2004年07月の日記

 2004/07/08

白痴娘の可能性

白痴娘、澄乃にはラース・フォン・トリアー風のいたたまれなさがある。世界の悦びを表現する際のその独特の発声は、エミリー・ワトソンの技巧的な白痴顔級にアレで、鑑賞者の罪深い感傷を誘い放題だ。

理解できない人格に情緒を移入するのは難しい。同時に、この手の移入不可能性は倫理的な後ろめたさも伴い、善良な鑑賞者の顔面をしばしば歪めてしまう。わたしどもとしても、この娘の哀れな一挙一動に固まるほかない。しかしながら、その内に彼女が主人公男を回遊するようになると、その諸呆態が情緒の高揚に関して案外な意味を持ち始めてしまう。鑑賞者にとっては滅裂な娘を保護し理解しようとする主人公男が、善良な青年に見えてくるのである。

これは、薄幸な娘だけではなく、その娘を保護する人格にも鑑賞者の移入が波及する効果の変異と思われる。澄乃はその白痴性によって、彼女自身への鑑賞者の移入をかたくなに拒むが、代わりに保護者の小夜里さんや師弟的友情関係にある芽依子さまに向かうわたしどもの高揚の誘い水になる。

ところで、『SNOW』という物語全体にあって、澄乃を語る物語は捨て石にされているため、情緒の高揚には乏しい。それどころか、彼女の白痴を良いことに主人公男が性的なスキンシップを展開するまでに至ると、そちら系の猟奇趣味に欠けるわたしどもとしては莫大に腰が引けてしまう。

白痴人格が周縁への感情移入を触媒する効果は、変調に富むこの物語を、単体でも情緒の高揚ある景観に変える可能性を示唆しているように思う。その際、小夜里さんには、澄乃の空洞を埋めるが如く、膨大な人生の動機を呉れてやらねばならないだろう。芽依子さまは後に経年効果でわたしどもを破壊するので放置。小夜里さんは、不在する旦那と娘の回想的結合を契機とした『秋日和』原節子モード辺りが妥当か。


 2004/07/09

1920年代のドジ娘

海軍機関学校の嘱託だった頃の芥川は、実に抜け目のない男で、通勤路にある雑貨屋にドジ娘(推定19歳)を発見してしまう(『あばばばば』)。店番の娘はドジをかますたびに「はわわ」と赤い顔をする。芥川曰く「この瞬間の感情の変化は正真正銘に娘じみている」

おどおどする娘を眺めている芥川に、やがて悪魔が憑依する。娘に一定の刺激を与えれば、必ず思う通りの反応を呈するに違いない――という空想に至るのだ、恐ろしい。

それから70年後、藤田浩之は清掃中のドジで従順な汎用メイドロボを呼び寄せつつ、身を隠蔽して、彼女を戸惑わせ、しまいには泣かせてしまう。


わたしどもは一体どうすればよいのだろうか?


 2004/07/10

非対称情報下における加虐的らぶらぶ攻勢

情報が非対称な恋愛関係では、主導権が一方に偏倚する傾向にあることは前に指摘した。例えば、わたしどもにらぶらぶ光線なおねえさんは、当のわたしどもが彼女に如何様な価値を置いているかは、情報量の不足からわからない。一方で、わたしどもから見れば、恋愛に特有の狂乱状態にあるおねえさんの意図は明白である。このとき、二人の間には情報の非対称が成立していると考えられる。


”『B型H系』第8話3頁"
さんりようこ『B型H系』 第8話 3頁


修行の足りないわたしどもは、おねえさんのかような意図を知覚した場合、往々にして似たような錯乱の状態に突入しがちだ


”『B型H系』第8話3頁"
同上


しかしながら、先日の芥川の如く、恋愛の主導権を握るわたしどもへ悪魔が宿ることもある。かわゆい娘は、いつだっていぢめたくなるものだ。


”『B型H系』第8話4頁"
同4頁


つまり『君望』の茜(高校生ヴァージョン)と言ったらよいだろうか。茜は「もう優しくしないで下さい〜」と宣うが、そんなことを言われたらますます優しくして、彼女の困り顔を見たくなっちゃういけないわたしどもモードである。他者が恋愛に狂態する景観に悶える習癖のあるわたしどもとしては、おのれの快楽のために、娘にもっと困ってもらわねばならぬ。しかし、そうこうしている内に「もう誰にも渡さないんだからぁぁぁぁ」あああ〜ああで人生なんぞ瞬く間に暮れてしまうものである。


