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2001年 3月30日 金曜日 
Webでいろいろと椎間板ヘルニアについて調べる。
その過程で見たページの中には『椎間板ヘルニア手術記』というような
ものがあったりもするわけで、今後僕の身にどのような事態が
降りかかるのかを見ることができるこういったページに、
僕の目が釘付けになるのは当然のことと言ってよいのであった。

さて、その入院〜手術〜退院の様子ですが・・・。

浣腸!
点滴挿入!
尿道カテーテル挿入!

・・・泣きそう。
2001年 3月29日 木曜日 
はい、月曜の精密検査の結果が出ました。

手術確定

鬱だ・・・が!氏なぬ!

ちなみに、病名はやっぱり椎間板ヘルニアというヤツでした。
輪切りになった僕の腰の写真には、
神経をボッコリと圧迫する椎間板の映像が写っていたのでした。
入院3〜4週間だそうです。

あーやっぱ鬱だ・・・が!氏なぬ!
2001年 3月26日 月曜日 
2週間ほど前のこの日記で言ったように、今日、
少し遠い病院へ行って、精密検査をしてきました。

この精密検査、その名もMR(MRI)検査といって、
仰向けの状態で半円筒の機械の中に入り、
そこから発せられる磁力でもって身体の内部を検査するというもの。
きっとドラマか何かで見たことがあるであろう、こういうのだ。

病院に着くと、僕は病人着(薄いローブ)に着替えさせられた上で、
円筒内へとつづくレールの上に設置された、
移動する台の上に横たわった。
そして、医者の合図と共に台が円筒内へスライドしていき、
僕の体は完全に円筒内にはいってしまった。
なんだか、火葬場で入棺している気分だ。

円筒内は前後が外に開いているので、
中は前後から漏れる光で結構明るい。
寝ている状態で見上げると、20cmほどの眼前にある
円筒内の天井にはマイクらしき穴とスピーカーがある。
円筒にはいる前に渡された緊急用のボタンを押すと、
そのマイクとスピーカーで外部と連絡が取れるのだろう。
試しに押してみたい衝動に駆られたけど、
下手なことして余計に金取られるのもなんなのでやめておいた。

僕が中にはいると同時に、このご大層な機械も動き始めた。

ゴンゴンゴンゴン・・・
ガガガガガガガガガガガガッ
ガガッガガッガガッガガッガガガッ
ゴガンゴンゴガンゴンゴガンゴン

いろんな種類の騒音が、これでもかと言うほどに耳朶を打つ。
中にはいる前から医者に、

 「中はうるさいですよ」

と警告されてはいたものの、これは本当にうるさい。

でも、『うるさい』ということはこの検査においては
大した問題ではなかったのだ。
そんなことよりももっと僕を苦しめたのは、ズバリ、『暇』だ!

もー暇!
暇!暇!暇!

かといってこの騒音下で寝るわけにもいかない。
できることと言えば妄想くらいだ。
必死に楽しいことを思い浮かべようと努力をする僕。
しかしこれまた、生半可な妄想は機械の発する騒音に遮られてしまう。

・・・だんだん時間の感覚が無くなってくる。
同じものを見ながら、耳には単調な機械音が轟く。
10分くらいしかたってないような気もするし、
1時間くらいたっているような気もする。

結局何分たったのか、僕は時計を持っていかなかったので
正確にはわからなかった。
とにかく、ずーっと鳴り響いていた機械音が止まって
なんの前触れもなく僕の寝ている台が外へ向かってスライドしたとき、
やっと僕は変化する世界に戻ってくることができたのだ。

着替えた後、僕の体の内部が写っているフィルムを受け取って
僕は帰路についた。

あー暇だった。
2001年 3月25日 日曜日 
未来の瞳、という番組をご存じだろうか。
毎週日曜午後6時半からTBSが放送している30分間の番組だ(東京)。

番組内容は、世界のある特定の地域に住む子供にスポットを当て、
様々な地域の文化や生活、考え方をその子供の視点から描き出すという、
非常に興味深いドキュメンタリー。
毎週、というわけではないけれど、僕はこの時間にテレビを
見ているときは、必ずこの番組を見ている。

というわけで、オススメですよ、というだけのお話。
番組タイトルと同名のテーマ曲、未来の瞳(姫神)もイカスー。
2001年 3月23日 金曜日 
ここの3月4日の日記で書いたミール。
結局予定は延び延びになって、今日あたりに落ちるらしく、
ここ数日メディアはこのニュースを盛んに報じている。

初報道1月末のニュースを、3月初旬に報じた僕は時代に遅れていたのか。
最近初めて知った人も多いというミールネタを
15日ほど前からネタにしていた僕は時代を先取りしていたのか。

