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定跡書も進化する

藤井システム  藤井 猛 毎日コミュニケーションズ 1997年

2002年11月に毎日コミュニケーションズはそれまで絶版となっていた将棋関連書籍を文庫化して発刊し始める。その記念すべき第一弾となったのがこの『藤井システム』である。この本の書かれた当時、六段の肩書きだった藤井猛は、その翌年に竜王位を獲得して作戦の優秀性を自ら知らしめた。そのことにより売り上げが伸びて版を重ねたこともあり、単行本を持っている方も多いと思われる。このページではその単行本の内容に基づいて書くことにする(注1)。



現在「藤井システム」といえば四間飛車が相手の居飛車穴熊を防ぐことを狙った作戦を指すことが多いが、この本で紹介されている「藤井システム」とは、四間飛車の対天守閣美濃(左美濃)用の布陣のことである。もともと「藤井システム」は対左美濃の作戦を指していたのだが、居飛車穴熊模様の将棋が多くなり左美濃がほとんど実戦に現れなくなってしまったため、この本の作戦は忘れられがちになってしまった。しかし、逆にこのことが対左美濃藤井システムの優秀性を表していると言えるだろう。藤井は「まえがき」で「このまま(左美濃の)不振が続くとは思えない。有力な対策が打ち出されるだろう。」と書いているが、いまだに復活の兆候は見られない。この本は20年以上歴史のある作戦を、消えた戦法にしてしまった。

藤井システム基本形 △7三桂まで

右図が藤井システムの基本形である。7一玉型のまま上部に手をかけるのが特徴だ。この陣形から居飛車の3筋方面の攻めを軽くあしらいつつ、△8五歩を切り札に玉頭戦を仕掛けるのが骨子だ。(注2

しかし、このような構想は藤井が始めたものではない(注3)。例えば、『スーパー四間飛車』(1993年)では小林健二が、『振り飛車党宣言!4』(1995年)では杉本昌隆が、それぞれほぼ同じ局面を話題にしている。皆、同じ実戦を題材に書いているのだからそのことは当然といえよう。「森下システム」も森下卓が一人で開発したわけではないし、「脇システム」も形そのものは昔からある序盤である。

「藤井システム」が定跡として新しかったのは、それは右図で▲6六銀 △6五歩 ▲7七銀引 △4五歩 ▲7九角 △4三銀 ▲3六歩 と進んだ局面で△8四歩(右下図)と突けることを実証した点にある。玉頭に迫る大きな一手だ。


▲7五歩の仕掛け

『振り飛車党宣言!4』では、ここで△8四歩 と突くと▲2四歩 △同歩 ▲7五歩 の仕掛けが怖いとされていた。▲郷田昌隆△羽生善治戦(1993年JT将棋日本シリーズ)の展開を受けての結論であった。しかし藤井はこの仕掛けを詰みまで研究し、四間飛車側に勝ちがあることを読み切った(注4)。「(この戦法の)生き残りが懸かっていたため研究は徹底して行った。」というだけあって、深い変化である。

羽生でもこの変化を実戦中に読み切れなかったことでわかるように、藤井システムを指しこなすにはきわどい変化をいくつも記憶している必要がある。例えば、▲1六歩 △1四歩 の交換が入っているだけでもこの戦法は成立しない。他の戦法でもそうだろうが、有利にするにはぎりぎりの道を通らなければならないのだ。そのような紙一重を鮮やかに描き出したのが、藤井の手腕である。

近年になって序盤であっても一手の価値は非常に大きなものとなってきている。例えば、『先手三間飛車破り』(青野照市、1988年)では、後手番の居飛車が先手番の三間飛車を急戦で破るのは難しいという結論になってしまっている。そのような状況で「藤井システム」が後手番でも有利にできることを示したのはまれなことであった。新戦形を解説するのに先手番で通用することしか書かない本が多い中、この本が成し遂げた功績は評価されるべきと考える。




この本は定跡の進化を知る上で重要な位置を占めるわけだが、定跡書のあり方を考える上でも良い例となっている。棋士たちの不断の努力によって定跡は年々進化し続けているのに対し、定跡書のスタイルはそれほど進化していないように思われる。例えば『康光流現代矢倉』を一読して定跡の要点をつかむことができるだろうか。読んだ後である変化に疑問を持ったとして、スムーズに該当箇所を見つけることができるだろうか。少なくとも、そのようなことが容易にできるような工夫は見られないと言わざるを得ない。(注5

