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"tomonth"は、今月を指すAILAND内での造語になります。

99年夏、カンボジア旅行記

8/26(木)

 
   
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起きたのは8時過ぎ。
今日は一日観光っ。
で、順調に行きたかったのだが・・・。
朝、北沢と渡邊と合流して、空港まで行ってみる。
帰りのリコンファームと、北沢が昨日ので半分陸路をあきらめてくれたことや、この先北沢とは別行動になることもあったりするわけで、そのために空港の下見、といったところか。
ドンムアン空港でうろちょろした後は、カオサンに帰るのではなくて、チャイナタウンへと向かう。
結局、昨日北沢がキャンセルしたシェムリアップまでのプノンペン経由のチケット。
やっぱり飛行機にする、と納得したところで、航空チケットの購入を考えてたのだが。
チャイナタウンの旅行会社には、結局入らずに、いわゆる問屋街をあるいたり、盗品市場と呼ばれる一角の、どちらかといったら機械工業系の露天というか店の並ぶあたりをうろついて、カオサンへと戻る。
昼ごろ
カオサンに戻ってきて昼食。
チャイナタウンからカオサンまでは、バス路線ははなから今回のバンコク内での移動はでは使わないことにしてたし、タクシーでも3人だとそこそこの値段で移動できる、ってんで3人しての移動はタクシーを使ってたのだが、チャイナタウンまでも、またそこからカオサンまでも、もぉほんとすごい渋滞。(〜〜;
昼食もすんで、北沢のカンボジア入りのチケットを購入することにする。
前回、カンボジアに3月に行ったときにチケットを購入した店で、昨日買ったチケットを見せて、これと前後するような便を探してもらいそれを購入。
しかし、一旦プノンペン(カンボジアの首都)を経由してシェムリアップ(アンコールワット)入りするというのを基本としてたのと違い、北沢は一人シェムリアップ直行便を採る。
もちろん、ホントならこちらの方が安いはずなのだが、値段的にはプノンペン経由より高くついた。
そして、チケットも確保したところで一旦宿に戻って一休み。
シャワーを浴びて汗とホコリを落としたところで、再び観光へと。
14:30
北沢と渡邊とは別行動で、一人前から行きたかったとこへと向かう。
宿を出て、向かうは近くの船着き場。
ここから、バンコクの街を分断するかのように流れるチャオプラヤー川を対岸へと渡るつもりだった。
ところが、どうも要領を得ないのだが、船着き場に行くとどうも今日は便が動いてない、というのだ。
昨日のお坊さん来訪騒動に続き、なんか納得しきれないで、船着き場から表の通りへと戻り。
バンコク内の交通、の意外な足となってるバイタクを利用することにする。
これは、オートバイがまんまタクシーとして後部座席に乗って移動するものである。
バンコクに限らず、アジア各地では使われている交通手段らしい。
カンボジアはプノンペンにいたっては、これを利用しないと、他の交通手段がほとんど無いからまず憶えなければならないのがこのバイタクの乗り方である。
もっとも、言い方はモトバイとかモトサイとか言うらしい。
最初にどこどこまでと交渉して乗るのは同じなのだが、バンコクではおそろいの制服的なベストを着用し、乗り場に列をなしてるバイタクと、いわゆる白タク、バイクに乗ってる兄ちゃんで、お客用のヘルメット(交通法規によって、バイタクなどの2人乗りは2人ともヘルメット着用が義務づけられている)らしきものをサイドなどにぶら下げ、その手の雰囲気を纏ってるのと、2種類のバイタクがある。
ちなみに、バイタクはバイク・タクシー。モトバイは、モーターバイク。モトサイはモーターサイクル、といったのの略らしい。
船着き場前のバイタクを捕まえ、本来の行き先であるシリラート病院を伝えようとする。
が、伝わらない。
バンコクでも相当に大きい病院にも関わらず、分かってくれないのだ。
もちろん、地球の歩き方の地図を見せて、示すのだが・・・。
そこで、その病院の隣にあるバンコク・ノーイ駅までを頼む。
案の定、道路は混みに混んでいる。
が、バイクはその隙間を通りぬけ目的の駅へと到着する。
目的地はここの隣のシリラート病院。
市内でも最大級の病院である。し、その施設の内容も非常に充実していれば、中には博物館まである。
その中の・・・・、シーウィー博物館。
解剖学博物館である。
そこが今日の目的地。
北沢と渡邊は、あまりこの博物館へは来たくないらしく、それゆえの別行動である。