やっぱ前者?
2001年 3月22日 木曜日 
いつの間にやらこのページも7万ヒット。

設立日が1997年5月23日。 今日は2001年3月22日。 この間、ジャスト1400日。

70000/1400=50。

一日平均50人ってことか。
そんな来てるようには思えないな。特に最近。
2001年 3月21日 水曜日 
DCカードから電話が。

「ドルフィンインターネットさんから、先方が去年の9月に引き落とし
 忘れていた去年のインターネット料金の請求が来ているのですが
 引き落としてかまいませんでしょうか?」


ドルフィン・・・。
去年の9月の請求をいまさら・・・。
これ一瞬、料金の二度取りじゃねーのか?、と疑ってしまうのだけど、
しょうがないので引き落としてもらおう。
もう去年の分の請求が今までにあったかなかったかなんて、
覚えてないからなぁ・・・。
頼むよイルカ。
2001年 3月17日 金曜日 
今日は一転していきなり寒い。
天候くらいしか言うことのない平凡な今日この頃。
2001年 3月16日 金曜日 
最近は暖かいですね。
天候くらいしか言うことのない平凡な今日この頃。
2001年 3月13日 火曜日 
かなり久しぶりに線路のむこうのケンタッキーへいった。

このケンタッキーは駅をはさんでちょうど
ウチから点対称な位置にあって、
もっと近い駅前にマックがあったりする関係から、
年に1回行くか行かないかという場所にあるんだけど、
実は最近よくここの近くを通るのだ。
というのも、最近僕が通っている病院が、
このケンタッキーの近辺にあるからなのだ。
これはこのチャンスに是非とも寄らねばなるまい!

イエア!腰痛!ビバ!通院!
ケンタッキーがお近づきになるなら腰痛熱烈歓迎!
・・・
・・・ごめん、やっぱり腰痛は勘弁・・・

まあ、そんなわけで、ケンタッキー店内に入る。
静かに流れるケンタッキー風の郷愁あふれるBGM。
ほのかに漂う11種類のスパイスと圧力釜によって生まれたチキンの薫り。
そしてほどよく効いた店内の暖房。

うーん、まったりとしたいい雰囲気・・・・
なんか、ほわ〜んとしてきたよ。

外れにあるだけあって客が悲しいほどに少ないというのも、
この寂しいけれども暖かい雰囲気を増長させてたりして。
うーん、ケンタッキー、いいな。
2001年 3月12日 月曜日 
牽引生活一週間を経て、再び腰痛の診察。
レントゲンを見る限りではヘルニアではないようなんだけど、
牽引してもはっきりと改善の兆候が見て取れないので、
『一応大事をとってより精密な検査をしてみましょう』、
と先生に言われて、順番待ち二週間という大人気の精密検査の
予約を入れることになった。
しかもその待ち時間の長さに加え、
その精密検査を行う機材がこの病院にはないらしく、
指定の日時にこの病院が紹介してくれた別の病院へ行って、
そこで検査をするという非常に面倒な話。

で、なんか長い待ち時間に希少な設備と、
ご大層な雰囲気がフルパワーで醸し出されていたので恐る恐る
僕はこんなことを聞いてみた。

 僕: いくらぐらいかかるんですか? 値段
 看護婦さん: 一万円くらい

高っ!

・・・オカアサン親不孝ナ腰デスイマセン・・・払ッテ。
2001年 3月10日 土曜日 
キムチゲー業界の大御所、ネクソンの次世代MMORPG
『ElementalSaga』のアルファテストをやってみる。

感想: ノーコメント。
2001年 3月9日 金曜日 
三国志、を読み始めた。

日本の男子の75%は読んだであろうと言われる、
Y山M輝版の漫画三国志さえも読んだことがなかった僕は、
ざっとストーリーくらいは知っておこうと思って
今更ながら読むことにしたのだ。

チョイスしたのは、陳瞬臣の『秘本三国志』。
第一球から変化球、といった感じの選択だけど、特に深い意味はない。
選んだ理由は、

 一つ、過去にこの著者の著作をいくつか読んでいる
 一つ、全6冊というのがちょうどいい分量だった
 一つ、本屋で最初に目に入った

というだけ。

内容は、日本でのいわゆる三国志のベースである『三国志演義』と
正史の『三国志』を足して二で割ったような話のようだ。
所々著者の独自の解釈と思われる箇所があって、
その部分の解釈の根拠を注釈で述べている。

友人の某氏をもって『陳瞬臣は教科書みたいでイヤ』と
言わしめるにふさわしい内容だけど、
そんな歴史考証的なところが僕は結構気に入っているのだ。
2001年 3月8日 木曜日 
味付きゆでたまご、というモノを食べた。
これは主にコンビニの弁当コーナーなどに置いてある、
一見何の変哲もないゆで卵で、そのくせ一個60円もするというモノ。

