Roger Zelazny ロジャー・ゼラズニイ (1937〜1995) 

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■SFへの履歴
1937年5月13日、アメリカ・オハイオ州生まれ。男性。ウエスタン・リザーブ大学卒業後、
コロンビア大学にて文学修士号を取得(エリザベス/ジェイムズ王朝期の演劇を研究)。社
会保険局オハイオ支局に努めるかたわら、かねてから念願のSF小説創作活動に打ち込む。
■デビュー
1962年。アメージング誌とファンタスティック誌両誌の女性編集長シール・ゴールドスミス
の目に止まり、短編「Passion Play / 受難劇」(アメージング誌8月号。『キャメロット
最後の守護者』収録)でデビューを飾る(ほぼ同時期に活躍する女性作家アーシュラ・K・
ル・グィンが、姉妹誌であるファンタスティック誌9月号でデビューするのは興味深い)。
■注目される新人
数多の中短編を雑誌に発表し、1年が経過する。1963年ついに、中編「伝道の書に捧げる薔
」(F&SF誌11月号。『伝道の書に捧げる薔薇』収録)が、1964年度ヒューゴー賞ショ
ート・フィクション部門の候補に推される。受賞は逃したが、大型新人として一躍注目され
る(同賞同部門を射止めたのはポール・アンダースンの「王に対して休戦なし」である)。
神話とSFの融合
そして1965年。まさにゼラズニイ時代の幕開けであった。"He Who Shapes"(アメージング
誌1月号。1966年に『ドリームマスター』として長編化)、「その顔はあまたの扉、その口
はあまたの灯」(F&SF誌3月号。『伝道の書に〜』収録)、処女長編作『わが名はコン
ラッド』(F&SF誌10〜11月号。この "...AND CALL ME CONRAD" は "THIS IMMORTAL"
の題名で、1966年に単行本化される)などを発表する。これらそれぞれは、1965年度ネビュ
ラ賞ノヴェラ部門、同ノヴェレット部門、1966年度ヒューゴー賞長編部門の栄冠に輝いた。
1966年も活躍は続く。1967年度ヒューゴー賞ノヴェレット部門の候補となる中編「For a 
Breath I Tarry /フロストとベータ」(ニュー・ワールズ誌3月号。『キャメロット〜』
収録。ニュー・ワールズ誌はマイケル・ムアコックが編集長を務めるイギリスの専門誌)を
初め、当年度ヒューゴー/ネビュラ賞候補に推された中編「このあらしの瞬間」(F&SF
誌6月号。『伝道の書に〜』収録)、「Comes Now the Power / いまこそ力は来たりて」
マガジン・オブ・ホラー誌冬季号。『キャメロット〜』収録)などの、傑作が発表された。
1967年、『光の王』(単行本発売に先駆け、F&SF誌4月号と6月号に、第1章"Dawn"
と第3章"Death and the Exectioner"が分載された)で、1968年度ヒューゴー賞長編部門
を獲得する(1967年度ネビュラ賞長編部門の候補にも挙がるが、Wクラウンは達成できなか
った。同賞を受賞したのはサミュエル・R・ディレイニーの『アインシュタイン交点』)。
『SURVIVAL RUN / 世界が燃えつきる日』の名で1977年映画化された『地獄のハイウェイ』
(ギャラクシー誌10月号。1968年度ヒューゴー賞ノヴェラ部門候補作)の発表年でもある。
ニューウェーヴの旗手
SF界に新風を吹かせたゼラズニイは、J・G・バラードブライアン・W・オールディズ
などの作家を中心に、イギリスから巻き起こったニューウェーヴ運動に歩調を合わせ、先輩
作家のハーラン・エリスン、同時期のデビューでよきライバルとなるディレイニーと共に、
3羽カラスと呼称され、全般に保守的だった60年代SF界を改革する旗手へ成長したのだ。
 
(1999.1.12 / 4.1 補追 / 4.29 改訂 / 5.26 補追 高林廉) 
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