トップのアンテナは自分も導入考えて面倒で途中でやめちゃったヤツですね。
でもかなり便利です。ご苦労さんです。
月上旬は仕事が選挙で忙しかったのでごぶさたで(と言い訳してみる)。
久しぶりにHPいじってました。
コラムは全然コラムじゃないけど、『新唐書』列女伝。
まだ未完成です。
あと、扉ページに「はてなアンテナ」つけてみました。
お気に入りのHPの更新を拾ってくれるってものなんですが、
調整不足ですね。広告の更新ばっかり拾ってるみたいで。
「その時歴史が動いた」項劉特集第一回ですが、
さほど目新しい話はなかったですね。
MNOさんご期待の陳勝・呉広なんか名前さえ出てこなかったし。
項羽の叔父貴も出てこないわ、劉邦の沛時代に触れられてないわ。
こんなに端折られているとは思いませんでした。
40分そこそこで項劉ばなしの前半をやるというのは難しいことだったん
でしょうかねえ。
NAGAICHI様
いえ、こちらこそ恐縮です。またご教示いただければ幸いです。
NAGAICHIさま>
詳細なレスありがとうございます。勉強不足がもろバレで...(汗)
書いてるときに、あれ、武帝が生きてるのになんで、「孝武本紀」なんて書けるんだろうってのが疑問には思ってました。
本当は趙穿がやったことなのに、「趙盾その君をシイす。」と史官に書かれても彼は史官を殺さなかったってことがあったので武帝はどうだったんだろう、と勝手な思い込みしてました。
perdidoさんのおっしゃる「孝武本紀」は、おそらくはチョ少孫の補ったもので、
「封禅書」の後半三分の二くらいとダブっている杜撰なものです。
一説によると(銭大マの説らしい)、チョ少孫の補作も失われたので、さらに
後人が「妄改」した、とも。
司馬遷の原著だったら「孝武」という諡がつけれないです。
原著は「今上本紀」だったはずです。太史公自序の目録ではそうなってます。
「チョ」は、許チョとかチョ遂良とかの[ネ者]の字です。
>MNOさま
うるさいことといいつつ、ほんとにうるさくて余計なことを書いたような気がふつふつ
としてきました。どうかご笑殺ください。すみません。
>perdidoさま、中根東竜さま
武帝と『史記』の成立の話題なんでまとめて失礼します。
だいたい時代順で並べると、こんなふうじゃないかなと思います。
(1).紀元前91年か前90年ころ、『史記』130巻完成する。
(2).早いうちに孝景本紀・孝武本紀・礼書・楽書など十書が欠ける。
(3).前87年2月、武帝が亡くなる。
(4).前88年から前84年ころ(諸説あり)、司馬遷が亡くなる。死後はじめて『史記』
が世に出る。
(5).宣帝のころ、遷の外孫の楊ツが『史記』を祖述して世に広める。
(6).元帝成帝の間、チョ少孫?が孝武本紀・三王世家・亀策列伝・日者列伝などを補う。
もちろん、仮にこう並べてもいろいろ問題あるわけで、
十書がいつ欠けたのかとか、
欠けたのも司馬遷か楊ツがまずいと思って出させなかったのか、世に出る前か出た後
に失われたのか、もとから書かなかったのか、確かじゃありませんけど。
武帝が『史記』正本を見た可能性はゼロではないと思います。
見たのなら禁書にされて亡失したのかなあ、今上本紀(孝武本紀)。
見なかった可能性のほうが高い気がしますけどね。
中根さんのおっしゃられるとおり、『史記』が官撰だったとか武帝を讃える
目的で作られたとかいう説はあやしいと僕も思います。
でも、私撰でこそこそ作ってたとしても、えらいと思うのですよ。
たぶん短い間で考えたら、武帝におもねった歴史書を書いて献上してたほうが
司馬遷自身が得だし、労作が亡失する危険も減ったと思うのです。
でもそのときはこれほど後世に称揚されなかったでしょう。
勝手をつらぬいたからこそ千古不朽の史書として残されたわけで。
思想統制ですが、武帝は儒教を尊重した人で、一昔前は「儒教を国教化した」人
だといわれました。最近はこうは言われないみたいですけど。しかし、前代の黄
老尊重を一新したには違いありません。
いっぽう方士を次々と重用したり、法家っぽい酷吏を使ったりしてます。
寛容というよりは、かなり気分次第のような気もするんですよね。
中根さん
こちらこそお久しぶりです。【解体晋書】ではお世話になってます。
>おひさしぶりです。うーん・・・武帝は司馬遷を迫害
>こそしてはいませんが、決して度量の広い人ではない
>でしょう。
>度量の広い人であれば、李陵の一族を処刑したりはし
>ないと思うのですよね。
そうですね。あれはひどいと思ったので、ホントに度量が大きいのかなあ、と思って「?」をつけてはみたのですが...
>史記で好き勝手なことが書けたのも、隠れてこそこそ
>書いていた「私選」の書だったからでは
>ないでしょうか・・
>
>※「史記は武帝を讃える目的で記述され、完成後は武
>帝に献上された」という説がありますが、烈しい武帝
>政権に対する批判、武帝本紀が削除されていると言う
>事実からして、私は信じがたい説だと思って居ます。
史記は武帝を讃える目的で記述され、完成後は武帝に献上された、って「正史」だからそうなんだろうとアプリオリになんとなく考えていたのでご指摘ありがとうございます。
ところで「武帝本紀」って「孝武本紀」は、ありますけど...あ、全く揚げ足取りのつもりはないのであしからず(そのようにお感じになったらすみません)。
なぜ「信じがたい」のか詳しくお聞かせ願えたらうれしいです。
ご無沙汰しております。中根です。
>perdidoさん
>そうですね。しかし、漢の敵である項羽の本紀を立てておいたのに迫害しない武帝は器が大きかった?
