(p12) 第三章 新ニップール国1

 チヤマトは欝々とした日々を過ごしていたが、BC 二千二百二十六年、バーレーン島にあったバハル 国から使者が訪れ、「王がチヤマトと婚約を希望して いるの迎え入れたい」と申し出てきた。王の名をアダ パと言った。
 バハル国はメソポタミアの南端(現在のバスラ付近 )から六百キロも離れていたので、アッカドの侵攻を 免れ、交易都市として繁栄していた。
 
  バハル国の支配者はスメル人だった。
 バハル国の交易範囲はエジプト・ソマリア・エチオ ピア・メソポタミア・アラビア半島・イラン・インドに及ん だ。
チヤマトは気が進まなかったが、有力者の援助が欲 しい統御子一族は強引にチヤマトを説得して、この 縁談をまとめ上げた。
アダパの狙いは、統御子の娘と結婚することで血筋 に箔を付け、交易上の競争相手だったペルシャ湾諸 国家の中で優越的な地位を獲得することにあった。
 アッカドの勢力下には置かれていないペルシャ湾 地域では、スメルの盟主統御子の威名はまだ充分 な有効性を保持していた。

BC二千三百二十一年、アダパはチヤマトとの間に 待望の長男を誕生したのを祝い、チヤマトの父の殿 氏を神格化し天の神(アヌ)の化身として祭り上げる ことにした。
アダパは息子をタンムーズと名付けた。

BC二千三百十八年、妾のナンナが次男のアダドを 産むと、アダパは喜んで、今度はインドに植民都市 を作ることを計画した。
インダス川中流に適地があったので、周辺のドラビ ダ人土豪から金銭で土地を購入して、移民をさせた 。町の名を「アダド」とした。
 当時のインドはインダス川周辺にドラビダ人による 小国家が乱立していた。彼らは農耕を営み、主にイ ンディカ米を栽培していた。この米はアスカ人がイン ドの気候風土に合うようジャポニカ米から改良したも のだった。
かつてのアスカ人の植民都市は長い年月の間にドラ ビダ人と同化していったが、イクグイの町は例外的 に発展し、周辺の小都市や村落を合わせて国家を 形成し繁栄していた。イクグイの名称は「ハラ」に替 わった。
 ハラ市は当時インド亜大陸最大の都市で人口は四 十万人を数えた。
 アメ国は気候変動により衰退を重ねていたが、BC 三千三百年頃から北方の山岳民族であるクル族の 侵入を受けるようになり王族の大部分はハラ国やカ ーリー国に逃れた。
 カーリー国はドラビダ人の国となり、カーリー神はシ バ神と名前を変え、ドラビダ人の間でも信奉者を拡 大させていった。
 当時のガンジス川地方は高温多湿の環境で、至る ところに湿地が点在していた。
 ジャポニカ米は単位面積あたりの収穫量が小麦や インディカ米に比べて抜群に良かったが。
 絶えず労力をかけなければ生育しないという欠点 を持っていた。その点インディカ米は湿地に種を蒔け ば後は勝手に生育して、なおかつ小麦よりも収穫量 が多く、連作障害もないのでドラビダ人からは歓迎さ れた。
 彼らは酒を飲み、踊り、セックスすることを好み、学 問や技術の改良などには興味を示さなかった。

BC二千三百十五年、チヤマトとの間に三男のラー バナが産まれた。
 アダパは気ぐらいの高いチヤマトよりも、美人で気 だての良いナンナに心を移していた。アダパは王位 の継承に関しても当初はタンムーズにと考えていた が、次第に次男のアダドの方が適正なのではないか と思うようになった。
ラーバナの誕生をさして喜ばない夫の心変わりを知 ったチヤマトは怒り、長男のタンムーズとラーバナを 連れてインドに渡った。
統御子の名称は期待していたほどの貿易上の効果 をもたらさないでいた。利に聡い商人達にとって名目 的な威厳など大した価値を見いださなかったのであ る。
アダパは結婚に後悔していたので、チヤマトがインド に渡ったのはアダパにとって渡りに船だった。
 しかし、朝臣達は太子までインドに行ってしまった ことに批判的だった。
そんな矢先、ナンナの親族で海軍提督に取り立てて やったバッバルという男が、対岸のカタール王シャマ シュと共謀して反旗を翻した。予期せぬ攻撃に備え のなかったアダパは捕虜となり、カタールに連行さ れた。
シャマシュはナンナを妻とし、BC二千三百十三年、 シンという息子を産ませた。
バハル国では実権を握ったバッバルが摂政となり、 幼いアダドを新国王に据えて独裁政治を断行した。
 旧朝臣達はこれに不快の念を表し、密かにインド からタンムーズを呼び戻しバッバルと対抗した。
戦いは軍隊を二分して長期化したが、伝統と実績が ものを言って、旧朝臣側に軍配が上がり、バッバル とアダドはカタールに逃亡した。
 バハル国はタンムーズが国王になり、正常化した 。

 BC二千三百十年にはバハル国の内乱が終わり、 息子のタンムーズが王位に就いたが、チヤマトはバ ハル国には戻らず、インドに故国を再建することにし た。
まず手始めに、町の名前を変更した。
「アダド」という名称を廃し、島を意味する「ランカ」に した。
 インダス川が蛇行した中州に町を建設したのでこ のように名付けたのである。
 周辺の土地を買い求め続け、チヤマトはランカ市を 中心とする新ニップール国を建設した。
タンムーズは母親の意向を受け、インダス川河口に 港湾都市シジムを建設した。
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