図書館で予約しておいた後漢書が届いたので見てみたら、 元文に読み仮名と返り点などをうっただけのものでした。 しかも木版印刷版っぽい・・・ 1ページ読むのも大変です。 後漢書の完訳本ってまだ出てないんですよね? これを和訳したらいい金になりそうです。
そうだ、『蒼天航路』のお話。徐庶つかまっちゃいましたねー。 でも、劉邦の故事をそのまんまやっちゃうあたり、すごいですねー。 だけど、とりあえず日本の中国ものマンガのなかでは最強だと思うんですけど。勢いと画力は。 未熟なHPですが、これからもよろしく御願いします。
ミキオです。 ご訪問ありがとうございました。 >桓温 >有名な話ですが、桓温が蜀に入ったとき、まだ孔明を見たことのある人が生きてたんですよね。 たしか百歳をこえたようですが。そのじーちゃんいわく、 「むかしはまだ孔明さまと比べてみる気になるやつもいたが、いまじゃ小粒ばかり、そんな気もおこらんわい」 桓温、がっかりしたろーなー。まさに断腸の思い。http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/8986/index_001.htm
最近やたらと本を買い込んでは積ん読にしてる管理人・永一です。 溜まってるなあ…って、本だけじゃないですね。 >江楚材さま >でも実際の玄奘って意外とパワフルでタフな感じとききました。 僕もそう聞いてます。ちょっと手元に資料がないんですけど、 タフでなければ西天取経なんてできないでしょう。 『西遊記』では、守られることが多くて情けない玄奘も、 史実では頭も良く、眉目も秀麗、体力抜群のオールマイティな 人のようですね。 >知りませんでした。以前本宮ひろ志さんの「赤龍王」で秦の章柑がやってたのをみて >感激してました。 秦の章邯が驪山の囚徒を解放して兵とした話は、『史記』にも出 てきます。たぶん本当の話でしょう。 范蠡の話は、章邯のものより一段と壮絶で、死刑囚を戦場の前線 に立てて、次々と自刎させて呉軍の度肝を抜き、勝利したという 話になってます。『史記』では、死刑囚じゃなくて決死の勇士と なってるようですが。 いわゆる姑蘇城外の戦いで、この戦いで負った傷がもとで闔閭が 亡くなったことになってます。 でも怪しいなあ〜。 >光璧さま >やはり、出来たばかりの陳寿の諸葛亮評の影響が大きいみたいです。 じゃあやっぱりチインは軍略将才は評価されてないんですね。(^^) 政治家としては優秀だったんですかね? >桓温の場合は、簡文帝の遺命として、「王導や諸葛亮のようにせよ」と言われてます あっ、ごめんなさい。簡文帝の遺命って、桓温を諸葛亮のように評 価してるんじゃなくて、諸葛亮のようになれよってことだったんで すか。勘違いしてました。m(__)m
う〜ん、私も良く知っているわけではなく、桓温の話も指摘されてようやく思い出した 程度なので、孔明のことよくは分かりませんが、そもそも私が発端のような気がするので…… >管理人さま > 東晋のころの人が、孔明にたとえるってのはどういう意味合いなんでし > ょうかね?軍師として優秀なのか?政治家として優秀なのか? やはり、出来たばかりの陳寿の諸葛亮評の影響が大きいみたいです。 チインが諸葛亮に擬えられたのも、諸葛亮の名を直接出すのではなくて、 「応変の将才はその長ずるところにあらず」という人物評をぶつけられるという、 ひねくれたものですし(^_^;) 桓温の場合は、簡文帝の遺命として、「王導や諸葛亮のようにせよ」と言われてますから、 どんなに実権を握っていても、あくまで皇帝を守り立てた忠義心を見習え、ということでしょう。 他には、劉備と諸葛亮の水魚の交わりのような、息のぴったりあった君臣関係のこととして、 喩えられている例もあるようです。 あと、『北魏書』だったかに、諸葛亮が白帝城に埋蔵しておいた武器を、陸法和という人が 見つけて掘り起こし、「孔明は将才があったと言うべきだろう」と言った……というように 私には読める(^_^;) 話があるみたいですが、無理に強調しているような感があるので、 諸葛亮=優れた将才、というのは少数派なのでしょう。 でも、普通中国の場合、文武に秀でていた時には、文の方を高く誉める傾向があることと、 琅邪の名族に属する諸葛亮が、武の才を誉められるようでは、政治家としての能力が 無かったと言われているようなもので、そんなに悲観することは無いのではないかなぁ と思うのは、弱いなりに安定していた東晋の雰囲気に染まっているせいでしょうかσ(^-^;)http://ha6.seikyou.ne.jp/home/anmt/home/
今日はセミナー。途中で寝ていた江楚材。 悲しいので本屋さんで歴史小説を探しました。隋唐演義・・・ない。 悔しいので小学生が読むような「西遊記」活字がでっかいやつを買いました。 童心に返りますね。でも実際の玄奘って意外とパワフルでタフな感じとききました。 夏目雅子じゃないならひょっとして銭形警部のような感じかな? >范蠡の引き際の良さは、みごとですよね。 引き際ときれいなお姉ちゃんと金持ち、男のロマンですねえ。 >対呉戦でつかった、死刑囚隊。 >奇策の中でも5本の指に入るんではないでしょうか? 知りませんでした。以前本宮ひろ志さんの「赤龍王」で秦の章柑がやってたのをみて 感激してました。 >子路といえば中島敦『弟子』 読んでみます。
>江楚材さま >こんな暗い時はコテコテな少女漫画か三省堂の世界史用語集に限りますなあ。 いや、暗いときはコテコテな少年漫画のほうがよろしいのでは…?少女漫画は かえってダークな気分になることがあります。 >こんな江に読ませるべき小説に心当たりのある人心昂ぶり洗われる熱い小説を教えてください。 >この前酒見賢一さんの「陋巷に在り」を読んで孔子のあまりの強さに感激しました。 >ありゃ関羽でしょ。(それで子路が張飛) 僕は、噂に聞けどもいまだ未読です−酒見賢一さんの作品。 子路はともかくとして、孔子が強いんですか〜。 子路といえば中島敦『弟子』のイメージが抜けません。 彼の不器用な生き方が好きです。 >ギムさま >(奥さん綺麗やし) 三度も繰り返すということは、これがいちばん言いたいんですね。(^^) 西施が范蠡の奥さんになっちゃってメデタシメデタシという話は広く流 布されてますが、その前に悲劇的な死を迎えたという話もあるんですよ。 前者のほうが日本人好みなのかなあ。中国では逆みたいですけど。 >対呉戦でつかった、死刑囚隊。 >奇策の中でも5本の指に入るんではないでしょうか? そうですね。実話かどうかは怪しいですが、 死を恐れない軍隊ほどおそろしいものはないですし、 敵軍の度肝を抜き、士気を萎えさせるには有効だったんでしょう。 >ピロ皇帝さま 范蠡の引き際の良さは、みごとですよね。 あわれだったのは、大夫種。(T_T) 東晋のころの人が、孔明にたとえるってのはどういう意味合いなんでし ょうかね?軍師として優秀なのか?政治家として優秀なのか? 後代の『三国志演義』のような最強軍師のイメージって、この頃からあ ったのかなあ?
