枕流亭総合掲示板過去ログ38(2004年4月29日〜2004年5月28日)



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人類の原罪 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月28日(金)21時48分56秒

なぜうちのようなサイトの掲示板で、ディープなキリスト教の話題で
盛り上がっているのか?と思ったのですが…、
元をただせば自分が振った話のようですので、匙を投げる、もとい腹
をくくるしかありませんな。
管理人のキリスト教知識がいい加減きわまりないことが暴露されまし
たので、その辺に晒しとくということで、お許しを。(^^;)


>鹿角さま
>孔明が剣を使うシーンがあるのにびっくり!

なんか他の作品にもなかったっすかね?
大西巷一『女媧』とか…あれは違うか。

>吉川さんの詩を盗用したと言ったのは・・・

そうなんですか?
そこらへんしっかりネタ洗って、どっかに売り込んでみて下さい。


>perdidoさま
分かる人が見れば、あれも全然オーソドックスじゃないんすね。
なんか僕が喋れば喋るほど墓穴を掘ってるような気がしますが。

>司祭というのは、カトリックの聖職者名です。

不正確なタームの使いかたでしたか。
法王(総大司教)−大司教−司教−司祭というヒエラルキーは覚えて
いるし、神父(旧)と牧師(新)の違いくらいは分かってるつもりな
のですが。
でもドルイドの司祭なんて言い方もあったような?あれも誤用?

>祭司長たちは、主としてサドカイ派で、

ありがとうございます。
かれら映画では単純な悪役にされてたので。
弾圧された側のほうが可哀想で同情を引くのは確かなんですが、
古典的図式のまま、ああいうかたちで筆誅ならぬ映誅(?)を加えつ
づけられるのも、はたして新作映画としてどうなのかな、と。
向こうで騒いでいるほど反ユダヤ的とは思いませんでしたけどね。

>あと、なぜ十字架にかからなければならないのか説明不足な感じがして

僕の批判の核心もここです。
十字架にかける側の動機が考えられていないです。
悪役に全くシンパシーをもたない物語は薄っぺらだと思うのです。


>しみずみなさま
お久しぶり。あのころの連中で「カテーセーカツ」を営んでるのは、
君だけだよ。独身者ばかりでさ。

>こんな映画があってもいいんじゃないですか?

僕は内容を批判してはいますが、存在じたいを否定はしてませんけど。
こんな映画消えてしまえと思ってるわけではないし。
宗教宣伝映画も否定しません。気分しだいで批判はするでしょうけど。
オウムであろうが、ビンラディンであろうが、宗教宣伝映画作りたけれ
ば作ればいいと思ってますけど。(これはこれで暴論なのか?)

>結果的にブッシュ政権やキリスト教原理主義への痛烈な批判になっている、
>とも感じました。

あれっ?と一瞬引っかかったんだけど、「結果的に」ですか。
皮肉な意味ですね。


ちょっと一言 投稿者:匿名  投稿日: 5月28日(金)20時19分57秒

 議員年金はそんなに悪者か?


弟妹 投稿者:two_yossy  投稿日: 5月28日(金)01時05分8秒

perdido様
  感服つかまつりました!!
  解説を拝読し、「そういえばそうだったねぇ」と、思い出すところが多々。脳ミソが
 軟化しちまってますから、おおよそ忘れてます。聖書ネタは。
  それで数年ぶりかでパラパラ見ながら思ったことをば。
  映画の中ではイエスの最期を追うのは、常に二人のマリアとヨハネになっていました
 けれども、イエスには「主の兄弟」ヤコブを含め4人の弟と、数人の妹がいたはずです
 よね。彼らは長兄の一大事の最中、どこにいたのでしょうか。
  また細かいところでは、主の兄弟ヤコブ亡き後、教団の指導者的な存在になったと言
 われる、イエスの父ヨセフの兄弟クロパの子シモン(イエスの従兄弟)など、いわゆる
 「親戚縁者」たちの動向やいかに? ヤコブにしてもシモンにしても、半ば担がれたと
 はいえ、伝導の道にかかわったということは、それ以前からイエスを尊信していたわけ
 ですよね。また新進の活動には家族の支えが必須(釈迦でさえ信者の中には息子や乳母
 が含まれていたわけですから)。使徒たちとは一家も同前の暮らしをしていたわけです
 し、どうも気にかかる。
  やはり東アジア人だからでしょうか(ちょっと自己嫌悪)。


あ、パッションだ 投稿者:しみずみな  投稿日: 5月27日(木)00時11分7秒

NAGAICHI様
お久しぶりです。気まぐれで立ち寄ったら「パッション」の書き込みがあったので、ちょっとお邪魔します。
プロテスタントの信徒の立場から見て、この作品はカトリックの伝承や宗教画のイメージに沿った描写が多いと感じました。映画としての解釈の余地は狭いですが、これが「正統」だと思ってほしくはないですね。
「側面」ではなく明らかに宗教宣伝そのものですが、こんな映画があってもいいんじゃないですか?奇を衒わず、批判も恐れず、という姿勢は評価したいです。結果的にブッシュ政権やキリスト教原理主義への痛烈な批判になっている、とも感じました。
あと、「ケファ」の字幕が「ペトロ」だったのは、当然かもしれないけどちょっと残念。


どうしようか... 投稿者:perdido  投稿日: 5月26日(水)19時15分52秒

オフィシャルサイトにも「司祭」って書いてありますね(タメイキ)。


「パッション」の感想3 投稿者:perdido  投稿日: 5月26日(水)02時05分8秒

あと、神殿の幕が裂けるはずなのに、神殿そのものが真っ二つに壊れた場面です。
神殿の幕が裂けることによって、キリストの十字架が神との和解を示し、大祭司しか入れない神殿の至聖所まで入って神に大胆に祈れることを示す重要な場面なのに地震で神殿が壊れたんじゃ、「あれっ?」って感じです。


「パッション」の感想2 投稿者:perdido  投稿日: 5月26日(水)01時53分20秒

two_yossyさんのいうとおり、科白がラテン語とアラム語なのはすごいと思いました。ああ、こんなふうに話してたんだというイメージを耳で聞けたのはよかったと思います。この映画の一番の売りでしょう。「イエス」がアラム語で「ヨシュア」と呼ばれているのに感動しました。アラム語で説教しているのは、すごいリアルです。


「パッション」の感想 投稿者:perdido  投稿日: 5月26日(水)01時43分27秒

今晩、「パッション」を観てきました。
NAGAICHIさま>
司祭というのは、カトリックの聖職者名です。この映画や新約聖書(福音書)に登場するのは、大祭司を支える祭司長たちと民衆の宗教的指導者でもあった律法学者たちです。
 祭司長たちは、主としてサドカイ派で、前2世紀頃のマカベア家(ハスモン家)のパレスチナ支配のもとで、マカベア家(ハスモン家)の宗教的・政治的立場を支持する党派として出現しました。その教理は、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)に記された律法にのみ最終的な権威をおき、そこに記されていない復活論、死後の生命、肉体のよみがえり(黙示録?)、未来における罰と救い、御使いや霊の存在を否定していました。自分たちの政治的、宗教的権威がイエス=キリストの出現によって脅かされるので非常に憎んでいたと思われます。
 パリサイ(ファリサイ)派は、もともとは、中下層階級の手工業者の間の熱心な律法研究家を中心に起こったものと考えられ、律法への服従の生活をなによりも大切なこととする個人の自覚に基づいて党派が形成されていたようです。サドカイ派がモーセ五書の字義的解釈にこだわる一方、パリサイ派は、先祖たちによる伝統的な言い伝えによって律法を解釈するという傾向がありました。聖書には律法学者とだぶる形で登場します。しかし、キリストによって見せるための祈りや宗教的行為の欺瞞、先祖たちによるひとりよがりでご都合主義的な解釈、自分たちの罪の性質や心の中の態度を厳しく「彼らは言うことは言うが実行しないからです。」と批判され、逆恨みをします。自分たちの宗教的権威や民衆たちからの尊敬を失うという危機感もあったことと思われます。彼らは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ」(申命記6:5)「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(レビ記19:18)という戒めの一番大切な精神を守らず、形式主義に陥り、「彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとしません。」という状態でした。
 