 2004/07/15

1940年代のドジ娘

やさしいおねえさんに出会うには、如何様なシチュエーションがもっともらしいのか? 図書館で文芸部のやさしいおねえさんに「何を読んでるのかなあ?」と声を掛けられたり、病院近くの河原で肺病を患うやさしいおねえさんに「何をしているのかなあ?」と声を掛けられたりと、夢見るわたしどもの空想は膨張すること鰻登りであったが、伊豆に出かけた太宰は、鮎釣りの最中に「釣れますか?」でやさしいおねえさん(推定二十歳未満)に遭遇している(『令嬢アユ』)。たいへん羨ましい。

太宰は太宰で、「歯が綺麗だ。眼が綺麗だ。喉は、白くふっくらして溶けるようで、可愛い。みんな綺麗だぁぁぁ」と興奮の面持ちである。おねえさんは一向に釣果の上がらない太宰の針を見て、「これぢゃだめですよ〜、鮠の蚊針ぢゃないですか〜」と宣い、太宰に自分の針を呉れてやり、くすくすと笑いながら去りつつも、岩から川に転落して「あら〜、あら〜」とドジな発声をして呉れるのである。


国を挙げての総力戦が間近に迫っているというのに、いったい何をしているのかとわたしどもは問い質したい。


 2004/07/18

三角関係機能せず

J・G・バラード『結晶世界』を読む。中年おやぢ同士の喧嘩に、中年おやぢが巻き込まれるお話。抗争の理由がなかなか開示されない。というよりも、その情報量の不足が鑑賞者を牽引すらしてくれず、ただサンダースさんの不自然ならぶらぶ光線の被爆振りに腹を立てる。

140頁位を超えて、おやぢどもの抗争が、肺病患いの娘争奪戦+地球がもうすぐ潰れちゃうよというオーソドックスな、したがってそこそこに効果の高い複合技に端を発することが語られ出すと、わたしどもはこの物語に無限の可能性を見てしまい興奮してしまう。しかし、無念なことに物語は娘を持て余し気味である。この手のサイエンス・フィクションがジャンルとして娘の扱い方を覚えるには、コニー・ウィリスの『ドゥームズデイ・ブック』とかディプトリーの『たったひとつの冴えたやりかた』やグレッグ・ベア諸々あたりを待たねばならなかったのかも知れぬ。

ところで、病人を奪い合う様式は、それなりに普遍的な景観といえそうで、例えば『AIR』でも晴子おかんとおとんが観鈴ちんを奪い合って、わたしどもに軽いトラウマを残して呉れる。バラードと同じく、観鈴ちん争奪も情緒の刺激にあまり成功しているとはいえない。むしろ、世俗的な規範に従えば、観鈴ちんは即入院してしかるべき容態なのに、晴子おかんは何やらファンタジーな理由を盾にして観鈴ちんを引き渡さず、わたしどもを萎えさせてしまう。

三角関係の困難については前にも言及したことがあるが、病人争奪戦もそんな関係のレパートリーに含めることはできるだろう。そして、他の三角関係と同様に、『結晶世界』も観鈴ちんも、それに加奈とおにいちゃんと鹿島さんの微妙な関係も、情緒高揚の成就に成功できたとはいえず、わたしどもにこの手の物語を語る際の困難を教えてくれるようである。


 2004/07/22

イッツ・オーライト・マ

近未来、急進的童女保護条例の施行により、島根県下の同人誌は急騰の一途をたどっていた。島根大学映研の影部員、ワイアットとビリィは鳥取県から同人誌を密輸。巨額の富を獲得して、聖地晴海を目指す。しかし、彼らを待ち受けていたのは世界の荒涼たる現実であった。