今までは、当然僕もその他大勢のみなさんと同じように、
『たかがゆでたまごごときにそんな大金払えるか!ボケ!』
と思っていたわけなんだけど、今日は、このゆでたまご特有の、
殻がむかれていない状態でたまご全体に塩味がついている、
という珍妙なたまごを是非一度賞味しておきたい
と思って、思わずチャンピオンと共にレジへ持っていって
買ってしまったのだ。

家に帰って、プラスチックのパックに入ったたまごを取り出すと、
中に『殻のむきかた』なる紙が入っていた。
それによると、殻の上部分と下部分を薄皮ごと剥き、
上のむけた部分からからたてぶえのごとく息を吹き込むと
殻がいとも簡単に向ける、とのこと。
まるで『伊藤家の裏技』状態。
まあ、これも作法と言うことで、この方法に習って殻を剥く。
そして食べる。

・・・うん、うまい。

程良い半熟に茹でられたたまご全体ほんのりとついた塩味がイカス。
これほどまでにうまければこんなこんなこんな努力を
する人がいるのもわからないでもないカモ。
2001年 3月7日 水曜日 
毎年この季節になるとそこらじゅうで
鼻をグシグシいわせ目をグニグニこすっている
花粉症な方々のお姿を目にするわけですが、
僕はというと、花粉症なんざ気合いの足りない
あわれな一般ピープルのかかる病気であって
僕様ほどの人物ともなると、そんなもんにはかかるはずもなし!

・・・ってなことを、僕は毎春のように花粉症な人々に
宣言していたわけですが・・・

グシグシ・・・
グニグニ・・・

花粉症、獲!得!

・・・
きっつー!
鼻水がぁぁぁ!
目がかゆいぃぃぃ!

今年は腰痛いわ足痛いわ鼻水出るわ目がかゆいわ、
一体何事だというのだ・・・。
2001年 3月6日 火曜日 
今日も楽しい牽引ライフ。
んが、今のところ全然回復の兆しはない。
2001年 3月5日 月曜日 
ついに病院へ行って来た。
数ヶ月前の『成果ゼロ通院』の悲劇を繰り返さないためにも、
今回はまた別の病院へ行く。以前この日記にも書いた、
床屋のニーチャンおすすめの病院だ。

午前10時頃病院へ着くと、受付は20人ほどの患者で込み合っていた。
平日の午前だというのに、大した繁盛っぷりである。
受付の規模から言っても、前回の病院より格段に規模が大きいようだ。
これはやや期待がもてそう。

初診と言うことで、これまた前回の病院の時と同じように
いろいろな用紙にいろいろなことを書かされた後、診察が始まった。

二・三、話を聞かれた後、レントゲン。さらに、寝っころがって、
足を曲げたり、伸ばしたり、叩いたり、押したり。
前回の病院の診察以上に念入りに調査される。

一通り診察が終わると、先生がいろいろと話を聞かせてくれた。

 先生: レントゲンで背骨を見ても全く異常はないですね。
 先生: 椎間板ヘルニアじゃないみたいです。

 (僕: 前の病院でもいわれたよ)

 先生: でも症状から見ると座骨神経痛の可能性が高いので、
 先生: とりあえず一週間ほど牽引でリハビリをしてみてください。

 (僕: ん?)

牽引?

初めて聞く言葉である。
いや、もちろん医学用語(?)として、だけど。
牽引・・・引っ張る・・・なにを?・・・背骨?
なんとなーく、どんなことをするのか想像できなくもない。

両手と両足を縛られ、上下にぐいーんと引っ張られる、
拷問一歩手前のような姿を想像して一人でニヤけつつ、
僕は言われたままにリハビリ室へいってみた。

リハビリ室に入ると、ほぼ予想通りの姿で、
寝っころがったまま体を上と下から引っ張られている
数人の患者がいた。
やっぱり引っ張るのか!
もっとも、引っ張る位置は手足じゃなくて
脇の下と腰骨みたいだけど。
ま、そりゃそうか。
手足を引っ張ったら、腰が伸びる前に肘と膝が抜けそうだもんな。
それじゃあホントに拷問だ。

うーむ。
牽引・・・おもしろそうかも・・・。

などと不謹慎なことを考えつつ、僕も牽引されてみる。

ギギギギギ・・・。

おおっ!?
のびーる。

ギギギギギ・・・。

もどーる。

ギギギギギ・・・。

のびーる。

ギギギギギ・・・。

もどーる。

といったように、伸ばしたり戻したりを14分間くりかえす。
最初はおもしろいけど、じきに飽きる。
何もすることが無く、ただ天井を眺める。

14分経過。
これで今日の診察と治療は終了。
帰りに鎮痛剤と湿布をもらって帰る。

うんうん。さすが床屋おすすめの医者。
前回の医者とは大違いだな。
前回の医者は牽引もなければ薬も湿布もくれやしねぇ!
とりあえずこれから一週間、行けるだけ病院に通って、
牽引してもらってみよう。