映画を見て、あれっと思ったのは、ペテロが3度知らないと言ったとき、キリストがペテロを見つめられた、という場面が、白目を向いていて、ちょっとがっかりしたこと、鶏の鳴き声がしなかったこと、マリヤが駆け寄った場面で、「母よ、全てが新しくなるのです。」という台詞があったこと、十字架につけられる前に「父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているか自分でわからないのです。」と言っていることです。残念なのは、百人隊長が神をほめたたえ「ほんとうにこの人は正しい方であった。」(ルカ23:47)、「この方はまことに神の子であった。」と言った(マタイ27:54/マルコ15:39)の場面がなかったこと、十字架から降ろして、埋葬される場面や復活を描くなら女性の弟子がお墓までいって、天使のメッセージを聞く場面がほしかった、あと、なぜ十字架にかからなければならないのか説明不足な感じがして残念でした。十字架の意味を示唆するのは、キリストの代わりにバラバが釈放された場面や、最後の晩餐、つまり聖餐式(カトリックなら聖体拝領)のパンと葡萄酒の場面を十字架と重ね合わせている部分で説明しようとしているのですが、予備知識がないと理解できないと感じました。ただ、アメリカでは、こういった予備知識がありますからそれを前提に映画を作っている感じがしました。
 映画は、いきなりゲッセマネの園の祈りから始まります。サタンが登場しますが、十字架にかかってからも祭司長たちが「神の子なら十字架から降りてみろ。」という場面で、サタンがささやく場面があってもよかったかなと、思いました。マタイによる福音書第4章にキリストが神の子であることを前提として、サタンが誘惑しているからです


北方三国志 3 投稿者:鹿角  投稿日: 5月25日(火)09時11分21秒

孔明が剣を使うシーンがあるのにびっくり!
チャンバラモードなんて他の作品には恐らくないでしょう・・・
にしても関羽達ほど強くないと思いますけど

張飛がこの作品では進んで汚れ役をやってるのも意外
周諭は小喬以外の女性に二世が出来て
それが張飛の運命に関わるあたりは驚きです

そして田中氏が悪くいってたのもこの作品だろうな(T_T)
吉川さんの詩を盗用したと言ったのは・・・


帝国の時代 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月22日(土)07時00分19秒

>two_yossyさま
>名場面集ばかりで、まるで勧進帳。

あたかも問題作みたいな報道のされかただったんで、
なんか意表をつく新解釈でもあるんかいな?と思って観に行ったんですが、
オーソドックスに描かれてすぎていることが、問題なのだという…。
むかし、キリストのHシーンがあるってんで物議をかもした映画あったけど、
あれの真逆のスタンスですなあ。

>流れが直線的で決定的でおしつけがましすぎるんですよね、やはり。

そもそも「受難」ですし、宗教(宣伝)映画としての側面は、十二分にあり
ましたね。僕みたいな人間はああいうの見ると、シンパシーに乗せられない
よう防壁を張っちゃって、妙に冷血な感想を吐きだすんですけど。(-_-)

>殷景仁さま
>同じ題材でも四つの福音書ごとに、筆者の見解の相違から、当然書き方に相違が生じて
>きます。こういうところを読んでいくことに、歴史を読むことの楽しみを、改めて感じ
>ています。

歴史の楽しみは、叙述の楽しみ、解釈の楽しみですからねえ。
東方某国の紀伝体史書なんか、筆者はひとりでも複眼的視点というのを見せて
くれますし。
映画は、特別難解なものとして作られたのを除けば、2時間ほどの時間で万人
にある程度分かるものを提供せねばならないわけで…よしあしですが。
しかし「パッション」は、歴史ものとしては直球的すぎましたね。
解釈の余地はだいぶ狭いですよ。

>太白さま
>「信長の野望 烈風伝」みたいな箱庭シミュレーション好きだった
>ので面白いです。

僕はあの手のゲームはダメです。
妙なところで神経質で完璧主義者な性格が出てきて、開発できる土地は全部
きれいに開発したくなっちゃって、委任すりゃいいものをそれもできなくな
り、そのうちルーチンワークがイヤになってやめるという。(爆)
RPGのレベル上げなんかでも、この手のパターンにはまって自沈すること
がよくあり。
大人になってからは、自分の性格わかってきたので、なるべくシナリオとし
てサクサク楽しめるゲームを選ぶようにしてるけど、でもやっぱりよく沈ん
でます。

>しかし、エジプトやローマやカルタゴや漢に混じって、"朝鮮"があるのはどうも。。。(^^;

ご愛敬なのか、ポリシーなのか、配慮なのか、ここではいちばん後者ではな
いかという気が…。
歴史的に「帝国」というのは、皇帝(エンペラーだかカエサルだか)がいる
ことよりも、多民族を包含して支配下においていることのほうが重要らしい
んですが、…まあ。
中国史でも、秦漢帝国とか隋唐帝国とかいう用語はありますが、皇帝はおり
ながら帝国とあまり呼ばれない時代あるしなあ。


自作シナリオ 投稿者:太白  投稿日: 5月21日(金)09時40分19秒

戦国史の「鄭芝竜の野望」、面白そうですね。
私も最近、ふと都市育成ゲームなんぞやってみたくなって、「エイジ・オブ・エンパイア」
やってるんですが、元々、「信長の野望 烈風伝」みたいな箱庭シミュレーション好きだった
ので面白いです。シナリオエディタもついてるし。
しかし、エジプトやローマやカルタゴや漢に混じって、"朝鮮"があるのはどうも。。。(^^;
まぁそれ言っちゃ"大和"もそんな古代帝国って訳じゃないんですがね(笑)

プレイヤーを漢に設定し、長城作って、敵の騎兵配置して「対匈奴戦だー!」とかやってます。
とてもシナリオって呼べるモンじゃないですが(笑)


再読 投稿者:two_yossy  投稿日: 5月20日(木)13時38分20秒

文成公
  殷公もお読みになられましたか。岩波現代文庫の『聖書時代史』、なかなか良書だと思う
 んですよね。手軽の分量でよくまとまってて、最近の斯界の動向にも配慮されてて。「旧約
 篇」を読めば絶対に「新約篇」も読みたくなる出来。「旧約篇」では「十二部族」の成立や
 大国の狭間での葛藤など、なかなか勉強になりました。「新約篇」では「あっけないイエス
 の死」に恐慌をきたし散会してしまった使徒たちと、草の根から立ち上がったイエス派の
 人々との後の軋轢とか。
  周囲にも奨めているのですが、誰も手を出そうとしません。でも二著を読んで、改めて
 聖書を読み直さねばと思っているこの頃です。 


映画は観ずとも 投稿者:殷景仁  投稿日: 5月20日(木)08時41分8秒

お久しぶりです。父の一周忌もようやくすませ、一段落というところです。
ちなみに墓石には、陶淵明の「帰去来の辞」の最後の二句を刻ませてもらいました。

two_yossyさま
こちらも最近『聖書時代史』「旧約篇」「新約篇」共に読みました。さらに岩波書店から
新しく出た『新約聖書』を読んでいるところです。
現在の「福音書」を読んでいるのですが、同じ題材でも四つの福音書ごとに、筆者の見解
の相違から、当然書き方に相違が生じてきます。こういうところを読んでいくことに、歴
史を読むことの楽しみを、改めて感じています。
映画を見ていない以上、言うべきことではないのかもしれませんが、キリストの受難を一
つの物語(見解)に統合しているとすれば、いかに考証的に忠実な再現であっても歴史的
(批判的)とはいえないかなと、個人的には思います。
様々な見解の並存を認めつつ、映画としての物語も進行する。あくまで個人的な見解に過
ぎませんが、そうした映画が歴史的(批判的)であるばかりでなく、世界中で原理主義的
言行が横行する現代、非常に有効なのではと思います。ともあれこの三冊は、非常に考え
させる充実した内容を持った書でお薦めです。


