中にいるから
古代の東夷の血をひく斉の人々がそうでも、それはおかしくないなあと思ったのです。
ただヨーロッパ系はどこから入ったんだろうとは疑問に感じましたけど。
ここらへん血統的近縁関係や枝分かれを僕が勘違いしてるならオジャンですね。
すいません。

もしかすると恥ずかしいことを訊いてるかもしれませんが、
現代のトルコ人とヨーロッパ人の中間のルックスってどんなものです?
アジア人とヨーロッパ人の中間?枝分かれする前?
それとも「パン・ヨーロピアン」ってことは、白色人種ととらえたほうがいいんですか?

最近の説分からないんで…。
いや昔の説も咀嚼できてるわけじゃないけど。(?_?)


誤解されているようですが... 投稿者:perdido  投稿日: 1月 4日(土)22時38分09秒

kayさま>
山東省の人々の民族移動のお話かと思ったので
>2500年前の山東省中国人は現代のヨーロッパ−トルコ人の中間に位置し、
なら、完全に征服されきってないし、同化しきっていない「莱」(う〜ん、「人」が二つある本来の字が出ない(・・;))の人々がいて、春秋戦国人そのものは、ウイグル-キルギス人に似ていたから同化して、後漢の時代になって、
>2000年前の山東省中国人は現代のウイグル−キルギス人の中間に位置
するようになった、というイメージでわたしは、カキコしたのですが、

>『天地を喰らう』とか『蒼天航路』とか、呂布が西洋人っぽく書いてあるでしょう。(だっけ?)。実はあんなヤツがいっぱ
>いいたのかなー、とか思ったりして、面白いなー、と。
この文脈からすると具体的なデータをがあるわけではないのですね。
たいへん申し訳ありませんが、わたしも今はこれ以上しらべる気が今はしないので(笑)ペンディング、というかネグレクト(つまり棚上げ)します。

本宮ひろ志は、わたしもけっこう好きですねえ。「サラリーマン金太郎」とか、中国史関係とか、田中角栄をモデルにした主人公の話とか。


紛らわしいですが、 投稿者:Kay  投稿日: 1月 4日(土)20時55分43秒

遺伝子の話と、文化系統の話はかなり意味が違うようです。遺伝子で直接わかるのは歴史的な系統ではなく、外形的な類似のみです。

キルギス=ウイグル系と同じ表現型なのは、2000年前の山東人すなわち後漢光武帝の頃の斉の人です。この意味は、光武帝の頃の斉の人のルックスが「現代のキルギス−ウイグル人」に類似するということです。

当然、2500年前の春秋戦国時代の山東人は、「現代のトルコ−ヨーロッパ系」のルックスを持っていたということになります。

遺伝子的には、現代日本人は、アイヌ、縄文人、韓国、モンゴル、現代中国人と類似しています。また、フィンランドやハンガリーの人は、文化的にはアジアにルーツがありますが、遺伝子は完全にヨーロッパ系です。

『天地を喰らう』とか『蒼天航路』とか、呂布が西洋人っぽく書いてあるでしょう。(だっけ?)。実はあんなヤツがいっぱいいたのかなー、とか思ったりして、面白いなー、と。

3000年以上前は、「現代のトルコ−ヨーロッパ系」のルックスを持っていたパン・ヨーロピアンが、中国を含めたアジア全域に居住していたが、後から現代東洋人系の人類が進出して多数派になったのではないかとのこと。

もともと、初期人類として知られているクロマニヨン人は、完全に西洋人のルックスですよね。もともと人類はああいう現代西洋人の風貌の人しかいなかった。東洋人はネオテニー(幼形成熟)の要素が強く、おそらく新しくそこから分岐して現れた型に相当する。まあ、私たち日本人も先祖をどんどんさかのぼると、西洋人みたいな濃い顔の人まで行き着くんでしょう。


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