週末に二年ぶりくらいで東京出てきます。
神田神保町も寄る予定…なんですが、さてどうなるか。
帰るくらいに台風来るんで、飛行機欠航が心配ですが。
>two_yossyさま
>「亭主簡介」の「今日の言葉」...ああっ、もう変わってる!! (T^T)
ああ、あれですか。JavaScriptでつくってあるんで、日が改まると自動的に
言葉が変わります。一月ひとまわりです。
あれがトップページを飾ってたときもあったんですが、飽きたんで奧にしまい
こんじゃいました。
「鳳兮鳳兮」は『論語』がモトっすね。
>太白さま
高校のときは選択音楽だったんで、高校書道は知らないんですが、
そっか、こういうのやってたのか、と。
私も「楽毅論」で検索しましたが、けっこう書道のサイトがヒットしますね。
書道家には有名な文なのかも(って、天下の王羲之だし)。
教科書に載ってたのは、確か光明皇后の方だったと思います。
下に活字に直した注釈があったような・・?
「亭主簡介」の「今日の言葉」...ああっ、もう変わってる!! (T^T)
→ちなみにこの世説の「鳳兮鳳兮」の話、自分はずっと司馬相如文からの引用
だと思ってました。
>山梨県市川大門町大門碑林公園...
つい先日、櫛形山登山ですぐそばまで行きました。今度見学してきますね。
>「楽毅論」でググってみましたが、王羲之と光明皇后の書がある...
王書はマール社「書聖名品選集4」に収められています。
>殷景仁さま
>ただ私見を述べると、その難しい理由は、主に典故の多用にあるといえます。
それはありますね。短い文の中に中身がぎゅっと詰まってて、古典の背
景を説明して補わないと日本語にできないという。
>そこをクリアーすれば、かえって古文より読みやすい(句読点が付けやすい)
>といえるところがあります。
四六で区切るところや、対句を把握したら、…というのは分かります。
まあ元から中華書局の校点本とか使ってる自分にゃ、句読点付ける苦労
に縁がないんで、見た目の難しさしか実感がないんですけどね。
>中根東竜さま
ごぶさたしてます。ども。
>海音寺氏は『古今姓氏書辨證』を元にしてストーリーを組み立てています。
これは面白い話を聞かせてもらいました。
けっこう出回ってたものだったんですね。
>史記にもない「長卿」という漢代風の字といい、
これは確かに。司馬相如あたりと同じ字ってのは…。
今も昔もルーツや系図が好きな人って一定いるもんですね。
遡れば遡るほど捏造が多くなるし。
>太白さま
「楽毅論」でググってみましたが、王羲之と光明皇后の書があるというこ
とで、けっこう触れられてはいるものの、訳は見当たりませんでした。
ネット初訳が奪えるかも。
こんなの見つけてふーんと思った。
山梨県市川大門町大門碑林公園
http://www.shodo.com/hgs/hirin.html
http://www.yokogawa.co.jp/Measurement/Yamanashi/Ichikawadaimon/hirin.html
余談として、蘇東坡のほうの楽毅論は見つけた
http://www2.ktarn.or.jp/~habuku/baku.htm
けど、なんだ渡邊さんじゃん。
>高校の時の古典の教科書(捨てないで取っておいた)を引っ張りだしてみると、
もしかしたら同じ教科書使ってたかもしれないです。記憶はうすぼんやり。
訓読とか書き下しとか、高校時分習ったこともうほとんど忘れてしまいました。
ほとんど忘れた頭で、今は何やってんでしょうね?あっし。
漢文読みには二種類いて、
訓読してる人と、現代中国語風に読んでる人とに大別できるらしいんですが、
うーん、どちらかというと前者に近いながら、なんか違う我流だし。
>とても自分には『資治通鑑』と聞いただけでオソレイッテしまいます(汗)
へたな正史よりはとっつきやすいんですけどね、文章的には。
原文の入手…は、万札一枚ははたくことになるんで、ある程度深みにはま
った人でないと奨められないかなあ。
正史十九部千九百四十巻のうちのエキスが…と思えば安いかもよ。
>two_yossyさま
ええと何に対する返歌なんでしょ?
出典は…『世説新語』言語篇第二ですね。
--
ケ艾口吃、語稱「艾艾」。晉文王戲之曰:「卿云艾艾、定是幾艾」
対曰:「鳳兮鳳兮、故是一鳳。」
--
ケ艾は吃りで、自分のことをいうときに「艾は、艾は」といった。
晋の文王はこれをからかっていった。
「君は艾は艾はというが、いったい艾は何人いるのかね」
するとケ艾は答えた。
「鳳や鳳やと申しますけれども、もともと鳳は一羽しかおりませんので」
--
↑森三樹三郎訳−平凡社中国古典文学大系9より
永一さま
「鳳や鳳やも、故と是れ一鳳」
↑返歌になっているでしょうか。
高校時分の書道の時間とか、懐かしいこと思い出したついでに、高校の時の古典の教科書
(捨てないで取っておいた)を引っ張りだしてみると、
『出師の表』と『項羽本紀』(鴻門の会と四面楚歌の部分)、『漁父辞』、
『春夜宴桃李園序』、あと漢詩と孔孟老荘の各文がちょこっと載ってました。
でも実際の授業では延々と『長恨歌』やってた事しか覚えてないな・・・(^^;
『楽毅論』が載ってた書道の教科書も、どこかにあるはずなんだけどなー?
(って事は、無茶苦茶に訳書いたメモもまだどこかに残ってるかも(笑))
>永一さん
>例えば『資治通鑑』とか…、と手前味噌に引き寄せてますが、チャレンジしてみません?
いやぁ、とても自分には『資治通鑑』と聞いただけでオソレイッテしまいます(汗)
原文の入手も難しそうですし(←言い訳。でも、市の図書館に確かあったかなぁ・・・?)
>そもそも外字が存在してないのです。(-_-;)
そうでしたか。ただ、表示されない不具合が、もし他の方が見た場合にも発生していたら、
と思い、一応ご報告させていただきました。
>殷景仁さん
>そこをクリアーすれば、
高校当時から、現在に至るまで、私は「そこ」すらクリアーできてません(笑)
まぁ元々は授業中の暇つぶしだったんですけどね。(^^;
お久しぶりです。懐かしい『古今姓氏書辨證』の話が出てきたので書き込みます。
これ、海音寺潮五郎の『小説孫子』(これが正式タイトル。講談社文庫版は『孫子』)の種本の一つで、海音寺氏は『古今姓氏書辨證』を元にしてストーリーを組み立てています。
『古今姓氏書辨證』は四庫全書総目提要にもきちんと記載されており、「大抵、《左傳》、《國語》を以って主と為す。《風俗通》より以下,おのおの其の是なる者を採ってこれにしたがい、而して《元和姓纂》に於いて抉摘して獨り詳し。又た《熙寧姓纂》、《宋百官公卿家譜》の二書を以って互いに參校と為し、亦た往往にして史傳の闕を補うに足る。」と妙に高く評価されています(なにか違和感がある)。朱熹もケ名世を高く評価していたようですが、それほどのものか?
