(p19)第四章 高天原 3
BC二百十七年には常世国から派遣された司政官 を殺害し佐渡島を完全制圧した。
さらに翌年には対岸の新潟平野の攻略を開始し、 常世国と本格的な交戦状態になった。
佐渡島という根拠地を手に入れたオロチ族は大陸 からは次々と援軍を呼び寄せ、弱体化した常世国軍
を連破しながら領土を拡張していった。 BC百八十五年には北陸地域を制圧し、礪波(トナ
ミ)平野の石動(イスルギ)に王都を建設し高志国を 開いた。 オロチ族は農耕民族を差別し、自ら農地を耕すこと
をせず、占領した地域の住民を農奴とした。 また、彼らは優れた製鉄技術を持っており、鉱山の
開発に力を入れた。 BC百五十年に常世国が滅亡すると、代わって成立
した瑞穂(ミズホ)国と中部地方山岳部の領有権を 巡って激しく抗争を繰り広げた。
また、山陰地方にも勢力を伸ばし、在来の諸国家 を圧迫した。
中部地方以南の沿岸部にはワニ族が集落を作り 漁労を営んでいた。
ワニ族が日本列島に渡来したのはBC二千八百年 ごろで常世国の成立よりも古く、縄文人との交流も
盛んだった。 また、隼人族とも生活風習が近いことから友好関
係にあった。 さらに彼らは朝鮮半島南端にも進出しており、山戸
王朝が王朝を作ったときにも先住民として生活して いた。 近畿から中部・関東・東北にかけては常世国を略奪
した瑞穂国が存在した。 BC一千百六十年富士山が大噴火を起こし、王都の
富士宮は廃虚と化した。 中央の統制が乱れ、王族同士の内戦が続いた。
それまで支配下に甘んじていた各部族も、常世国 の衰退を見て造反するようになった。
BC九百八十年、北海道の縄文人が日の本(ヒノモ ト)国を作ったのを皮切りに、BC七百年頃には当時
人口の希薄だった九州・中国地方に縄文系やマレ ー系の小国家が乱立した。
BC五百年期には弥生系の移民が独立国を作り始 め、BC二百年期になると北陸からオロチ族が侵入
するようになった。 この時期になると、常世国の統治能力は東海地方
のみにしか及ばなくなっていた。 他地域は常世国に司政官として任命された地方
豪族が事実上に支配する状況になっていた。 BC百五十年、東北地方を支配していたチュポック
族の豪族が反乱を起こし、翌年には東海地方に攻 め入り宗主族を虐殺し常世国を滅ぼした。
反乱軍の盟主は自らを現尊皇(アラハバキ)と名乗 りアラハバキ国を設立した。
チュポック族はBC二千年期に沿海州から樺太・北 海道を通って東北地方に定住したトルコ系の部族で
縄文人との混血も進んでいた。 チュポック族は常世国の旧領土の近畿地方以東を
ほぼ手中に納め、日本列島中最大の国家を形成し たが、富士山の噴火による被害と、気象変動による
東日本地域の寒冷化により農作物の被害が甚だし く深刻な食料不足に見舞われた。
アラハバキ国は当時の日本全体で最大の勢力を 誇っていたものの、常世国時代に較べると国力の低
下は否めなかった。 常世国の新都富士吉田も度重なる噴火の被害を
受けていたので、BC百三十八年、彼らは三体の巨 大ピラミッドのある飛鳥の地に新都富美(トミ)を作り
、国名を瑞穂国と改めた。国名の由来は、周囲に水 の豊かな琵琶湖と米作の盛んな大阪平野があった
からである。 大和三山はもともとピラミッドとして建造された。
その内の最小の耳成山は比較的原型をとどめて いるが、他の二つはのちに崩壊してしまった。
これらピラミッドはBC一万二千年以前にアスカ人の 手によって建造されたもので、アトランティス人が建
造したギザの三大ピラミッドと対応していた。 アスカとアトランティスという太古の二大民族の交
流を物語る遺物である。 チュポック族が富美に王都を移した当時の大和三山
は畝傍山の先端がやや崩落していたものの三山と もほぼ円錐系の美しい姿をとどめていた。
チュポック族は新都建設に当たり三山の石や砂利 を建設資材として大量に利用した。そのため三山は
荒らされ表土がむき出しの状態にされてしまった。 近畿地域はもともと縄文人が少なく移民である弥生
系の住民が多かったが、気候の関係でBC五百年 以降は農業に適するようになり生産量が増大してい
た。 帰化人達の熱心な開墾と大陸から導入した農業 技術が効を奏したこともあった。
瑞穂国は近畿地方の帰化人を征服し、高志国の 制度をまねて彼らを農奴とすることによって食料の安
定供給を可能にした。 チュポック族は活動の中心を近畿地方に移し、経
済の立て直しをはかった。 滅亡した常世国の王族は於茂登王朝や山戸王朝を
頼って逃れた。 このように日本列島は隅々にまで住み分けが完了し
ており、ここに新たに領土を得るためには、武力によ る実力行使しかありえなかった。
|