生き返って、また死んで
昏睡と覚醒の狭間で
『アルジャーノンに花束を』や『レナードの朝』は、少なくとも鑑賞者にとっては正気ではない人格が正気づき、一定期間の後、再び正気を失ってしまう元の木阿弥な物語である。「どんどん正気がなくなっていくよ〜」という焦りが楽しい。この娯楽は、難病物における「わたし死ぬんだよね、死んじゃうんだよね」とか「わたしひとじゃなかったんだよ〜」というずれる自己同一性の物語におけるそれと似ている。正気のない状態を「昏睡期」、正気づいている状態を「覚醒期」とすれば、以下のようにまとめられるだろう。
『ニンゲン合格』もこの物語の範疇にはいるのではないだろうか。交通事故で昏睡した人格が、目を覚まし、また事故って死んでしまうお話だが、死ぬことは昏睡することに変わりない。本作はさらに人生を俯瞰して、気づけば世界の中に放り出されていて、やがて、世界の外へ再び還っていく鑑賞者の存在形態そのものへ視線が向かう。良さ気な感じではないか。