受難 投稿者:two_yossy  投稿日: 5月20日(木)00時45分46秒

永一さま
  「基督の受難」観てきました。
  で、あれは「歌舞伎」ですか!? 「聖ペテロの否認」「山上の垂訓」「最後の晩餐」
 「彼ではなくバラバを」「ゴルゴダへの行進」「聖シモン」「聖ヴェロニカ」などなど
 名場面集ばかりで、まるで勧進帳。
  いま佐藤 研『聖書時代史 新約篇』岩波書店を読んでいて、ちょっと複雑な気分。
 「CGを使ってただリアルに描けば、それが現代的」という映画作法には疑問を感じて
 いるんですけれども、三位一体説によれば、イエスは徹頭徹尾人間の肉を受けた存在で
 あると同時に神そのものですから、あのようにリアルに描いて徹底的に血が流れる苦悩
 も単に象徴的なものとしてだけではなく、リアルに激痛を伴った体験としてイエスが
 受けたと見るのは教学的にも正しいわけですよね。それでこそまたイエスの受難の重み
 や現実感が共感されるわけですし、陳腐な言い回しですが「普遍的」なものともなりえ
 る。
  でもなんかちょっとひっかかりがあるんですよ。流れが直線的で決定的でおしつけ
 がましすぎるんですよね、やはり。東アジア人としては。洗礼者ヨハネの衣鉢を継いだ
 時点からイエス派は過激な終末論的方針に立ち、行くべくして行き着いたわけですけど。
 映画の内容はあまりに「聖書に忠実」すぎる。それは一歩まちがえれば、やはり原理
 主義の喧伝的様相も帯びるわけですから。
  ここからさきはperdido様に解説していただきます(←無責任にもほどがあるゾ!!)。
  ただ、アラム語とラテン語だけで映画を撮ろうという気迫には、ただただ脱帽!!


鄭芝竜の野望 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月19日(水)21時36分28秒

最近の人は知らないかもしれないけど、
管理人はこんなの↓も作ってたのね。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/scenario.html
つくづくヒマ人…といっても、最近はさすがに作ってないけど。
で、自作の17世紀シナリオをかなりのんびりペースで遊んでました。
南海の海上勢力ではじめたレビューでも、以下に。

初期君主は顔思斉、部下は劉香だけ。
初期金は豊富だけど、なにもしないと収入はないし、徴兵もできない。
フィリピンにいる宿敵のスペイン勢力は適当にあしらい(頼むからオ
ランダとでも遊んでてくれ)つつ、石高の高い明領に狙いを定め、
泉州に上陸。台湾のオランダ勢力とは同盟を結ぶ。
明軍は、はっきし言って弱い。(自分が設定したんだわ)
けど、城はなかなか抜けない。
時間との勝負になることは分かっていたので、華南で航海収入のある
ところや石高の高そうなところを選びながら侵攻・奪取していく。
華南を全部取れないうちに、清軍が江陵にまで進出してきた。アギャー!
清とは宿敵状態なので戦わざるをえず、やむなく明とは講和。
清との戦いは一進一退釘付けにされる。
おのれ、ヌルハチ!おのれドルゴン!ダイシャン、アミンめ!
やつら能力値高すぎ。こっちは人材いなくて困ってんのに。
明が完全に潰せてたら何人か手に入ったろうになあ、ブツブツ。
山東で白蓮教徒が頑張ってくれていたので、なんとかなったが、やつらが
いなかったら潰されてたな。
ようやく鄭芝竜が出てきて君主になると、清の名将たちの謀略に引っかか
ることはほぼなくなった。
清の後背をロシアが脅かしはじめてやっとこさ華北に進出。
西安・河南の旧都を奪い、最北は開平までいたってロシアと講和。
清はロシアに従属してしまったので、また人材が入らず。
あとは恩人の白蓮教徒をつぶしたり、朝鮮に意外と苦戦して講和したり、
フィリピンに出張ってスペインつぶしたり、明も従属させてたんだけど
関係切ってつぶして人材手に入れたり。
オスマン・トルコ、ロシア、なぜかスウェーデン(グスタフ2世王)に
次ぐ第四勢力にのし上がり、今は東南アジアでアユタヤ朝と戦ってると
こ。アユタヤ朝は現在トップの勢力のオスマン・トルコに従属してる。
ああ我が鄭芝竜君は、第三勢力になってるな今。
って終わってないのにレビュー書いてるじゃん。でも道筋はついたから
あとは流れ作業だしなあ。


妙な気分 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月18日(火)23時18分1秒

晋書巻96列女の一節「呂纂妻楊氏」を以下のように訳してみた。
----
呂纂の妻の楊氏は、弘農の人である。美しくつややかではげしい正義感を持っていた。呂纂が呂超に殺されると、楊氏と召使いの女たち十数人は城西で呂纂の殯(かりもがり)をおこなうことにした。宮殿を出ようとすると、呂超が珍奇な宝物を与えようと思って外に出て、人にこれを捜させていた。楊氏は激しい声で呂超を責めて「あなたたち兄弟は仲良くすることができず、手ずから刃で殺し合いました。わたしはまもなく死ぬ人間ですから、どうして黄金の宝がいりましょうか!」といった。呂超は恥じて引き下がった。また楊氏に玉璽の所在を尋ねると、楊氏は怒って「粉々にしてしまったわ。」といった。呂超は彼女をめとろうとして、その父の楊桓に「后がもし自殺したら、禍はおまえの一族に及ぶぞ」といった。楊桓がこのことを楊氏に告げると、楊氏は「父上はもともと富貴をはかるためにむすめを売って氐に与えました。一度はすでに我慢しましたが、再び耐えることができましょうか!」といって、自殺した。
----

列女伝の精神ってのは、こういう話を痛快に思う「べき」精神なんだけど、
痛快さが理解できるようになってしまった自分は、昔とはずいぶん変わったな〜
と思う。


誰か、やらない? 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月18日(火)23時08分9秒

通鑑放ったらかしで、晋書のほうに行ってるんで、いかんなあ。(=_=)ゞ
久しぶりに古列女伝引っ張ってグダグダ云ってたし。
誰か通鑑訳やらないっすか?

上田雄『渤海国』(講談社学術文庫)とか、ちらほら読んでるんですが、
文庫版まえがきに苦労がしのばれます。現代セージのいやらしさよのう。
ボーダレスを認めたがらん。
船を持たない使節とか面白いんですけどね。

>師走さま
こちらこそ改めまして。<(_ _)>
「徐学」と入れたら「林則徐学〜」が引っかかってしまいましたが、
たしかにそちらもちらっとありますね。


こっちでは初めまして 投稿者:師走  投稿日: 5月18日(火)12時39分9秒

>徐霞客
大陸だと彼の研究は「徐学」という一大分野で有名なので、徐学もキーワードに使えると思われます。和書は井波律子先生が『中国の隠者』で伝記を一般的に書いたものしか存在しなかったような。後は、国立国会図書館で研究者の論文があるか検索してみるしかないでしょうね。


まずは「東洋学文献類目検索」 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月16日(日)20時11分3秒

除さんはじめまして。管理人です。

「東洋学文献類目検索」
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db/CHINA3/index.html.ja
で、題名「徐霞客」を入れて検索すると70件ヒットしました。
さすがにここで列挙するわけにいかないので、
試してみてください。


中国書なら 投稿者:two_yossy  投稿日: 5月15日(土)22時37分18秒

除さま
  自分は唐代あたりまでを縄張りにしていますので、なんとも応援できませんが、
 輸入書籍でよいのなら、「書虫」さんあたりで、「徐弘祖」または「徐霞客」の
 キーワードで引けば、かなりあるようです。名字は徐行の「徐」で、除外の「除」
 ではないので念のため。雲南人民から出ている『徐霞客遊記校注』上下巻あたり
 よさそうな気がしますが、繁体字かどうか不明。
  http://www.frelax.com/sc/
  『徐霞客遊記』ならWeb上でも公開されていますね。
  http://www.ne.jp/asahi/zhonghua/forum/T04/T04-03/T04-03-03.html
  和書のほうはよく分かりませんでした。
  まったくの門外漢ですが、好奇心だけは人一倍旺盛なので、もし良い参考書が
 みつかった暁には教えてください。


除霞客について 投稿者:  投稿日: 5月15日(土)19時54分48秒

 はじめまして!
 私は明代の旅行家である除霞客に興味があるのですが、除霞客研究の論文や書籍または史料など、除霞客に関することであれば何でもよいので、どなたか何か情報を提供していただけませんか?