「ついにやったぜ、ワイアット。俺たちは金持ちになった。これで一生部屋に籠もって、マルチの尻を追いかけ放題だ。もちろん、みさき先輩にも愛され放題だぜ」

「ビリィ、無駄だよ」

「どういうことなんだ? 金もあるし、自由もある。みさき先輩だって一緒だ」

「みさき先輩はどこにも居ないんだよ。彼女には魂がないんだ」

「それが何の問題になる。魂の宿る有機体の定義ってのは、環境から境界によって隔離された生理的な系のことで、それ以外に意味がない。つまり、高尚な訳あって世界に壁を作ってるんじゃなくて、化学的偶然によってたまたま作られたその手の系、境界単位を置きたがる生理的な配線が、淘汰圧を乗り越えただけだ。ビーバーはダムを造って引き籠もり、俺たちは言語を使って世界を分節する。別に怖いからじゃない。というよりも、そうしなければ怖ろしいと思考する習癖が、そもそも偶然の産物で、それが今此処にあるということは、系を存続させる行動戦略においてたまたまその思考が適合しただけだ。だから、俺たちは境界をめぐる行為に悦びを覚える。言語を使える俺たちは、それを使って境界を置き、系を作る。自分自身を物語る。魂というのは、その自分という系の物語の統一的な語り手だ。でも、魂が物語るんじゃない。物を語ろうとする無意識の習性が、魂を産み、俺たちという意識が生まれる。必要なのは複雑な配線を持つ系であって、魂は後からついてくる。南極一号へみさき先輩の魂が宿るのに訳はないさ」

「無駄だよ。みさき先輩は魂がないからみさき先輩なんだよ。魂があったら、そんなものはもうみさき先輩ではあり得ない。考えても見ろよ。魂のある娘が、ぼくらのねぐらにやってきて、ぼくたちをだっこしてなでなでして呉れる筈がないんだよ」

「畜生――」

「ぼくはもう寝るよ、ビリィ。おやすみ」


 2004/07/25

致命的な政策決定への後悔

わたしどもの住まう世界のマクロなイヴェントは、微視的な決断の曖昧な重層なので、あるイヴェントがその実施主体を破壊する程に致命的と判明した時、どのプレイヤーのどの行為が決定的であったか特定化するのは煩わしく、わかりにくい。ゆえに、政策過程に参画した多くのプレイヤーが、ダメダメな政策決定への悔恨を共有するチャンスが生まれる。殊に、数年に渡り継続する近代戦争という巨大なイヴェントになると、根本的な計画倒れが時間をかけて緩慢に判明し、プレイヤーを気持ちの悪い後悔でじっくりといぢめることになる。


鳥居民『昭和二十年』の第一部を三巻まで読む。全十四巻予定のほとんど変態的な仕事で、鳥居民の空想がどんどん拡張されて行く様が楽しいのだが、ぜんぜん売れてないらしい。無念な話である。

一巻と同じく、二巻目も萌えポイントは随所に散見される。まずは、三菱の名古屋発動機製作所、管理職の服部さんであろう。航空機業界四十一万人のおねえさん就労者はそのほとんどが未婚で勤勉で優秀であるぅぅぅ!!!と鳥居民も興奮するありさまの中で、服部さんは一千人以上の若い娘たちを任される。さすがに近代戦はスケールが違う。服部さんは、若い娘たちだけでやっていけるのだろうかとドキドキする。でも娘たちのきびきびした働きぶりを見て、服部さんも安心なのであった。そんな服部さんも、戦況が悪化すると工場疎開に大わらわで、静岡に転任する際には大量のおねえさん従業員の万歳の声に送られて、名古屋を後にするのである。健全な男子ならば皆いちどは夢想する景観と断言してしかるべきであろう。


『昭和二十年』の隠された主題をこのようなおねえさん勤労動員の萌え描写にあるとするなら、一方のテーマは、冒頭で触れた如く、敗戦におびえるエスタブリッシュメントな人々の終わらない悪夢の日々になるだろう。二巻でいちばん楽しいのが、69頁あたり。近衛、岡田啓介、吉田茂、賀屋興宣、内田信也が星ヶ岡茶寮で飲んでいるシークエンス。

