(p10)第二章 統御子3

 ウルはBC三千九百年期にアスカ人と同化したセ ム族によって建設された。
 彼らは統御子がチュルクモンに移動した後はインド 系スメル族が建設したスーサ同様チュルクモンの天 孫族とは一線を画していた。
 このころからザグロス山脈を越えてやってきた北方 の遊牧民でセム族のアッカド人の動きが活発になっ た。
アッカド人は減少してゆく放牧地を求めてしだいにメ ソポタミアのスメル人領地を侵犯するようになった。

 BC三千百年期に入るとニップールとエリドは支配 階級こそ天孫族が押さえていたが、住民の七割は 周辺から流入したセム族で占めるようになった。
アッカド族は同じセム族系のメソポタミア都市国家と 交易を通じて先進の知識に得た。彼らは騎兵隊を中 心とする強固な軍隊組織を持っており、階級意識も 発達していて、族長は王を名乗っていた。
ウルとウルクは伝統的な合議性の民主政治を保持 していたが、スメル人の中でアスカ人系の比率が減 少しセム族系が増加していくのを見越して、周辺農 村部のセム族が反旗を翻すようになった。
 それに対応するためウルクはアスカ系の子弟を皆 軍人にし、軍事国家的な色彩を強めていった。
 ウルもその動きに同調した。
 結果として軍の司令官に権力が集中するようにな り、BC三千年期の末期にウル・ウルクに王朝が誕 生した。
 両王朝はともに領土拡大をはかり、周辺のセム族 の小国家を征服し、降伏したセム族を奴隷とし、そ の内の成人男子を奴隷兵にして軍事力の向上を図 った。
 しかし、奴隷兵の造反を恐れて、彼らを監視するた めに相応のスメル人を徴兵する必要に迫られ、経済 活動をますます衰退させた。
 宗教都市として認知されていたニップールや商業 都市として栄えていたエリドでもアッカド族の脅威か ら逃れることはできず、傭兵として周辺のセム族や エジプト人、さらには地中海人まで大量に雇い入れ た。
 そのための費用を捻出するために住民から増税せ ざるを得ず、セム系の住民から不満が噴出させた。
ウルやウルクによって圧迫を受けたセム系の都市は 必然的にアッカド族を頼るようになった。
 かくしてBC二千九百七十八年にはメソポタミア地 方北部にアッカド帝国が出現した。首都はユーフラ テス川中流のアガテに置かれた。

BC二千九百六十七年、アッカドの大王アッガは十 万の騎兵を引き連れて、ウルクを攻略した。
 ウルクは完全に包囲されたが、ウルク王ギルガメ シュは英雄的な活躍をしてこの危機をしのいだ。
 このときはニップール国が援軍を差し伸べ、手薄に なったアガテを逆包囲したため、アッガはやむなくウ ルク攻略を諦めた。
しかし、その後アカッドの勢力は着実に拡大していき 、BC二千六百五十六年にはニップールがアッカドの 手に落ちた。

BC二千五百八十九年にはウルクの植民都市ラガ シュにウルナンシュという名将が出現し、ニップール を奪還したばかりか、アッカド領深く侵攻しジャムダッ ドやボルシッパなどのアッカド帝国主要都市を占領し た。
 勢いに乗ったウルナンシュはウルクからも独立し、 ウルク領のアダブやイシンなども勢力下に納めた。
 彼の作ったラガシュ帝国は八代二百年ほど存続し たが、次第に衰退し、BC二千三百七十七年にはウ ルク領ウンマの司令官ルガルザゲシによって滅亡さ れた。

BC二千三百五十八年、天才軍略家サルゴン大王 が出現したことによってアッカドの領土は一気に拡 がった。




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