うーん・・・武帝は司馬遷を迫害こそしてはいませんが、決して度量の広い人ではないでしょう。
度量の広い人であれば、李陵の一族を処刑したりはしないと思うのですよね。
史記で好き勝手なことが書けたのも、隠れてこそこそ書いていた「私選」の書だったからでは
ないでしょうか・・
※「史記は武帝を讃える目的で記述され、完成後は武帝に献上された」という説がありますが、烈しい武帝政権に対する批判、武帝本紀が削除されていると言う事実からして、私は信じがたい説だと思って居ます。
>NAGAICHIさま
>司馬遷は、文章の面白さとか紀伝体を創始した着想とかもすごいけど、なに
>より当時の権力に縛られないで自身の判断で筆を加えているところがいちば
>んえらい。評価も決して単純ではなく複眼的なんですよね。
そうですね。しかし、漢の敵である項羽の本紀を立てておいたのに迫害しない武帝は器が大きかった?
明の太祖朱元璋、清の雍正帝、乾隆帝なんか文字の獄がありましたよね。始皇帝も広い意味で思想統制をした。なにか前の話>屋に遺賢なし=知識人は一人残らず政権に協力してもらう、に戻っちゃいそうだけど...
平勢氏は、「主」の本紀と「従」の本紀という考え方で項羽の正統性を認め、結果的に武帝の「孝武本紀」を「主」の本紀として(高く持ち上げる構造:補足)で『史記』を書いていると主張していますが...
NAGAICHI様
厳格にいえばおっしゃる通りです。ただ、私としては「士大夫」を「中国の上流階級」
という意味で使いました。また、新編・東洋史辞典(東京創元社)にもその旨が
書かれております。ただ、広義で用いると語弊を招き易いようですね。
下手なことは言えないなと思ってしばらく黙ってたんですが、
西安の寸劇騒動、本当に深刻なことになってますね。
事件の真相はおそらく
http://www.asahi.com/international/update/1102/002.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031101-00000164-kyodo-int
のあたりにあるのでしょうが、
http://www.asahi.com/international/update/1101/023.html
までエスカレートしてしまうと。
単なる異文化摩擦とかデマのおそろしさとかいう域を越えて
エスノセントリズムの問題になってきます。
異文化集団をひとくくりにして排斥してしまう単線思考のおそろしさ。
これは日本だけの問題でも中国だけの問題でもありません。
僕らは隣に住んでいる人が同国人でも自分とは別の人間だと知っています。
しかし、こと他国の人間となると「××人は…」とひとくくりにして論じて
しまいがちです。この発想を敷衍して少し理屈で味付けすればりっぱな排外
・攘夷思想のできあがりです。こういう考えが集団化・組織化されると怖い。
世界のどこの国でもこわいのです。
>perdidoさま
レス順逆になってしまいましたが。m(_ _)m
僕も実は「陳勝のために世家を立てている」と書いてみたとき、
項羽本紀についての武田泰淳さんの指摘が頭にありました。
----
まず司馬遷は項羽の本紀を書いた。しかし項羽は高祖の敵である。いわば
「漢の敵」である。何度か高祖を殺そうとし、何度か「漢」の存在をおび
やかした。その項羽の一生を「本紀第七」としている。漢の敵なら「列伝」
に入れるのさえはばかられよう。それも本紀に入れて平気でいる。大胆と
云えば大胆、その態度は鉄を断つように明確である。
----武田泰淳『司馬遷−史記の世界−』
司馬遷は、文章の面白さとか紀伝体を創始した着想とかもすごいけど、なに
より当時の権力に縛られないで自身の判断で筆を加えているところがいちば
んえらい。評価も決して単純ではなく複眼的なんですよね。
陳勝もほめてんだかけなしてんだか。(笑)
>太白さま
そんなはずはないよなあと思ってよく見たら
吉川忠夫「訓」注なのでした。ごめんなさい。
これなら53件ヒットするし、岩波の公式サイトも引っかかります。
http://www.google.com/search?q=%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%BF%A0%E5%A4%AB%E8%A8%93%E6%B3%A8+%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
後漢末期もコピーしときたいですよねえ。
"吉川忠夫"だと復刊.comが一番上なんですね(笑)
>鹿角さま
岩見沢にまで臭いましたか。あの辺は石狩平野でつながってて遮るものがなかった
からでしょうかね?
ちなみに30分前、久々に震度3ぐらいの余震(?)がありました。
>吉川忠夫校注『後漢書』
これって岩波から刊行し始めたヤツだっけ?と思い、"吉川忠夫校注 後漢書"というワードで
グーグル様にお伺いを立ててみたところ、ここの過去ログしかヒットしませんでした。(笑)
確かこっちの地元の図書館にもあったような・・・? 私も、「献帝紀」だけでもコピーして
手元に置きたいとは思ってますが(^^;
(でも三国時代の資料なら、桓帝ぐらいから必要かもなぁw)
吉川忠夫校注『後漢書』を借り出せたので、早速コピーに走りましたが、
光武帝紀終わったくらいでやっぱりグッタリしました。
パラパラと中も見てますが、これは読みやすいです。
これなら別に「日本語訳じゃないなんて〜」と泣く必要がなさそう。
書き下しも現代仮名遣いで平易だし、難しい表現には注がついてます。
注も、ページ分け書きですぐ下に位置しているので参照しやすいし。
ただしかし、この本はお手軽価格にはなりそうもないですね。
せめて平凡社東洋文庫なみに下がったら買うんですが。
>MNOさま
僕の高校世界史レベルの知識でも、陳勝より前の農民反乱というのは覚えがない
のですが、オリエントやインドに本当になかったのかと言われるとこれまた自信
もないのですよ。
細かいことですが、中国の宋代より前の時代に士大夫という階層はありません。
古代、とくに戦国時代に存在した卿・大夫・士の三階層から派生した語にはちが
いないし、どちらにしろ支配的階層ではあるんですが。
やはり「士大夫」と「士・大夫」は別物です。
士大夫は科挙制度の完成と近世的小作制度なしには存在しなかったクラスです。
うるさいことを言っているようですが、下手なこというと近世史家の人が渋い顔
しますので。(^^;)
話もどしますが、陳勝が失敗した理由として配下を統制できなかったというのは
まったくそのとおりなんですが。正直、陳勝はあまりにも早く成り上がりすぎたと