死体博物館
タイは、ある意味面白い国である。
重犯罪人が、いわゆる犯罪抑止やその宗教観もあるだろうが、ホルマリン漬けにされたり剥製にされたりして展示されてあるのだ。
ちょうど見学に行ったときも、どう見ても小学校の制服を着たグループが、きゃいきゃい言いながらフロアを走ってたし、女子高生・・・中学かな、のグループも割とじっくり展示を見ていた。
そして、ここの別名、シーウィーというのは、かつてなんでも5人の幼児を殺して、不老長寿の飛躍としてその内臓を食べていたという伝説の犯罪人らしい。
そして、一階はごく普通の待合室らしいところだったのだが、そこの脇から2階へあがると、ほぼ目の前にそのシーウィーの白蝋化したような剥製が飾られているのだ。
ただ、駅に着いてからこの博物館に至るまでが割と難しかった。
職員らしきのに声を掛けながら、また所々にある案内標識に頼りながら、入り組んだシリラート病院の中をうろうろする。
その内に、何とかたどり着いたのが、2階にある博物館だった。
ところが、意外に拍子抜け。
あんまり衝撃的じゃぁないのだ。
もちろん、犯罪人の写真が飾られて、その下にはその弾痕の部分の皮膚だけを切り取ったものや、有名らしい刺青の・・・人の皮を剥いだもの、や、頭蓋骨に弾痕がついたものとか。
あと、大きな坪がぼん、とおいてあったかと思ったら、かつてそこには死体が詰められてた本物、だったり。
枯葉剤によるシャム双生児、有名なところではベト・ドク兄弟のようなのの、赤ちゃんの死体をホルマリン漬けにしたのをならべてたり、と。
小奇麗なフロアだし、展示物も最初の犯罪者の死体が幾つか並んでるのを除けば、あんまり・・・である。
頭蓋骨がずらぁ〜、と並んでもいたが、それだけならカンボジアのキリングフィールドや収容所等の方がよっぽど生々しかった。
コリャ駄目だ、と帰りかけた時に目に入ったのが・・・・。
博物館の文字と矢印。
ところが、この矢印。今入ったところとは別の方向を向いている。
もしや、とその先に向かうとあぁるじゃあぁりませんか。
あるわあるわの2つ目の博物館。
こっちは木製の古い建物の中にあり、古めかしい階段を3階までのぼってくと・・・・。
あるわあるわの衝撃的なホルマリン漬けとかの数々。
どうやら、こちらは医学的な研究室の成果をそのまま並べてるだけで、先ほどの所はそこから観光的な部分を抜き出した選り抜きだたみたいである。
こちらに並ぶのは、さっきの博物室とは比べ物にはならない。
古い木造の教室内には、スチール棚いっぱいに様々な標本が並べられてある。
有名な人体の1センチ刻みスライスもあるし、先ほど見たのとは比べ物にならないくらいの様々な種類の胎児が並ぶ。
発生段階で、おそらく何らかの要因でもって不完全な過程を経たのだろう。
子宮の中で、時には子宮ごと展示されてる場合もあるのだが、ねずみのような哺乳類の別の系統へと胎児が発生してしまったものや、いわゆるシャム双生児、そして胎児以前の段階でもって異状をきたした、すでに物と表現したくなるような物が所せましと並んでいる。
隣の部屋には、軍人、それも英雄的もしくは有名な人物の骨が展示されていた。
扇風機の音が、遠く窓ガラスの向こうから聞こえてくるざわめきのような町の騒音から浮かび上がるように、独特の匂いを伴って耳に届く。
写真撮影はもちろん禁止だが、おもわずデジカメの電源を入れて撮る、撮る、撮る。
この画像は、さすがにHP上で表立って公開するのはいささか問題があるかもしれないので、ちょいと隠しておくことにする。このページからのみいける。
博物館の出入り口から帰ろうとしたとき横を見ると、小さなパンフのような小冊子が置いてあるのに目が行く。
ちょいと手にとって見てみると・・・。
なぁんだ。
他にも博物館、あるじゃん。
それも、説明までしてあって。(^^;
てことは・・・、さっき最初には言った展示室から出たときにちょうど一緒になった日本人に、「他にも博物館あるみたいなんですが、どこなんでしょうねぇ」と聞かれたときに、「え、あそこだけだと思いますよ。」とか教えたの、大嘘だったんだ。(爆)
しかし、閉館時間が16:00と、すでに手元の時計はその閉館時刻を越えた時刻を指し示してるから、他の博物館はまた次の機会だな、と病院から来たときと反対側に抜ける。
係員とかがいたけど、なんかあんまりこの閉館時間は気にしてなかった、というかいうほど厳格じゃぁないみたいだった。
病院から出ると、そこには小さな市場があり、その川側が船着き場になっている。
そこからカオサン近くの船着き場まで船で行こうと思ってたのだが・・・。
船着き場にやってきて、戸惑う。