思想的「中国」 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月14日(金)20時44分49秒

>perdidoさま
>実感として、書き分けたほうがわかりやすいとお考えになったのがわかりました。

たいした考えがあって書き分けたわけではないのですが、
いいように解釈してもらえれば嬉しいですね。(^^;)

>wanzeeさま
「中国」の意味するところのカテゴリーも変遷してますからね。
ややこしいといえばややこしい。
魏晋南北朝の分裂時代でも、だいたい地域的には華北のほうが中国で、
南のほうの政権は「中国」を取り戻すんだって感じで物言ってますね。

イデオロギー的には文化中心的な考えなんですよ。
つまり中華思想。
夷狄でも中華の礼楽を受け入れて王化に服せば、中国の人になっちゃうから。
民族や血統はさほど気にしない…というより、全ての人間は史書の上で黄帝の血統に
繋げられてるから。
『尚書』禹貢篇にみえる五服の制が中華思想の原型といわれてて、
禹貢が成立した時代には、すでに思想的に「中国」は存在した!といえるでしょうか。


Re:「中国」の起源 投稿者:wanzee  投稿日: 5月13日(木)18時27分50秒

↓下の書き込み、見苦しくてすみません。
書こうとしたところでコンピュータがフリーズ、
戻ってきたら、あんな形で……(汗っ!)→→→管理人さん、お手数かけますが消してくださいませ。


perdidoさん、two_yossyさん、NAGAICHI Naotoさん、

表題の件、わずか1日の間に詳細なご説明、ありがとうございました。
皆様にいただいたご説明はもっとしっかり読んで消化しなければならず、
まだ「分かった」とは言えないのですが、
ただ、国号としての「中国」、そして民族意識としての「中華」、
さらに複雑な民族状態にあった時期においての「中国」という自称は、
いろいろ諸説あるし、また完全に統一されて使用された時期というのは、
それが出現した時代よりもっともっと年を下ることになるのでしょうね。

ううううううむ、わたしも手元の資料でもっと探してみます……


情熱ではない 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月13日(木)01時11分11秒

メル・ギブスン監督の「パッション」〜キリストの受難、観てきました。
いろいろ物議をかもしているらしいですが、なんつうかストイックなつくり
でしたね。ストーリーとか意外性とか求めてる人は見ないでもいいでしょう。
エンディング・ロールが始まるや、そそくさと退場していった人々がいまし
たが、まあ気持ちは分かる。さぞ退屈で鼻持ちならないことでしょう。
対照的にマジ泣きしてるらしき人々がいましたね。鼻ぐずってるのが、よく
響いて。
不信心者で、ストーリーも適当に流してて、歴史好きの某は、鞭打ちシーン
や十字架を立てるシーンとかに眼を凝らしてました。
ふーん、こうやって十字架立てるのか、とかって。
ヘブライ語だかアラム語だかはアドナイしか聞き取れませんでした。
パリサイ派(でしたっけ?)の司祭たちの動機とか、もう少し掘り下げられ
たら、話に深みが出たかもしれないけど。刑吏たちのサディストぶりとダブ
って単純な悪役としか見えないってのはつまらないわな。
意外と面白かったのは、ローマの総督が優柔不断なのに少し格好いいってこと。

>鹿角さま
レス順逆になっちゃいましたが。m(_ _)m
『北宋風雲伝』八巻読みましたよ。
…白玉堂、あれじゃただのピエロですなあ。
もう少しニヒルな路線でやってほしかったんですが。
郭皇后も、なんか勿体ないですね。夭死すべき運命の人としても、
キャラをもうちっとふくらませて欲しかった。

>淳史さま
ティーンエイジャーだと親御さんとの関係があるよなあ、、と、
書いてだいぶ経ってから思い至りました。
古本を押しつけようなどとか、下らない思いつきしてすみません。


 投稿者:淳史  投稿日: 5月12日(水)21時57分37秒

NAGAICHIさんへ
ありがたいことですが親が絶対許してくれないので・・・
学校の中国史シリーズは集英社の学習漫画です。


難しいな...天朝意識??の起源 投稿者:perdido  投稿日: 5月12日(水)07時48分37秒

two_yossyさま>
>自分は小者なのでくず拾いを。
とんでもない。よく勉強されている様子がカキコからよく伝わってきます。

NAGAICHIさま>
今確かめたら、巻末の原詩は、「中國」になってました。詩の本文を引用するなら「中國」のほうがいいですね。それから現代的な意味での国号と区別するためでしょうか、意識して字を変えたのがわかりましたよ。実感として、書き分けたほうがわかりやすいとお考えになったのがわかりました。
 自分は、正直言って訳文のほうが「国」だったし、統一する意味から、また語の起源からも「中国」でかまわないと思ってたので、意識していませんでした。
ちなみに戦国時代には、各国が違った字を使ってたんだと一瞬思いましたが負け惜しみになるし、BBSにその字を木耳社あたりの本からスキャナで読み込んでカキコするわけにもいかないので(爆)
>「中国の歴史は90年」と言ってる人がいますが、
>まあレトリックとしては間違っていません。
>故・網野善彦氏が、日本の歴史は飛鳥清御原令以来千三百年と言って
>おられたのと同じたぐいの言説ですから。
こういうことだったら理解できます。

wanzeeさまは、あまり関心がおありでないかも知れませんが、ご存知のように清は、満州にいた女真族の建てた王朝です。北魏(386〜534)から隋、唐を含めて元や清も「征服王朝」としてあつかわれることがありますが、隋、唐の皇帝たちは、鮮卑系の血統であるのが濃厚であるにもかかわらず中国の王朝としての意識をもっていたふしがあります。北魏以前の五胡十六国の君主たちがどれだけ「中国」とその文化を意識していたか考えるのも興味深いです。異民族とされてきた人々が中国人としてのアインデンティティを形成していく過程を探ることになるので...そのことが、「天朝意識に凝り固まった旗人たち」が「中国人」としてのアインデンティティを確立する起源を探ることにもなるのかな〜とも思います。ただ、さかのぼるのは、女真族が金を建てた12世紀まででいいのかな〜とか、金に倒された遼も中国派と国粋派が政争してたんだよな〜ということを考えると、女真族に限るのか異民族とされてきたひとびと全体に「中国」が与えてきた影響?まで考えるのかによって変わってくると思いますが...