富山房の漢文大系にも『古今姓氏書辨證』はくっついているので、相当広く流布したもので
あろうと思われますが、史記にもない「長卿」という漢代風の字といい、牟遷相がいうような
点も含めて怪しすぎる本だといえるでしょうね。
おそらく新唐書と記述がかぶっている件から推測すると、両者が共通に種本にしている『元和姓纂』において創作された系譜ではないかと思いますが。
今 ニュースで アナウンサーが とうぐうだゆー を連発していたので。
辞書では とうぐうだいぶ だそうです。
>永一さまへ
>それに簡素な古文より、凝った駢驪文のほうが難しいし。
確かに一般には駢驪文のほうが古文より難しいといわれます。ただ私見を述べると、その難しい理由は、主に典故の多用にあるといえます。そこをクリアーすれば、かえって古文より読みやすい(句読点が付けやすい)といえるところがあります。また駢驪文は形式で書いているところがあるので、論述もかなりパターン化されているところがあります。
『文選』に収録される文の論述のパターンというものは、大体このようなところでしょうか。
1:古代に関する様子や、そこから帰納した正しい(と論者が信じている)あり方を紹介する。
2:そこから現在の様子を引き合いに出し、古代参照しつつ現在の問題とその解決を論じる。
もっとも賦(特に漢賦)になると、読もうとするだけでエネルギーを消耗するような分量なので、正直こちらもお手上げですが……
また韓愈の文章は古文ですが、四字句や六字句、対句などの古典中国語の基本構造を故意に崩したりするので、その一部は駢驪文以上に難読だったりします。
>初心者にいちばんいいのは、文体は古文、内容は勝った負けたのチャンバラ文章。
たしかに初心者には、これが一番いいでしょう。あとは古文でも、欧陽脩や曾鞏の文章もいいかもしれません。「夫」「惟」「然」「而」「也」「矣」などの助字が多用されるので、駢驪文のような形式に頼らずとも、論旨が把握しやすいものになっていますから。
>TOMさま
>ところで 東宮太夫は とうぐうたいふ ではないのですかね。
どこから出てきたお話でしょう?
「とうぐうだいふ」と濁ってもいいかもしれません。
「とうぐうだゆう」とすると、なんか芸能臭が漂ってくるかも。
>太白さま
>謙遜されてますが、
謙遜じゃないんですよ、あれ。
予防線を張っとかないといけないくらいには、あやしいシロモノなんですよ。
>書道の教科書に載ってた夏侯玄の「楽毅論」を訳そうと試みた結果、
論賛とか上奏文とかはそもそも難しいんですよ。
それに簡素な古文より、凝った駢驪文のほうが難しいし。
初心者にいちばんいいのは、文体は古文、内容は勝った負けたのチャン
バラ文章。例えば『資治通鑑』とか…、と手前味噌に引き寄せてますが、
チャレンジしてみません?
>「晋書列女伝」のページの劉聰妻劉氏で「□儀殿」となっている部分がありましたよ。
「[皇鳥]儀殿」なんですが、外字が表示されてないのではなく、
そもそも外字が存在してないのです。(-_-;)
解體晉書でNOBさんに作っていただかないと。
ちなみに仮置きしてある晋書列女伝は、解體晉書のcssにも対応してなく
て、フォントの大きさも変だったり。
列女伝もいろいろ見てると、男尊女卑が逆転してるように見えるシーンが
多々あるんだよなあ。
井上裕美子さんも謝道韞書くなら、男どもを容赦なくこき下ろす頭良す
ぎで鼻持ちならない過激な女性として書くべきだったんだよ。そのほうが
胸がすくし、実際の史話に沿ってるじゃん。
王凝之・謝玄・王献之も彼女の前には道化にすぎないんだからさ。
>列女伝の世界
冒頭では「もののわかってない人間」とか「誤訳」とか謙遜されてますが、
しかし文章が出来ている点でも凄いことですよ。
僕なんか昔、書道の教科書に載ってた夏侯玄の「楽毅論」を訳そうと試みた結果、
返り点、送り仮名がついていたにも関わらず、文章にすらなりませんでしたから(笑)
ところで、「晋書列女伝」のページの劉聰妻劉氏で「□儀殿」となっている部分がありましたよ。
外字が表示されてないものだと思われますが、一応、報告しておきます。
ざっと見ただけなので、他にも文字が欠けている部分とかあるかも知れませんが。
>コルテスさん
それほどでもない、って感じですかね。じゃ今読んでる集英社文庫の「ジハード」が
終わったら、徳間で文庫化された「霍光」を読んでみますね。
(ちなみにこの「ジハード」、第三次十字軍の頃の12世紀末の話なんですが、6巻に
ジャガ=ガンボの娘が出てきてビックリ。陳舜臣「チンギス・ハーンの一族」の冒頭
みたくなってきたなぁ・・・(^^; )
まだ決定打が無いですね。
ところで 東宮太夫は とうぐうたいふ ではないのですかね。
>中村さま
ありがとうございます。
手がかりをもとに調べてみました。
ケ名世は南宋の高宗のころの歴史家ですね。
紹興四年(1134)に『春秋四譜』『古今姓氏書辨證』を献上して
同進士出身(進士と同じあつかい)を賜ってる人だそうで。
『哲宗実録』の欠巻を補ったほか、著に『春秋類史』、『春秋
公子譜』、『列国諸臣図』、『宋朝宰相年表』がある。
孫書−孫馮−孫武ですが、
http://www.google.co.jp/search?q=cache:245IfTJx-SYJ:archive.udn.com/2004/3/2/NEWS/READING/NEWSSTAND/1847210.shtml+%E5%A7%93%E6%B0%8F%E8%BE%A8%E8%AD%89%E6%9B%B8&hl=ja
によると『新唐書』表の宰相世系三下とケ名世『古今姓氏書辨證』に
記載があるということで。
『新唐書』表はうちの中華書局本でも確認できました。
「齊田完字敬仲,四世孫桓字無宇,無宇二子:恒、書。 書字子占,
齊大夫,伐莒有功,景公賜姓孫氏,食采於樂安。生憑,字起宗,
齊卿。憑生武,字長卿,以田、鮑四族謀為亂,奔呉,爲將軍。」
しかし清の牟遷相『唐書世系表考異』はこれを信じられないといっ
ているそうです。
---
『左伝』では、孫書が莒を討ったのは魯の昭公十九年(前523)で、
なおかつ魯の哀公十一年(前484)に孫書は斉国と呉・魯の連合軍が戦った
艾陵の戦いに参加している。
孫武が孫書の孫であるとすると、紀元前484年の戦闘に参加したとき
すでに七十歳の老人として、莒を討ったときには孫書は三十一歳に
なる。呉王闔閭三年(前512)の時点で四十二歳である孫書に
どうして「兵法をもって呉王闔閭にまみえる」ことのできる孫が持てる
だろうか?