やっぱ、范レイは、引き際の良さがポイント高いね。 こうめい君は広告宣伝効果が高い・・・http://www2s.biglobe.ne.jp/~CRTEA2/
毎度失礼します、ギムでございます。 范レイって強いと思うんですけど。(奥さん綺麗やし) 対呉戦でつかった、死刑囚隊。 奇策の中でも5本の指に入るんではないでしょうか?(奥さん綺麗やし) 声東撃西のお手本のような作戦だと思います。 これを越える奇策となると、メフメット2世の艦隊山越えか、ハンニバルのアルプス越え くらいですかね。(奥さん綺麗やし)
世の中暗い話題で楚材自信も暗い。まさしくシンクロニテイ。 こんな暗い時はコテコテな少女漫画か三省堂の世界史用語集に限りますなあ。 ってまさしくあほの極みです。 元気になる歴史小説が読みたくなるのですが探してる人物のはないし・・・ こんな江に読ませるべき小説に心当たりのある人心昂ぶり洗われる熱い小説を教えてください。 この前酒見賢一さんの「陋巷に在り」を読んで孔子のあまりの強さに感激しました。 ありゃ関羽でしょ。(それで子路が張飛)
久しぶりにファンタジー(「時の車輪」第三部)を読んでいる亭主です。 >光璧さま >[希β][心音] (←漢字が無いのですT_T) >を挙げようかと思いましたが チインですね。(読みを挙げても苦しい…T_T) 僕はよく知らない人です。p(--;) 東晋ならその簒奪しそこなった桓温のほうがはるかに勇略に富むでしょうね。 かりにも成漢を滅ぼし、また一時なりとも洛陽を奪回する功績を立てた人ですし。 でもたしかに、最強というには足りないですね。 桓温も、簡文帝の遺詔で諸葛武侯(孔明)に比せられてますね。 大安売りだなあ、孔明。
管理人さま、御無沙汰してます(^^ゞ 最強の武将と軍師の話ですが、私の好きな東晋時代は、亡命政権で弱いので駄目ですね。 符堅との戦いは守りきっただけですし、桓温とか北伐を成功させた人もいますが、 あれだけ分裂していた華北を統一出来なかったという見方も出来ますし。 少なくとも『最強』という人は思いつかないですね(^-^;) 仕方ないので、王羲之の息子、王徽之に諸葛亮と同じだと称えられた [希β][心音] (←漢字が無いのですT_T) を挙げようかと思いましたが、深く考えるまでも無く、この人、凡庸な上に 道教のお札を飲みすぎて体調を壊し、息子が桓温に簒奪を勧めていたことも 息子の死まで知らなかった、という人でした(爆) 王徽之の言葉は、からかいだったのですね(^_^;)
カラオケで中島みゆき尽くしをやって顰蹙を買った枕流亭亭主です。 >江楚材さま >確かに今就職活動中で皇帝にあこがれてます。 お気持ちは分かります。 でも、逃避しすぎると、どこぞの亭主みたいにならないとも限りません。 (ってふつうならないですね、失礼!) あまり現実逃避なさらぬよう。 僕は他山の石にしかなりませんが、頑張って下さい。p(^^)/~ >ほーむぺえじの管理って大変そうですね。 ときどき何でこんなことやってるかなあ、と投げだしたくなります。 でもたいていは、毒になっても薬にはならないことを書き飛ばしてひとり悦に 入っています。〜無責任でアブナイやつです。 やっぱり本来ホームページ管理って大変なものなのかな?
ごめんなさい。リングネームが変わってしまって。 「えっつあん」は「江楚材」の幼名です。気をつけないと。 ほーむぺえじの管理って大変そうですね。がんばってください永一(管理人)さん。
>結局、漢文か…(T_T)) 悲しいですね。やっぱりなかなかないもんなんですね。がんばります郭嘉。 >そうでしょうね。でも皇帝でなければあそこまで放埒なことは出来なかったと思いますが。 確かに今就職活動中で皇帝にあこがれてます。嫉妬です。ああっ皇帝になりたい・・・ 李靖もそうだったけど昔の人の話で何十年も田舎でくすぶってる人をしると 「今は股くぐりでもいつか・・」 とか思って韓信気取りになってしまうおいらはめちゃくちゃ逃げ腰マンです慰遅恭。
色々コンテンツを更新しなきゃなあと思いつつ…さぼってる永一(管理人)です。 >江楚材さま >ある意味大帝国のつまんない皇帝業なんかじゃ収まんなかったんと思うんですがどうでしょう? そうでしょうね。でも皇帝でなければあそこまで放埒なことは出来なかったと 思いますが。 >でも李靖についてもあんま詳しくないので何かいい資料はありませんか? 僕も『隋唐演義』なんかのイメージ先行で、たいした資料持ってないです。 中国通史の本や唐代史の本にちょこちょこ書かれてるのと、 『歴史読本』誌の1996年11月号に田中芳樹さんの短い文章があるくらいで。 やはり『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』を漁らないと詳しいことは分からない のかなと思ってます。(結局、漢文か…(T_T)) >あと光武帝劉秀を題材にした本とかって誰か知りませんか? 光武中興のみを題材にしてるなら市販本はたぶんないです。 光武中興の時代についてはWEB上の↓のサイトが詳しいです。 http://www.aya.or.jp/~ein/dan/c000.html 僕はここ↑の掲示板に来られる中西さんという方のお手製の『光武中興関係人物 小事典』をコピー再販で送ってもらうつもりです。(楽しみ〜) >1ファンさま >戦闘面では郭子義なんかが好きです。 唐朝の名将ですね。忠義のわりにいまいち不遇でしたけど。 安史の乱で傾いた唐を支えて、粛宗・代宗を助けたのはこの人でした。 >范レイなんかはすごい頭切れそうですね。 頭は切れるでしょう。 僕がこの人に感心するのは、勾践が覇者になった後の処世なんですけどね。 范蠡と西施の晩年ってのも諸説ありますが、やはりすごいのが范蠡が商人になっ て大金持ちになり、二人睦まじく暮らしましたとさというやつ。
好きとかいいながら思いっきり字が間違ってる・・・ 郭子儀でした。 好きだったのは昔の話です。(今は忘れてました)