「このなかで賀屋君が真っ先に唐丸駕籠に乗せられてアメリカ行きだぁぁぁ」

「いやいや、農工大臣も戦争には重要な役割なので、内田さんも連れて行かれますよ〜〜」

「敵軍が上陸となれば、和平論者は真っ先に殺される。唐丸駕籠に乗せられる前に、吉田さんの方が先にやられますよ〜〜」

みんな高笑いする訳だが、ついでに「曖昧に笑う近衛の顔を素早い眼差しで探った者もいたにちがいないぃぃぃ」と鳥居はいぢわるに空想する。近衛は昭和十六年十月の辞表の写しを持って回って、戦争責任の回避を試み、木戸幸一を怒らせ、わたしどもを萌やすのであった。

三巻目にはいると、この気持ちの悪い後悔は、企画院総裁の鈴木貞一や岸信介あたりまで波及する。原材料輸送用の船舶三百万総トン、年産五百万トンの鋼材で勝てるぅぅぅ→達成できません〜んで眠れない夜の大量生産。総じてヘタレる文系を尻目に、「弱音を吐いたらおしまいだぁぁぁ」と東条英機が独り気を吐いて、病み上がりなのに自宅の階段を上り下りする。止めようとする奥さんに「議会には階段がある」と萌え言葉を放つ。


近衛と東条の対比や、吉田茂がぼろくそにされる辺りは、鳥居民の史観が何となく伺える所かも知れない。詮索してみるのも一興だし、または単純にヒデキ感激と転がるのもありだろう。


 2004/07/29

そしてお兄ちゃんは人生に動機を見出した

コニー・ウィリスという人は、娘へあざとい過去をデフォルトに付加する等によって、人生の動機と物語の関わり合いを語るのではなく、動機に関しては価値中立的な娘が、非日常のイヴェントに際して、初めて人生の動機を見出すタイプの物語を語りがちである。この手の語り方は、安易に薄幸な過去に依存しないという点で、立派な態度であるといえるが、他方で、動機の成立が遅れるため、鑑賞者の情緒を刺激するタイミングを逸する可能性がある。これは『航路』の感想で述べた通りである。

『ドゥームズデイ・ブック』を読むと、後発的に人生の動機を爆発させる手法には、いまひとつ課題が課せられているように思われてくる。動機を持ち得ない序盤の娘に、鑑賞者の情緒がいまいち刺激されず、物語が牽引力に欠けるように感ぜられるのだ。この問題は『航路』ではあまり気にならなかった。なぜなら、その物語前半が人格の有り様へは依拠せず、次元の異なる物語素を用いて鑑賞者を牽引することに成功したからである。つまり、動機の遅滞爆発は、それが発する前まで鑑賞者を引っ張って行く別のアイテムを必要とするのだろう。そして、『ドゥームズデイ・ブック』ではそのパートが『航路』に比して随分と薄弱な感がある。

『加奈』のお兄ちゃんやマルチの尻を追いかける浩之といった、価値中立的な人格で造形されているギャルゲーの主人公達を参照すればわかりやすいのではなかろうか。加奈もマルチもデフォルトに人生の動機が設置されていて、それがわたしどもお兄ちゃんをドキドキせしめる。しかし、これは特に『加奈』の偉い所であるが、価値中立的で動機を持ち得ないはずのお兄ちゃんは、やがて自分の意味のないはずの人生に動機を見出してしまい、それが鑑賞者の情緒を刺激する最大のポイントになってしまう。

娘といちゃつく景観は除くとして、時々、ギャルゲー主人公の日常を眺めていると気が狂いそうになることがある。往々にして休日にすることが散歩くらいしかない。楽しみなのは晩飯だけである。浩之のとある日曜日は、新装開店のカツ丼屋へ赴くだけで終わってしまった。『To Heart』とは、ギャルゲー主人公であるがゆえに人生に意味を持ち得ない浩之が、汎用メイドロボと出会って、童女愛好癖に目覚め、彼女の尻を追尾することに生き甲斐を覚える物語なのだ。

ここでわたしどもが注目せねばならないのは、人格の動機が時間差攻撃的に投入されている点である。デフォルトに動機を持つ娘がまず物語を牽引して、娘の動機に触発される形で、お兄ちゃんの動機が見出される。シナリオ工学的に美しい情景ではないか。『航路』では、主人公の動機が暴発するまでを呆れるほど強烈なマクガフィンが引っ張っていったが、ギャルゲーはある動機が顕在するまでの空白を別の人格の動機が埋めて行くのである。そして、『ドゥームズデイ・ブック』にはまず、その空白を埋める努力は認められるものの、あまりそれが機能しているとはいえない。いったい何がダメダメだったのか、次回に検討することにしよう。