---
『左伝』哀公十一年(前484)の艾陵の戦いに出てくるのは、陳書だけど、
これが孫書なのかな?ちょっとよく分からないとこあるけど、
どちらにしろこの系譜あやしい、あやしすぎる。
>太白さま>コルテスさま
塚本青史さんは僕はさほど読んではないんですが、まあ。
僕が塚本さんに抱いているイメージは…
人物の解釈、描写が俗っぽく、キャラに世間擦れした思考をさせてしま
う、あえていうなら宮城谷系爽やかエロ描写の対極に位置する。
かつ歴史ものとしては考証に難があって結構ツッコミやすい作家さん。
好みが分かれそうだとは思います。
しかし、(自粛)氏などを比較対象に出してしまったのは、われながら
失礼きわまりなかったと思います。筆、じゃないキーが滑りました。
申し訳ありません。
>two_yossyさま
ありがとうございます。
明徳出版社の『列女伝』は持ってますよー。
大学のときの遺産ですが、最近になってまた開いてみることに。
劉向『列女伝』(荒城孝臣訳/明徳出版社/4-89619-223-0/品切)はすでにお持ちですよね、
きっと。訳は書き下しまでですが、手ごろな価格で読みやすい体裁です。
ある意味で、北方センセが「王莽」や「光武帝」を書いて、塚本さんが「三国志」や「水滸伝」でも書いたらよかったなと。北方センセの楊家将や南北朝モノや黒岩古代史モノは、時代に先入観がない分大なり小なり楽しめる部分があったし、逆に強い人物イメージを持っていたら、「王莽」のような砂をかむような文章でも読了はできたんじゃないかな。
>そんなにヒドイ作家なんですかね?
実は、僕も光武帝の前に、確認の意味で読んでみたんですが・・・。
酷評したんで、フォローしますと、×茂田センセや末期の伴ヤローのようにストーリーがドキュン(らしい)というのではなく、小説の体をなしてないと言うべきか。厳密に言うと、文章がムチャクチャというわけではないので、他作品は読めるものがあるかもしれません。
>1421
う〜ん、やっぱり「と」の俎上に上げられたか(^^;・・・
>塚本青史
何冊か文庫化されたものを買っては積んだままにしてるんですが(←早く読めよ)、
そんなにヒドイ作家なんですかね? 『光武帝』は、やっぱり初小説化の人物なんで
読んでみたいんですが(でもこの分じゃ文庫待ちかな(笑))
こんにちは。突然ですが、孫馮についての資料を。
宋のケ名世の『姓氏辨證書』にあります(『孫子叙録』引)。
「斉敬仲の5世の孫は書で、斉の大夫であった。莒を伐つのに功績があった。景公は孫氏という姓を賜った。楽安に食邑をあたえた。(書は)馮を生んだ。字は長卿。田鮑の四族の謀で反乱し、呉に奔って将軍となった」
さらには孫武には三人の子、馳・明・敵がおり、明の子が孫臏だということです^^;
宋代の本ですから、いろいろ集めたり俗説載せたりしてるんでしょうね。
と学会『トンデモ本の世界S』(大田出版)に
メンジーズ『1421−中国が新大陸を発見した年』が
永瀬唯氏の文章で紹介されてました。
意外とまじめなツッコミだったので、うなってしまいました。
>鹿角さま
>明帝は父・祖父に比べて苦労不足であるとの指摘(-_-;)
曹操や曹丕みたいな苦労をする人が多くいたら、それは時代の
不幸ではないかと。
明帝曹叡君も頭のいい人だし、水準以上だったとは思うけど。
宮殿建築に走ったりしたのは、お坊ちゃんかもね。
>ホントに田中さんが佐高さんみたいに
>実名をきっちりあげて批判してくれるひとならいいのに・・・(T_T)
よくわからないけど…、『創竜伝』のことですか?
あれはリアルタイムで読んでるとある程度見当がつきますよ。
細かいところはさすがに忘れましたが、例えば
国民新聞社長はナベツネだ!これは分かりやすすぎな例ですか。
まあいろいろ。
>TOMさま
孫武生平與孫子兵法簡介
http://www2.fjtc.edu.tw/mio/Strategic/Leader/zun.htm
ですね。
問題のところを大ざっぱにつまみ食いすると
---
孫武は、字を長卿といい、陳の詞の公子陳完の後裔である。
春秋末期に斉国安楽(山東省恵民県)で生まれた。
前672年,陳国で内乱が発生して(太子禦寇が殺された事件)、
陳完は逃げて斉国にいたった。ちょうど斉の桓公のときで、
陳完は「工正」に任ぜられて、百工の事を管理し、
食邑をもらって田氏と改姓した。
田氏は数代を経て、その家族は民心を掌握し、民衆は流れる水
のごとく帰順した。社会経済関係の変革のときにあたって、
田氏は斉国の新興勢力の主要な代表となった。
斉の景公のとき、田完の五世の孫の田書は、キョ[艸呂]国を
討って功があり、新たに食邑として楽安に封ぜられ、孫氏の
姓を賜った。かれが孫武の祖父である。
田書がキョを討ったことは、『左伝』昭公十九年(前523年)に
記されている。
この年、孫武は祖父に従って楽安に居をうつした。二十歳前後
の青年だった。
また文献資料によると、孫武の父親の孫馮は、斉国にあって
正式に卿に任ぜられた。
---
『史記』の田敬仲完世家や『左伝』で、陳完(田完)から田書
(孫書)までは確認できたんですが、孫馮・孫武に続くところ
が分からなかったです。
「孫武の父親の孫馮」って、何の史料に出てくるんでしょ?
