2006年10月の日記

 2006/10/14

『男はつらいよ 知床慕情』 [1987]

『男はつらいよ 知床慕情』

  • 監督: 山田洋次
  • 脚本: 山田洋次, 朝間義隆
  • 撮影: 高羽哲夫


  • まずは、部外者たる寅の無責任な煽りが贖われねばならぬし、ついで、煽りの対象となった、ネイティヴによる田舎保全の主張が全うされてはならぬ。そうでなければ、知床の観光案内と見紛うばかりの田舎賛歌が一種のイデオローグ然としてきて、いたずらに不安をかき立てかねない。そして、寅の無神経も自然愛護のイデオローグも、還る場所は同じだったりする。寅より催された知床への場当たり的な興味は、竹下景子の歓心を買いたいがための功利的な所為であり、知床の景観保存の会は、もともと竹下景子のヴァージニティを守る会が、彼女の結婚に当たって存在意義を失い、田舎の保全へと拡張されたものだった。

    寅がコミュニティより脱出する経緯は一見のところ不明瞭で、唐突の感は否めないだろう。しかし、逃走の車中で、景観がマドンナへ溶解した事情が開示される段になると、彼の被りつつあった閉塞感の形が、何となく見えてくるようでもある。

    また同時に、かかる情報開示は、人格の優越を反転させることにより、寅への懲罰も行っているように思う。すなわち、自分にはとうてい成し得ないリスク(=告白)を、自分よりも劣位にあると思われた若者が既に敢行していた、ということ。結局、どこへ行っても地獄ならば、寅は死ぬまで運動を続けねばならぬ。二十年にもなろうかとする歳月を経て、語り手はシリーズの核心へと近接しつつあった。

     2006/10/17

    疑惑 [1982]

    『疑惑』

  • 監督: 野村芳太郎
  • 脚本: 古田求, 野村芳太郎
  • 撮影: 川又昂


  • あからさまに喚起された人権蹂躙の不安は、あからさまゆえに、カリカチュアに至るようでもあり、あるいは、無垢な情熱の妥当性が試されるともいえる。われわれは、何も考えていない富山県警と北陸日日新聞の暴走に不穏な空気を覚えるのだが、そこに社会派の感覚は薄く、むしろ、物語の微妙な岐路が感ぜられる。紋切り型の社会派は、時代背景の違いの産んだ単なる誤差だったのか。はたまた、最初から社会派など意図されておらず、語られるべきは、人間の無駄な情熱だったのか。後者だとすれば、ブン屋と官警のおやぢどもは、桃井かおりと連接するだろう。情熱と無知が紙一重で釣り合う場所に世間が生まれる。

    もっとも、おやぢどもに見た不穏な空気については、彼ら自身にすれば、また違う意見もあるかも知れぬ。丹波哲朗は早々に修羅場を脱し、童貞キャラの仲谷昇は初めから舞台に参入しない。桃井は北陸を離脱して、おやぢどもの届かない遠い場所でほくそ笑む。岩下志麻の超然主義については言うまでもない。われわれが出会うのは、退出者の無責任というよりも、異次元への畏怖であり、あるいは、野蛮人の儚い憧れである。

     2006/10/20

    都会のアリス [1974]

    『都会のアリス』

    Alice in den Städten

  • 監督: Wim Wenders
  • 脚本: Veith von Fürstenberg, Wim Wenders
  • 撮影: Robby Müller


  • 機能性の奪われた生活を機能的に生きる課題は、個室で趣味に没頭するような、意図的かつ静的なものとして扱われたり(『ことの次第』)、あるいは本作のように、偶然に始まる移動として捉えられたりして、けっきょく、意図的かつ動的なプロジェクトにはなぜか至らない。加えて、ロード・ムービーなる機能性は、意図しない童女の保護を経過して、プロジェクトを失った男に享受されたのだが、実際にロード・ムービーしてしまうと、現れるのは、幼い娘の食生活的に誤った在り方であったり、錯誤した方向感覚であったりして、プロジェクトの歓楽はなかなか語られない。

    語り手が物語を生活感の中に配置する限り、むしろ、これをプロジェクトにしてはならぬのかも知れぬ。若い男が意図的に童女連れ回しては、クライム・ムービーになりかねない。しかし、クライム・ムービーを否定する割には、たとえば、何気なく公安当局を介入させたり、よりによって一糸まとわぬ童女を海辺に投入したりして、物語をよこしまな犯罪の気配にさらしたりする。

    ここに何らかの邪悪な意図が働いてるのか、あるいは我が脳がえっちなだけなのか、よくわからぬ事ではある。が、歓楽劇として評価すると、堕落したロード・ムービーを支える妙な付加価値が認められる。

     2006/10/24

    バタフライ・エフェクト [2004]

    『バタフライ・エフェクト』

    The Butterfly Effect

  • 監督: Eric Bress, J. Mackye Gruber
  • 脚本: J. Mackye Gruber, Eric Bress
  • 撮影: Matthew F. Leonetti


  • 曖昧な文芸上の作業を、物理的な修羅場で使う勇気はどこからやってくるのか、というと 心象の保証となるのはPTSDの厳密な因果性であったりする。ただ、彼がそれを把握するに至るのは手短なモンタージュの中であって、私どもから見ればほとんどブラックボックスでしかない。