どうも、お邪魔します。 最強の武将ですか〜。 やっぱりイメージ的には呂布なんでしょうね。 SWEET三国志ではパンツ一丁でしたが・・・ 個人的な武芸では梁山泊の強者もなかなかかと。 戦闘面では郭子義なんかが好きです。 最高の軍師・・・ 諸葛亮といいたいところですね。 実際、孔明も司馬懿も直接対決まであまり実戦の経験がないんですよね。 他の時代の軍師はよく分かりません。 范レイなんかはすごい頭切れそうですね。
やっぱりみんなそれぞれ思い入れの深い人物が多いみたいで。 >ギムさんへ 永一さんも推挙しておりますが 明の武宗ってたしか変なお方だったと思いますぞ。奔放さはピョートル大帝みたいで美少年囲って 近衛兵にしたり、勝手に皇帝から威武大将軍朱寿になって戦争ごっこに興じたりした変な人です。 ある意味大帝国のつまんない皇帝業なんかじゃ収まんなかったんと思うんですがどうでしょう? >永一さんへ ばればれっすね。でも字の由来が好きなんです曹豹。 p・s じつは江楚材も李靖が最強と思ってるんです。韓信よりすきなだけって話なんです楊大夏。 でも李靖についてもあんま詳しくないので何かいい資料はありませんか? あと光武帝劉秀を題材にした本とかって誰か知りませんか? 意外と有名じゃないし(この前にわか三国志ファンの友人が知らなくて一時間かかって説明 した馬鉄)小説とかをさがしてはいるんですが。
永一です。 先ほどの自分の書き込みで、 >たぶん韓世忠には、名誉が与えられる時間がなかったんだと思いますよ。 >岳飛に匹敵する功績を挙げたと思ったら、隠居の憂き目に遭ったんだと思います。 >高宗のせいというより秦檜のせいかな? なんてこと書きましたが、大嘘!でした。 記憶ちがいもはなはだしい。m(__)m(汗) 韓世忠と岳飛では、出世順は韓世忠のほうが早いです。 韓世忠が枢密使のとき、岳飛は副枢密使でしたし。 お詫びして訂正いたします。m(__)m
あわわ、レスがたまる…。亭主・永一です。 >鍵屋さま >>最強の参謀 >コレは陳平ですねぇ。 あっ、僕も張良より陳平が好きなんですよ。 素行の悪い郭嘉型軍師。 ああ、秘密にされてしまった彼の謀略のことを考えると、夜も眠れない。(^^) って、以前も書いたな、たしか。 >「西遊」話になった途端に人が減った「西遊」サイトの管理者としては羨ま > しい限りです(^^; すみません。『西遊』はなかなかツッコめなくて……。ぜひ、布教していって ください。 >内藤猫さま >戸愚呂(弟)に通じる波動を感じます。 「幽遊」ですね。発想がすごいですねえ。発想貧弱な亭主には思いつかん比較 です。(^^;) >「空飛ぶ革命家」朱徳とか「短剣一本で解放区を拓く」賀竜 >等が非常に屈強だったと聞きます。 賀龍のエピソードは好きです。福本勝清『中国革命を駆け抜けたアウトローた ち』(中公新書)を読んで、ますます好きになりました。 晩年は不幸でしたが。(T_T) 包丁二丁で塩局襲撃。スゴイわあ〜。 >自分はトウ小平がいいですねえ・・・。89年の天安門事件はイタいですけど >思いっきり合理的な思想家で陽気なところが最高です。 トウ(ケ)小平は後世の評価待ち…ですが、天安門や貧富の差の拡大などの マイナス点は無視してはいけない失点としても、比較的良い政治家として評 価されるのでは、と思います。爆発的な経済成長や(政治的自由を除く)自 由の拡大は、評価されるべきです。まあ、文革がひどすぎたってのはあるの で、その後の指導者は良く見えるのかもしれませんが。 >ギムさま >なぜ(精忠岳飛)があって、(精忠世忠)がないんだ!ちゃんと韻も踏んでるぞ! たぶん韓世忠には、名誉が与えられる時間がなかったんだと思いますよ。 岳飛に匹敵する功績を挙げたと思ったら、隠居の憂き目に遭ったんだと思います。 高宗のせいというより秦檜のせいかな? >中国史の中に『変り種君主』ってどんな人がいるんですかね? 変な趣味は、調べ足らずでぱっと思いつかないです。 真樹さん曰くの衛の懿公はなかなかですね。 君主が変装して微行(しのびあるき)するのが好きなのは、 唐の宣宗とか明の正徳帝(武宗)とか清の乾隆帝とかいますね。 とくに威武大将軍こと明の正徳帝・朱厚照君は大迷惑な人です。 >真樹操さま >モウショウ君(ああもう漢字変換がめんどくさい、IMEのばかあ) 孟嘗君ですね。戦国の四君の中では一番仕えたい人かも。 うちのワープロソフトは一太郎−ATOKの上に、「睡人亭」の山田崇仁さ んとこの中国史辞書入れてるので、変換も快適ですよ〜。へへ〜。
……というのは二通りあると思うんですよ。 「この人に仕えたい!」というのと、 「まことによく国を治めた」というのと。 前者ならモウショウ君(ああもう漢字変換がめんどくさい、IMEのばかあ) 後者なら……唐の玄宗の前半、てのはだめかな? >変わり者君主 鶴マニアで国を滅ぼした衛のイ公(司馬イのイ)に一票。あ、人気投票じゃないか。
毎度失礼します、ギムでございます。 >最強の武将 項羽や呂布や白起や岳飛。たしかに最強の武将と言われる面々だとは思います。 しかし、ココで私は『韓世忠』に一票入れたいと思います。 黄天湯の戦いと言い、あの秦カイから(莫須有)の一言を引き出した事と言い、 綺麗で頼もしい奥方様(梁紅玉)と言い、まさに『漢』。 引き際も良い、息子も正義感溢れる良い男。うらやましいぞ! どうして岳飛だけに旗を下賜するんだ! なぜ(精忠岳飛)があって、(精忠世忠)がないんだ!ちゃんと韻も踏んでるぞ! ええいっ、答えろ高宗っ!!! と言うぐらいに思い入れがたっぷりと入っております。 >最強の参謀 ん〜、これっていっぱいいすぎてどれか悩む所なんですけど、斉のホウ叔牙、 漢の張良、魏のジュンイク、宋の趙普etc... 中国史って言えるかわかんないんですけど、『耶律楚材晋卿』ってのが好き ですねー。 P,S ちょっとお聞きしたいんですけど、中国史の中に『変り種君主』ってどんな 人がいるんですかね? 北宋の徽宋とか、南唐の李イクとかの文人皇帝とかじゃなくって、変わった 趣味を持っている皇帝さんです。 ギムがしってる中で変わった趣味を持ってる皇帝と言うと、ロシアの『ピョ −トル大帝』です。 この人、半年くらい船大工やったり(在位中)、土木工事の監督やったり( やっぱり在位中)、歯科医を開業したり(またまた在位中)、そういう片手 間で皇帝をやってた人です。(しかも名君!) こういう人って中国史にいるんでしょうか?