愛用の『中国歴史大辞典』(上海辞書出版社)の孫武の項にも、
「春秋時代の斉国楽安(今の山東恵民)の人、字は長卿、田完の
後裔である。〜」
とか書いてるので、「あやしげな系図」ではなく、なにかしっか
りした典拠があるのかもしれません。誰か教えて下さいな。
グーグルしたこれが信じた文献です。
北方三国志を読了しました
ずっと前に講談社の三国志フェアで
「良い人も悪い人も実にいい」
というコピーを思い出しました
北方さんによると明帝は父・祖父に比べて
苦労不足であるとの指摘(-_-;)
そう言われても仕方ないかも・・・
でもこれだけ彼の困った面が露骨に出たのは
この作品だけ?他にもあるのでしょうか
かつて曹操の侍医だったエン京が
死後に離れて後白帝城で劉備に
治療を施すシーンにはうなってしまいました(^^;)
小説の特権、ですよね
それに馬超は表向き死んだことにして
蜀を離れてしまうのです
誰も咎めないのは人徳なのかな
>管理人様
ホントに田中さんが佐高さんみたいに
実名をきっちりあげて批判してくれるひとならいいのに・・・(T_T)
そうしてくれたら確かめやすいのに・・・
孫子に関する引用、『呉越春秋』闔閭内伝かな?
「孫子は、名は武、呉人なり。善く兵法を為し、辟(避)隠深居すれば、世人 其の能を知る
こと無し」と見えるあたりでしょうか。現代語訳は「ちゃおべん」氏のサイト参照(下記)。
ちなみに自分の手元には「四部備要」本しかないので、これ以上は辛い...。
別館を閉めちゃったので、亭内とっちらかってます。
>TOMさま
『越絶書』
http://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/ygb.htm
電子テキストざっと見たところじゃ、よく分からないですね。
どこ引いたのかな。
>perdidoさま
じつは、掲示板の個別投稿者による編集/削除機能は以前からあったようなのですが、
管理人が把握してなかったというお話でして。(-_-;)
>コルテスさま
>「王モウ」は、個人的には商業レベルの文章ではないような気がしたんですよ。
塚本青史『王莽』は読んでませんので、どうともいえないんですが。
商業レベルでない文章というと、志茂×景×(自粛)並みだったり
するんでしょうか。
好き嫌い以前の問題…というのは、そりゃあ読めませんわ。
宣和堂さん、NAGAICHIさん、レスありがとうございます。
中国史小説って、同じ著者でもけっこうムラがあるのかもしれませんねえ。
>最近でも某『楊家将』とか『知の座標−中国目録学』とか黒岩重吾の日本古代
>史ものとか。こうやって本は熟成されるのね。
正直言うと、「王モウ」は、個人的には商業レベルの文章ではないような気がしたんですよ。
あれに比べると北方センセや黒岩古代モノは、好き嫌いはともかく許容範囲かなと。
NAGAICHIさま>
投稿者が自分の記事を編集/削除できる機能うれしいです!ありがとうございます。
さっそくいくつかの記事を訂正しました。
自分はおっちょこちょいだし、中国史の掲示板では、誤字は、かなり致命的になりうるので...
みなさんのカキコ興味深くROMさせていただいています。
>後世のあやしげな系図でも参照したんじゃないですか?
それには、祖父は孫書で将軍、戦功により賜姓され田氏から孫氏に、
父は孫馮で斉の卿とありました。
司馬穣苴の憤死のときに斉をあきらめ呉に移住したと。
越絶書をひいているようですが。
信じてしまいました。
「週刊ビジュアル中国の歴史」(デアゴスティーニ)
全100号。定価560円。創刊号特価290円。
290+(560*99)円かよ〜。悩ましい。
どうも漫画つきみたいだし。
世界文化社の「週刊ビジュアル三国志」みたいなノリだったらパスしますよ。
「週刊100人」みたいなやつでも、号を選んじゃうな。
質のいいものだったらカネ惜しまないですけど。
拙頁「人物事典」、遼や西夏のあたりいじってます。
契丹建国の謀主韓延徽や、西夏の国主たちなどが増えてたり。
カラ・キタイとかもちょっと増えた。
>コルテスさま
>いつの間にか読むのをやめているということを繰り返し、
読了をとりあえずあきらめた本って、僕もけっこうありますよ。
最近でも某『楊家将』とか『知の座標−中国目録学』とか黒岩重吾の日本古代
史ものとか。こうやって本は熟成されるのね。
>あと井上裕美子「李花槍天下無双」学研を読んだ方、いらっしゃいますか?
いちおう読んでます。
前もどこかで書いたけど、井上女史の長編のうちでは好きな部類だし、
『女将軍伝』よりこちらが好きです。
僕散安貞、狸親父サイコー!
井上女史の歴史もの小説は長編より短編のほうがよいものが多い気が
しますけどね。
>TOMさま
>グーグルした 孫子生平、では斉の貴族出身、祖父、父親のこともあり、
>斉から呉に移住後晴耕雨読の中で兵書をものにし伍子胥の推薦で呉王に
>仕えたとありました。
孫武が斉の出身だというのはともかく、「貴族出身、祖父、父親のこと」
というのはいったい?
後世のあやしげな系図でも参照したんじゃないですか?