 2004/07/30

時空を跳躍できない中年おやぢの愛

『ドゥームズデイ・ブック』のダンワージー先生は、一言でいってしまえば筋金入りの童女愛好癖者である。「一人で横断歩道もわたれそうもない」弟子の娘を鬼の如く溺愛する。「いまのきみよりかよわく見せることなど不可能だよ〜〜」と心の中で遠吠えを上げる有様である。コロラド育ちのおばさんのくせに、コニー・ウィリスはよく文脈をわきまえていると言わねばなるまい。

娘は娘で、中世史にフリークする余り、クリスマスの礼拝で中世の教会を夢想して、うっとりしてしまうような変態である。こんな娘が黒死病直前のヨーロッパへ行っちゃうのだから、ダンワージー先生は大いに心配で、ついでにわたしどももドキドキである。案の定、娘はいきなり病に罹患して、わたしどもをはらはらせしめる。しかし、ここで序盤の牽引に欠ける『ドゥームズデイ・ブック』の問題点がひとつ浮上する。娘が病にかかる情報を与えられるのは鑑賞者にだけであって、意志疎通の障害からダンワージー先生はその事実を知らない。あくまで罹患する想定しか彼には生じていない。ダンワージー先生の心配と彼の大げさな行動の根拠が弱いのだ。しかも、娘の病は自然治癒してしまって、物語の十数シークエンスを刹那的に牽引する以外に何の意味もない。

ダンワージー先生と娘が疎通のできない分離下にあることは、後々にまで物語の構造に深刻な障害を及ぼしてるように思う。娘のいる中世パートに比べると、ダンワージー先生を強引に非日常するイヴェントの深刻性は相対的に問題にならず、しかも中世パートから全く独立しているため、物語の牽引に貢献する所が少ない。かろうじてエンターテインメントしているのは、ダンワージー先生がいつ娘の危機を事実として知覚することになるか、という破滅兆候発動への期待である。

ダンワージー先生が当てにならない以上、娘に頑張ってもらわねばならぬ。しかし、既に言及したように、これは人生に動機に関していささか価値中立気味の娘が、世界の終わりに人生の意味を見つける類の物語であって、したがって、世界が終わるまでわたしどもは娘へ本格的に情緒を投入することを阻まれてしまう。わたしどもは、けっきょく、世界の終わりが訪れる700頁あたりまで待たねばならない。


ところで、『ドゥームズデイ・ブック』は現代にダンワージー先生を配置した如く、中世パートにもドジ中年ローシュさんを設置して、娘に対する中年おやぢの保護を絶やさないようにする。娘はどの時代にいても、中年おやぢと共にあるのだ。ダンワージー先生を放置プレイにする一方、中年おやぢ好きの娘はローシュさんにらぶらぶ光線モードで、わたしどもに途方もない夢を与えてくれる。そして、娘共々ローシュさんに萌え上がっている内に、ようやく世界の終わりが訪れる。娘、ダンワージー先生、ローシュさんにそれぞれ人生の動機が与えられ、物語が爆走を開始する。

三者に与えられる動機とは以下の如くである。

  • ダンワージー先生「娘が帰れなくなっちゃったよ〜」
  • 娘「らぶらぶなローシュさんが死んぢゃうよ〜〜、ついでに帰れないよ〜」
  • ローシュさん「世界が終わっちゃうのに神さま助けてくれないよう」


  • しかも「遺跡から娘のコーダー発掘しちゃうかも」とおもいで残留ぅぅぅぅぅな伏線も投下される始末で、ギャルゲー級の情緒も期待大――って、実は帰れちゃいました〜〜目出度し目出度しって何よぉぉぉぉぉ。

    難病の娘が健康になっちまったのである。


     2004/07/31

    「お兄さま、欲しいものはありませんか?」

    「とりあえず、巡航ミサイルとSLBMを呉れ」

    「いけませんわ。お兄さまに戦略兵器を渡すと東アジアの微妙な均衡が崩れてしまいますわ」

    「だったら、せめて憐れみを呉れ」



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