おまけ 投稿者:two_yossy  投稿日: 5月12日(水)00時21分0秒

清朝あたりの人間が「中国」と言ってもそれほど違和感ないと思います。
概論はperdidoさまが解説されているとおりです。自分は小者なのでくず拾いを。

 『毛詩』大雅・民労篇にも「中国」の語が頻出。毛伝では「中国は京師なり」と言って
 いますが、鄭玄も「京師は諸夏の根本なり」と言っているように、「全土の中心地」が
 すなわち「全土」をも象徴して包摂していると考えるのが妥当でしょう。
 『尚書』梓材篇には、「皇天 既く中国の民 越び厥の境土を先王に付す」とあり、この
 表現はより一般化された内容であるようです。
 詩書より後に作られた『礼記』王制篇には、「中国・戎夷・五方の民、皆な性有るなり。
 推移する可らず」とあり、「中国」意識の芽生えが見られます。『礼記』にはそのほか、
 大学篇・中庸篇にも「中国」の語が見られます。
  戦国時代の混乱の中で「天」や「命」の思想が生まれ、そのなかから列国や地域を
 超えた意識としての「中国」が共有されたのではないでしょうか。そのころに作られた
 と思われる墨子・荘子・荀子・春秋公羊伝にも「中国」の語が見られます。
  漢代以降は言うまでもないことと思いますが、『史記』五帝本紀に、「夫れ而して後ち
 中国に之きて天子の位を践む。是れ帝舜たり」とあるのを引いておきます。

 perdidoさまも解説されているように、「中国」の語には夷狄に対する区別・自存の意味
があり、自分が属している国名として挙げているわけではありません。夷狄のもの、下賎の
ものが大事にかかわろうとしたとき、「これは中国のものである」と士人が叱咤することは
史書では日常茶飯の事となっています。つまり「意識」の根ざし、しからしめるのです。
 ではどこまで中国でどこまでが夷狄かというと、地理的な具体については識者の説明に
委ねたいと思いますが、古来「率土の浜 王臣に非らざる莫し」と言われ、つまりそれも
「意識」的なものなんですね。ただ清代に関しては、たとえば列強の脅威にさらされている
愛新覚羅氏も「中国のこと!」と激怒する一方で、反清復明の志士も「中国のこと!」と
発憤しているのでちょいとややこしい。


「中国」呼称の歴史 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月11日(火)23時53分34秒

>wanzeeさま
はじめまして。
根元的で面白いけど、えてして噛みあわない議論になりがちなテーマですね。
この話題でもめてるところをネット上で何度か目撃したことがあるので。

まず語の起源として捉えておきますが、
中原=今の華北地方を指す言葉として「中國」という語が現れたのは、
遅くとも戦国時代、実際はおそらくそれ以前だと思います。
『尚書』『詩経』や先秦諸子の文献に「中國」の語は散見されます。

ただ現代的な意味での国名・国号ということでいえば、
1912年の中華民国成立まで下らなくてはなりません。
ときどき「中国の歴史は90年」と言ってる人がいますが、
まあレトリックとしては間違っていません。
故・網野善彦氏が、日本の歴史は飛鳥清御原令以来千三百年と言って
おられたのと同じたぐいの言説ですから。
ただ歴史屋は、歴史が連続しているか、断絶しているかを1タームで
判断したりはしませんし、発想の転換には有用かな…くらいで、あと
は笑殺に付しているのが大勢ではないでしょうか。いや脱線、失礼。

で、肝腎の
>辮髪の人間たちが、ミャンマーとの紛争地域で、相手に向かって、
>「わたしたち中国人は……」などというセリフを吐いていた
というところですが、不自然であるとまではいえないと思います。
もし代わりに「わたしたち清国人は……」とか言っていたら、むしろそちらが不
自然だと思います。天朝意識に凝り固まった旗人たちが、国号をもって自称して
たらおかしいと思いますし。


すみません(汗) 投稿者:perdido  投稿日: 5月11日(火)22時05分57秒

自分がHPを作ろうと思ってつくった原稿から引用したので
>なお、先ほどのべた考古学的な解釈と異なるようですが、
が、入ってしまいましたが、削除してお読みください。


「中国」の起源 投稿者:perdido  投稿日: 5月11日(火)22時01分52秒

答えになっているかどうかはわかりませんが...
「中国」の初出は、角川『世界史辞典』に『詩経』大雅が初出、と出ていたので、
『詩経』大雅を調べてみました。蕩之什、蕩に「文王曰咨、咨女殷商 女炰烋于中国 斂怨以為徳」(周の文王は、のたもうた。ああ、ああ、汝殷商 汝中国に咆哮し、怨みをあつめて、威をふるう)
「内*于中国 短覃及鬼方」(民の怒りは中国に満ちて、遠く夷狄にまで及んだ。)とあります。(*は、網冠のようなものが三つ「晶」の字のように並び、下に大の字がある。「怒」の意)
ほかにも、いくつかみつけましたが、「中国」と「鬼方」を対応させているのでわかりやすい例かと思って挙げました。
ちなみに『詩経』の詩は、周の東遷前後(770B.C.前後、紀元前8世紀)のうたが主体といわれています。
更に、魯の国の年代記『春秋』に注釈をつけた春秋三伝は、戦国時代(通常403B.C.〜221B.C.)に原形が形作られ、前漢(202B.C.〜A.D.8)で完成したとされますが、そのうち、『公羊伝』は、山東省の斉、魯の国があったあたりを「中国」と呼び、山西省の晋の国のあたりは、中国であったが、夷狄の俗にそまったとされ、晋のまわりの国々は「諸夏」として、「中国」である魯と夷狄の間に位置づけます。そして、湖北、湖南省にある楚、陝西省の秦、江蘇省(蘇州、上海周辺)の呉を「夷狄」とします。
また『穀梁伝』は、姫姓(周王室と同姓)の白狄の鮮虞を「中国」とし、楚、呉、秦、晋を「夷狄」とし、斉を「夷狄」の俗になじんでいる、と考えます。
また、三伝のなかで一番知られている『左氏伝』は、中原一帯(当時としてはおおむね黄河中流域)を文化花咲く地として「夏」とよび、これが「中華」の起源になるのですが、「中華」の語は、直接は前漢の時代まではみられないようです。
あくまでも春秋三伝から、当時の人々が自分たちをどう認識し、「中国」や「夏」という概念を用いたかということに絞ってここでは、述べました。
もともとは、自分たちのいるところを異民族のいる部分に対比して「中国」と呼んでいたのがはじまりと思われます。
<参考文献>
平勢隆郎2001
『よみがえる文字と呪術の帝国 古代殷周王朝の素顔』中公新書、中央公論新社
目加田誠(訳)1969『詩経・楚辞』(中国古典文学大系15)平凡社


はじめまして。 投稿者:wanzee  投稿日: 5月11日(火)14時06分50秒

はじめまして。

ちょっとひっかかっていることがあるのですが、
「中国」という名称が、国名として中国の歴史において認識されるようになったのは、
いつの頃からなのか、ご存知の方はいらっしゃいませんか?