私のは斉魯書社のものでした。なにせ千円以下ですし、写真と写文が異なるところもありました。
話は変わりますが、グーグルした 孫子生平、では斉の貴族出身、祖父、父親のこともあり、斉から呉に移住後晴耕雨読の中で兵書をものにし伍子胥の推薦で呉王に仕えたとありました。
細かい話は忘れましたが、井上祐美子様の最高傑作だと思いましたよ。まあ、他のはあまり評価宜しくないと言うことですが。特にドルゴンの海東青がねぇ…。完顔阿骨打の伝記なら海東青でもイイでしょうけど、滿洲族に海東青はないですよねぇ…。まあ、その他諸々言いたいことはあったんですけど、なんで、最高傑作の話を覚えていないのに、もっとも評価悪い小説の方に熱が入るのかというと、自分がそう言う人間だからでしょうね…。
『三国演義』第一回を「漢文書き下し」風に訳してみました。
おひまなら弊島へ。
(↓正面玄関かに入ってね↓)
出不精の私は、「マスターアンドコマンダー」「パッション」「トロイ」がDVDになるのを待っている今日この頃です。ところで最近塚本青史の「王莽」を読もうとしたのですが、読んでいるうちに、いつの間にか読むのをやめているということを繰り返し、未だに読了していません。私の読解力が足りないのか?あと井上裕美子「李花槍天下無双」学研を読んだ方、いらっしゃいますか?宋史叛臣李全伝をざっと見ると、題材としてはけっこう面白そうなんですけど。
文字の異同については、管理人はお手上げです。
ということで、two_yossyさんほか詳しいかたにお譲りします。
こちらも勉強させていただきますよ。
変なCMを昼間見ました。
「ビジュアル中国の〜」がどうとか「始皇帝」がどうとか。
デアゴスティーニのHPを確認。
http://www.deagostini.co.jp/
うん、きっと夢だったに違いない。そうに違いない。
TOM様
自分は最近『尚書』商書を読んでいるのですが、「不」「弗」「無」「罔」などの混用は
当たり前のように出てきます。古代人は用字については相当ラフに考えていたのか、仮借字
や異体字の使用はまったく日常茶飯のことですね。また後代に今文に改められた際、扁や
旁が変化したものもありますから、事情はさらにややこしいことに。ただ文字の異同だけ
から年代測定は難しいということだけは言えるのではないでしょうか。ただ揚雄『方言』
その他の資料から、たとえば「於」「于」の違いを地域差と見たり、章句の字数の寡多か
ら(北方人=少、南方=多)成立地域を推定する研究者はいるようです。また経書において
は、今文系と古文系では相当に文字の異同があります。
考古学的資料と通行本とを対校したものとしては、『老子』によい資料が多く、高明の
『帛書老子校注』中華書局や、彭浩の『郭店楚簡《老子》校読』湖北人民出版社などが読
みやすいと思います。この二書を見ると、同じ『老子』でも、漢代に書かれた帛書と、戦
国後期に作られた郭店楚簡とでは全然用字(編次も)が異なり、逆に漢代の人とされる厳遵
の『老子指帰』などの引用は、通行本と一致しています。このあたりからも、伝写の問題
や文字に対する時代的意識の違いなどが伺われるような気がします。
お尋ねの銀雀山漢簡系の「孫子」としては、中華書局新編諸子集成シリーズから、張震
澤『孫臏兵法校理』が出ているのは知っていましたが、どうやら斉魯書社から李興斌ほか
注訳の両孫子に関する書籍が出ているようです。ただ新編諸子集成シリーズは質的に全幅
の信頼が置けるのですが、斉魯書社のものは未見のため自信を持って推薦するものではあ
りません。もっとも信頼性が高いのは、文物出版社あたりから出ている、竹簡そのものを
撮影した報告書の類いを見て、附録の釈文と通行本を比べられることだと思います。
答えになっていないところについては、専門の方にお譲りしたいと思います。
ご返事ありがたい。
実は 現行本で殆どが 不となっているところが 弗となっているところが注釈文,あるいは後人の書き込みとか、わからないのかなと考えたのですが。無も毋や无と無が混在していますので、
この部分は、毋だから古い形だよとかです。
>太白さま
僕もさして根拠あるわけでなく軽く言ってるつもりなんですが…。
だいたい学者さんの間でも、被葬者の身分をめぐって衆説紛芬らしいので。
http://www.guoxue.com/article/list.asp?id=780
太白さんの言ったことが正しいとか間違いだ、とは断言できないんですよ。
勝手なこといえるのは今のうちだけだから、言いたいこと言いましょうよ。
そのうち評価が定まったら、口出しできないレベルになっちゃいますよ。
発見された12基の墓のうち、王墓はあるか?あるとすればいくつか?
(4つの墓道をもつ7基が王墓といわれているが)
周公旦およびその家族の墓があるのか?
http://www.china.org.cn/chinese/kuaixun/578643.htm
7基の車馬坑は。
甲骨700片(「周公」「新邑」「文王」)の内容は?
墓域が城壁に囲まれている意味は?
これ以上なんかまた出てくるのか。
やっぱ期待はふくらみますね。
>コルテスさま
>地方官を買収したり、通常の隊商を装ったり、間道を通ったりということも
>できなくはなかったような気もするんですが、
隠密行動の基本ですね。
前涼はちょっと位置が難しかったと思います。
>TOMさま
銀雀山漢墓竹簡もググると結構出てきますね。
『孫子』の異同ということではここぐらいかなあ。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/cl/koten/sonshi/fuhyo.htm
ふーむふむ、いろいろあるね。
http://www.mni.ne.jp/~t48563/chinese/sunzi.htm
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/newscenter/2002-10/15/content_597618.htm
銀雀山漢墓竹簡の復元本を見ていました。
現行本では,無のところが毋や无になっている所が有ります。
また不が、弗となっているところがありました。
勢と実虚では明らかに 孫子曰く がありません。
このような事がどこか解説してあるところは有りませんか。
浅野氏の孫子も竹簡によったと解説がありましたが、この部分には触れていませんでした。
>朝貢の形式をふむ以上、信書一本ですむわけはなく、それなりの量の進物が動く
ことになります。そんなものが関隴道あたりを動いてたら間違いなく止められ
ますよ。
なるほど。私は、地方官を買収したり、通常の隊商を装ったり、間道を通ったりということもできなくはなかったような気もするんですが、万一バレた場合のことを考えると、前涼は二股かけてるだけにマズいと思ったのかもしれませんね。
ちょっと軽く言ってはみたものの、自分の不勉強さが露呈してしまう結果となりました(笑)
(まぁ、三皇五帝を持ち出したあたりで、冗談だとはお分かりいただけてるとは思いますが)
宣和堂さん、永一さん、ご指摘感謝です。
>太白さま
>殷墟の場合は、発見によって殷の存在が立証された訳じゃないですか?