いう気がしてます。蜂起してから王を称するまでがあまりにも短かったため、同志
としての横のつながりも、君主と配下の間の縦のつながりもしっかり作る暇がなか
ったでしょう。もしあのペースでうまくいっていたら、それは普通の人間関係では
ないと思いますよ。
>NAGAICHIさま
>『史記』が陳勝のために世家を立てているというのも興味深いですね。
>後世の史書なら列伝の最後に持ってかれてもおかしくない。
>司馬遷はさんざん悪口いいながら、諸侯なみの功績を認めているわけで。
そうですねえ。実はひさびさに『史記』を開いて「列伝」から捜していました(苦笑)
ほんとに興味ぶかいです。項羽にも本紀立てているし。
本文に「陳勝は死んでしまったが、かれが任命し派遣した王侯諸将は、ついに秦を滅ぼした。それは、陳勝がさきがけて大事をあげた賜物である。」とも書いてありますね。
太史公曰く以下にも
貧民の子で、才能はなく、陶朱公のような富があったわけでもないのに、散じりになった兵卒を率いて秦を攻め、木を斬って武器とし、竿をかかげて旗としたところが、天下の民衆は雲のごとくに集まり、影のようにしたがった。かくて山東の豪傑・俊秀はついにならび起こり、秦の一族を滅ぼした。
とあります。
項羽については、
3年にして5諸侯を率いて秦を滅ぼし、天下を分けて王侯を封じ、政令は項羽から出ることとなって、覇王と号した。・・・(中略)・・・近古以来いまだかってなかった盛事である。
>NAGAICHI様 perdido様
一介の農民が国家を揺るがす大反乱を起こし、王を称するという事は全世界を含めて
以前の時代において無かったと思います(多分ですが)。また、陳勝が革命政権を運営する
のには、士大夫層の支持・協力がなければ難しく、止むを得なかったでしょう。
それでも陳勝は彼らを使いこなすことができず、配下を統制できずに崩壊してしまいました。
中国では士大夫層の扱い方に鍵がありそうです。
>太白さま
>以前やったNHKスペシャルからの映像の使い回しが多いですね(笑)。
まー、これはしょうがないでしょう。NHKスペシャルほどの予算はつかないでしょうし。
むしろ最新の「HERO」の映像のほうが違和感ありまくりで。(-_-;)
>始皇帝陵の頂上の土の水銀含有量を調べて、自然に含まれる量より多いというので、
これは、岳南『秦・始皇帝陵の謎』(講談社現代新書)とかにも書かれてます。
1981年の中国社会科学院の調査で、
土壌の水銀含有量が70-140ppb、最も深いところから取ったもので280ppbあったそうです。
周辺地域の土や陵を積み上げるために使った土は、含有量が八分の一だったそうで。
『史記』の「水銀を以て百川江河大海を爲り、機もて相灌輸す」は信頼に値するとの結論を
えたとのことです。
>自称 字画伯さま
>太白捉月図の李白の詩そのものは無く、故事からのイメージで描かれたものと解釈すればよいの
>でしょうか。
そう思います。
もし間違っていれば、どなたが訂正してくだされば、と。
>MNOさま
>ああ、「王侯将相寧有種乎」のセリフはまた聞けないのか…。
漢楚を解説するには、陳勝・呉広の乱は無視できないわけで、
台詞は出てくるかもしれません。
でも軽く流されそうな気もしますねえ……。
>perdidoさま
『史記』が陳勝のために世家を立てているというのも興味深いですね。
後世の史書なら列伝の最後に持ってかれてもおかしくない。
司馬遷はさんざん悪口いいながら、諸侯なみの功績を認めているわけで。
陳渉世家の最後に、高祖が陳勝のために三十家の墓守りを置いたことを
紹介してるというのも、屈折した論賛だと思います。
>「世界史上でも最初の大規模な農民蜂起であった」と書いていますがどうなのでしょうね。
陳勝・呉広の蜂起によって旧六国遺民による国が立てられるんですが、
たぶんその中には、旧六国の大夫や士の階層も流入していて、
純粋な農民反乱とはいえないかもしれません。
世界史上最初なのかどうかも…、どうなんでしょうね。
>義眼の虎さま
はじめまして。亭主です。
あらら、ピロ皇帝さんとこは、アドレスが行方不明になって、今こちらからは
リンク切れしてるんですが、今も存続されてるんですね。
アドレス調べてみます。(教えていただいたほうが早いかもm(_ _)m)
宮城谷昌光さんは、僕も卒論(×)で取りあげたくらいハマってたことがあるんですが。
最近、読書サボってるもんで、ご無沙汰だったりします。
まあでも、古代史全般だいたいは話が通じるんで、
なんでも書いちゃって下さい。
よろしくお願いします。
>鹿角さま
陳舜臣さんの初期作品は僕は読んでないので、ちょっと分かりかねます。
陶展文探偵でしたっけ。
もとはミステリー畑の作家だったと、耳にしてるんですが。
神戸は華僑歴史博物館とか覗いたことあるんですが、
近現代の日中・日台ってのは、やはり幸福な関係ではなかったし。
苦労なさったんでしょうね…。
>劉秀の兄の劉演がやな奴なのが少し意外
劉[糸寅]は、豪快で兄貴肌でとっつきやすい人物だと思うんですが、
書くのが塚本さんではねえ。やはり妙に俗っぽくなるんでしょう。
>太白さん
住んでいるのは岩見沢で
苫小牧からかなり離れています
(TVに少しだけ出ました)
なのにここまで悪臭が漂うとは・・・
陳さんの二作
陳さんの二作品
枯草の根の方はデビュー作で
舞台が神戸であるものの
出てる人がほとんど中国人なので
日本で起きた事のように思えません(^^;)
青雲の軸は自伝的作品
日本人でないからと
楽しみにした行事や入部できないことに
同情してしまいます
以前のカキコの補足
劉秀の兄の劉演がやな奴なのが少し意外
亭主殿、常連各位御中。始めまして。 ピロ朝銀河帝国から参りました。義眼の虎と申します。 以前より、三国志には興味を持っていましたが、 宮城谷作品の虜となり、 夏王朝や、殷「商」王朝、 春秋・戦国時代に魅せられてしまいました。 どうか お仲間の中に入れて頂きたく存じます。
MNOさま
同感です。何か意図があるんでしょうか。そのときの庶民の悩みを率直に表現し、人間の姿を生々しく描けるテーマなのに...>陳勝・呉広の乱
漁陽の守備のために雨のために、いくべき期限に間に合わなくて殺される、反乱を起こしても殺されるそれなら国を建てようではないか、と「陳渉世家」に書いてあります。
司馬遷は、ただ一人の匹夫に秦は七廟を破壊され、身は人手にかかって殺された、と書いています。
陳勝の勇気というかやけっぱちというかが「歴史を動かした」と自分も思います。
駒田信二氏は、『新十八史略』天の巻「崩れゆく帝国」で、「世界史上でも最初の大規模な農民蜂起であった」と書いていますがどうなのでしょうね。これはちょっと気になるところですが...