この間、ある中国の清朝を舞台にしたテレビドラマを見ていて、
辮髪の人間たちが、ミャンマーとの紛争地域で、相手に向かって、
「わたしたち中国人は……」などというセリフを吐いていたのを見て、
一挙に現実に引き戻されてしまいました。

これはたぶん、おそまつな現代中国の国家意識の混濁の結果だと思うんですが、
ならば、「中国」という呼び方はいつから出現したのか、
それが気になっています。

ご存知の方、ご教示いただければ嬉しいです。


北方三国志  2 投稿者:鹿角  投稿日: 5月11日(火)09時28分13秒

孔明が6巻で出て来ました
早いと見るか 遅いと見るか・・・

曹操に対して陰謀を企む側には
「力もないのに余計なことするな」
という主張は新鮮です

その曹操ですが
頭痛の症状がとてもリアル・・・
北方さんは頭痛もちじゃないかと思える位・・・
作品中では生命力があるから
戦いのときには治るのは
生命力の向かう方向がはっきりしてるからだそうで・・・

孫策・周喩の結婚はほとんど略奪(^^;)
でも周喩に家族一緒の場面があるのは嬉しい

北宋には欧陽氏らしき人が出ました
これで玉堂の仲間も出てくれたら
言うことないのですが(T_T)


陳舜臣さんの本なら 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月10日(月)06時46分1秒

>淳史さま
いろいろ前のレスでぐちゃぐちゃ書いたのですが、
正直なところ本来入手するのに、面倒な本じゃないはずなんです。
大人の感覚なのかもしれませんが。

以下の条件でよければ、管理人にメール下さい。
1.うちの管理人を信頼くださって淳史さんのご住所・ご芳名を連絡くださること。
もちろんお約束ですが、そこでえられた個人情報をほかで利用することはありません。
2.手垢のついた年季の入った本である(美本とは言いがたい)ことを承知くださ
ること。

上の条件でよければ、陳舜臣『小説十八史略』文庫版六冊組ならお譲りします。
お代(郵送費含めて)はいただきませんし、お礼もいりません。
僕自身いぜんにほかの方にタダ同然で本を譲っていただいたことあるし、
そういうことは若い人に返していかなきゃね。
僕にとってはまた必要になったらどこからでも手に入れられる本ですんで、
全く遠慮しないでください。


図書館の利用 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月10日(月)00時42分2秒

彗星が三つも同時にとかいうと、中華迷的には「不吉な!」兆しとして見てしまう
んだけど、天体ショーとして楽しみにしてる素直な自分(笑)もいるんだよね。
http://www.astroarts.co.jp/special/comet2003/index-j.html

>淳史さま
小遣いが全くないというのも、つらいですね。
僕も小遣いの少なさに泣いたほうではあるんですが。

中学校の学校図書館って、レファレンス・サービスないんでしょうね?
僕も聞いたことないんですが。もしレファレンス・サービスが使える図書館だったら、
取り寄せてくれといったら別の図書館からでも取り寄せてくれます。

僕もtwo_yossyさんと同じく、公立図書館を利用するほうがいいと思います。
距離的な問題があるなら、移動図書館みたいなのものがあれば問い合わせると
いう手もあり。
どうしても遠いとか暇がないとかいうことであれば、究極の手段として
図書館に電話して「これこれこういう本が読みたいんだが、図書館に行く暇が
ない、送ってくれ」といったら送ってくれる図書館があるかも。
たぶん実費(郵送費など)は負担することになると思うけど。
あっ、その金がないんですよね。…むつかしい。
本屋で探して立ち読みしたら…。いかん、こんなことを言うのは悪い大人です。

駒田、常石他『新十八史略』全六巻(河出文庫)
陳舜臣『小説十八史略』全六巻(講談社文庫)
は、中学の国語能力で読めると思うので、なんらかの方法で見てみてください。

ところで、学校図書館にあるという中国の歴史シリーズとは、どこの出版社の
ものです?


two_yossy 投稿者:two_yossy  投稿日: 5月 7日(金)00時43分46秒

淳史学兄
  図書館に行く暇を作ろう !!
  地元市町村の公立図書館のカウンターで相談してみよう !!
  ちなみに史略の本来の著者は曽先之(そう・せんし)という人で、史略は名文として
 知られています。高校のときの恩師も激賞していました。駒田信二氏や陳舜臣氏の
 ものは各氏の独自の作品としてお読みください。
  タイトルと著者が分かれば、公立図書館が100%用意してくれます。
  学校図書館は「そういうもの」としてお考えください。


少しずつ 投稿者:淳史  投稿日: 5月 6日(木)23時39分20秒

自分はおこずかいと言うものが全く無くて進級祝いとかでしかお金が入ってこないのでコツコツためて本を増やして知識の方もと考えているのですが・・・
あの図書館といえば学校のしか行く暇が無くてしかも三国史・封神演義・西遊記・水滸伝・中国の歴史シリーズしかないと言う状態なのですが、「十八史略」みたいな本はどうやって調べばいいですか?
人物ぐらいでしか判断できないもので・・・


データベース作りは漢文読みより好き 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月 5日(水)20時39分6秒

>hiroさま
はじめまして。管理人の永一です。
新しめのサイトさんのわりにけっこうな量のデータベースですね。
あれ全部吉川三国志や高島さんの本から引っ張ったんですか?
がんばっちゃってください。


#ここんとこ初心にもどって人物事典いじってる管理人です。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chuushi36.html
モンゴルの連中の名前の読みに迷って、杉山正明読みに統一しようかと考えながら、
徹底できてないなあ。まあ宋元明清のことはよく知らないと再確認。


はじめまして。 投稿者:hiro  投稿日: 5月 4日(火)17時52分9秒

はじめまして。

サイトを色々と巡りながらたどり着きました。
私も三国志おサイトを持っていますが、中国史全般に興味をもっております。

大変、興味深く拝見させて頂きました。
また、遊びにきます。
今後とも宜しくお願い致します。

でわ。

http://www.sd-dream.com/sangokushi/index.html


マヤ文明話と中国史の本の思い出!! 投稿者:perdido  投稿日: 5月 4日(火)02時50分45秒

NAGAICHIさま>
な〜んか、最近かみつかれてるような...
>まっとうな学問というのは、裏側に無数の死屍累々と敗れ去った仮説、
>徒労と無駄の積み重ねがあるわけで。
これはそのとおりです。
>現在ある通説というのも、現時点の最有力な仮説にすぎず、いつひっ
>くり返るか分からないわけで
ほかはともかく中南米関係ではもはやありえません。珍説、奇説で尽くしたので...
「と学会」や「ニューエイジ」的な、中南米はあとモルモン教で独りよがりに生きている説とかありますが、まともに相手にされていません。
あるとすれば、マヤ文字の解読については、かなり問題がある、という指摘もあるのでひっくりかえるかもしれませんが、クロノゾフ、プロスクリアコフなどの研究者の業績は基盤として残り、マヤの石碑が王朝の歴史をプロパガンダであるにせよ刻んでいることは覆りません。それは、先ほど述べられたように裏側の「無数の死屍累々と敗れ去った仮説、
徒労と無駄の積み重ね」があったのはいうまでもないわけで、最近翻訳されたマイケル=コウの「マヤ文字解読(Breaking the Maya Code)」を読めば理解できると思います。

淳史さま>
自分の場合は、明治書院新釈漢文大系(書き下し文、現代語訳、注つき)、後藤、駒田、常石他『新十八史略』河出書房新社、陳舜臣『中国の歴史』平凡社を高校のころ読んでました。貝塚茂樹『春秋左氏伝』筑摩書房を手にしたときは、一巻本で地図や系図までついていてうれしかった思い出があります。
 明治書院『十八史略』はいいですよ。中国の歴史の概要がわかるし、故事成語、漢文としてもやさしいし、書き下し文や現代語訳、注がついてますから。最初にあげたさ・え・ら書房の本や『新十八史略』の次あたりに読めばいいかも...


道を踏み外すと 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月 4日(火)01時16分48秒

人物図像にはたいへんな魅力を感じるのですが、48,300円というのはなあ。
http://www.yushikan.co.jp/
図書館にでも入れてもらわないと。

英語が読めない(爆)のですが、英語表記が楽しい頁。
http://www.chinaknowledge.de/index.html

>perdidoさま
>文明ですよおo(T T)o。

もっと泣かしてさしあげましょうか。
まっとうな学問というのは、裏側に無数の死屍累々と敗れ去った仮説、
徒労と無駄の積み重ねがあるわけで。
現在ある通説というのも、現時点の最有力な仮説にすぎず、いつひっ
くり返るか分からないわけで。
僕は「と学会」みたいなのも好きだけど、「1421」「扶桑国〜説」み
たいなアヤシイ側も笑って捨てるだけでは勿体ないなあと思うのです
よ。それそのものが歴史のような気がして。あっ、「と学会」も別の
意味でアヤシイんですけどね。

>太白さま
>あと漢和辞典は「勉強に必要」とか言って親に買ってもらうといいですよ。

漢和辞典はたしかに重要ですね。
学校時分にはそれほど重要だと思ってなかったんですが、
自分で漢文読みはじめると、気になりはじめました。
いま三冊家にあるんですが、どれもハンディタイプで、役に立ったり
立たなかったり。
大修館『漢語林』、三省堂『新明解漢和』、学研『漢字源』とあって、
いまは学研『漢字源』をメインに使ってます。
しかし引いても分からない熟語って多いよなあ…。
一字一字の意味を取って、勘で訳してることも多いし。
少し古いものですが、漢和選びの参考に
http://www.geocities.jp/kaysak864/s-jisho.htm

>淳史さま
>あと皆さんは、中国史学についてどんな風に勉強しましたか?