5月病ならぬ万年病の永一(管理人)です。 >江楚材さま はじめまして。ご来訪ありがとうございます。 昨夜はすれちがってしまいまして。m(__)m >最近ネットにもおいらと同じような歴史ファンの集う場所があるなんて感激です。 「歴史ファンの集う場所」は時代によって偏りはありますが、全地域・全時代に わたってたいていありますよ。うちは中国史全般系の中堅どころですが、楽しん でいってください。 >ちなみにこのリングネームは自分の本名を漢字風にアレンジしてみました。どうでしょう? 加えて、名前と字の由来は、耶律楚材ですね? >中国最強の武将って言うと誰を連想しますか? え〜、やっぱ個人的武勇の最強と戦術の最強は違うと思いますし、 時代の違う人は比べられないとは思いますが、 個人的には項羽かなあ。劉邦のお大人ぶりに敗れた人ではありますが、 戦闘の天才です。垓下・東城の戦いの猛戦ぶりもすさまじい。 >同じく最強の参謀って誰を連想しますか? 唐初の李靖かなあ。将軍でもある人ですけど。太宗・李世民の武臣第一等。 >あと皆さんの中の理想の君主ってだれですか? 後漢の光武帝・劉秀ですね。 隙があって安心できるし、粛清されないし、やっぱ名君なのがいいわ。 >真樹操さま >やっぱ呂布……って、三国志演義かぶれでしょうか。(^^ゞ 正史でも勇猛さについてはこれでもかと書き立ててますしね。 「飛将」とか「吠えたける虎のごとき勇猛」とか。 演義は関張劉との一騎打ちをさせたりして、イメージを増幅してます。(^^) でも実際も無茶苦茶強かったんでしょうね。 >つまりこれは「兜なんか必要ないほど強い!」って意味なんだろう、 >と勝手に解釈してます。(^^) うちの三国誌人物撲克(トランプ)でも呂布(スペードの2)は、 冠をつけて弓を引いてます。劉備と紀霊の間を仲裁したあのエピ ソードですね。紀霊を招待した時だったから冠だった…違うかな?
>中国最強の武将 色々な意味で想像しかねる上古を除くと(ついでに知識が空っぽな中世 以後も除いて)やっぱり自分も項羽でございますね。若し自分がそーゆ ー漫画か小説を書くとしたら一番描き易いのは間違い無くこの人です。 ちと戸愚呂(弟)に通じる波動を感じます。あぁ、こんなアホなこと書 いてるの自分だけだ。 現代史だと「空飛ぶ革命家」朱徳とか「短剣一本で解放区を拓く」賀竜 等が非常に屈強だったと聞きます。 >同じく最強の参謀 天下を取った君主は大抵「呉用役」の頭脳を抱えてるような気がします が、劉基然り張良然り何と無く区別を付け難いのでやや毛色の違う「戦 う宰相」諸葛亮を推します。人材も行軍技術も長征の比では無いのに五 度も北伐を敢行した彼の努力を思うと半時間は泣けます。ホントに。 >理想の君主 自分はトウ小平がいいですねえ・・・。89年の天安門事件はイタいですけど 思いっきり合理的な思想家で陽気なところが最高です。個人的には東洋 史の指導者ベスト10に入れても可笑しくないです。 でもトウ小平はお殿様じゃないので所謂君主の中から選ぶと宋徽宗がダン トツなのですが、この選択肢だとあまり真面目に考えてないことが露呈し てしまうのでこれにて失礼致します。
送信待ちの間に真樹さんのカキコ見てて、ふと思った事。 >つまりこれは「兜なんか必要ないほど強い!」って意味なんだろう そう言えば、関羽も張飛も兜被ってないなぁ…… って事はこの3人だけは別格、って事なのかな? ざまーみろ、趙雲!(鍵屋は趙雲嫌い/爆)
>最強の武将 私も呂布ですかねぇ。 項羽とか、岳飛なんかも強いんでしょうけど、個人の強さ、 っていう意味では呂布って別格! って感じがします。 まぁ、『三國志演義』のすり込みなんでしょうけどね(^^; いや、『蒼天航路』の凄過ぎたヤツのせいか? >最強の参謀 コレは陳平ですねぇ。 色んな意味で天に通じてるようなイメージのある張良と違って、 もっと地に足の付いた知力の持ち主ってイメージがあります。 まぁ、コレも『項羽と劉邦』のすり込みなんでしょうケド(爆) >永一さん >>この掲示板、なんか三国志ばなしになった途端に人が増えました。 良いですねぇ。 「西遊」話になった途端に人が減った「西遊」サイトの管理者としては羨ましい限りです(^^; も少し気張って「西遊」普及に乗り出さなきゃダメだなぁ……http://www.ne.jp/asahi/kagiya/tsumugidou/key.index.htm
やっぱ呂布……って、三国志演義かぶれでしょうか。(^^ゞ 私、呂布けっこう好きなんですよ。日本のマンガではバケモノみたいに描かれる ことが多いけど、中国の連環画だと颯爽たる美形のにーちゃん。で、兜じゃなく ちょこんとしたオシャレな冠で出陣するの。つまりこれは「兜なんか必要ないほ ど強い!」って意味なんだろう、と勝手に解釈してます。(^^)
連休ボケの抜けない枕流亭亭主・永一です。 >ギムさま そういえば5月5日はいつの間にか過ぎちゃいましたね。(屈原の命日) >シバイvs曹爽とか、陸遜・陸抗の親子軍師とかよさげですねー。 やっぱりそこらが華ですか。主人公をまじめそうな曹羲あたりにして、司馬懿や 何晏を敵役にして曹爽一族の悲劇を描くなんてのもよさそう。 >南宋の宋沢の死って言うのが対抗馬かとは思うんですけど。 宗沢の死は、中国史の名場面ですよね。僕も某HPの名場面の投票に一票入れて ます。 >ダレイオス一世は3代目です。 これは知りませんでした。間にひとりいたんですね−カンビセス2世−。 ダレイオスは血のつながらない簒奪者ですか。でも王朝名は変わらなかったので すね。 中国の五代あたりにも、血のつながらない仮子(養子)が王朝継承したりしてま すけど、簒奪じゃないですしねえ。血のつながらないのが簒奪したら、ふつう別 王朝になると思いますけど。 >鍵屋さま どうもご来訪ありがとうございます。 >他の時代はそれ程詳しくないけど、これなら混ざれるぞ(^^) (^^)〜、この掲示板、なんか三国志ばなしになった途端に人が増えました。 >魏にはそれなりに人物が残ってますし、呉なんて、そこからが面白い訳だし…… そうですよね。かなり時代が下っても、たとえば陸抗と羊コの友情とかもよさそ う。 >ミキオさま こちらこそはじめまして。 僕もDanさんのページやMLなどでお名前拝見してます。 >しかし、徐庶のあの傷だらけの顔は、あれはどういう目にあったんでしょうかねー。 分かりませんねえ。でも「蜀書」諸葛亮伝の裴註に、徐庶は若いころヤクザで仇 討ちをやったみたいな記述がありますし、撃剣の使い手だったと明記してありま す(剣は弱くないハズ)。だから、『蒼天航路』にも何か裏設定があるのかも。 徐庶の今後については、正史の裴註のとおりなら、石韜と連れ立って曹操のとこ へ行っちゃうハズです。 演義なら母親をダシに使って曹操が呼び寄せるわけで。 でも、『蒼天』では劉備を見限っちゃうんじゃないかなあ。なんかモーニング 次号あたりで、劉備とんでもないことやりそうだし。(予想)
ども姓は江、名は楚材、字は晋卿と申します 最近ネットにもおいらと同じような歴史ファンの集う場所があるなんて感激です。 熱い、熱いです。 また遊びに来ますのでいじってください。 ちなみにこのリングネームは自分の本名を漢字風にアレンジしてみました。どうでしょう? 後ここに来てる人に質問なんですが 中国最強の武将って言うと誰を連想しますか? 同じく最強の参謀って誰を連想しますか? あと皆さんの中の理想の君主ってだれですか? お暇な方でいいんですが教えてください。
どうも、はじめまして、よく覗いてはいたのですが、書き込みするのは初めてです。 ミキオと申します。某HPでよくお名前は拝見しておりました。 蒼天航路ネタに引かれてつい、名乗り出てしまった次第でして。 なんか史実無視でも、格好良いマンガですよね。 しかし、徐庶のあの傷だらけの顔は、あれはどういう目にあったんでしょうかねー。 あんなに傷をつけられるほど剣が弱いから、軍師に転向したの? それとも生まれつき?(母親は驚いたろーなー) 徐庶はどうなってしまうんでしょうかね。曹操に捕まるのかな。
どうも、カキコするのは初めてな鍵屋、参上です。 何だか「三国」話で盛り上がってるんですねぇ。 他の時代はそれ程詳しくないけど、これなら混ざれるぞ(^^) >孔明死後の「三国志」 とりあえず、蜀から目を離しさえすれば、そこそこに面白い物になりそうですけどねぇ。 華が無い、と言っても、それは蜀のみに限った事で、 魏にはそれなりに人物が残ってますし、呉なんて、そこからが面白い訳だし…… 誰か書きませんかねぇ?http://www.ne.jp/asahi/kagiya/tsumugidou/key.index.htm
毎度お騒がせしています、ギムでございます。 >孔明死後の三国志 孔明死後の三国志、ぜひ読みたいですねー。 横山光輝しか読んでないからあまりわかんないんです。 シバイvs曹爽とか、陸遜・陸抗の親子軍師とかよさげですねー。 あと、田中芳樹が『夏候覇』の事書いてましたけど、短編でしたからちょっと物足りないです。 孔明の死、って言うのがかなりドラマティックですから、それを越えるとなると… 南宋の宋沢の死って言うのが対抗馬かとは思うんですけど。 >アケメネス朝ペルシア ダレイオス一世は3代目です。 一代目がメディア王国を軍事クーデターによって奪い取り、リュディア王国、 新バビロニア王国、小アジアのイオニアギリシャ諸都市を征服し帝国の基盤を 定めた『キュロス2世』。 2代目がキュロス2世の長子で、エジプトを帝国の傘下に治めた、『カンビセス 2世』。 そして3代目が、行政・軍事・神権の一体化を推し進めた、『ダレイオス一世』 てな具合です。 ちなみにダレイオス一世は簒奪者です。 永楽帝みたいに血の繋がりがあるんであればまだしも、キュロス2世とはなんの 関係もないお人です。(後にキュロス2世の娘と無理やり結婚して、自分はキュ ロス2世の息子だ!って言う事もやってます。) アルスラーン戦記については、知らなくても十分面白く読めます。 まあ、知ってても『十字軍(約10世紀)と、ペルシア帝国(BC2世紀〜AD5 世紀)、エジプト新王朝(約一世紀)、突蕨遊牧帝国(約8世紀)、ムガール帝国( 約16世紀)がどうして戦う事ができんねん!』と突っ込める程度です。 以上、長々と失礼しました。
>真樹操さま >うーん、ちょっとカタルシスがないんじゃないでしょうか? >悲劇にしてもどこか「うっとり」するような場面がないと、読んでて面白くないでしょ? >(あ……うっとりさせるように書けばいいのか) そのとおり。なにかと華がないとみられがちな孔明死後、 作家の腕の見せどころです。 書いてみませんか? きっと売れますよ、僕は買いますよ〜。 >ちなみに私の友人の一人は、NHKBSでやってた中国の大河ドラマの三国志を見てて、 >「孔明が死んだあとが長すぎる、姜維だけで五回もひっぱるなっ!」と怒ってました。 中国のテレビシリーズの『三国演義』は、ちょうど2年前の今頃に中国の南のほうを 旅行したとき、ホテルのテレビで1回分見たんですよ。演義に忠実に作ってあるし、 曹操があまりにカッコいいので、これはスゴイと思ったもので。思い出したら手に入 れたくなってきました。虫が騒ぐ〜。
どうも、真樹操です。 >孔明死後の三国志 うーん、ちょっとカタルシスがないんじゃないでしょうか? 悲劇にしてもどこか「うっとり」するような場面がないと、読んでて面白くないでしょ? (あ……うっとりさせるように書けばいいのか) まあ、穴場ではありますね。まだあまり人が書いてませんから。 人物造形をどう魅力的にするかがカギでしょうねえ。 ちなみに私の友人の一人は、NHKBSでやってた中国の大河ドラマの三国志を見てて、 「孔明が死んだあとが長すぎる、姜維だけで五回もひっぱるなっ!」と怒ってました。 それが原作なんだってばさ(笑)。
