(p08) 第二章 統御子1

  BC四千八百八十三年、ニップール国の人口は十万 人を越え、過密状態になった。新たなる植民地の建 設が必要になり、ペルシャ湾南岸に魚入戸(エリド)の町を建 設した。
 この町はBC七千二百年期にすでにアスカ人の漁 業基地として整備されており、メソポタミア地方では 最古の町だった。
その辺りにはセム族の中でも最も文明化に成功した 種族が多数住んでいた。
 BC四千八百七十六年、その内のウバイト族がエ リドの北方三十キロの場所にウバイトの町を建設し た。ウバイトはセム族による初めての都市国家にな った。
ニップール国ではインドで開発されたインディカ米が 栽培されていた。
 しかし、BC四千八百年期を過ぎると気候が乾燥化 し、湿原が目に見えて減少し、米作に不向きな草原 が広がっていった。
 灌漑農法が中心だったので水利をめぐる争いなど も生じた。
水利争いに破れた農民達はやむなく小麦や燕麦な どの栽培に切り替えた。

BC四千七百年期に入ると乾燥化は進んだが、急激 なものではなく、灌漑と両川の治水とで農耕地を拡 大することができた。
 ニップール国はメソポタミア地方の中心国家になり 、アスカ文明の最盛期だったBC一万二千年期の繁 栄を取り戻した。セム族の間でエンキ信仰が広まり、 ニップール国の国王高木結はメソポタミア最高の神 官として君臨した。
ニップール国周辺の国家群は往来が活発になり、文 化を共有する意識を持つようになった。
 彼らは自らを「統(スメル)」と名乗り、高木結を統御 子(スメラミコ)と呼んだ。
 この時期西方には別種の文明が存在した。エジプ ト文明と地中海文明である。
 原住民のセム族はすでにこの二つの文明を知って いたが、この両文明はともに原始的な住民に対して 対応が冷淡だった。
 彼らはセム族を奴隷の供給源としか見ていなかっ た。
エジプト文明と地中海文明は、大西洋上にあったア トランティス諸島の末裔が作り出した文明だった。
アトランティスの本国は後氷期の海進によって滅亡 した。
 アトランティスは二つの地域から成り、現在の大ア ンティル諸島・バハマ諸島を中心とする地域を大アト ランティス、アゾレス諸島を中心とする地域を小アトラ ンティスと称した。
大アトランティスは現在の大アンティル諸島とバハマ 諸島の大陸棚部分を占める巨大な陸塊で面積は六 十万平方キロメートルあった。BC一万二千年期に キューバとイスパニョーラ島の一部を除いた地域が 水没した。
 彼らは中米や南米に逃れたが、BC九千年期にア マゾン盆地が水没し、多大な被害を受けた。

 BC六千年期には追い打ちをかけるようにユカタン 半島の主要部分が消失した。
難を逃れた一部のアトランティス人はエジプトにあっ た植民都市に移住した。
アゾレス諸島には小アトランティスが栄えていた。
 小アトランティスは元々大アトランティスの植民地だ ったが、BC六千年期の大アトランティス壊滅により 独立した。
 面積は現在のアゾレス諸島の海域よりも遥かに大 きく、二十万平方キロの大島だったが、島全域が活 火山で覆われ、噴火活動も盛んだった。
 BC六千年期の海進では国土の二割を消失させた にとどまったが、BC六千年期後半に残りの半分が 水没し、BC五千年期にも津波が押し寄せ国土は六 万平方キロを残すのみとなった。さらに、BC五千六 百六十五年、未曾有の大地震にみまわれ国土のほ とんどが水没した。
南米やエジプト地方にはすでに大アトランティスの植 民地があったので、小アトランティスの住民は当時ま だ寒冷だったアトラス山脈やヨーロッパの地中海沿 岸部を開拓した。BC五千四百年期にはギリシャや クレタ島、サントニーニ島などに植民都市を作った。
大アトランティスによるエジプトの植民地化は早く、B C一万三千期にはギザの地に三大ピラミッドが作ら れた。
 それぞれのピラミッドは地球・金星・火星を表し、ピ ラミッド内部にはそれぞれの惑星の暦に関係する記 録が施されていた。
スフィンクスもすでに存在したが、BC二十六世紀に クフ王によって顔の部分を彼の肖像に作り替えられ た。
大アトランティスの子孫であるエジプト人とスメル人と は比較的友好だった。
 アスカ人はBC一万四千年期にはすでにアトランテ ィスの存在を確認しており、BC七千年期までは交易 もなされていた。
 しかし、その後の後氷期による海進によって両文 明とも衰退し、双方の往来も限定的なものとなって いた。
しかし、小アトランティスの子孫である地中海人とは 関係が良好ではなかった。
地中海人は最大の緑野であるナイル川流域とサハ ラ地方をエジプト人に押さえられていたので、山が迫 り出しているアトラス山脈沿いの僅かな平地にしが みついて生活せざるをえなかった。
 アトラス山脈以南の地は広大な熱帯雨林が広がっ ており、サハラ砂漠はまだ存在しなかった。
 地中海人は地中海沿岸沿いに数多くの小規模な 植民地を建設した。
小アジア半島に植民した地中海人たちは、深刻な食 料危機にみまわれると、連合して、メソポタミア地方 に進入した。
もともと彼らはこの地でセム族の奴隷狩りを行ってい たので、この地方全体を自分達の勢力圏とする認識 があった。
 それを後発の高木結族に取って代わられたので、 失地回復をもくろむ意味合いもあった。
小アジア半島は地中海文明とスメル文明が利害の 明確に対立した地域だった。
 勢力配分は、沿岸部に地中海人の植民都市があ ったが、内陸部はあらかたがスメル人の支配下にあ った。
スメル人とエジプト人が接触するパレスティナはヨル ダン川を境に領土が分割されていた。
注: 文字用の領域がありません!




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