僕は中国史サイトの管理人なんぞやってますが、史学を専攻してない
んです。だから「素人」と銘うってるんですけどね。
高校世界史と大学の教養課程の何コマかを除くと、先生に教わったこ
とはないわけで。
きっかけみたいなものを探すと、やはり中学生くらいです。
横山光輝『三国志』と集英社『人物中国の歴史』シリーズと
あと手塚治虫・陳舜臣監修のマンガのシリーズがありましたね。
どれが先で後かは忘れましたが、それぐらいです。
でも大学出るくらいまでは、好きなもののひとつにすぎなかったんで
すよ。深みにハマってきたのが、大学出てから、実際に中国に行って
みてから。あとホームページ試しに作ってみて、なぜか中国史ページ
にしてしまったあたりからのほうが、よほど「勉強」してますね。

どんなふうに、といっていろいろ読んではいるわけですが。
陳舜臣・田中芳樹・宮崎市定の三人の著書からは、いい意味でも悪い
意味でもかなりの影響を受けていると思います。
陳舜臣さんの本は講談社文庫で、宮崎市定氏の本は中公文庫で、ふつ
うの本屋でも比較的見つけやすいと思うので、見てみてください。
陳舜臣『小説十八史略』なんかは入り口としていいんではないかと。


勉強法2 投稿者:two_yossy  投稿日: 5月 3日(月)23時08分59秒

淳史学兄
  自分の場合は、高校生のとき駒田信二の文庫(講談社と河出書房新社)を貪り読んだのが
 始まりでしょうか。陶淵明の「帰去来の辞」や老子、論語、荘子なども高校生のころから
 読んでいたと思います。漢文の授業でやって「長恨歌」などを暗誦したのもこのころ。
 一世代前の教養主義かぶれだったので、岩波文庫は赤版・青版を問わず貪り読みました
 (ね、ご同輩)。その後、安能封神にもハマったり。
  中国との出会いはそのへんでいったんお休みになり、大学では「西洋史学」を。専攻
 はなぜか「ロシア・アヴァンギャルド」。一年中英文テキストと3年までドイツ語履修。
 当時はかなり訳せたのですが、いまはまるで(どうせ日本人だし)。
  就職をまえにふとしたきっかけから藩校本の『文章規範』を手に入れ、「前出師表」
 を読んで漢文の世界にカムバック。その後は前に書いたように、白山通りの海風書店や
 代々木の東豊書店などを回って「四部備要」本という、台湾で出版された「白文」
 (返り点や句読点、送り仮名などがついていない漢文の原文)のテキストを買ってきては
 コツコツと読んでいました。いまは輸入漢文テキストも読みやすくなって、Web上でも
 DBサイトなどもありますが、不思議と当時大学ノートに書き写しながら学んだ漢文は
 忘れることなく、いまでも翻訳作業でそういうものの引用を目にすると、すぐにどの本の
 何ページあたりに載っていたか思い出します。
  ただし小輩は本来畑違いの人間ですから、最近も陳舜臣氏の『中国の歴史』(講談社)
 などを読んで、通史的な知識を追加していますけれど。


自分は… 投稿者:宣和堂  投稿日: 5月 3日(月)01時37分15秒

淳史様曰く…
>あと皆さんは、中国史学についてどんな風に勉強しましたか?

 日テレのアニメ三国志を見て「うわ…曹操金髪だったんだ…」と誤った知識を得て、更に光栄三国志で呂布取って突撃食らわして張飛や関羽を生け捕りにする快感を得てから、図書館にあった連環画三国志パラパラ見て、吉川三国志を読破して…。水滸伝読んだり、西遊記読んだりして、正史三国志ベースのムック本読んだりしたのかな?
 で、海音寺潮五郎や司馬遼太郎の中国モノ読んだり、田中芳樹大センセのエセ中国モノ読んだりして、河出文庫の『十八史略』読んだなぁ…。で、その後、宮崎市定の『中国史』読んで目から鱗落とした〜ってぐらいで高校レベルだと良いのかな?
 個人的には山川出版の世界歴史大系の中国史1〜5まで読んでれば、あらかた大学の学部生レベルの知識は詰め込めると思いますよ。まあ、漢文等々の知識を別にした史学一般の基礎知識としては。


やってみます 投稿者:淳史  投稿日: 5月 2日(日)23時01分24秒

太白さん初めまして。
今度親に行って頼んでみます。

あと皆さんは、中国史学についてどんな風に勉強しましたか?(「した」でも結構です)
自分は中学校では詳しくやらないので図書館にある中国史のマンガや自分で買った本です。


自己紹介がわりに 投稿者:太白  投稿日: 5月 2日(日)08時52分5秒

>淳史さん
はじめまして。この掲示板にたまに出没する太白(たいはく)と申す者です。
しかし自分の好きな中国史の人物を紹介するっていうの、自己紹介がわりに丁度いいですね(笑)
私も永一さんと同じく李白が好きですね。HNの由来もその字(あざな。諸葛亮の孔明とか、
劉備の玄徳とか)から来てますしね。金星の別名でもあります。

他には曹操や司馬遷・・・だと、ホントに永一さんと同じになってしまうので(笑)、
別な人物を挙げると、張良、陳平、陸遜、司馬懿といったいわゆる「軍師」な
人たちでしょうかね。軍師の定義にもいろいろありますけど。
詩人では曹植や李賀、李商隠、陶淵明のような、おおらかで、しかしどこか悲しみを
内に秘めたような作風の人が好きです。(んー、ちょっと違うか?(笑))

あと漢和辞典は「勉強に必要」とか言って親に買ってもらうといいですよ。
実際自分がそうでしたから(笑)
それに大抵のは、巻末に中国史年表とか地図とか載ってますからね。中国史好きなら、
普通に読んでて面白いですよ。


淳史さんへ、おわび 投稿者:perdido  投稿日: 5月 1日(土)22時55分37秒

淳史さん>
すみません。最近は、なんでも人に聞けばいいとか一冊の本の主張に肩入れして公平に物事を見れない若い人が増えているので...他のサイトの掲示板などでほんとうにひどい質問を見かけるものですから。


ふり仮名 投稿者:淳史  投稿日: 5月 1日(土)22時40分6秒

perdidoさん>
すいません自分の辞書だとほとんど載っていなくて調べられないもので・・・

NAGAICHI Naotoさん>
国名はほとんど読めます。
まだ勉強不足で人名が読める人と読めない人がいます。


あのお 投稿者:perdido  投稿日: 5月 1日(土)13時51分28秒

NAGAICHIさま>
>アメリカの黒人文明もなかなか面白そうですが…。
あのお、アメリカはインデイヘナ(人類学では、通常は蔑称である「インディオ」も許される)の文明ですよおo(T T)o。


ルビを振るべきか 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日: 5月 1日(土)11時00分3秒

>perdidoさま
アメリカの黒人文明もなかなか面白そうですが…。
取りあえず旗色悪そうなので、扶桑国新大陸説からは撤退しときます。
マヤはどうも違いそうですね。
慧深は詐欺師だ!という白鳥説採っとくほうが気楽かなあ。