遅ればせながらゴールデンウィークに入った管理人です。 昨日はしまなみ海道通って因島水軍城を見てきたりとか。 4連休残り3日、あとは予定なしでゴロゴロしてるはず。 >きいわこさま >スペインよりマヤとかアンデスの方が興味あります。 >ベトナムについては、陳王朝(元を撃退した王朝)のみと、偏っています。 ラテンアメリカ系はさっぱりです。 去年インカ展が松山に来たので見に行ったくらいかな。 美少女のミイラとか世界最古の布とかありましたね。 ベトナムもダメです。ベトナム戦争も本一冊買ったのが そのまま積ん読になってどこかに埋もれちゃいましたし。 オリバー・ストーンの映画『プラトーン』(ふ、古い)は いまだ印象に残ってますけど。 >司馬氏に殺された魏の皇帝、曹髦が主役の三国志は、どうでしょう? >学問好きの大人しい少年ゆえ司馬氏に擁立されたのに、やがて自殺行為ともいえる >反逆(じゃないんだけど皇帝だから)を試みて殺される・・・・。 よさそうですね。 孔明死後の話なら、悲壮っぽい話がいくつもできそうな気がします。 短編向きかな? 曹爽一族の末路とか諸葛誕の乱とか毋丘倹・文欽の乱とか姜維の北伐とか陸一族の悲劇とか…。 むくわれない忠臣の悲劇みたいな連作集、誰か書かないでしょうか。 >最近、なぜかアケメネス朝ペルシアが好きです。ダレイオス一世って、2代目ですよね。 >2代目というと、益々お気に入りです。(理由は特になし) ペルシャもよく知らないんですが、歴史地図を見るとアケメネス朝の版図も広いですねえ。 周王朝の領域がかわいいくらいで。 初代のキュロス2世とダレイオス1世の二代であれだけの大帝国を作ったんでしょうか? ペルシャ史を知らなくても、『アルスラーン戦記』の第一部は楽しめました。 第二部…は知らないです。
お邪魔します。きいわこです。 >世界史 スペインよりマヤとかアンデスの方が興味あります。 ベトナムについては、陳王朝(元を撃退した王朝)のみと、偏っています。 普通は、ベトナム戦争ですよね。 実は、世界史の王道、ヨーロッパ史が駄目です。毛嫌いしているかも・・・失礼。 >孔明死後の三国志 小説だと、柴田練三郎ぐらいですか? 漫画では横山光輝がちょこっとですよね。 司馬氏に殺された魏の皇帝、曹髦が主役の三国志は、どうでしょう? 学問好きの大人しい少年ゆえ司馬氏に擁立されたのに、やがて自殺行為ともいえる 反逆(じゃないんだけど皇帝だから)を試みて殺される・・・・。 嫌われ者の司馬一族が敵ゆえ、悲劇の名作になるのではないかと。 >アケメネス朝ペルシアの『ダレイオス一世』 最近、なぜかアケメネス朝ペルシアが好きです。ダレイオス一世って、2代目ですよね。 2代目というと、益々お気に入りです。(理由は特になし) ところで、ペルシアの歴史に詳しくなると「アルスラーン戦記」がもっと、 面白く読めますか?http://www.page.sannet.ne.jp/keitanaka/
>ギムさま >美濃囲いの方が好き! どうも戯言に反応していただいて。 某有段者に勝つためにいろいろ試してまして、僕も今は美濃囲い派です。 「君は永久に僕には勝てん」とか言われて、あークヤシー。 >蒼天航路って、死んでしまう前のキャラをかなりカッコよく書きますよね。 >孫堅とか、カクカとか、陳宮とか…(ああ、劉備の軍師になってれば…) たしかに。まあ陳宮はもとからカッコ良い死に様ですけど。 郭嘉は一徹の軍師として散りました。シビれます。 >その点、なにかとお茶目だったチョウシュウ、いじらしくて気に入ってたのに… >ご冥福をお祈りします。 あの賈[言羽]を使いこなしたという点でもなかなかの人物です。 正史では烏丸討伐のときに病没したようですが。 >ところで、『太平天国演義』って知ってますか? 知ってます。初回だけ(なぜか職場で)見ました。 さすがに「オールマン」誌は毎週チェックできないですし。 単行本化したら買うでしょう。 同じ作画の「ソムリエ」も好きでしたし。 石達開vs洪秀全ですか?どういう展開になってんでしょうねえ。 >アケメネス朝ペルシアの『ダレイオス一世』の身体的特徴についておもろい事、見つけました。 >『その者、耳が肩まで届くほどに長く、手は膝まで届くほどに長かった。』 まんま劉備ですねえ。(^^) 最近聞いたとこでは、宋太祖・趙匡胤の風貌もそうらしいです。
毎度お騒がせしております、ギムでございます。 蒼天航路って、死んでしまう前のキャラをかなりカッコよく書きますよね。 孫堅とか、カクカとか、陳宮とか…(ああ、劉備の軍師になってれば…) その点、なにかとお茶目だったチョウシュウ、いじらしくて気に入ってたのに… ご冥福をお祈りします。 ところで、『太平天国演義』って知ってますか? オールマンか、スピリッツで連載中なんですけど。 今週でわ、石達開が大暴れしてます。 近日中に、石達開vs洪秀全 てな事になりそうな展開です。 ところで、アケメネス朝ペルシアの『ダレイオス一世』の身体的特徴についておもろい事、見つけました。 『その者、耳が肩まで届くほどに長く、手は膝まで届くほどに長かった。』 貴人の相は国境を超えるってことですかね?
矢倉党から四間飛車党に転向しても相変わらず戦績さっぱりの亭主です。 (って何の話だ!) >1ファンさま >孫皓をマンガにしてくれないかな〜。 >SWEET三国志みたいなノリで。 う、売れなさそうだ。孫晧メインじゃ。 でも孔明死後の三国志をきちんとやれば、そこそこ商売になるんじゃないですかねえ。 誰か書かないかな。どこか出さないかな。 #「蒼天航路」で張繍が死んでもうた〜。趙雲目立たせすための刺身のツマとは…。 #味があって好きだったあのオッサン。でも、史実よりちょっとだけ長生きしたのでいいか〜。 #(って、そんな問題じゃない!)