NAGAICHI様、放送予定日を御返答して下さりありがとうございます。
やっぱり、漢楚抗争かという感じです。たまには陳勝・呉広の乱について
特集をくんで欲しいものです。ああ、「王侯将相寧有種乎」のセリフはまた
聞けないのか…。
永一様。早々に「李白捉月」のお答え誠に有り難うございました。太白捉月図の李白の詩そのものは無く、故事からのイメージで描かれたものと解釈すればよいのでしょうか。漢詩や歴史に、うといもので亦投稿してしまいました。当方急ぎませんのでお手すきの時にでも教えてください。よろしくお願いします。
>perdidoさま
Kayさんのページを読み返してみましたが、劉秀と陰麗華が幼なじみと取っているのは、
劉秀と陰麗華が早いうちから婚約を結んでいたという解釈からみたいですね。
紹介のしかたが悪かったので、すれ違いみたいになってしまってすみませんでした。
>MNOさま
「その時歴史が動いた」
項羽と劉邦〜天下を動かした運命の宴 鴻門の会〜
11月5日(水)21:15〜21:58 NHK総合
ですね。
ビジュアル的にはかなり楽しみです。
>Dinh Hoan Uanさま
はじめまして。枕流亭の管理人の永一です。
ベトナムのかたが来られたのは、はじめてですね。
もうしわけありませんが、書きこみが文字化けしているので、削除させていただきます。
内容は興味があるのですが、復元できませんでした。
この掲示板は、文字コードがS-JISコードで、タグ使用は制約が多いので、ご注意ください。
これにめげず、また書きこんで下さったらと思います。
>自称 字画伯さま
はじめまして。
「捉月図」ですが、
北宋の画家で喬仲常という人の作に《李白捉月圖》というのがあるそうですね。
ほかにもあるらしいので、画題としてポピュラーなものなのかもしれません。
李白の「捉月」の故事というのは、
「李白が酒に酔い、池に映じた月を取ろうとして溺れ死んだ」という伝説のことです。
それで亡くなっている李白が、その故事について詩を残すことはありえません。
李白捉月については、後世の詩がいくつかあるようです。
蔡珪(?-1174)の「太白捉月圖」
「寒江覧得釣魚船/月影江心月在天/世上不能容此老/画圖常看水中仙」
宋九嘉(1183?-1233)の「題李白泛月圖」
「江心月影尽一掬/船頭杯酒尽一吸/夜凉風露点宮袍/天地之間一李白」
ただ今、NHK総合で始皇帝の回の後編を再放送中なんで見てます。
先週の本放送の時もちょっと見たんですが、やはりというか、以前やったNHKスペシャル
からの映像の使い回しが多いですね(笑)。
あと冒頭で「始皇帝暗殺」かな? の戦車戦闘のシーンでした。
(で、最後が「HERO」とは、時代だな〜(笑))
ちなみにそのNHKスペシャルでは、始皇帝陵の頂上の土の水銀含有量を調べて、
自然に含まれる量より多いというので、史記の記述は正しかった、みたいなことやってましたね。
まぁ、陳勝が張楚と号したり、そして項羽と劉邦も楚人だったんで、なにかしら楚に
因果を含めたラストにしたかったんでしょうか。
・・って、ひと口に楚って言っても広いからなー(^^;
李白の詩をイメージした捉月図について教えてください。どんな詩なのか知りたくて投稿しました。よろしくお願いします。
「その時歴史が動いた」の次回の中国史特集ですが、漢楚抗争についてでしょうか。
その前に、陳勝・呉広の乱を採り上げるべきでしょう。どうも、陳勝・呉広についての認識度が低いようですね。私は、彼らの決起によって「その時歴史が動いた」のだと思います。
NAGAICHIさま>
なるほど。ありがとうございます。例えるならとなりの学校のマドンナか...
でも10歳年下...20才ごろなら中学生に恋心?