平成の将棋本業界をリードしてきたのは、この本を出版した毎日コミュニケーションズであった(注6)。1988年に出版された『定跡百科 ○○ガイド』シリーズのヒットを一つのきっかけとして、現在では最も出版点数の多い出版社となっている。また、タイトルが多いだけでなく、読者のニーズに敏感なところもうかがえる。

そのような風潮が反映されたのか、このシリーズでは新しい試みを行っている。巻末にある「チャート」がそれだ。(注7)また、本文中にも要所要所に考えられる着手の候補が明示されどの手が最善なのかをあらかじめ示してあるなど、本文の書き方もポイントを押さえた文章になっている。それまでは、各章の最初や最後に分岐点となる局面を載せることで索引がわりにすることが多かったが、そのやり方で載せられる局面は限られてしまうため、結局読者はページをめくりながら該当の局面を探していくしか方法がないことが多かった。チャートであれば手順の全体像が把握できるようになる(注8)。おそらく毎コミの編集者の発案なのだろうが、よく決断できたものだと思う。このやり方はやや洗練された形で、『矢倉3七銀分析(上)』(森内俊之、1999年)に受け継がれている。他の定跡書にも真似してほしい。

定跡書も進化している。定跡を進化させるのが棋士なら、定跡書を進化させるのは編集者だ。編集者にはよりよい形を目指してさらにがんばってほしいものだと思う。



  1. 私の手元にあるのは第4版である。
  2. 現在は居飛車穴熊対策として早めに△4三銀 と上がることが多いのでこの局面にはならないかもしれない。しかし、それでも同様の手順で四間飛車側が良くなるようだ。詳しくは将棋世界2001年9月号の千葉幸生四段による講座「現代振り飛車の可能性」を参照のこと。
  3. では誰が最初に指したのかとなると、よくわからない。充実した棋譜データベースが安く使えるといいのだが。
  4. この変化は『羽生善治の戦いの絶対感覚』にも載っている。
  5. ここで『康光流現代矢倉』を例に挙げたのに他意はない。強いて言えば、内容的には悪くないものの解説スタイルが古いということがある。
  6. 過去形なのは、未来のことは分からないからということもあるが、河出書房新社や講談社など新しい勢力にもがんばってほしい気持ちがあるからということもある。
  7. このような形で定跡書にチャートが付いたのはこの本が初めてだと思うが、私が無知なだけかもしれない。先行する書籍がありましたら教えてください。(と思ったらやはり初めてではなかった。追記を参照して下さい。これからはもう少し慎重に書くようにします。)
  8. この考え方を推し進めると、局面検索可能な定跡ソフトの優秀性に行き着く。日本将棋連盟が「定跡事典CD-ROM」を発売することでもわかるように、近い将来定跡ソフトは紙の定跡本の一部に取ってかわることになるだろう。そうなれば利用者の声をフィードバックすることがいっそう重みを増してくる。


追記1(2002年11月18日)

11月12日付で『藤井システム』の文庫版が発売された。内容は全く変わっていないけれども、付録のチャートはなくなってしまったようだ。そのことで定跡の価値が変わるわけではないが、残念だ。インターネット将棋定跡のような形で便利だったのだが。

追記2(2002年11月18日)

らぴゅたさんから『これを知らないと勝てない チャート式 穴熊破り』(西村一義編、えい出版社、1980年)という本の存在を教えていただいた。ありがとうございました。

入手して読んでみたところ、『藤井システム』のように全体にわたって樹形図としてのチャートが示されているわけではなく、一部の変化についてのみ樹形図が示されているだけだが、将棋の手順を樹形図のように理解することの重要さを強調しており、先駆的な書と言える。また純粋に定跡手順を見ても、えい出版社が主催した局面指定戦の棋譜をもとにレベルの高い分析がなされている。

追記3(2002年11月30日)

『藤井システム』の数ヶ月前に発売された『新・鷺宮定跡』(青野照市、日本将棋連盟、1997年)でもチャートが載っている。(書いているときは忘れていました。すみませんm(__)m。)より広い形を扱っている分、チャートで参照できる手順の割合は少ないが、索引がわりにするにはこの程度で十分だと思う。

さらに再びらぴゅたさんに教えていただいたところによると、『現代三間飛車の定跡』(中原誠、大泉書店、1976年)に「変化ダイアグラム」という名称でチャートが載っているそうだ。感謝しておりますm(_ _)m。こちらの方が古く、東公平氏がチェスから持ち込んだ旨が記載されているということなので、源流はこちらなのかもしれない。



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written by mozu

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