廉頗と藺相如の友情もなかなか。
藺相如は、刺客列伝の人物たちの度胸と潔さに、縦横家の智慧を加えた
ような人物だし。
廉頗は、名将であると同時に、やはり潔いさっぱりした人。
廉頗は失脚して亡命した後の話も、なかなかもの悲しくて。


>two_yossyさま
荊軻は映画にもなりましたしね。
コン・リー主演の「始皇帝暗殺」。原題は「荊軻刺秦王」だったと思います。
でも主役じゃないじゃん。

>草履をとってきてね

あまり若い人をからかわないでください。
老人扱いされても知りませんよ。


>宣和堂さま
>ちなみに自分は呂布必ず取ったんですけど…。

僕はよく曹操取ってました。
新しいの出るたびに魏の武将能力値がマシになっていくのが嬉しかった
なあ。若かったあの頃。

>自分の大好きな中国史の人物は北宋の徽宗ですね。

ハンドルを見ればそれは主張されてるものと…、言わずもがなですか。
『水滸伝』は、なんだかだ言いつつ徽宗に好意的な話ですけど、ふつう
初読で好きにはなれないですわな。
いや「端王は浪子のみ」


>淳史さま
>春秋・戦国時代とまとめて言いますけれど、区切りってどの辺りですか?

perdidoさんと宣和堂さんが答えてくださってるので、付け加えることも
ないんですけど。
前481 『春秋』の筆をおいた年。
前479 孔子の没年。
前475 『史記』六国表の開始年。
前453 趙襄子が魏桓子、韓康子と共同して知伯を滅ぼした年。
前403 趙烈侯、魏文侯、韓景侯が諸侯となった年。
の諸説がありますが、紀元前403年がいちばん一般的みたいです。
晋が趙、魏、韓の三国に分かれたとのを区切りとすると覚えておけばいいと
思います。これで高校世界史レベル。ほかは忘れてけっこうです。

>下のに+漢字が読めません。

どのあたりが読めませんか?
コピー&ペーストして掲示板に貼っつけてもらってかまいませんよ。
でも、淳史さんが読めなかったら、歴史好きでない大人の大半が読めない
ので、そこらはご安心を。p(-_-;)
ちなみに僕は漢検2級を大人になってから取りました。
いっとき役に立たない資格をコレクションしてたのデシ。


草履をとってきてね 投稿者:two_yossy  投稿日: 4月30日(金)21時31分20秒

淳史学兄へ
 「孺子(じゅし) 教(をし)ふ可(べ)し!」d(^ ^)
 訳=お若ぇの、分かるじゃねぇか。
 出典=『史記』留侯世家


勉強になります 投稿者:淳史  投稿日: 4月30日(金)21時14分1秒

たくさんの返信ありがとうございます。
やっぱり理由があるんですね!!


ぼーっとしてたら 投稿者:宣和堂  投稿日: 4月29日(木)22時49分8秒

 一日経ってましたね。やれやれ。

淳史様曰く…
>春秋・戦国時代とまとめて言いますけれど、区切りってどの辺りですか?
 大体、晋が韓、魏、趙に分裂したあたりが区切りと考えて良かったんじゃないでしたっけ?


春秋時代と戦国時代の区分について 投稿者:perdido  投稿日: 4月29日(木)22時47分43秒

 春秋時代を厳密に言うならば、孔子が、周の武王の弟で成王を補佐した周公旦の子孫の国である魯(ろ)の公室の記録をもととして編纂したと言い伝えられてきた年代記『春秋』に記録される期間である紀元前722年から紀元前479年までということになりますが、 
一般的には、『春秋』より約50年間の前史と30年あるいは80年近い後史を含めた『春秋』に象徴される時代として紀元前770年から紀元前403年あるいは紀元前453年までを春秋時代、紀元前221年までを戦国時代といいます。
紀元前770年は、現在の西安付近にあった周の都のコウ京が犬戎(けんじゅう)に攻撃され、都を現在の洛陽付近の洛邑(らくゆう)に遷都して平王が即位した年です。春秋時代の5人の有力な諸侯(春秋の五覇ごは)のひとり文公を出した晋の国の家臣の趙(ちょう)、魏(ぎ)、韓(かん)の3家が周の威烈王に正式に諸侯として認められた紀元前403年、または、趙、魏、韓の3家が、晋陽の戦いで当時晋の国で最大の有力家臣であった知伯を滅ぼして実質的に晋の国を三分し諸侯としての実力を備えた紀元前453年までを春秋時代として取り扱っているわけです。
戦国時代は、外交の記録である『戦国策』からその名称をとっていて、燕、斉、楚、秦、韓、魏、趙の「戦国の七雄」が合従(南北方向に縦に六国が連合したこと)、連衡(秦と東西方向に横に六国それぞれが個々に同盟すること)などを繰り返して覇を競った時代です。
最終的に、紀元前221年までに始皇帝の遣わした名将たちが六国を次々に滅ぼして中国を統一して戦国時代は終わります。
 春秋時代と戦国時代の区切りについては、司馬遷の『史記』の「十二諸侯表」が紀元前475年まで「六国表」が紀元前475年から始まっていることもあって、歴史家によってさまざまな意見がありますが、大筋で上記のような年代区分とされています。


(無題) 投稿者:淳史  投稿日: 4月29日(木)22時08分30秒

下のに+漢字が読めません。
三国史は良いんですけれど勉強不足で・・・
(漢検4級は持っていますけれど)


返信ありがとうございました 投稿者:淳史  投稿日: 4月29日(木)21時19分30秒

皆さん自分の知識の100倍ぐらいすごいですね。
意外に悪役どころを好きな人が多いようで。
これから少しずつ戦乱時代の春秋・戦国や五胡十六国の辺を知ってみたいと思います。
孔子にも名前があった事などが分って面白くなりました。

〈質問〉
春秋・戦国時代とまとめて言いますけれど、区切りってどの辺りですか?


(無題) 投稿者:perdido  投稿日: 4月29日(木)20時05分33秒

two_yossyさま>
荊軻ですか…「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復た還らず!」
しぶいっすね。趣味というか好みの傾向が同じですね。>侠客好き
信陵君も実は好きでしょう?

宣和堂さま>
北宋の徽宗ですか…う〜ん、実に耽美的ですね…
たしかに水滸伝読むとこの皇帝好きになれないですね。

NAGAICHIさま>
扶桑国についての記述が、マヤ文明のことを指しているかどうかはわかりません。一番あてはまりそうな心当たりのある話をしました。古文書と文字を両方持つのは、マヤ、ミシュテカ、アステカですので…


新鮮だなぁ… 投稿者:宣和堂  投稿日: 4月29日(木)11時39分58秒

>淳史さま
 お初です。宣和堂と申します。永一様と同じく、倍生きちまったんだなぁと感慨しばし…。
 ともあれ、好きな中国史の人物…というと、かなり新鮮ですね。
自分も御多分に漏れず光栄三国志(と書くあたりが三十代)だったので、友人達とひたすら多人数プレイしていた時を思い出しますね…。友人達は曹操、孫策、劉備とかメジャーどころもいれば、袁術とか董卓とか取るヤツもいましたね…。ちなみに自分は呂布必ず取ったんですけど…。ああいうの思い出しますねぇ…。

 まあ、そんな前振りしときながら、自分の大好きな中国史の人物は北宋の徽宗ですね。まあ、一言で言うと国を滅ぼしたダメ皇帝なんですけどね。もの凄く芸術方面で才能を発揮した人で、ある意味多才な人ですね。放蕩の限りを尽くして、敵国に捕えられて最後には失明して寂しく死んでいくあたりも含めて好きですねぇ…。
 《水滸伝》始めて読んだときはあんまり好きじゃなかったんだけどなぁ…。


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