まあね。
でも、やはり王墓となると格が違うわけで。
たとえば始皇帝陵の兵馬俑の発見によって、秦の存在が立証された…わけ
ではないけれども、兵馬俑軍団やら銅車馬やらクロムメッキ剣やら石の鎧
やら、あっとびっくり玉手箱なものが続々出てきましたね。
西周王墓ならこれまでの常識をくつがえすようなものが出てくるんじゃな
いか…という期待値をこめた発言なんだろうと思います。
墓の大きさじたいも殷墟並みらしいけど、ええ…そういう意味だけでなく。
>コルテスさま
以下、裏づけのない印象論になってしまうんですが。
>五胡十六国政権はいずれも短命だったので、県レベル以下の下部構造はそのままで、
>その上に派遣された太守と側近団と軍隊がのっかてるようなイメージがあったんですが、
僕も同じ印象を抱いています。地方の実効支配力や求心力と言う点ではかなり
弱かったと思いますね。
>涼が東晋に朝貢するのにわざわざ難路を使っていることからすると、警察力はかなり
>末端まで行き届いていたと考えられるわけで。
いや、前涼の場合、メインチャイナに通じる主要幹線はひとつしかないわけで、
だから河西「回廊」といわれるわけです。
回廊の出口は、前趙やら後趙やら前秦やら不穏な連中に占められてるわけで。
いくら地方支配力の弱い五胡政権でも、主要幹線や宿場くらいは押さえてます。
朝貢の形式をふむ以上、信書一本ですむわけはなく、それなりの量の進物が動く
ことになります。そんなものが関隴道あたりを動いてたら間違いなく止められ
ますよ。止められないためにも難路を行くしかなかったわけで。
>中国の政治思想としては、自国の皇帝に臣従しない不届きな国家に対しては、
>純粋な民間レベルの交易も原則禁止
うーん、そもそも政治思想ということでいえば、漢の武帝いらい重農抑商の
傾向があって、「商人は健全な農民を堕落させ、農民から搾取するもの」と
みられて抑圧されることが多く、平穏なときでも政権のつごうでまっとうな
商業や交易じたいが打撃を受けることがありましたが。
まして敵対する国との交易は禁止したでしょうね。
でも、前涼はある程度は巧妙に泳いでいて、東晋と華北政権との二股かけて
両属してた時期もあるし。正式な交易してたこともあるんじゃないかと。
>う〜ん。報道されている「殷墟以来」ってのはちょっとね・・・。
西周って甲骨文が出たり青銅器が出土するモノの、殷よりもなお霧に包まれた感じがするので、ある意味殷墟以来と言っていいと思います。
>平穏でない時期でも、仇池経由とか地方刺史レベルでとか裏ルートがありそ
>うな予感が。
>東晋に藩属していた前涼は、東晋と交通するのに酒泉−吐谷渾−長江下りの
>ルートを使ってたらしいですね。
このあたりが、実感としてよくわからないんですよ。五胡十六国政権はいずれも短命だったので、県レベル以下の下部構造はそのままで、その上に派遣された太守と側近団と軍隊がのっかてるようなイメージがあったんですが、涼が東晋に朝貢するのにわざわざ難路を
使っていることからすると、警察力はかなり末端まで行き届いていたと考えられるわけで。
より一般論として、中国の政治思想としては、自国の皇帝に臣従しない不届きな国家に対しては、純粋な民間レベルの交易も原則禁止(ただし密貿易的なものは当然存在)というのが、古代以来の常識という理解でいいんでしょうか?
う〜ん。報道されている「殷墟以来」ってのはちょっとね・・・。
殷墟の場合は、発見によって殷の存在が立証された訳じゃないですか?
これに対抗するには、三皇五帝の墓でも発見されないと駄目なんじゃないスか?(笑)
「トロイ」見てきました。
はてさて、どこまでネタバレしたものか?
話としてはヘクトル君が討ち取られるまではいい感じですけどね。
それ以後はどうも…。
何やってるの、プリアモス王!
トロイの木馬って木馬って…。
アキレス腱ってそういう意味ーでしたね。
ちょっと、、ツッコミどころが多すぎて。
ブラピ演じる主人公アキレスより、敵役ヘクトル君のほうが格好いいっす。
フロド君、じゃなかったパリス王子、最後に見せ場あって良かったね。
まあ、ストーリー以外のところで楽しみたい人は見に行ってください。
話題変わって、陝西省岐山周公廟遺跡。
まだ情報少ないけど、業界でずいぶんと話が盛り上がってますね。
先月26日の段階では西周貴族墓という話だったんで、ふーんと思ってたんですが、
いつのまにか西周王墓で、安陽殷墟クラスで、今世紀最大の発見!
って具合に話が大きくなっていったので、あらあら?って話。
まだ今世紀ははじまったばかりですよ。
20世紀前半に安陽殷墟、後半に始皇帝陵兵馬俑ときて、
21世紀前半に西周王墓だったら区切りがいいので、
ぜひとも王墓であることを期待してますよ。(爆)
>perdidoさま
>ファンタジーの中での話なので…
あの、、ドルイドはファンタジーやRPGもありますが、
僕が意識したのは実在の古代ケルトの巫覡のほうなんですけど。
http://island.site.ne.jp/fairy/culture/faith.html
まっ、いっか。こっちも面白い話だから。
僕もドルイドというとドラクエとかに出てくる醜怪なモンスターの姿が連想
されますので。
キリスト教に取り込まれた多神教や土俗信仰の神々や信仰ってのは、
ファンタジーの中でごく自然に悪役を担わされてることが多くて。
悪魔なんかも、キリスト以前は神だったやつが多いし。
東洋に生きてる自分らもそのイメージを無批判に踏襲してることがあります。
ファンタジーの中のドルイドも、最近は必ずしも悪役でもないけど、やはり
怪しげな非正統的なイメージを引き継いでますね。
>前燕の皇室もごたごたしてたいへんだなあ、と思っていました。
慕容仁の件といい、慕容評⇔慕容垂の件といい、やたら血族どうし争ってる
気が。内紛がなければ、むざむざ前秦に敗れてないでしょう。
慕容恪が生きていたころは、それでも押さえが利いていたものを。
>two_yossyさま
復帰、めでたしめでたしです。
大東文化大学のミラーや寒泉だけじゃ、ちょっと不便でしたしね。
>しみずみなさま
>「キリストのHシーン」がある映画って、「最後の誘惑」のこと?
たしかそんな名前、だったと思ったけど、
自信がなくなったので調べてみましたが、間違いないっしょ。
>淳史さま
>今このページには何人全員で載っているんですか?
「このページ」といわれると、この掲示板のことかと思ってしまいますが…。
枕流亭の「中国史人物事典」に何人の人物が載ってるか?というおたずねで
よろしいですか。
お答えとしては、分かりません。管理人自身把握してません。
ひまな人がいたら数えてみて下さい。
たぶん2千人くらいだと思う…けど。
目標の1万人には、はるか遠いことは確かです。
>コルテスさま
>北魏の可朱渾氏と関係あるのか?