    聖痕を根拠にムショ仲間の侵したリスクは、宗教上の理由の名の下に合理化されたわけだが、いずれにせよ、両者の動機の詳細が私どもから隔離される程に、男がムショ仲間と接続し得た根拠が見出されてくる。聖痕示現のために、何のためらいもなく行われる自傷とムショ仲間のリスクにもはや区別はない。結論は、前に論じた『Mr.インクレディブル』('04)と似ていて、トラウマの波及劇が実用的で精密な道具となるまで信頼された結果、信仰という案外なタームで、ふたりは結びついてしまう。

     2006/10/25

    復讐するは我にあり [1979]

    『復讐するは我にあり』

  • 監督: 今村昌平
  • 脚本: 馬場当
  • 撮影: 姫田真佐久


  • 三國の童貞演技が倍賞を転がしてしまうのも癪だし、また、北杜夫がモテるのも大変に腹立たしい。マネジメントのスキルとモテ度の相関は理解されるのだが、二人にあっては、かかる機能を保持すると推測されながら、その描画が敢えて省かれるために、何となく苛立ちが感ぜられる。童貞のまま殺される加藤嘉ばかりが予定調和で、やたらと泣ける。

    管理者機能の描画は、そのリソースのほとんどを緒方に割かれたのであり、モテて然るべき造形は、逃亡生活の機能的な描画を以て語られたのだ。が、この手の合理化はまた、三國と北がそうであるように、緒方をわれわれから突き放してしまう面もある。彼の日常が合理的であるほどに、肝心の動機が合理化され得なくなり、けっきょく、彼のことがわからなくなる。残余するのは、フォーカスの合わない全体的な希薄感だ。ただ、行為が動機の希薄な所でないと敢行できえないとすれば、それは、繊細で微妙な均衡の風景でもある。それこそ、散骨のショットで外れてしまう光と音の同期のような。

     2006/10/27

    ゴジラ FINAL WARS [2004]

    『ゴジラ FINAL WARS』

  • 監督: 北村龍平
  • 脚本: 三村渉, 桐山勲
  • 撮影: 古谷巧


  • 事は、北村一輝のごく個人的な性格破綻からはじまったのか、あるいはX星人内の世代論に帰す問題だったのか。つまり一見したところ、同じ民族にしては、伊武雅刀と北村の物腰に差がありすぎる。ただ一方で、たとえば、百発百中の男、宝田の後ろで微笑む伊武はどこから見ても素晴らしいほどに怪しげで、よく笑いよく狂う北村のカウンター・パートたり得たりもする。また、普段は抑制されてるだけに、陰謀が白昼に晒された際、微妙に唖然としてしまう辺りも堪らなく愛らしい。彼らに見られた感情の表出の差は、熟成に伴って感情の発露が抑制された、というよりも、単に露呈の形式を変えた結果に過ぎなかったようであり、抑制されたかのような伊武の意思は、個体というよりもむしろ場所や空気に依拠していたのだ。


    いずれにせよ、概して変態人間ショウである。謎の首都高バトルで特に顕著なように、余りにも情熱的な人体によって、怪獣は尽く疎外されている。したがって、野蛮な龍平ワールドから遙かに遠い泉谷の軽トラが要請されるところとなるのだろう。牧歌的な軽トラが禍々しい廃墟に乗り入れたところで現れる違和感こそ、着ぐるみと人体を結ぶ両義性に他ならぬ。

     2006/10/31

    『父親たちの星条旗』を観た

    • 『SPR』をやるにしても、付加価値なしではきまりが悪い。『男たちの大和』は甲板でSPRやって濡れ濡れ。あるいは、邦画でSPRを観られる日がやってきて感激。


    • 『〜星条旗』はSPR戦場をコルセアから俯瞰できたことくらいか。あと艦砲射撃。PTSD劇の制御にリソースが割かれてるので、これはやむを得まいかも知れぬ。『〜手紙』は予告編だけで濡れる。


    • 生身の人体を晒すのはイヤ。中隊規模のSPWAWだと、ひとりひとりの顔が見えるので、人を戦車の後ろに張り付かせたい。さもないとバタバタ死ぬだけである。選挙民な発想ではあるが、生身の一個分隊が全滅するより、AFV一両の吹っ飛ぶ方が精神的に楽。だから、イヤイヤな物語を作るには戦車と人を分離してしかるべき設定を考える(関東平野と悲愴感)。


    • 戦車と人の離し方。


    • ヒズボラのRPGはメルカバを抜けないけど、飽和攻撃で随伴歩兵を引き離すくらいはできた。新しめのATMはMk2までは抜けた。アチザリットもダメ。ショックである。Mk4の砲塔はSFみたいでイヤだ。けっきょくIDFは逐次投入でミスった(先月号の『軍事研究』)。


    • 旗をおったてた後の、ボルトアクションvsガーランドで濡れる。でも、米軍に分隊MGはないので、独軍はボルトアクションでも不足はなかったらしい。日本軍の場合、そもそも弾薬が(;つД`)。


    • SPWAWで五式中戦車大量装備仮想日本軍を作ると、ヤーボなしの米軍とそれなりに戦えるのでうれしい。


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