たしかに現代の感覚じゃロリコンじゃ。でも大人っぽい子っていますよね〜
なんかあぶないなあ(爆)。ちなみに自分は逆に綺麗で知的なおばさんが好きらしくてひやかされてる(爆)。
とにかくご教示ありがとうございました。
>IMOさま
歴史もの漫画って流行してるんですかね。
角川の某少女誌とか潮の某誌とか、歴史を売りにしていた漫画雑誌がここ数年で
休刊になったりしてたんで、出版全般の不況と同時に、歴史ものも下り坂かいな
と思ってたんですが。
すそ野は広がってるけど、売れ筋が見えなくなってるのかも。
とても歴史ものとは思えないマガジンの某戦国漫画が、まだダラダラ続いてるとか
思ったり。本宮ひろ志が意外とマトモな近代史漫画を描いていたり。
歴史漫画界もよく分からない……。
>perdidoさま
光武帝劉秀にとっての陰麗華というのは、若いころからのあこがれの女の子には
違いないのですが、のび太にとってのしずちゃんと喩えると、微妙な感じがします。
劉秀が南陽郡の舂陵に住んでいたのに対して、陰麗華は南陽郡の新野の人です。
同じ町内とかいうには、微妙な距離があります。
『後漢書』の皇后紀第十上の
「かつて、光武が新野に向かったとき、后(陰麗華)が美しいと聞いて、これに
心スばせた。」
というのも、多少の距離をおいて憧れをいだいている劉秀という像が浮かんでき
ます。高嶺の花というのもあながち間違いではないかと。
それから陰麗華は劉秀より十歳の年下です。
劉秀の長安遊学中(二十歳ごろ)に
「仕官するにまさに執金吾となすべし、妻をめとるにまさに陰麗華をうべし」
とか言ってるのは、現代的感覚ならロリコンのレッテルを貼られてるところです。
まあ、当時のことですから、あまり問題にもなりませんけども。
河出の『新十八史略』は、僕は文庫のほうをもってるんですが、
野口定男さんの「西域の鬼傑」の冒頭のあたりは、たしかに微妙に間違ってますね。
劉秀が陰麗華と結婚したのが23年6月で、郭聖通と結婚したのが24年春です。
しかし『新十八史略』は、常石茂さんの「柔よく剛を制す」の章が、光武帝の紹介
としてはかなり詳しいので、お得な本です。
おひさです♪
kayさんのHP携帯から楽しく拝見しました。
う〜ん、陰麗華って、のび太にとってのしずかちゃんだったんですね。つまり幼なじみのヒロイン。あこがれの女の子。しかし名前からしてほんとにとってつけたような美人の名前だよな...日本人でもありがち。
光武帝は、貧しかったころ「官位につくなら執金吾、妻をめとらば陰麗華」って考えていて、愛読していた『新十八史略〜地の巻〜』(河出書房新社)には、野口定男氏が「陰麗華の美人の代表としての評価がうらぶれたわが身にくらべて印象深かった」「郭氏という皇后がありながら、さらに陰麗華をも手に入れたのだ。」にと書いているのでイメージが全然違ってしまった。高値の花だったのかと思ってたのが、じつはとなりのみよちゃんとかしずかちゃんだったとは...つまり野口氏はよく知らないで書いていたことになる。
しかも一旦結婚していて生き別れて、再開したときには郭皇后と結婚していたなんてほんとになんかのドラマみたい。う〜ん事実は小説より奇なりといおうか...
今歴史ものの漫画が流行っているそうです
新たな分野に挑戦するよりも歴史を描いたほうが無難という理由だからだそうです
(意外と日本人って保守的なのか?)
ちなみに歴史の勉強になって一石二鳥です
「その時歴史が動いた」始皇帝特集第二回の感想をちょろっと。
ひとつに、「焚書」と「坑儒」です。
番組では、法吏・方士・儒者の三派の派閥争いの構図を強調してました。
従来まずは言及される思想弾圧という側面を抑えめにしてましたね。
始皇帝の資質よりも廷臣間の争闘に原因を求めるわけで、
これはこれで面白いと思いました。
しかし、焚書・坑儒も、論ずる人しだいでぜんぜん違う像を描きますねえ。
番組からは離れますが、焚書と坑儒が別目的だとか、そもそも「儒」は
広く諸生を指しているとか、儒家より墨家のほうが弾圧されたとか、
諸説あるテーマです。
僕みたいなアマチュアでも論じやすいところじゃないかなあ。
僕がこのテーマで気になるのは、漢の高祖に仕えた叔孫通ですね。
この人の伝を見ると、二世皇帝の時代にも儒者が生き残って堂々と秦に
仕えていることが分かります。
うまく理屈をこねられれば、一説が立てられそうな気がしてます。
もうひとつに、始皇帝が湘山祠で大風に遭い、怒って湘山を禿げ山にした
という事件。
番組では、楚の神さまを侮辱した事件を楚の人々が忘れず、それが秦滅亡
の伏線になったように描いていました。
これは大げさすぎじゃないかなあ。
湘山にまつられているのは、舜帝のふたりの妃(娥皇・女英)で、舜の死
後に湘水に身を投げたといわれている人たちです。
でも湘君は湖南の神さまで、たぶんもとは土着神だと思うなあ。
そんなに信仰が広まってたかどうか。詩人屈原ならいざしらず。
陽城の陳勝や陽夏の呉広やの下相の項羽や沛の劉邦といった人々が、湘山が
禿げ山になったから激怒するというイメージが、どうも腑に落ちないですね。
中国の有人宇宙飛行は思った以上の大騒ぎだったようですねえ。
NHKのクローズアップ現代とか見てました。
動機はかなり不純そうだけど、まあ結果が出せればいいんじゃないかと。
月探査や火星探査とさっそく夢は広がってますね。
対するに日本は隣国のパフォーマンスに目を奪われてる前に、まず自前の気象衛星
なんとかしろって。
>鹿角さま
郭聖通と陰麗華については、Kayさんとこの
http://www2.justnet.ne.jp/~kays/m-yinleika.htm
がけっこうおもしろいです。
僕としても陰麗華が陰謀家だとは思えない(思いたくない;?)です。
あと東海王劉疆ですが、皇太子位を廃されたのが西暦43年のことで、
亡くなったのが光武帝死後の58年のことなので、
「太子返上の後間もなく」ではないと思います。
SEEDはファーストとWを足して二で割った話と思っていたのですが、
最終回を見てますますその確信を深めました。
僕自身いろいろケチもつけましたが、僕はあの話に登場したキャラたちが
今でも好きですし。もう少し完成度が高ければ、と思えてなりません。
>シンドウ243さま
「世界の歴史」のタイトルのシリーズはいろんな出版社から出てますね。
中公から河出から岩波から社会思想社からetc.
