上田さんの後を追いかけている者は、まだだれもいない。(若島正)
この作品集は若島正の『盤上のファンタジア』に続いて出版された。上田吉一、若島正。この2人が詰将棋界に残した足跡の大きさは計り知れない。谷川浩司も好きな詰将棋作家はと問われてこの2人の名を挙げているし、受賞歴を見てもその偉大さはよくわかる。
1994年に発行された『月下美人』(*2)の作家プロフィールに「受賞歴」という覧がある。普通は「○○賞△回」というように書くわけだが、この2人は違う。上田吉一「何度か受賞したが、回数は忘れた。
」、若島正「忘れた
」。もちろん、回数が多すぎて数えるのが大変だからこう書くのである。実際のところ、この2人の受賞歴を何も見ずに言える人がいるだろうか。
この本ではそんな上田の作品が百番収録されている。1981年に出版された『極光』(将棋天国社)から比べると作品数は二倍に増え、その間の上田の活動についても解説の合間にいろいろと書かれている。
ここで話題を変えよう。唐突だが、人間はどのような基準で詰将棋を評価しているのだろうか。
『詰棋めいと』(*3)第15号(1993年10月1日発行)に掲載された井尻雄士の論文『詰将棋・詰チェスにみる知的作品の美』の中で氏は次のように書いている。
ある作品が美しいと考えられる要素として、「制約度」、「効率度」、「新鮮度」の三つが大事ではないかと思われるのである。
これを私なりに言いかえるならば、「完全」、「新鮮」、「洗練」の三つが大事だということになる。
まず、「完全」。詰将棋にきちんと答えがあり、また作意以外の答えがないことだ。これは当然のことであるが、一番の前提条件である。第七十四番の解説で上田も書いているように「余詰指摘には勝てないのだ
」。不完全な作品は、いかに優れた手順を含んでいたとしても失敗作の烙印を押されることになる。
次に、「新鮮」。余詰を消して体裁上は詰将棋になったとしても、それだけでは作品として認められるにはほど遠い。従来の作品を上回る要素が少なくとも一つはなければ評価されることはない。例えば、新たな構想とか、手筋の組み合わせとかである。上田の作品で代表的なものといえば、右図の作品が挙げられよう。2枚の角の打ち場所を限定する意味づけは全く新しいものだった。その驚きは現在でも薄れることがない。
最後に、「洗練」。同じような手順を表現するにも、詰将棋として実現するやり方はいろいろある。その中でどの手法を選択するかに作風が現れるのだが、ある程度おおまかな統一基準のようなものは存在する。例えば、駒数は少ない方がよい、配置は無駄に大きくならない方がよいといったものだ。多くの詰将棋作家は一つの作品でも納得のいくまで駒配置をいじって、少しでも洗練されたものになるよう努力を重ねている。
上田の作品はその「洗練」という点でも優れている。例えば、右図は持駒変換を主題とした作品だが、この手法自体は上田自身をはじめ多くの作家が用いている。しかし、このすっきりとしたまとめ方ははっきりと上田流であり、今後も持駒変換を語る際に忘れることのできない作品であり続けるだろう。
かつては詰将棋を作る際に、難解な序奏をつけるべきという価値観があった。だが、現在ではむしろ手数を短く配置を軽くする方に重点が置かれ、「近代的なまとめ方」などと評価されることも多い。このように「洗練」といってもその内容は時代によって異なる部分がある。右図の持駒変換は主題だけをくっきりと切り取った近代的な洗練といえる。
どこから手をつけてよいのか難しくて悩まなければならない作品よりも、作者の主張が直接伝わってくる易しい作品の方が好きだ。
という言葉にもその思想が現れている。
それではこれからの洗練はどのように移り変わるだろうか。一つの方向性を示したのが1975年に発表された「モザイク」、そして1979年に発表された「モビール」(右図)である。この作品では、序の手順が終わりに再現されるという構成がとられた。これはそれまでになかったやり方であり、今でもこの構成を積極的に取り入れた作品は少ない。しかし、この価値観が普通に認められる時代がいつかやってくるのではないかと私は思う。この作品が作られてからもう二十数年が経つ。上田は時代を何年先取りしているのだろう。
さて、新鮮で洗練された詰将棋を作り続けた上田だが、この作品集では1992年に発表された作品が最後となっている(*4)。というのも「やりたいことがなくなって
」1993年以降は作品を発表していないからである。しかし、詰将棋から離れてしまったわけではない。「新鮮」「洗練」をやり尽くした上田は、次に「完全」について考え出した。すなわち、フェアリーへの傾倒である。若島正の解説から引用してみよう。
いつからか、上田さんは普通の詰将棋のことを「伝統ルール」と呼ぶようになった。この上田語は一部の人々に広まって、流通するようになった。
つまり、上田さんが獲得したのは、詰将棋を相対化する視点である。将棋盤を使ったパズルという見方をするなら、なにも従来の詰将棋を絶対化する必然性はない。どんなルール、どんなジャンルであれ、将棋パズルという基盤の上ではみな平等なのである。違うのは、歴史だけだ。
盤上で何かを表現することを目的とするならば、例えば、「玉方はできるだけ詰まないように逃げる」という部分にかえて「玉方はできるだけ詰むように逃げる」としてもよい。これがばか詰である。このようにして完全性の条件を修正していくことで、表現の可能性が飛躍的に増加するのに気づいたときの喜びはいかばかりだっただろうか。
この作品集の第一番の解説で、フェアリーで取り組んだ30の項目が列挙されている。そのほとんどは未開拓の分野で、どのような表現が可能になるのか、どのくらいの奥深さがあるのかはまだわからないが、どれも可能性に富んでいる。数十年前にははみ出しもの扱いされていた双玉型が現在では普通に出題されているのを見ると、詰将棋の完全性も近い将来には大きく変容していくのではないかと思わずにいられない。また、そうでなくてはならないと思う。
最後にちょっとした裏話を紹介してこの文章を終えたい。上田はこの10年ほどで創作したフェアリー作品をまとめ、作例集『極光II』を作っていた。本当はこの作品集のかわりに『極光II』を出版したかったらしいのだが、その要望は出版社サイドに拒否された。現状を考えれば当然とはいえ悲しいことだ。未来はまだ遠い。
追記(2002/10/18)
若島正氏が運営する「Problem Paradise」誌から『極光II』を出版する計画があるそうだ。非常に楽しみだ。
Problem Paradise は日本で唯一のチェスプロブレム専門誌(季刊)で、将棋のフェアリー作品も扱っている。
購読するには、郵便振替で 00900-9-115694 JCPS 宛に一年分を払い込めばよい。年間購読料が4千円(学生・女性は3千円)である。詳細は、ふしんなぺーじ内の「Problem Paradise」 を応援するページを参照のこと。
さらに追記(2003/3/16)
『極光II』の出版がついに実現!一部あたり1,500円(送料込み)を上記に払い込むと予約できる(4月30日まで)。発行は5月中旬の予定。これと同時に日本チェス・プロブレム協会のサイトがオープンしたので、詳細はそちらを参照のこと。