ボリビア→ブエノスアイレス |
色とりどりの家が並ぶボカ地区のカミニート
コチャバンバの空港から朝7時のジョイドアエロボリビアーナに乗って飛立った。
サンタクルスに経由し、出国審査を行った後、ブエノスアイレス行きの飛行機に乗った。
3時間程でブエノスアイレスに着く。空港で次の飛行機のリコンファームをしようとアルゼンチン航空の
ブースを探したが見つからない。どうやらアルゼンチン航空のブースは違うビルにあるらしかった。周囲の
人に場所を訪ねると歩いて5分もかからないところにアルゼンチン航空の受付がありました。
リコンファームを終え、リムジンバスで街の中心に向うことにした。
リムジンバスの受付で下車する場所を聞かれたが特に宿は決めていないので安い宿がみつけやすいところ
までと伝えた。
すると、受付のおじいさんが良い宿を紹介してくれるということになり電話で予約までしてくれた。
親切なのか、商売なのか・・・などと思いながら騙されたと思って、その話に乗ることにした。
ブエノスアイレスは大都会だった。
日本の新宿のような感じで高層ビルにデパート、無数のファーストフード、映画館、ブティックなどボリビアから
出てきたばかりの自分はあちこちをきょろきょろして、お上りさん状態であった。
紹介された宿は、いわゆる安宿のイメージ通りの部屋であったが耐えられない程でもなかったのでチェックイン
した。シャワーを浴びた後市内を探索した。まずはタンゴ発祥の地ボカ地区に向うことにした。
しかし、どこからバスに乗って良いやら分からず迷ってしまった。
ブエノスアイレスにはボリビアと違ってバス停が存在しバスを見つけて手をあげても止ってはくれない。
私はこの旅行の前にボリビアでアメーバ赤痢に感染していたことが旅行の数日前に分かり、虫下しの強い薬を
飲みながらの旅行であったため急に腹痛を起こし近くの喫茶店に駆け込んだ。
そこのマスターにボカ地区へ行くバス乗り場を訪ね無事にバスに乗れる事ができた。
バスに乗ったは良いが、料金の支払いもボリビアとは異なり、バスの運転手さんにお金を渡せば良いという物で
なく何やら精算機にお金を入れなければならなかった。
どこにコインを入れて良いのかも分からず、またまたお上りさん状態。
バスの運転手さんが、乗客に誰か教えてやってくてと言うと近くの人が親切に教えてくれた。
バスにのっても、人々はよそよそしい。ボリビアだったらみんなジロジロみるし、知らない人同士隣り合った人と
話したりバスの運転手と話したりするのだが、そういう雰囲気は全くなかった。
都会とはそういうところなのであろう。
空席がなかったので、しばらく立っているとこっちが空いてるよと声をかけてくれた。
都会と言ってもさすがに南米だけあってやはり人々は親切だ。
席でとなりになった人も、私の事を気にかけてくれてボカ地区へ行くというと、あそこは少し危険だから荷物はちゃん
と注意した方が良いと言ってくれた。
ボカ地区では、カミニートを歩き、その後はマラドーナがいたというサッカーチームのホームグラウンドの横でサッカー
をしている子供達をみていた。
夜は、タンゴを見に行く事にした。
カサブランカという日本のガイドブックにのっていた店に行った。
入場料は確か40ドルでドリンク付き。開演は夜10時からでした。
会場に10時少し前に行くったが、まだほとんど観客がいなかった。席に通されると既に一人日本人の人が座っていた。
どうやら日本人は日本人同士この店は近くにするようだった。
観客が次から次へとやって来て、自分と会場に訪れる人々の雰囲気の違いに戸惑った。
何故なら、会場はクラシックな洒落た感じで、やってくる人々はみなさんスーツやドレスといったフォーマルな格好をしてい
まるでパーティー会場のようなのである。
そこにTシャツ、ジーパン、汚い靴で行ってしまったものだから場違いといいところだった。
ショー自体は、とても満足できるものだった。40ドルはかなりの出費であるが、それだけ満足できるものだった。
優雅な気分になれるそんな時間であった。
カサブランカでのタンゴショー
ブエノスアイレス (タンゴ、ボカ地区)
ブエノスアイレス→バリローチェ (ジャオジャオ半島、サイクリング、カヤック)
バリローチェ→プエルトモント (バリローチェ国立公園横断船の旅、アンヘルモの海鮮市場)
プエルトモント→プエルトナタレス (3泊4日フィヨルド地帯縦断プエルトエデン号の船の旅)
プエルトナタレス→パイネ国立公園 (パタゴニアでトレッキング、キャンプ)
プエルトナタレス→カラファテ (ペリトモレノ氷河)
ウシュアイア (ハーバートン牧場、ペンギン島、フエゴ国立公園)
ウシュアイア→ブエノスアイレス経由→プエルトイグアス(イグアスの滝)
プエルトイグアス→シウダッデルエステ→アスンスオン(パラグアイ)
アスンシオン→ボリビア