ウシュアイア |
ウシュアイアを訪れた理由は、ペンギン、タラバガニ、南米大陸最南端の場所・・そういったイメージからだった。
それと昔、椎名誠のパタゴニアという本を読んで、タンポポが一面に黄色く咲くウシュアイアの景色を
見たいと思っていというのもあった。
ウシュアイアの町には一本2km程のメイン通りがあり、レストラン、DUTY FREE SHOP、ブティック
などが並んでいる。この通りは南米最果ての地のイメージからは想像できない日本のショッピングモール
のような賑やかな通りであった。
茹でたてのタラバガニをたらふく食べようと、レストランを周りセントージャナチュラルとメニューに書かれた
店に入ってみたのであるが、カニ缶の上に使いまわしのカニの甲羅を乗せただけといった料理であった。
ウシュアイアでは2件セントージャナチュラルを注文したが、どちらの店をそんな感じであった。
しかし、一件目に食べたスワンというレストランのカニは缶詰かどうか分からない程、美味しかった。
ちなみに値段は15ドル程度。日本円にすると1ドル120円換算でも1800円となり、流通網の発達している
日本で食べた方が安いのではないかとすら思える。
椎名誠の本によれば、タラバガニ丸ごと一匹500円などと書かれていたが、スーパーなどにもカニどころ
か魚すら存在せず一件だけ冷凍のタラバガニが一匹冷蔵庫に入った店を発見しただけであった。
これは私の推測であるが、カニ収穫の時期が少なからず存在し、収穫期に収穫されたカニの大部分はカニ缶
に加工さて、若干の冷凍タラバガニが市場に出るだけなのではなかろうか。
ペンギン島へ行くツアーを探しに、港にある船の発着所へ行った。
港の周りには小さな代理店が密集して5、6件あった。
その中の一件に、色々な写真を貼られてある店があり、その写真の中には椎名誠がタラバガニ漁をしている
ものがあった。その写真にはサインまでも書かれてあった。
店の人に話しを聞くと、椎名誠はこの店のオーナの船でタラバガニ漁に行ったのだそうだ。
その一枚の写真は単行本パタゴニアの中にあった写真と同じものであった。
その代理店の特徴は、大手の観光船とは違い船が小さいのでペンギンを驚かすことなく静かに島まで
近寄ることができ、より近くでペンギンを見れるということであった。
結局その椎名誠も利用したという代理店に申し込むことにした。
ツアー代が50ドルとかなり高いイメージを受けたが相場はどこも一緒であった。
小さなマイクロバスに乗って、まずはペンギン島へのボートの発着所となるハーバートン牧場へと向った。
途中、パタゴニアの強風をあおり風の方向に木や枝がなびいた形をしている面白い木があった。
緑色の水面に強風のため無数の白波をたてたビーグル水道が段々と近づいてきた。
1時間半ほどバスにすられ、やがて数件家がある村のようなところに到着した。
ハ−バートン牧場であった。 バスを降りて、牧場の見学となった。ガイド役の一人の学生のような女性
が牧場内の案内をしてくれた。ハーバートン牧場の歴史、牧場の庭に咲く花の説明、裏山に生える木の説明
、各建物の説明などがあった。最初は興味深くその話を聞いていたのだが、木や草の説明を受けても特に
面白いと感じなかったため途中から飽きてしまった。
その後、一つの長細い小屋の中を案内された。そこは材木を切ったり、羊の毛を刈るところであった。
大きなモーターで何十個ものバリカンを同時に動かす機械仕掛けの装置などがあり、植物学や歴史の話に飽
きていた私には興味深かった。
約1時間半ほどそのようなレクチャーを受けた。 朝から気分はペンギンであったので、すっかりじらされた感
が強かった。その後休憩室で更に待つ事になった。
体が冷え切っていたので、一杯3ドルもするのコーヒーではあったが、飲むことにした。
まるで丹沢の山頂にある一本300円もする自動販売機のような原理であった。 完全に観光ずれしていた。
しばらくしてようやく、ボートの準備が整い、8人乗り程度の小さな船に乗った。
小さな船は強風と荒波の中ビーグル水道を進んでいく。朝から天候が悪かったのでが、とうとう雨が降ってきた。
やがて船は海鳥が群生する島にたどり着いた。
この海鳥が進化してペンギンになったのではないかと思えるペンギンそっくりな色をした鳥が島のいたるところいた。
船はその島を離れ、さらに沖に向って進んだ。
遠くに島が見えてきた。その島の上には小さく黒い物体が無数に点在したいた。
だんだんその物体が近くに見えてくると、お腹の辺りが白い色をしているのが見えてきた。