音通してますかね。
拓跋氏と禿髪氏も同族らしいし、氏族関係を洗うのも面白そうっすね。
>便乗質問ですが、五胡十六国時代には、南北の交易っていうのはどの程度
>あったんでしょうか?
残念ながら僕には分からないです。
三崎良章「五胡十六国」(東方書店)にも書かれてないですしね。
使者の交換が行われていた比較的平穏な時期には、正式な交易もあったであ
ろうという推測以上のものは、僕には。
平穏でない時期でも、仇池経由とか地方刺史レベルでとか裏ルートがありそ
うな予感が。
東晋に藩属していた前涼は、東晋と交通するのに酒泉−吐谷渾−長江下りの
ルートを使ってたらしいですね。
可足渾氏は、慕容イにも嫁がせていることからすると、鮮卑の貴族だったんでしょうかね。北魏の可朱渾氏と関係あるのか?
便乗質問ですが、五胡十六国時代には、南北の交易っていうのはどの程度あったんでしょうか?前秦については、もともと西域の商業民族との関係が深く、初期には東晋との通商を奨励していたが、王猛はこれを禁止したらしいですが・・・。
少し気になっているんですけれど、今このページには何人全員で載っているんですか?
NAGAICHIさま>
>お久しぶり。あのころの連中で「カテーセーカツ」を営んでるのは、
>君だけだよ。独身者ばかりでさ。
それが良いものかどうかは、後世の評価に任せます(笑)
中国史の話にはついていけないので退散するつもりでしたが、ひとつ気になったので…。
「キリストのHシーン」がある映画って、「最後の誘惑」のこと?
NAGAICHIさま>
自分は、担当である慕容儁載記を訳す都合上、和刻本『通鑑』巻97晋紀19顕宗成皇帝下から巻100晋紀22孝宗穆皇帝中之下までコピー持ってますので、ご指摘の前半部分はすでに読んでいて、前燕の皇室もごたごたしてたいへんだなあ、と思っていました。慕容儁も慕容垂が好きでなかったようだし…
『通鑑』巻103晋紀25孝武帝寧康2年の話は初めて知りました。『晋書』巻113載記13苻堅上を確認したところ、当然のことながら「慕容垂夫人」にじゃれつこうとした記事はありませんでした。いつになるかわかりませんが慕容垂載記も読んでみます。
two_yossyさん>
自分も確認しましたよ。>澣典
復帰してよかった。。。(^^)
キリストの家族や兄弟の話はちょっとお待ちください。ことば社の『新聖書辞典』だけでは、お答えするのに不十分なので…
台湾中央研究院の漢籍資料庫はなかなか復帰しませんね〜。
なんか新ネタを。
『晋書』の列女伝見てたら、また謎にぶちあたってしまいました。
『晋書』列女伝に「慕容垂妻段氏」という女性の伝があります。
慕容垂はその名のとおり鮮卑慕容部の人で、十六国のひとつ前燕の王族の出身
で、将軍としてもいろいろ活躍した人です。
前燕のゴタゴタで殺されそうになったもんだから、前秦の苻堅のもとに亡命し
てます。のちに苻堅が肥水で東晋に大敗すると、ひとり自軍を保全し、前秦の
弱体化につけこんで関東で自立して、後燕を建てて皇帝を称しちゃいました。
つまりは後燕世祖です。
列女の段氏(字は元妃)は、前燕の左光禄大夫の段儀という人のむすめで、
「わたしゃ凡人の妻にはなりませんよ」と大言壮語してたら、慕容垂の後妻
におさまっちゃって、皇后にまつりあげられたって女性。
将来起こることを予見して、いろいろ適切な助言してたりします。
その妹(字は季妃)も慕容徳(南燕世宗)の妻になったりするおまけつき。
これはこれで面白い話ですが、伝記単体では問題はないんです。
問題が発生したのは、『資治通鑑』でどう書いてあるのかなと検索してみた
ところから。
『通鑑』巻100晋紀22穆帝升平2年によると、慕容垂は段末[木丕]のむすめ
の段氏をめとったことになってます。
段末[木丕]は鮮卑段部の当主だから、段儀とは別人。
しかもこの段氏はプライド高くて可足渾氏(前燕烈祖皇后)にへつらわなか
ったもんだから、恨まれちゃって巫蠱の罪着せられて獄中で死んじゃってます。
慕容垂が前燕にいる間に亡くなってるから、これが先妻なんでしょう。
さて、先妻の段氏が亡くなった後、慕容垂は先妻の「女弟」の段氏をめとって
たりします。
この段氏は可足渾氏に退けられ、慕容垂は可足渾氏の妹の長安君をめとること
を強要されます。胡注によると、慕容垂はこれが気にくわなくて、慕容垂の
前燕出奔の遠因となったといってます。
『通鑑』巻103晋紀25孝武帝寧康2年に「慕容垂夫人」(胡注によると段夫人)
が前秦の苻堅の行幸を迎えてます。苻堅が人妻にじゃれつこうとしたのピシ
ャリとやっていて、これも面白いんですが、
さてこの夫人は誰なんでしょうか?
1.段氏。段末[木丕]のむすめ。すでに獄中死。
2.段氏。上の段氏の「女弟」。
3.長安君。可足渾氏の妹。
4.段氏。段元妃。段儀のむすめ。のちに皇后にのぼる。
2.4.は同一人物の可能性もありますが、
慕容垂には段夫人が3人いた可能性がありますね。
『晋書』戴記見てもよく分からないんで。
ここらperdidoさんのテリトリーなんでご教示お願い。
まあ匈奴の漢(前趙)の劉聡あたりは、劉氏の后妃が6人いたくらいだから、
慕容垂に段氏の妻が3人いても驚くこともないのかも。
劉聡のほうは同姓不婚原則に抵触してるけど、血筋が違うからいいんだ!と
弁解してたような覚えが……ホントにいいのか?
NAGAICHIさま>
>でもドルイドの司祭なんて言い方もあったような?あれも誤用?
