(2001年 9月号) Back Number
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2001年 9月30日 日曜日 
すっかりDAoCβ一色だったこの一週間。
おかげさまでこの日記も更新をしてなかったわけだけど、
DAoCの発売日も決まって、βの終わりも見えてきたので、
だんだんβ熱は冷めつつある。
頑張って育ててもキャラ消えちゃうしね。

ということで今日はこの日記を更新だ。

これで終わりだけど。
また来月。
2001年 9月22日 土曜日 
前回の日記でひっそりと公開したDAoCβ日記

あえてこっそりと開いているページを、
何人くらいが発見してくれているんだろうと思って、
カウンターを設置してみた。

それが昨日の昼の話。

で、今朝。
寝起きにカウンターを見てみると、500Hitしている・・・。

あれれ・・・。

BBSに書いてくれた2人と、
自分で教えた知り合いを入れても、
せいぜい20人くらいしか知らないハズなのに・・・。

1人で480回見た人、出てきなさい!
2001年 9月19日 水曜日 
DAoCのβをやっている。
某Z氏がアカウントを貸してくれたのだ。
AOしかみてなく、この先やっていくものを見失っていた
僕にはまさに天の助け。

ってことで、昨日からDAoCをシコシコやってます
2001年 9月15日 土曜日 
今日は両親が家にいないため、悠々自適のホームアローン。

つね日頃から思うところがあったので、
今こそがチャンスだと思い、勝手に親のPCを起動して、
ハードディスクのプロパティを見てみた。

 「このドライブのエラーがチェックされたのは229日前です」
 「このドライブの最適化されたのは229日前です」

・・・やっぱり。

てなわけで、夜中にこっそり靴を作ってくれる小人さんのように、
親PCのメンテナンスを行う僕なのであった・・・。
2001年 9月14日 金曜日 
姉夫婦・続報。

結局シアトルを出て帰国の途につけるのは21日と決まったそうな。
シアトル21日出国。成田22日帰国。
本来の予定では19日帰国だったわけで、
帰国便の順番待ちもかなり難儀な状況のようだ。

さて、当の姉夫婦の現状だけど、昨日も言ったように、
滞在宿はツアー会社が持ってはくれないので、
ダウンタウンへ行って安いランクの低い宿を新たに取って、
そこでしばらく根を下ろすらしい。
さらに、スーツケースなども飛行機から荷下ろしされず、
戻ってくるのかどうかもわからないという状態とのこと。。
なので仕方なく、スーツケースに入ったままで当面必要と思われる、
着替えやらコンタクトレンズやらといった生活用品一式は、
すべて現地で購入して生活しているそうな。

実に所帯じみたハネムーンである。

ってなわけで、こんなのどう?

PS.
時事ネタページにリンクを張ると、
半年もせずにリンクが切れちゃうんだけど、
まあ勘弁してください>リンクが切れた後にここを読んでる人。
2001年 9月13日 木曜日 
アメリカ同時多発テロで世界中がエライことになってますが、
その影響で、我が家でも個人的にエライことになっております。

というのも、ちょうど事件の起きた日に、姉夫婦が、
「カナダ・ナイアガラ・ニューヨークの旅」
に出発したからだったりします。
しかもハネムーン。

初日のコースは、成田>シアトル>バンクーバー、だったのですが、
事件直後は日本では深夜だったため連絡も取れず、
とりあえずシアトルかバンクーバーに無事着いてるといいな、
などと思っておくしかない状況でした。

翌朝、姉貴からかかってきた国際電話によると、

 「全く情報が与えられないまま
  バンクーバーのホテルに軟禁されている」

とのこと。 全くうらやましい限りの貴重な体験をしている姉夫婦ですが、
っていうか、全然うらやましくないですが、
とにかく一応は無事らしい、と言うことで両親も一安心。
日本に伝わっている情報を教えてやると、
驚愕する電話の向こうの姉。
実距離と情報量の反比例がシュールである。

さらに今日、再び電話がかかってきました。

バンクーバーから追い出された(?)姉夫婦&ツアー客一行は、
再びシアトルへと移動させられ、
そこである程度の観光の自由を得たそうです。
全く予定になかったシアトル観光を余儀なくされ、
「イチローでも見るか・・・」などと、
MLBが中止されていることも知らずにつぶやく姉夫婦ですが、
19日以降の滞在費はツアー会社からは支給されず、
帰国手段もよくわからないような感じだそうです。

早い話が、

 「観光可能なシアトルに連れてきてやったから、
  あとはオウンリスク&セルフディフェンスで
  勝手に何とかしてくれ」

的放置っぷり。ビバJ○B!

米国でサバイバル生活を送っている姉夫婦の運命や如何に。
2001年 9月10日 月曜日 
一回前の日記が日曜日。
今日は月曜日。
一見すると、まるで毎日更新していたようだが(そうか?)、
その実体はまるまる一週間日記をサボっていたNezまたは蝿です。

この一週間、何をしていたかというと、
実は、なんと、驚くべき事に、
なにもしていませんでした。

まあなんとかネタづくりのために、強いて言えば、
なにもしていませんでした。

なにもしていなかったのです。
2001年 9月2日 日曜日 
法事に出てきた。
寺へ行って、住職のお経を聞いて、
住職のありがたい話を聞く。
というおきまりのコース。

ところが、この住職というのが、
頭にウロが来ているんじゃねーかという
かなりのデムパさん。

 「私や故人が小さい頃は戦争中で」

から話が始まり、

 「終戦間際にこの辺もアメリカの気まぐれで焼け野原

という恨み話に繋がり、

 「いつかワシントンを爆撃したいもんです

という、およそ法事にふさわしくない、
すさまじい話題で『ありがたい話』は幕を閉じた。

さすがの僕も言葉がない。
2001年 9月1日 土曜日 
タクシー内でのこと。

ゆえあって両親とタクシーに乗っていたんだけど、
その支払いの段になって、オヤジがこんな事を言ってみた。

 「支払いは(クレジット)カードでできんの?」

別に現金を持っていないわけでもなく、
単なる好奇心とカード使用ポイント稼ぎを目的とした、
いわばセコい問いである。

これに答えてタクシーの運転手は、控えめにこう言った。

 「・・・ええ・・・できますよ。
  ただ、カードだとカード会社への手数料の
  5%を取られるんですよね・・・」

単刀直入に言えば、できれば現金で、と言っている。

メーターを見ると、タクシーの乗車料金はたったの800円。
800円をカードで払おうと言い出すオヤジもオヤジだが、
さすがにそこは鬼ではない。
運転手の言外・・・というかあからさまな嘆願を受け入れ、
素直に料金を現金で払ったのであった。

逆に言えば・・・

今回の教訓:
 態度の悪いタクシー運転手には
 カード払いでささやかな復讐(当社比95%)が可能。
 わーい。

といったところか。

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