僕も古本屋で見かけたら買う程度なので、断片的にしか持ってないんで
すが。
鹿角さんのおっしゃってる旧版とは、
宮崎市定責任編集『世界の歴史6宋と元』(中公文庫)のことでは。
この中公旧版シリーズは十六巻完結で、新版とはまったく別物です。
図書館か古本屋で探してみられたらと思います。
>太白さま
四国くんだりにいると、地震そのものよりあの火災のほうが大々的に
報道されてた印象があります。
あれはあれで教訓の多い事故だったんでしょうが、でもなんだかなあ。
他人事ではなくて、南海地震が三十年以内に起こる確率50%とか。
もっと急迫なのが、東京直下と東海地震みたいですが。
みなさんお体には気をつけて。
>光璧さま
太微の誤植ですか。
『史記』天官書などでも、
「衡星は太微星ともいい、日・月・五星の三光の廷にあたる」とありますね。
たしかに太微なら自然でしょう。というか、紫微はやっぱありえないし。
ケイ惑は「勃乱・残賊・疾喪・飢餓・戦争を司る」星で、
それが紫微なり太微なりに侵入するということは、
災異が西晋の宮廷を直撃する予兆という含意なんでしょうね。
『晋書』天文志下も、「五年六月、劉曜、王弥が京都に入り、宮廟を焼き、
帝をとらえて平陽に帰る」と続いているんで。
どうも、ありがとうございました。おかげですっきりしました。
薮内清『中国の科学』
似たような本を自分も持ってるよなあと思ってたら、
薮内清『中国の科学文明』(岩波新書)でした。(爆)
> 「春、正月の辛丑の一日(陰暦の元旦で辛丑の日)、
> ケイ惑(火星)が紫微(天の北極)に侵入した」
なるほど変だなぁと思ったので、少し調べて見ました。
この部分に対応する『晋書』の記述は、天文志下にあり
(ただし正月庚子になってます)、実はこの部分に関しては
薮内清『中国の科学』(中央公論社世界の名著12、1979年)
に訳があるんですけど、見たところさらっと流してますね(^^;
一方、『晋書コウ注』の該当箇所には
「群書拾補に曰わく、趙敬夫が云う、ケイ惑当に紫微を犯すべからず。
疑うらくは是れ太微なりと。」
とあるんですけど、趙敬夫という人の個人的見解だからなのか、
中華書局版『晋書』の校勘でも言及さえされてないです。
でも、結局この誤植説が一番ありえそう(^^;)
太微垣なら一部が黄道上にあるので、接近可能だし……
>鹿角さん
まー元々HNの由来は李白の字から取ったり、たまたま夕方に空を見上げたら
宵の明星が目に入ったり、ってもんなんですが(笑)
鹿角さんは苫小牧の方なんですか〜? ウチは帯広なんで、揺れだけですね。被害は。
(といっても、道東の町村では断水したほか、牛舎が機能停止してしまってやむなく離農
してしまった、って所もあったようです。全国的に報道されないような小さなことでも、
当事者にとっては深刻な被害が多かったようですね)
ともあれ、悪臭ってことは原油が燃えた影響なんで、お体に気をつけて。。。
NAGAICHI Naotoさん、鹿角さんこんばんはー。
鹿角さん、世界の歴史は新版と旧版とがあるのですか?
ということは、それぞれのシリーズ(各巻に)あるのでしょうか?
ともすればこれはとても嬉しいことですね。
出光の火災があった時かなり現地から離れてるはずなのに
悪臭がこちらにまで漂って来ました
太白さんのところもそうですか?
なんか旧版の方が面白いような・・・
フウ道と柴栄のやりとりは物語そのものだし・・・
シンドウ243さま よければ旧版の方も目を通して下さいな
劉秀が天然ボケかましてくれないのが少し残念・・・(^^;)
郭聖通とはほとんど結婚詐欺みたいに夫婦にさせられてしまうし・・・
でも彼女の悪妻ぶりをみていると
「本人はそれほどひどい人じゃなかったんじゃない?」と
いいたくなってしまいます
光武帝が自分を正当化するために
ことさらに悪妻ぶりを書き立てた面もあるのではないかと・・・
それに彼女の息子である東海王は
太子返上の後間もなくといっていいほど死んでますよね
その兄弟達も終わりを全うしたとはいえないし・・・
彼らの死に陰皇后がかかわっているんでしょうか?
(あまり考えたくありませんが)
赤眉の乱平定で話が終わっているのが残念
「今は譲るけど将来絶対取返す」といった
麗華さんがどんな手段で奪回するのか見たかったし
劉秀の天子ぶりもみたかった・・・
でも塚本さんは霍去病の弟の霍光も書いているので
別人を主役にされるかもしれない・・・
SEEDの最終回は結局1stにおんぶにだっこ・・・
「ラストくらいオリジナリティー見せろ!」
そう画面に叫んだのは私だけ?
通鑑翻訳を少しずつ進めてるんですが、気分次第で進んだり進まなかったり。
今巻八十七(晋紀の九)なのですが、いきなりの冒頭で
「春,正月,辛丑朔,ケイ惑犯紫微。」
で固まったりしてます。
意味的には、
「春、正月の辛丑の一日(陰暦の元旦で辛丑の日)、ケイ惑(火星)が紫微(天の北極)に侵入した」
という天文ネタであっさり片づくはずなんですが、
ちょっと待てよ。火星が天の北極???
太陽系の惑星って、ほとんど天の黄道上を動いてなかったっけ?
というジョーシキが頭をかすめまして、
首をひねってます。
もしかしたらなんかの間違いで、考えるだけ無駄なのかもしれないけど。
うまい説明はないものか?
>Yangziさま
はじめまして。
情報ありがとうございます。
やはりあるものなんですね。
しかし、中国の古典小説が日本で漫画化されて台湾に輸出されるというのも。
ある意味歴史の妙かもしれず。
>太白さま
田横の伝記については
http://kanso.cside.com/denou-top.htm
が詳しいですが、
小説も田横自刎まではやるんじゃないですか。
しかし宮城谷さん、家臣五百人自殺もやるんかいな?