ここには英語表示がないっ。(><)
さらに、なんだか様子がおかしい。
市場をうろついてて時間をつぶしてた、ってのもあるのだが、船が来ない。のと、どう見てもねずみ色の水上警察らしきボートが船着き場前あたりをうろついてるのだ。
いやぁ〜、な予感がしてると。
案の定。
川の上流とおくと下流のはるか向こうで、おそらく本来ここの船着き場に来る予定だったであろう船が並んで停まっている。
やがて、いかにもアジアの船、といったレガッタの大きいような、どちらかといえば長崎のぺーロンにそっくりである。それも、そこそこの身分の方が観覧してるみたいである。もっともこれは、近くにいた女子高生らしきのに声を掛けて聞いたことなので、あんまりよく聞き取れなかったので、ホントかどうかは分からない。(苦笑)
う〜ん。
なんか、こういうのにやけに遭遇してるなぁ、この旅では・・・。
仕方ないのでタクシーででも帰るか、近いしな、と声を掛けてみると、片っ端から乗車拒否。
なんでだろう、と思いつつはたと気が付く。
もしや、と「ラッシュ?」と聞いてみると、一様に皆うなずく。
川越えは、数少ない橋か先ほどの渡し舟でしか出来ないので、夕方ともなるとぴくりとも動かない渋滞になってしまうのだ。さらに船はあれだし・・・。(uu;
そこで、バイタクを使う。
が、それですら車の間をスイスイ、というわけには行かなかった。
こちらはこちらで、車の間を通りぬけるバイクによる渋滞が発生してるのだ。
そこで、料金を上乗せして一言「はりあぁっぷ」(^^;
反対車線に飛び出しながら、超特急でカオサンまで帰ってくれました、とさ。(爆)
18:30
カオサンに戻ってきたところで、さすがに疲れも溜まってる。
もちろん、当然のようにまっさぁ〜じっ。(笑)
じっくり2時間、19:30までしてもらう。
もお、この為だけにタイに来たようなもの。
毎度行ってるお店に行き、30分足マッサージの1時間半タイマッサージで毎度の至福の時っ。
さすがに揉まれ痛みのような感じもあるが、いうほどではない。
夕食
タイに来たことだし、ここは北沢の強い要望もあって、今晩の夕食はちょっと遠出して・・・、タイスキっ。(^^)
地球の歩き方に載っていた、テキサスってお店に行くことにする。
にしても、なんでタイスキでテキサスなんだ!?
このテキサスなるお店、タイそごうの近くあたりにあるらしいので、カオサンからはタクシーでそこまで行くことにする。もちろん頼みの綱は地球の歩き方に載ってる地図のみ。
そごうの前で降りた一行は、地図の通りに歩いて探すが見つからない。
ここでのナヴィは北沢にまかせてあったのを、北沢から本を奪い取り、なにが分からんのだ、と見ると・・・。
地図に書かれてる川を、造成中の工事区画に水が溜まってるのと見間違えてただけと判明。
よく見りゃぁ分かる、って。(苦笑)
でもって、その先にいわゆる繁華街があるのも分かり、無事到着。
テキサスなるタイスキ屋に入り、とにかく写真入のメニューということで選んだ店なのだが、その写真を見ても物が何が何やら分からないのが痛い。
とりあえず、写真と漢字でもって判断し、適当に頼んでみるが、今度はどうしたらいいのか分からない。
穴の空いたおたまにレンゲ、はし、お椀、そしてタレがあるのだが、このおたまの使い方なんてまったく分からない。まぁ、分からなくても鍋の中に出てきたモノを放り込んで茹だてて、食べりゃぁいいのは分かる。
まぁ、いつもの「なんとかなるなる、なるだばさ」と待ってると・・・。
しばらくして鍋の出汁が沸騰したのを見て、北沢がそこにあった大き目の菜っ葉を放り込む。が、店員が来て、それを千切って放り込み、千切ってなかったのは北沢の〜、とか店員も一緒になって騒ぐ一幕も。(^^;
メニューに書かれてある文字は、タイ語に漢字、そして英語である。
頼りは漢字。
大体漢字で予想がつくので、それでもって色々と頼んでみる。
タレはちょっとピリカラで、しかしカニとか入れたってのもあって、出汁がいい味を出してる。
もちろん最後はデザート。(^^)
こりゃぁ〜、日本にもタイスキの店が東京方面を中心に何店舗かあるらしいが、いいかもしんない。
食後、帰ろうとして夜風にアタリながら歩いてると、道端でマンガを売ってる。
あ、拾い屋売りだ。
と、値段を聞いてみると、一冊10円にもならない。
思わず5冊ほども買い込んでしまう。
こういった荷物になる買い物は帰りに、と思ってたのにぃ〜。(^^;
ホテルに帰って、翌日の朝が早い、ってのもあってさすがに即おやすみ。
 

 
 

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