(p03)序章 前史2
ニライ島で発生した文明は隣の宮古島に伝わり、 さらに南下して石垣島にも伝えられた。当時の宮古
島は現在の宮古列島全域が一つの島になっており 面積は五千平方メートルあった。この島はカナイ島と
呼ばれニライ島に次いで繁栄した。 石垣島は西表島と合体しており、面積は千五百平
方メートルあった。この島はムイガ島と呼ばれていた 。これら三島間では交易が頻繁に行われた。
地域文明にすぎなかったムイ文明は東シナ海大陸 やスイジン島にも伝播し「アスカ文明」に発展した。
BC一万六千年期後半には東シナ海平野部では 都市が発生し、そこの首長が国家の主催者になった
。 東シナ海大陸や琉球諸島に先住したネグリト族は 太陽を崇拝する信仰を持っていた。ネグリト族は当
時マレーシア、インドネシア間に存在したスンダラン ドから渡航してきた。
スンダランドは、現在のビルマの一部、タイ、カンボ ジア、マレーシア、ベトナム、及び、スマトラ島、カリマ
ンタン島、ジャワ島、パラワン島にまたがる六百万平 方キロメートルの地域で、更新世末期には全域が地
続きの巨大陸塊を形成しており、全域が熱帯、亜熱 帯に属し、当時地球上で最も動植物の種類と数に
恵まれていた。 更新世の人類はあらかたが狩猟採集生活を営ん
でいたので、当然原ポリネシア族やネグリト族・ドラ ビダ族・メラネシア族、さらにはアボリジニーやモンゴ
ロイド系諸部族、寒冷化が最も進行した氷河期の末 期には、セム族・インドヨーロッパ系部族までがこの
地で生活していた。 民族間の接触も盛んで、BC三万年期からBC二
万年期までは世界で最も先進的な地域だった。 スンダランドは鉱物資源にも恵まれていて、金、銀
、銅の露出している鉱脈がいたるところにあった。 山火事等による自然融解した金、銀、銅を発見す
ることによって、ある種族はこれらの金属の道具とし ての使用を思い立った。
これらの金属は展性延性に優れており、高等な冶 金技術などなくても、石器や骨器などで気長に叩くな
どの手段によって原始的な金属器を作り上げること に成功した。
当初は祭具や族長のアクセサリーに使用されてい たが、供給が多くなるにつれて、生活用具としても利
用されるようになった。鏃や釣り針などに使用され、 後にはナイフや鏡等も作られるようになった。
銅は金や銀と比較して産出量が多く丈夫なため、彼 らが獲得した道具の中では格段に優秀な素材だっ
た。 しかし、彼らが精錬した銅は不純物が多く、硬質で 脆性が強かったので加工しにくく、その用途は限ら
れていた。 鉱石を溶かして玉状にした銅をまだ柔らかい内に 平たく延ばして、後は砂や木の実などで研磨し銅鏡
が作られた。 この銅鏡製造の技法は物々交換などでスンダランド
の多くの部族に広まった。琉球諸島に渡ったネグリト 族もこの技法を持っていた。彼らは銅鏡を太陽の化
身と考え、御神体として祭っていた。 後発で東シナ海大陸に侵入して来たアスカ人は中
石器時代の文化程度だったが、社会形態はネグリト 族よりも進んでいた。
ネグリト族の社会は漁労採集を中心とする母系の 家族社会だったが、アスカ人はすでに農耕技術を持
ち、職種の分化、階級制度も存在した。 アスカ人はすでに黄海沿岸部でネグリト族と接触し
ており、彼らを原始的な裸族と見下していた。 南方系のネグリト族は衣服を纏う習慣がなかった。
儀礼用にペニスケースや腰蓑を着用することもあっ たが、全裸で過ごすことがほとんどだった。
一方アスカ人は、もともと北方からやって来た民族 なので、毛皮や植物繊維の衣服を着ていた。
さらには牧畜を始めてからはフェルト製品も着てい た。 ところが、東シナ海大陸では同じネグリト族であり
ながら、アスカ人が見たことのない未知の金属を持 っていた。 特に彼らが銅鏡を見たときの驚きは想像を絶する
ものだった。アスカ人も黒曜石の平皿に水を浮かべ る水鏡は知っていたが、単体の鉱物によってそれ以
上の効果のあるものが作られるなどということは考 えようもなかった。
太陽光を反射する銅鏡はネグリト族にとって太陽 の化身として神聖な宝物だったが、それを見たアス
カ人も同様に認識した。 それまでアスカ人は部族ごとに特定動物の精霊を
信仰するトーテム信仰が主流だったが、この銅鏡を 知ってからは太陽信仰に改めた。
アスカ人は東シナ海大陸のネグリト族に対しても当 初から軍事的に優位だったが、彼らを駆逐するよう
なことはしなかった。 彼らを祭祀族として受け入れ、自然に融合していっ
た。 このネグリト族の中国大陸や日本列島への到来は BC三万年ごろから長年に渡り数次に行われた。
彼らの本来の故郷であるスンダランドには、更新世 を通じて定期的に繰り返された気象変動のたびごと
に、当時ユーラシア大陸に住んでいた様々な民族が 流入して来た。大規模な流入があるたびごとに、体
力の劣るネグリト族は他民族の圧力に屈する形で流 出していった。
もともと彼らはカヌーによる漁労をなりわいとしてい たので、外圧がなくても魚群を求めて移住する習慣
があった。 東シナ海沿岸にやって来たネグリト系の太陽祭祀 族はBC二万年前後の最後の大移動で渡来した。
それ以前に中国大陸や日本列島に渡ったネグリト 族は金属の存在を知らなかった。
東シナ大陸の銅はスンダランドとの交易でもたらさ れた。 当時のスンダランドとの銅の交易ルートは、カリマ
ンタン島のキナバル山で採掘された銅をサンダカン 地方で銅塊に精錬し、パラワン島までは地続きだっ
たので象などの家畜によって陸路運搬され、カラミャ ン諸島にあった港からミンドロ島やルソン島に運ば
れ、さらに一部がバタン諸島を経て台湾へ渡来して きたのである。
当時の台湾は中国大陸の一部で、基隆は深い入り 江になっており、近くの山中から良質の金を産出して
いた。 |