あれもホントかいなって感じのあまりに劇的すぎる話なんですけど。
始皇帝特集第一回は、意外とまともでした。
いや、残念。(って違うだろ)
目新しいのは、やっぱ里耶秦簡かな。
そういえば今、毎日新聞で宮城谷昌光の『香乱記』っていう、楚漢争覇期の斉の田横が
主人公の小説が連載されてんですよね。先日の連載でとうとう項羽が死んでしまいましたが、
『項羽と劉邦』と違い、まだ続くようです。漢初の諸侯総入れ替えぐらいまでやるのかな?
>NHK「その時歴史が動いた」で二回にわたって始皇帝特集らしいです。
昨日のは仕事で見れなかったんで、再放送情報はありがたいっす(←それこそ新聞見れって(笑)
以前のNHKスペシャルでは、李斯から見た始皇帝、っていう作りでしたね。そういえば。
しかし、『占い師』って・・・?(方士か?)
NAGAICHIさま、はじめまして。こちらのホームページを時々、拝見させていただいています。
横山光輝氏の三国志の中国語版ですが、台湾の東立出版というところで発行されています(海賊版ではありません)ただ、yesasia.comでは版元品切れの模様なので入手できるかはわかりません。マンガの"three kingdom"で出てきます。草沁苑さんでも扱っています。台湾ですので、繁体字です。他、項羽と劉邦、水滸伝もあるようです。
http://global.yesasia.com/jp/PrdDept.aspx/pid-1000009160/section-comics/did-7/code-c
だめ管理人です。
こちら見ておられるかどうか分かりませんが、
うちのマンガコーナーのフォームに投げてくださったDBさんへ。
書かれた内容がわずかに微妙にあそこの主旨とちがうので、
こちらに転載しておきます。
--
cartoonist=
横山光輝
cartoon=
三国志(中国語版)
publisher=
introduction=
★中国語の海賊版などが出ているようでしたらぜひ教えてください。
--
ご存じのかたがおられれば、僕も教えてほしいですね。
NHK「その時歴史が動いた」で二回にわたって始皇帝特集らしいです。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/
【前編】稀代のカリスマ・中国に立つ
〜秦王朝、初めて天下を統一〜
10月8日(水)21:15〜21:58 NHK総合
【後編】秦王朝崩壊、それは統一から始まった
10月15日(水)21:15〜21:58 NHK総合
再放送は、木曜深夜(実は金曜)午前0:15〜0:58 NHK総合
陳舜臣さんが出るらしいし、見ないといかんでしょうね。
「舜」の字を誤字るなよ、NHK〜っ。
気になる文面。
「秦では『儒者』『法律家』『占い師』の者が政治の献策を行っていたが、
始皇帝の死後、3者の派閥争いが激化。」
うーん、どういう描き方をするつもりだろ、心配だ。
さて、『資治通鑑』が忙しくなりそうな予感。
>kusamaoさま
見たとおり、こちらのリンク頁からも貼らせていただきました。
バナーの件、承りました。
>太白さま
十勝の地震の報を聞いたとき、うちの掲示板って北海道のかたが多いよなあ、
というのは頭をよぎったのですが、その後すっかり失念しており、まったく
無礼千万で冷徹無情な管理人でした。
お見舞いのひとつもなく申し訳ありません。
身体のほうが無事でなによりです。
ご自愛くださいませ。
うちの本棚は、別に立派なものじゃないのですが。
>これは単に二役なだけだったのでは?
それじゃ作中世界ではただ似てただけってことですか。
フレイの「パパの声…」とかいうのも、制作者のシャレもしくは思わせぶり?
クルーゼがフレイをさらった理由も判然としないんだよなあ。
>個人的には、例の宇宙鯨が外宇宙から襲い掛かってきて、一時休戦し、
>全ガンダムが協力して戦う(笑)、っていうラストを予想
そういう荒唐無稽そうなのも、最近のガンダムじゃありえそうでこわいっすね。
>宣和堂さま
>にしても、あと三話足りなかったような気がしますね。
ちゃんとシナリオ組んどけば、五十話でも充分足りた内容だと思います。
中盤総集編だらけで、終盤駆け足ってのも、何か計算違いがあったんでしょう。
イラク戦争の影響があったという噂もありますが、真相はどんなものだか?
>カガリとアスランと一緒にヤキン・ドゥに乗り込んでいった謎の兵士が気になったり…
その謎はアストレイで…って、冗談ですが。
思わせぶりなとこ、別のメディアで解決させるつもりなんじゃないかって、疑えば
きりないですね。
>でも、イデは発動した!とか、おめでとー!で真の結末は劇場にて!にならなくてよかった
>気もしますが…。
イデオンやエヴァの真似をしろとは言いませんが、
そのくらい視聴者に喧嘩売れたら、あるいは名作になったかもしれませんぜ。
>考えたら自分の好みの皇帝ってみんな面白皇帝だ……。
中華面白皇帝No.1って誰でしょうな。
明武宗朱厚照君か清高宗弘暦君か。
がばなーです。よろしくお願いします。
と言うことでSEEDの最終回を見て、結局見せ場があったのはイザークだけだったような気が…。
にしても、あと三話足りなかったような気がしますね。ガンダムで言うと光る宇宙と宇宙要塞ア・バオア・クーと脱出合わせたような内容だった気も…。しかし、あれだけひっぱっといて、最終的にはキラに刻を見せるためだけにフレイ様殉職させなくてもいい気がしました。
自分としてはカガリとアスランと一緒にヤキン・ドゥに乗り込んでいった謎の兵士が気になったり…(進行途中までキラかフラガも行くことになってたとか言うオチか?)。
でも、イデは発動した!とか、おめでとー!で真の結末は劇場にて!にならなくてよかった気もしますが…。
永一様曰く…
>○フレイ幽霊化は正直萎えた。
まあ、自分がΖ嫌いなのも最後の幽霊大合戦が嫌いだからなので分かりますが、アレはやはりララァ化と言った方が良さそうで…。でも、どうもフレイ様に末期の言葉言わせたいが為に無理矢理殉職させた感じですね。