しかし・・・Webで座骨神経痛を調べると・・・。
結構一生モンのつきあいになるかもしれない。難病だ。
トホホー。
2001年 3月4日 日曜日 
今週の火曜六日に、ロシアの宇宙ステーション・ミールが落ちるらしい。

マスコミがこのニュースを報道してたのは一月だから
これも古いニュースなんだけど、僕が今日知ったんだから仕方がない。
今日ネタにしよう。

asahi.comの報道は以下のような感じ。
落下予定のミール、3月6日夜に日本上空通過か

 大気圏に突入させて破棄することになっているロシア
の宇宙ステーション「ミール」は、落下予定日の3月6
日午後9時20―35分の間に日本上空を通過すること
が21日、民間の人工衛星追跡組織「LAT」(橋本就
安代表)の計算でわかった。

 LATは、ミールの最新の軌道から、予定通り落下さ
せた場合の直前の軌道を計算した。日本上空を1、2分
で通過するという。

 軌道は時間によってずれるので、近畿地方上空を中心
に、四国・中国付近から東海付近まで幅がある。

 橋本さんは「もし、この時間に北の空に火の玉が見え
た場合は、日本付近に一部が落下する危険もあるので注
意してほしい」と話している。

 ミールは高度約300キロを飛行中。ロシア航空宇宙
庁は、無人補給船「プログレス」をドッキングさせて高
度を下げ、日本上空を過ぎてからオーストラリア沖の南
太平洋上に落下させる計画だが、プログレスの打ち上げ
が延期されている。
うーん。

『宇宙が墜ちる』。
2001年 3月3日 土曜日 
夜、いつものようにネットに接続しようとしたんだけど、
なぜか接続を確立できない。
モデムが変なのかな、と思ってドライバを入れ直したりしてみても、
いっこうにネットに接続できないのだ。

どう考えてもクライアント側には問題はなさそうなので、
サーバーが飛んじゃったかな、と思って、試しにフレッツISDN用の
電話番号ではなく、ただのISDN用の電話番号につないでみると、
案の定あっさりつながった。

これは間違いなくISPの問題だな、と思ったので
障害連絡のメールの一つでも来ているかとメーラを起動して
確認してみたけど、ISPから連絡はなかった。

 あれ、ひょっとして電話線切れたとか?
 ISP側でもクライアント側でもない異常?

と、『ひょっとして復旧がすごく遅れるのでは』、的な想像までしてしまった。

それでも一応、と思って、念のためISPのホームページを見てみると
障害情報の項目にしっかり、

 『現在、フレッツ・ISDN接続が出来ない現象が発生しております』

との表記があるではないか。
障害なら障害で怒らないから連絡メールくらい送ってくだせー>イルカ。

ま、とりあえず原因も分かったし、
復旧のめども立っているようなので
ひとまず安心はしたけど。

さらに数時間後して結局この異常は直って、メールでの告知も来た。
うむ、遅まきながらもとりあえずの対応はOKか。

さて、回線復旧後、さきほどのISPの障害情報の項目を
もう一回見に行ってみると、差し替えられた文章が変な記述になっていた。

 『現在、フレッツ・ISDN接続が出来ない現象が発生しておりました』

語尾二文字変えただけじゃん!
文章明らかに変じゃん!
現在なのに過去形じゃん!
2001年 3月2日 金曜日 
今日も雨。
そんな理由で予定した病院行き見送り。
ってのはジョークで、今日は車で買い物にお出かけ。
結果的に病院へ行かないのは連日と同じ。

で、帰宅。

ほんの十数分の徒歩で真っ白に燃え尽き、
足腰の耐久度の限界ぎりぎりで家に帰り着いた僕は、
それから数時間、寝たり座ったりして
できるだけ痛くない姿勢を模索しながら、
ウンウンうなって暗黒の時間を過ごしたのでした。

マジで、死ぬ。
すでに人間の歩行能力がない・・・。
2001年 3月1日 木曜日 
今日は雨。
そんな理由で予定した病院行き見送り。
っていうか、理由を見つけて無理矢理病院へ
行かないようにしているような感じ。

その気分はまさに、理由を一つ一つ作り出しては
宿題を先送りにして夏休み最終日になって嘆くという、
日本全国津々浦々、どこにでもいる腐れ小学生と同レベルなわけで・・・。

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