あれは、司祭でも祭司でもいいんじゃとおもうのですが…
ファンタジーの中での話なので…
ただ、自分にとっては、祭司というと古代国家や旧約聖書に出てくる宗教儀式を執り行う専門職のイメージで司祭というとカトリックの聖職者のイメージなので、よくわかりません。
ファンタジーの中でどのような位置づけがされているのかということとか、ファンタジーの作者がドルイドの聖職者とカトリックの聖職者をだぶらせたイメージで使っているのかもしれません。RPGなどで治癒魔法を使う聖職者がいるくらいですから…う〜ん、でも、あれも「牧師」と「司祭」を区別してませんよね…。
>向こうで騒いでいるほど反ユダヤ的とは思いませんでしたけどね
ユダヤ人(というかユダヤ教徒)は、キリスト教に抵抗感があるのです。
ユダヤ教とキリスト教の決定的な違いは、ユダヤ教は、新約聖書をみとめないし、イエス=キリストは預言者の一人にすぎないのですが、キリスト教は、旧約聖書に預言された救い主は、イエス=キリストであって、旧新約は基本的に調和すると考えます。ですからここで「基本的に」と書いたのは、このことについて懐疑的な考え方をもった神学者(この人たちは、ほんとうにキリスト教神学やってるのか疑わしいと自分は思っていますが)がごく一部いるためです。
ごぞんじのように、ヨーロッパでは、イエス=キリストを十字架につけた民族としてユダヤ人は迫害されてきたので、ローマにキリストを売り渡して十字架につけた場面や残酷シーンがユダヤ人イメージを悪化させることに対しての拒否反応ではないかと自分は想像するのですが…
しみずみなさま、NAGAICHIさま>
>結果的にブッシュ政権やキリスト教原理主義への痛烈な批判になっている、
>とも感じました。
石油利権や徴兵のがれをし、独りよがりな聖書釈義をし、テレビ伝道者同志でスキャンダルのあらさがしをする…こんな連中のためにキリストは鞭打たれ、十字架につけられた、そして自分を鞭打ち、十字架につけ、あざ笑う者たちを赦そうとし、「剣を取るものは,剣で滅ぶ」とペテロに警告したことから、イスラエルよりの態度や自分たちがイラクでやろうとしていることに気付かないものかなあ…と思ってしまう意味でブッシュ政権やキリスト教原理主義への痛烈な批判になっていると見ていいと思います。聖書をしっかり読めば自分たちがやってることがおかしいと気付かないものか…と思うのですが…ヤコブの手紙に「差別はいけない」と書いてあるし、使徒行伝にも「人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。(使徒15:9,10)」「レフトビハインド」シリーズは、たしかにおもしろい小説ですが、一方で信仰書のように福音が語られている…信仰生活そのものがエンターティメント化しているアメリカの精神生活の証左なのかな…と感じます。
two_yossyさま、殷景仁さま>
殷景仁さま、情報ありがとうございます。ご紹介されたリンクを見ると29日中に解決するように読めるのですがいまだにアクセスできません。two_yossyさんはアクセスできましたか?PCの調子がいまいちなのかな…LycosのHPに貼られたリンクもアクセスできないことがあるので…。
う〜ん、「冬ソナ」の1.5Mbpsの動画がスムースに動いてうれしい…対策ソフトのせいでADSLなみのスピードになってしまっていますがさすがはFTTH…
土曜日は、静岡県美へ行ってきました。「中国歴代王朝展」とカミーユ=コロ−とクロード=ロランとヤコブ=ファン=ロイスダ−ルの風景画を一緒に見れると思いきや中国展のために片付けられていて、片方の目的が果たせず残念でした。「中国歴代王朝展」は、三星堆の青銅製仮面及び縦目仮面の溶接具合(考古学をやってると、陶磁器の高台が、削り出して作ったのか、あとから接合したのか、土器に開けられた孔は、最初から開けられたのか、後で打ち欠いたのか気になる)をじっくり観察し、金縷玉衣や銀縷玉衣を堪能し、銘文のある文物は、銘文を白文のままどれだけ読めるかなんてやって来ました。面白かったのは、酒令籌(ちゅう)で、これは、「論語」の知識を競って負けたほうが飲む酒の量が刻んであるくじのようなものです。ほかには、兵馬俑や中山王妃のものと思われる墓から出た編鐘が展示されていましたが、一方陶磁器では、唐三彩くらいしかありませんでした。
「パッション」の感想追加です。
最初に流されたイザヤ書53章4〜5節「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの傷みをになった。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、わたしたちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への凝らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷にによって、私たちはいやされた。」新改訳聖書からの引用なので1字1句同じでないかもしれませんがこれが十字架の意味を表現しています。あと、ゲッセマネの祈りの場面で苦しんでいるときに、サタンが「一人で負うには荷が重すぎる…」
とつぶやき、蛇がおそってくるのですが、これを踏み殺す場面は、「彼はお前の頭を踏み砕き…」(創世記3:15)の預言が成就する場面で、十字架上で、「救いが完成した。」とつぶやく場面など十字架の意味を表現している場面は、さがせば結構あることに気付くのですが、やっぱり予備知識がないと見ていてもわかりません。
マガジンに連載されていた藤沢とおるの漫画「GTO」で、教頭の内面を描写した科白や勅使河原という教師の内面を描写した科白がけっこう小市民的でさもしくて笑えるのですが、同時に悪役を憎めなくなってしまうもの悲しさを感じるように祭司(長)たちの自分の宗教的、政治的権威がなくなることをびびる場面とか、あったらたしかに面白いな、とは思います。「マヤ文字解読」には、マヤ文字解読競争で、冷戦時代に、ロシアのユーリ=クノロゾフの解読をアメリカの権威のゆえに認めたがらないエリック=トンプソンのかたくなな態度も実は解読競争に敗れたことを彼自身がよく知っていたから、とマイケル=コウが書いていますが祭司長たちの態度ももしかしたら…という気もします。なぜなら、石打ちとかユダヤ律法による罰し方ではなく、ローマにこびると同時に、自分たちが間違っていた場合に言い逃れできるユダヤ律法にない十字架刑にしたところに象徴的に現われている気がするのです。
殷公
嬉しいー!!! 早速の情報ありがとうございまーす!!!
今日一日途方に暮れて「徘徊老人」と化してましたー!!!
無事に社会復帰できそうですー!!!
two_yossyさまとperdidoさまへ:
昨日から自分も通じないのでおかしいなと思っていたのですが。こちらでも話題になっていたので調べてみました。
その結果、どうやらコンピュータルーム内の空調設備の清掃のため、資料庫等を一時的に閉じているだけのようです。以下の掲示には「作業完了後は服務を回復する」と告示してありますので、たぶん大丈夫と思いますよ。
http://www.ascc.net/cgi-bin/ccnews/view-news.pl/cc/2004-05-21-14-10.19317
ほんとだ...まじかよって漢字(T∧T)
漢文愛好家の強力な助っ人「瀚典」がついに無料見禁止か!?
二十五史その他の資料をどうやってサーチしよう...(途方に暮れる)。