孫皓をマンガにしてくれないかな〜。 SWEET三国志みたいなノリで。 すいません、こんな書き込みで。
>史記の解説本でよく言われる「紀伝体」の多面性が、こんな所にも現れている 「紀伝体」の多面性についてはおっしゅるとおりですが。 「三嗣主伝」と「濮陽興伝」にはさほどの矛盾はないのかも知れませんよ。 「三嗣主伝」で、孫晧の即位前はあたかも立派で賢明であったかのように褒めちぎっ てる記述ですが、これは陳寿の意見じゃなくて、万[或〃]の意見ですから。 即位後は問題なく孫晧は暴君としまして。 即位以前の孫晧については、3通りくらい考えられます。 1.孫晧はちっとも立派じゃなくてそのポーズすら取ってなかったが、万[或〃]が自 分の利益のために立派だと喧伝した。濮陽興らは孫晧を傀儡として利用しようとした。 2.孫晧は心根では立派じゃなかったけど、皇帝になるためそのポーズを取っていた。 そこで万[或〃]は濮陽興らに推挙した。濮陽興らは外面のよさそうな孫晧を利用しよ うとした。 3.孫晧はそのころは実際に立派だった。そこで万[或〃]は濮陽興らに推挙した。濮 陽興らは外面のよさそうな孫晧を利用しようとした。(しかしその後に孫晧は変貌した) 僕は2.くらいじゃないかなと思いますが、断定するには判断する材料少なすぎです。 >孫晧に対する情け容赦ない断罪も、 >実は、孫晧を優遇した晋朝への批判とも受け取れるので 「三嗣主伝」の陳寿評も手厳しいですね。 「天子のひろびろとした恩徳というよりも、度をすぎた寵沢であったのではなかろうか」 (ちくま文庫版6巻p238) たしかに帰命侯に封じたことを批判してますね。晋批判…すごいかも。 >最近、永一さんを少しは見習って、世界史つまみ食い中 え゛っ?僕を見習うんですか。僕はむかし(…って高校のころ)は世界史得意でしたが、 今は知識が抜けてしまって、退化いちじるしいです。きいわこさんのほうが、世界史お 詳しいでしょう。ベトナムの歴史とかスペインとか色々お読みみたいで。
きいわこです。 >孫晧 >「三嗣主伝」だけ読むと、なんかそんな気もするんですけど。 〜 >で、濮陽興伝を読むと、濮陽興と張布はどうも孫休の代から結託して無茶苦茶やって >たみたいですね。 あらためて、「紀伝体」の歴史書の読み方を勉強させていただきました。 本紀では君主のマイナス面があまり書かれないので、他の列伝を参照するとわかるものですね。 史記の解説本でよく言われる「紀伝体」の多面性が、こんな所にも現れているなと、 面白かったです。しかし、孫晧は、ますます弁解の余地がないな。 陳寿の評ってシンプルで的確だと思います。孫晧に対する情け容赦ない断罪も、 実は、孫晧を優遇した晋朝への批判とも受け取れるので、結構、大胆な人ですね。 歴史家の伝統がそうさせるのでしょう。 >自分のことを棚に上げるのもしゃあないと思いますよ。 そうですね。逆にいうと自分を一旦忘れるぐらいじゃないと、評価はできいでしょう。 本や映画も、自分の気分や体調で、相当印象が変わるから、評論というのも難しい仕事と 思います。 立派な人間じゃないと批評できないわけじゃありませんね、確かに。 (最近、永一さんを少しは見習って、世界史つまみ食い中ですが、さすがに、大航海時代 スペインが南北アメリカ大陸にした所業については、感情移入するなってのが無理です・・・)
>きいわこさま >登場したときは、呉の救世主のように期待されたんでしたね。 >少なくとも、即位の前は中々立派な方だったみたいですね。 孫晧は即位前は立派だったのでしょうか? 「三嗣主伝」だけ読むと、なんかそんな気もするんですけど。 孫晧を推薦したのが万イクで、擁立したのが濮陽興と張布なんで、なんとなく気にな ったので調べてみました。万イクと張布は伝を立てられてないみたいですね。濮陽興 はさすがに丞相を務めただけあって、伝が立てられてます。 で、濮陽興伝を読むと、濮陽興と張布はどうも孫休の代から結託して無茶苦茶やって たみたいですね。陳寿の評は辛辣で「濮陽興は、宰相補弼の任にありながら、国家経 営に心を用いることなく、張布の悪業に加担し、万[或〃]の意見を聞き入れたりした のであるから、その一族が皆殺しになったのも当然の結果である」(ちくま文庫版8 巻p149) ここら読むと、濮陽興・張布らは孫晧が賢明だから擁立したんじゃないと思います。 自分らの陣営に都合がよさそうだったからじゃないでしょうか? まあ、のちのち悔いることになるんですが。 >自分自身も過ちを犯す人間だと自覚した上で、人が人を評価する=「裁く」と >いうことでしょうか。歴史物を読んでいると、自分のことを棚に上げて暴言を吐きがちなので >ちょっと気をつけようと思うこの頃です。 まあ「裁く」という用語は語感がよくないので、人物を「評価する」でいいのですが。 どちらにしても、一種の傲慢さはつきまとってくるわけで…。 歴史をやる上での必要悪かなあと。 自分のことを棚に上げるのもしゃあないと思いますよ。 小説の批評をする人が優秀な小説家である必要はないし、 政治の評論をする人が優秀な政治家である必要はない。 歴史の評価も然りで。 まあなるべく自由に公正に、とは心がけたいですが。 (その点、僕は好き放題言ってるだけなんでいけないんですが)
こんばんは。きいわこです。 >1ファンさん >孫皓は即位当時はまともに政治を行おうとしていたようです 久しぶりに、正史三国志を少し読みました。 登場したときは、呉の救世主のように期待されたんでしたね。 少なくとも、即位の前は中々立派な方だったみたいですね。 隋の煬帝と似た方でしょうか? 呉の滅亡を予感し自暴自棄になった感じがします。 >永一さん >ある人物を後世から評価するってのは、やっぱり「裁く」ってこと >になるのではないかと思います。 ああ、そうですね。私は「裁く」ということを、高みの見物で無責任に人にいちゃもんをつける という、次元の低いイメージで捉えていました。 自分自身も過ちを犯す人間だと自覚した上で、人が人を評価する=「裁く」と いうことでしょうか。歴史物を読んでいると、自分のことを棚に上げて暴言を吐きがちなので ちょっと気をつけようと思うこの頃です。 >暗君 劉禅・・・憎めない方です。諸葛亮を全面的に信頼した(責任を押しつけた?)ところ、 なまじ頭が切れてプライドの高い君主では、できないと思います。 徽宗・・・彼が皇帝になったために、彼の芸術が更に磨かれていったことはあるでしょうか? いやな仕事や宿題を目の前にすると部屋を片付けたり本が面白く読めたりするように、ますます 芸術にのめりこんだとか・・・聞き流してください。http://www.page.sannet.ne.jp/keitanaka/