ペンギンであった。島全体に信じられな程の数のペンギンで埋め尽くされている。
朝から気分がペンギンどころでなく、思えば日本からボリビアに飛立つ時から野生のペンギンを自分の目で見る
のは夢であった。 ペンギン達はみんな同じ方向を向いて我々の方向を見ている。
雨はやがてみぞれ交じりの雪へと変っていたが、その寒さが気にならない程ペンギン達の行動はコッケイであった。
求愛しているペンギン、体をブルブルっと寒い日の小便の後のように震わせているペンギン、泳いでいるペンギン、
丸く地面にうずくまり毛を逆立てているペンギンなどいくら見ていても飽きなかった。
ウシュアイア周辺でみれる、ペンギンは体調40cm程のマゼランペンギンで、パタゴニアの絵葉書によくあるカラフル
な色をしたキングペンギンやエンペラーペンギンなどは、やはり南極まで行かないとみれないようである。
ウシュアイアの先にあるペンギン島
翌日、ティエラ・デル・フエゴ国立公園に行く事にした。 スペイン語でティエラとは「大地」、フエゴとは「火」を意味する。
つまり「火の大地」という事になる。
一時間に一本程あるマイクロバスに乗って、ティエラ・デル・フエゴを目指した。
バスを降りた目の前に、キャンプ場があった。 前日のミゾレが降る中のペンギン見学のイメージが強かったので、この南米
最南端のウシュアイアの大地でキャンプをしている人がいるなどとは思いもつかなかった。
しかし、山に囲まれているために風はなく太陽の光が照り付けるこの日は、パイネで行ったキャンプよりも条件が良いとすら
思えてテントを持参してこなかったのが惜しかったとすら感じた。
バスの発着所からトレッキングをすることにした。
タンポポの咲き乱れる黄色い大地に、白く枯れた大木がうまく調和した絵のような草原に出た。
そこから、原生林の中に入って行き、ビーバーが住むと言われている沼を目指した。
何十メートルもある木が群生し、その木の高さに上を見上げる。
木々は太陽の光をより獲得しようと上へ上へと成長するのは自然界の原理であるが、その凄まじい競争の軌跡を今回の旅
では随所に見ることができた。 ツタが太陽の光を獲得しようと木を伝わって蛇のようにグルグルと上に登った後、ツタ自らが
巨大な木へと成長し、元の木を絞め殺してして枯らせてしまうという光景などを見ることができた。
森の中をぬけると、地図通り沼に出た。
沼の周りを更に歩くと、他のトレッカー達が集まって何やら沼の先を観察していた。
そこには枯れた木々が積み上げられて作られたドーム状の固まりがあった。
ビーバーの巣であると、私も一発でわかった。 ビーバーの姿が見れるのではないかと、みんなが期待して待っていた。
何かが水面を動き、ビーバーかと思えばカモのような水鳥であった。
その後もしばらく水面の変化を観察していたら、カモよりも大きな物体が水面に確認でした。
しかし、それが遠目であるために何かが確認でしなかった。その物体は段々と自分達のいる湖畔へと近づいてきた。
それは口に木の枝を咥えて顔だけ水面に出しているビーバーの姿であった。
更には目の前の数メートルのところまで近づいてきて、口に咥えていた木の枝を積み重ねた。
自然のビーバーが目の前で巣を作る姿を見れてとても感動的であった。
その後も観察を続けたが、2、3度水面に顔を出し泳ぐ程度であった。ビーバーの姿を見れないまま帰っていく人々も
いたので、かなり運が良かったのではないかと誇らしかった。
ウシュアイアでは天候に恵まれず、雨か曇りの日であったため北極にわずか1000Kmに位置するその地は真夏
であるにも関わらず、日本の真冬のような寒さが続いていた。
私は寒いのが大の苦手であり、特に他には観光がしたかった所がなかったので、次の目的地を目指すことにした。
ビーバの巣 運良くビーバがダムを造っている姿に遭遇
ブエノスアイレス (タンゴ、ボカ地区)
ブエノスアイレス→バリローチェ (ジャオジャオ半島、サイクリング、カヤック)
バリローチェ→プエルトモント (バリローチェ国立公園横断船の旅、アンヘルモの海鮮市場)
プエルトモント→プエルトナタレス (3泊4日フィヨルド地帯縦断プエルトエデン号の船の旅)
プエルトナタレス→パイネ国立公園 (パタゴニアでトレッキング、キャンプ)
プエルトナタレス→カラファテ (ペリトモレノ氷河)
ウシュアイア (ハーバートン牧場、ペンギン島、フエゴ国立公園)
ウシュアイア→ブエノスアイレス経由→プエルトイグアス(イグアスの滝)
プエルトイグアス→シウダッデルエステ→アスンスオン(パラグアイ)
アスンシオン→ボリビア