>面白皇帝だったら高評価まちがいなしなんですけどね
考えたら自分の好みの皇帝ってみんな面白皇帝だ……。
テレビではコンビナート火災とか映ってますが、死者もなく(行方不明が2名いますが(--;)、
私が一番被害にあったのは平積みにしてた本の山でした(笑)
永一さんとこは、大きな本棚があるみたいでいいな〜(笑)
>SEED最終回
ビデオに録ったのでまだ見てませんが、しかしこれほど世間で話題にはなっていても、
関心が「誰が死ぬのか?」とか「誰と誰がくっつくのか?」とかという、
ストーリー展開(せっかくの三国鼎立も生かし切れず)や新登場のモビルスーツすらあまり
話題にならなかったところに、SEEDの基礎体力のなさというか、内容の薄さを感じます。
>フレイパパ
これは単に二役なだけだったのでは? 他にも二役三役が多かったですから。
>こんなつまらんラストなら〜
1)ラクスの歌に感動し、戦争終了。
2)イデ発動し、全員死亡。
こんな辺が噂(半分ネタ)に登りましたねー仲間内では。
個人的には、例の宇宙鯨が外宇宙から襲い掛かってきて、一時休戦し、
全ガンダムが協力して戦う(笑)、っていうラストを予想してたんですがねぇ・・(^^;
安南都護府が見つかったのか。ふーん。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030927-00000033-kyodo-ent
SEED最終回については言いたいこといってガス抜きしときましょか。
一言でいって未消化でした。
○クルーゼの愚にもつかないお喋りに対して主人公キラの主張があまりにも弱かった。
同時に作品全体の主張もぼけていた。
○伏線のいくつかが未解決のまま終了した。
宇宙クジラの化石とかフレイパパの声とか。
○ラクスがずっとメインヒロインのような体裁だったのに、最終回はなにもヒロイン
らしいことをしなかった。
○フレイ幽霊化は正直萎えた。
○感動も余韻も全くなかった。
うーん、こんなつまらんラストならもっと悲惨なラストのほうがまだまし
だったと思うな。
例えばイザーク・ディアッカ・フレイ屍れ、エターナル撃沈し。地球は砲撃
されてクルーゼ老醜さらしながら高笑いし。キラ・クルーゼ相撃ちで、アス
ラン・カガリだけ生き残って、「戦争は終わらない」とかさ。最後にわざと
らしくラクスの歌とかね。
作品中面白くなりそうな要素はたくさんあったのに、使い切れず、
視聴者に媚びまくって、かえって駄作になってしまったんでしょね。
商業的には成功だったんでしょうけど。
売れてなくても、富野「キングゲイナー」のほうが万倍優れてると言って
おきましょう。
いつも、人物が知りたいときにお世話になっています。
それで、相互リンクしたいのですが、いいですか?
いいのでしたら、メールまたは、掲示板への書き込みをお願いします。http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/3921/index.html
>宣和堂さま
>再評価するのが最近の流行みたいですね。
流行なんですか。うーん、古い本しか読んでないものだから。
>寓話的で自分は歴代皇帝の中でもっとも好きな皇帝です。
これはお察しします。
僕もいちばん好きではないけれども、たぶん何番目かには好きな皇帝なので。
面白皇帝だったら高評価まちがいなしなんですけどね。
>まあ、内政的には少なくとも開封府あたりまでなら改革して住みやすいようにはしようと
改革意欲はあったとすべきですかね。
結果として褒められないのが、全体の不公平は拡大してしまったってことで。
>平和な時代の小間使いとしては有用な人物だったと思います。
宮崎市定『水滸伝−虚構の中の史実』の姦臣蔡京の章とか読むと、
なかなか細かい術策を弄してるなと思います。
オポチュニストで政見もなかった人だけど、
頭の回転は早かったんだろうなと。
>それはそうと、今週はSEED最終回ですねぇ……。
4クール52話の予定が50話になってしまったので、ここんとこ話が駆け足ですね。
中盤の総集編はホントいらなかった。
はたして誰が最後まで生き残るでしょうか。
>中根さま
お久しぶりです。
>中国史人名辞典の明の呂坤の項に「号は心吾」とありますが、これは新吾の誤りではないで
>しょうか?四庫全書総目提要に引用する書物には呂新吾とあります。
ご指摘ありがとうございます。
工具書で申し訳ないんですが、
池秀雲『歴代名人室名別号辞典』(山西古籍出版社)の「心吾」の項に
「呂坤,字叔簡,号心吾(一作新吾),明寧陵人。」とありました。
あと『中国歴史大辞典』(上海辞書出版社)の「呂坤」の項でも
「明寧陵人(今属河南),字叔簡,号新吾、心吾。」とあります。
「心吾」でも間違いではないのではないかという気はするんですが。
「新吾」のほうが通用であるということであれば改めます。
というか併記したほうがよいのかも。
うちの人物事典も、明・清のあたりはむかし作りかけのまま手入れてない
んで、呂坤も紹介になってませんね、あれじゃ。
せめて朱子の理気二元論に反対した人だくらいのことは書かないと。
>信憑性を評価した本は管見の限りないようです。
あ、いや、まじめに信憑性を疑ってるわけじゃないんです。
思いつきを口にしただけですんで。
お久しぶりに書き込む中根です。ご無沙汰しております。
中国史人名辞典の明の呂坤の項に「号は心吾」とありますが、これは新吾の誤りではないでしょうか?四庫全書総目提要に引用する書物には呂新吾とあります。
目に留まったのでご報告しておきます。
>「揚州十日記」
信憑性を評価した本は管見の限りないようです。内容は真面目な本です、一庶民が清の虐殺におびえているありさまを赤裸々につづったものです。しかし、C末に革命家が世に出すまで
禁書だったか何かで埋もれていたこともありますし、疑えばきりがないかも知れませんね。
>徽宗
宣和堂さんの評価に同感です。
京都の挨拶では「お茶漬けでもいかが」というそうです
建前と本音は難しいです