>石野陽虎さま 「暗君」のコーナー改めて読ませてもらいました。 衛の懿公の話は、鄭問『東周英雄伝』の話がいいですねえ。 庶人の道楽なら無害だったでしょうけど、政治の責任を負う君主の道楽 は行き過ぎると多くの人を不幸にしてしまいます。その典型みたいな話 ですね。 南斉の蕭宝巻は暗君より暴君のような気がしますけど。この人も自制心 の足りない人ですね。 劉宋の前廃帝も書かれてるとおり暴君っぽいです。 南北朝ってなんで陰惨で酸鼻な話が多くて、暴君ぞろいなんでしょう。 晋の恵帝は「貧乏人は麦を食え」と吐いた日本の某宰相みたいに確信犯 的な暴言を吐いてるわけでなく、飢饉下の農民の窮状をほんとうに知ら ないんだろうと思えるわけで…。ケイ紹の血のついた服を着替えようと しなかったという話と矛盾しない善良さは持ってたんだろうと思います。 君主が天然ボケであってはいけないんですが、恵帝を責める気になれな いですね。 僕も「中国文明の歴史2」買いました。でも未読です。 楚の懐王もお人好しですよね。(まあお人好しな人は斉との同盟関係を 断絶したりはしないかも知れませんが) 張儀にいいようにもて遊ばれてしまって、外交的に孤立し、国力をすり 減らしただけでなくて、自分も秦に幽囚の身になってしまいますし。 自分の願望が叶えられることを前提に行動して、最悪の事態を想定しな いし、諫言にも耳を貸さないんですから、しようがないです。
→永一さま どうも書き込みありがとうございました。 暗君について話題になってるので、私も少し。 サイトのギネス「暗君」のコーナーで挙げたのは、 鶴にかまけて人民を忘れた衛の懿公、 父の死を悼む家臣を笑った南斉の東昏侯、 で、トップにしたのが、光璧さまも挙げてる 「貧乏人は肉を食え」の晋恵帝でした。 あと、先日中公文庫の「中国文明の歴史2」を読んで、 思い出したのですが、秦の張儀にいいように翻弄された 楚の懐王も相当なもんじゃないかと・・・http://village.infoweb.ne.jp/~yamamott/
>きいわこさま >すいません。かなり危険な感情移入してしまいました。 いえいえ感情移入は誰にもあるので。 僕はもっとすごい暴言をときどき吐きます。p(--;) さておき、ある人物を後世から評価するってのは、やっぱり「裁く」ってこと になるのではないかと思います。有罪・無罪とかだけじゃなくて、人物や事件 や政治のありかたなどの功罪利害を勘案するって行為抜きに、歴史(学)って 成立しないと思いますし。やっぱり「裁く」って必要では?ただしバランス感 覚は必須ですけど。 >1ファンさま >孫皓は即位当時はまともに政治を行おうとしていたようです。 「三嗣主伝」斜め読みしてみました。孫晧は頭は良かったんだろうなあと思い ます。でもやっぱり自制心には欠けてるってのがありありと分かります。 >陳の後主や徽宗なんかは政治に関しては劉禅以上にダメダメですよね? うーん、三者とも政治センスはないと思います。 あえていうなら、陳の後主や徽宗は大規模な宮廷濫費を行ってるのに、劉禅は それほどでもないってとこが違いでしょうか? でも姜維の北伐を止められなかったってのは大きいなあ。 >私見ですが、劉禅の場合は諸葛亮が死んだ時点でもう魏に勝つのは >無理だとあきらめていたんじゃないでしょうか? まあ、そうかも知れませんね。でも、蜀を地方政権として存続させる努力なら できたとも思うんですが。 >黄皓(宦官)も史実は司馬昭に殺されていないような・・・ そうみたいですね。終焉は不明なんですかね? >光璧さま おひさしぶりです。 >暗君と聞いて、私がまず頭に浮かぶのは、西晋の恵帝でしょうか。 なるほど、確かに恵帝は何もしてないような印象が僕にもあります。 賈皇后や王族たちのパワーが強烈で恵帝が目立たないというのでなくて、本当に 何もしていないわけですか…。 >もっとも、竹林の七賢であるケイ康の息子のケイ紹が、恵帝をかばった時には、 >ケイ紹の血のついた服を着替えようとしなかったそうで、この話は好きなのですが…… この挿話は僕も好きです。その当時の人にしてみたら、こういう無為無策の皇帝 ではたまったものではありませんが、なんか憎めない人だなという印象をぬぐえ ないです。
管理人様、こんにちは。随分と御無沙汰していました(^-^;) >1ファンさま >暴君の次は名君? それじゃ、面白くないので暗君の話題でも・・・ 暗君と聞いて、私がまず頭に浮かぶのは、西晋の恵帝でしょうか。 穀物が取れず、庶民が餓え苦しんでいた時に、『なぜ肉を食べないのだ?』と言った というのは有名ですね。 もっとも、竹林の七賢であるケイ康の息子のケイ紹が、恵帝をかばった時には、 ケイ紹の血のついた服を着替えようとしなかったそうで、この話は好きなのですが…… それと、良く考えると恵帝って、何もやっていないみたいですね。 河出書房新社の『中国歴代皇帝人物辞典』の恵帝の箇所は、分量的にはそこそこあるものの、 実は恵帝のしたことは何一つ書かれていません。 『晋書』の恵帝本紀は、恵帝が積極的に動いた話を探す方が難しいという、 不思議な文章ですし(^-^;) それでも、恵帝の無策が、西晋が混乱した一つの大きな原因なわけですから、 皇帝としては、暴君ではないですが、暗君の範疇には入るのではないでしょうか。http://ha6.seikyou.ne.jp/home/anmt/home/
暴君の次は名君? それじゃ、面白くないので暗君の話題でも・・・ って連続書き込み申し訳ないです。 陳の後主や徽宗なんかは政治に関しては劉禅以上にダメダメですよね? 私見ですが、劉禅の場合は諸葛亮が死んだ時点でもう魏に勝つのは 無理だとあきらめていたんじゃないでしょうか? 蜀の山奥に20年も逼塞していると安逸にふけりたくなる気持ちも すごく分かります。(分かったらいかんけど・・・) 基本的に民衆を苦しめたりしないだけ、ましな君主といえるでしょう。 黄皓(宦官)も史実は司馬昭に殺されていないような・・・
>きいわこさん 孫皓は即位当時はまともに政治を行おうとしていたようです。 だからこそ、万イクは即位を勧めたのだと思います。 孫皓については結構逸話が伝わっています。 その点では孫休より面白い人物とはいえます。 后の死を悲しんで半年くらい人前に現れなかったり、 上司の責任を引き受けて死んだ人物を表彰したり、 改元しまくったり、三公をいきなり設置したりと結構 盛りだくさんです。 好きか嫌いかといえば嫌いなんですけどね・・・
きいわこです。こんばんは。 >でも呉の孫皓、こいつは、 いくらなんでも、1700年前の外国の人物に対して「こいつ」呼ばわりはありませんね。 すいません。かなり危険な感情移入してしまいました。 現代の人間は、過去の人物の行いに対して、評価するか反省の材料にするものですよね。 でも「裁く」ことは、現代史の範囲か過去でも明らかに現代に爪あとを残しているならともかく 三国時代の人物に、現代日本人がすべき行為じゃないなと、反省しております。 でも「同情できない」のは同じで、暴君No.1は変わりありません。 下品な本性を暴露してしまいました。失礼。
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